6.逆襲

 人事部長が「構わんよ」と言ったので、あたしは離れたところにある椅子を持ってこようとした。


「そういやお前、なんで部長の前で椅子に座っていやがる」


 そいつがコウに言った。明らかに蔑むような目つきで。

 けれどもコウは笑って流すこともせず、完全に無視して部長と話し始めた。


「準備室で当面必要と思われる人員は八十名です。今後もっと増えますが、まずはスキルの高い人から登用したいと考えております。他、設備係では十名ほど常勤で必要だと小野さんから伺っております。他部署でも同様の申請があるかと存じますが」

「北山君の提案を聞いて、他部署からも結構話があってね、今のところ申請が上がっているのが……佐藤君、どうだっけ……ああ、そう、全部合わせて三百五十名くらいだ。研究所自体からも、同様の申請が出ている」


 部長はさっきの奴のことをちらりと見た。


「しかしねぇ、さすがに正社員化は無理だ。法律上の問題もある。現在の法律上可能な制度としては、三カ月更新の契約雇用という形だな。本人の希望があって能力があれば、ずっと更新し続ければいい」

「ありがとうございます。では……」

「ふざけるな!」


 そいつは、いきなり立ち上がってコウを怒鳴りつけた。


「そんなもん、てめえらなんかに務まるわけねえじゃねえか! 人でもねえくせに生意気に。『管理品』はおとなしく『人』の言うこと聞いて実験サンプルや雑用をやってりゃいいんだよ!」


 ああ、やっと話が見えてきた。これ、「管理品」の人達の「雇用」の話なんだ。

 数日しか見ていないあたしでも分かった。今の「管理品」制度は、人を人と思わない感覚云々の問題もあるけれど、とりあえず無駄が多すぎる。能力無視のその日雇いみたいな働き方ばかりじゃ効率が悪い。

 こんなあたしでも分かること、「会社」の人が気づかないわけがない。多分、誰かが言いだすのを待っていたんじゃないのかな。


「その実験サンプルとしての本来の役割を果たしている人は現在どんどん数が減っています。それなのに管理品の人数だけが増えていって技術を持った人を生かし切れていないから、そういう人を『技術職』として雇用して、『外』での作業を出来るようにする。別に『管理品』や『実験サンプル』制度を廃止しようと言っているわけではありません。あなたにとって何の問題があるんですか」


 うん、本当だ。何の問題があってこいつはうちに怒鳴り込んで来たんだ。もっともあたしから見れば、「管理品」や「実験サンプル」だってやめちゃえ、とは思うけどね。


 それよりも、あたしは嬉しいことがある。さっきからコウも部長も、管理品のことを「人」として話している。

 コウ、今まで頑なに「人じゃない」って言っていたのに。本当の気持ちは、こうだったのね。


 ……おっとしまった、変な奴の乱入のせいで、うっかり立ち聞きしてしまった。あたしは「会社」の人間じゃない。話は聞かないよう、外に出よう……。


「まさか私が管理品統括係長のあなたの力を削ぐために、こういうことを言っているとでも思っているのですか。私が、アイの事であなたを恨んでいるから、と」


 初めて見る。コウが人を睨んでいる顔。

 口調は変わらず冷静で丁寧だ。けれども端整な顔に浮かぶ怒りの表情は、見るものを震え上がらせる迫力がある。

 人事部長の秘書と部下の人は、いきなり怒り出したコウを見て怯えている。そういえば、アイ君の事って一般職の人には秘密だったはずだ。


「あのすみません、もしなんでしたら、こちらの方たち、向こうの部屋で待っていてもらいましょうか」


 あたしが口を挟むことじゃないかも知れないが、人事部長に耳打ちした。


「ああ、よく気がついた。頼む」


 あたしは秘書と部下の人を、リビングから一番離れたあたしの部屋に案内した。




「北山さんって、怖い人なんだね」


 部下の一人が言った。


「えっ、あたし怖いですか?」

「え? ああ、あなたじゃなくて、あっちの北山さん」


 ……あー。いやー、なかなか慣れないなー。つい「北山」イコール自分、だと思っちゃうよ。


「そうか、あなたとの結婚が市民権取得の理由だから、苗字を北山にしたんだ」

「そうなんです。その方が色々楽だから」


 そんな話をしていた時、リビングの方から物凄い物音と怒号が聞こえた。




「もとはと言えばてめえが逃げ出したのがいけねえんだよ!」


 またあいつが騒いでいる。さすがにこれは家主として文句の一つも言ってやろうと、リビングのドアをノックして開けた途端、グラスが目の前をかすめて飛んできた。


「ずっと実験で実績を上げてきたのに、アイで失敗したからって! あれだっててめえの替えさえ育てば、いくらでも巻き返しが出来たんだ!」

「失敗したからといって安易に次のクローンでやり直せばいい、と思うようなレベルの技量では、どうせ研究者としての先は見えています。国際的な違反行為をしてまで生み出したアイの命を奪っておきながら、何の反省の色も見せないあなたを、配置換えだけで雇用し続ける会社の寛容さに頭が下がります」


 リビングの中はめちゃくちゃになっていた。

 こいつ、研究所の研究者だったんだ。しかも、アイ君の研究の担当。

 髪を振り乱して騒いでいるのはこいつだけで、コウも、人事部長も、椅子に座ったまま冷ややかな目でこいつのことを見上げている。


 こいつ、自分の行き着く先が見えていないんだろうか。

 自分が、人事部長の目の前で醜態をさらしている、ということの意味が分からないんだろうか。


「あのー。すみません、あんまり、散らかされますとですね……」


 あたしはおずおずと声をかけた。


「なんなんだよ、てめえさっきからうろちょろと」

「いえあの、ここ、あたしんちなんですけど」

「……『あたし』か。いかにも下町の安い女だな」


 奴は吐き捨てるように言った。


「これか。てめえが管理品制度捻じ曲げてまで結婚したいってゴリ押ししてきた女は。のこのこと自分の体を差し出しに帰ってきてまで市民権を得たのはこの女のためか。どんないい女かと思っていたが、なんだ、随分地味で貧相だな」


 確かに地味で貧相だけど失礼だな。そしていつの間にか矛先はあたしに向いてんのか。


「こいつ、あれだろ、こんな得体のしれない若い男を拾って囲うような女なんだろ、確かにコウに丁度いいよな。お前、コウの何がよくて拾ったんだ。やっぱり顔か。そんなもんにつられるたあ、これだから安い女は」

「君、いい加減にしろ!」


 人事部長が立ち上がって怒鳴ったが、奴の暴言は止まらない。あたしはだんだんと手足が冷たくなっていくのが分かった。


 その時、コウが静かに立ち上がり、右手をすっと上げた。

 次の瞬間、こいつの後頭部を掴み、テーブルにぐっと顔面を押さえつけた。

 奴の叫びに被せるように声を上げる。


「私は仕事に私怨を持ち込むことはありません」


 冷静な口調で語りかけているが、頭を押さえる手の力は緩めない。


「研究者が実験を行うのは仕方のない事です。アイの事も、故意ではなかったのでしょう。ですからあくまで私は自分の業務の範囲内のことをしていただけなのですが」


 コウは奴の制服の後ろ襟を掴んで思い切り引き下げた。高い襟の制服のボタンがはじけ飛び、首と肩が露わになる。そして首の下の方に貼られた肌と同じ色のテープを勢いよく剥がした。


 これ、確か……!


「私が知らないとでも思っていたのですか。今の抑制のきかない言動、それはあなたの薄汚い性格のせいだけじゃない。これも原因だったんでしょう」


 コウは人事部長に見せつけるように、奴の首の付け根から飛び出しているコードを指し示した。


「これ、開発中止になりましたよね。試作品は、シノブがつけているもの一個だけです。なんでもう一個あるんですか。研究所では開発中止の機械は作れないはずです。設計図がなければ民間の技師には作れません。誰が民間の技師に開発中止の機械の設計図を流したんでしょうね」


 そう言いながらコードをぐいぐいと引っ張った。これは相当痛いらしく、引っ張るたびに体が痙攣する。


「アイで失敗したからまた生み出そうとする。頭が良くなりたいから違法機械を埋める。あなたはそういう人なんですね」


 コウはテーブルに押し付けた顔を持ち上げた。


「……俺、自分のことを仕事に持ち込みたくないんだよ」


 奴の虚ろな目に向かって話しかける。


「本当は、脳の違法機械のことは内緒にしておいてあげるつもりだったんだよ。だって、これやったら懲戒解雇でしょ。もう一生、何の仕事もできないよ。でも」


 後頭部から手を離す。奴は力なく崩れ落ちた。


「ミキを侮辱するのだけはだめだ。それだけは、容赦しない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る