7.私が何者なのか(後)

 食器を片付けよう、と言って話を一旦中断された。


 大量にあったはずの夕飯は、恐ろしいことに二人で全て平らげてしまった。コウは勿論よく食べたが、あたしも自分でもびっくりするくらい大量に食べた。

 食器を洗いながら何気なくお腹を見ると、未だかつて経験したことのないようなでっぱり具合だ。今、あの桜色のワンピースを着ろと言われても、多分入らない。


「そういやさ」


 食器を拭くコウに向かって、疑問に思っていたことを訊いた。


「前に服買ってくれたでしょ。なんであたしの服のサイズとか分かったの? どっかでサイズ表示のタグ見たとか?」

「女性服のタグの見方なんか知らないよ。でもお店の人にミキの体の大きさを言ったら、それならこれですねーって」

「だからそのあたしのサイズをどこで知ったのよ」

「えー、知るも何もそんなのこうやって見れば分かるでしょ」


 ……ぎゃあぁぁぁ! 分かんないよ普通!

 やだやだこの人怖い怖い! ていうかそう言いながら見るなよばかー!


「それね、ある意味特技かもしれないけど、会社に復帰して雑談が出来るようになっても、女性に対して絶対言っちゃだめだよ。ぼこぼこにされて仕事手伝ってもらえなくなるよ」

「言わないよ勿論」


 彼は笑った。


「だって俺、ミキ以外は誰も目に入っていないもん」




 洗い物が終わって、さっきの話の続きを聞くことにした。

 コウは相変わらずの口調で淡々と話すだけなのだが、あたしはその話を聞いていると、心がぎゅっと締め上げられる。


 なんの考えもなしに、彼のことをガキガキと連呼していた。同年代と話す機会が、そんな残酷な理由で奪われていたなんて知らなかったから。


 彼の体に何があるのかは知らない。でも大丈夫。何があろうと彼がコウであることに変わりはない。


「さっきの話、続きお願い。アイ君のこと」


 *


 彼は突然、俺の目の前に現れた。

 十一歳の時、いきなり小さなアイを見せられて、「お前の『子供』だよ」と言われた。


 それが国際的な違反行為であることは知っていた。他の実験とは完全に切り離し、俺からしか生み出さない、と言っていたが、どうしてそこまでして俺の、というのが納得できない。


 だがアイは可愛かった。顔だちは違って見えたが、髪の毛の色や虹彩の色が全く一緒で、ああ、俺の「子供」なんだなあ、と思った。


 十一歳にして歪んだ形で「父親」になった俺は、時間を見つけてはアイのところへ行って、世話をしたり遊んだりしていた。

 そのうち「会社」の仕事が始まったが、総合職以外はアイの存在を知らなかった。当然だ。アイは本来あってはならない存在だから。


 総合職の間でも、アイの「作成」には賛否両論があったらしい。小野さんは、否定派の急先鋒だった。

 外国に大きな本家のある小野さんが否定的な意見なのを、「会社」は危険視していたらしい。俺と一緒に、空調管理課という地味で大きな権力を持ちづらい部署に異動させた。


 それでも俺にとってはその時期が一番充実していた。

 仕事は何をやっても面白いし、どんどん色々なことを任される。環境部長や空調管理課長が、比較的「管理品」に対して理解を示してくれる人達だったのも幸いした。

 そして仕事が終わって研究所に戻ればアイがいる。

 俺の実験は少しずつ減っていく。

 そのうち係長になって管理品のリーダー達が住む居住棟の個室に移った時、懇願してアイも一緒に連れて行った。


 毎日が、楽しかった。




 S区の空気が悪いのは大分前から問題になっていた。それでも何が原因なのかはずっと放置されたままだった。

 これがA区の問題だったらもっと真剣に調べられたのだろうが、S区のことに、誰も力を入れようとはしていなかった。


 そこで俺が主任になった時に、業者に依頼してS区にある空調機械に測定器をつけて色々調べてみたら、特定の汚染物質が見つかった。

 しかもそれが神経に問題を起こし、犯罪率と有意の相関があることも発見した。

 その成果のおかげで、また意味のない報奨金が振り込まれ、さらに空調での汚染物質の除去方法を見つけて、俺は係長に昇進した。


 汚染物質の原因が戦争中の兵器に起因するものだということは推測できていたが、具体的にどの兵器で、どこに埋まっているかまでは、業者を使った調査では分からない。

 社員は怖がってそんな調査はしない。俺が「外」で調べられればどんなにいいかといつも思っていた。

 成果や昇進のためじゃない。俺は根っからの「筋肉仕事バカ」なんだ。


 そうこうしているうちに、皆が思っているより地上が安全だということを知った。

 むしろ地下より環境が良さそうだ。色々情報を集めたものを部長や課長に見せて、「地上に出られればいいですね」みたいな話をした。


 ただ、実際に移住に動くにも東京の地上のデータはないし、環境部で出来ることは限られている。だからこの時はこれだけで終わった。




 久しぶりに大掛かりな実験をする、と言われた。あの、例の限界まで機械を動かすやつだ。

 今までにない乱暴な実験内容を聞いた時、俺も遂にいよいよか、と思った。

 アイの事と仕事の事は心残りだ。だがもうこれで永遠に実験から解放される、と思うと、どこかほっとした。


 しかしこの実験に横槍が入った。空調管理課からだ。

 治安にも関わる汚染物質の事で成果を上げたい空調管理課と、研究所がしばらく争った挙げ句、両者は俺にとって最悪の結論に落ち着いた。

 俺の代わりにアイを実験に使う、と。


 ばかみたいな話だが、俺はその時までアイが何のために生み出されたのか、はっきりと実感できていなかった。ただもういきなり現れた「子供」を可愛がるだけで、


 この子が、替えのきく

 ……俺の代わりとして……。


 …………。


 ……ごめん、ちょっと……。


 当然俺は反発した。成人の俺ならともかく、未熟なアイは実験に耐えられないと。

 でも実験の件で俺の意見が通る訳がない。ある日仕事から部屋に戻るとアイの姿がなく、数日後、実験に「失敗」したと伝えられた。


 アイは俺のことを見ても誰だか分からなくなっていた。

 甲高い声と物凄い早口で俺の事を罵り、ちいさな手で掴みかかろうとする。

 数日前、にこにこしながら「コウちゃん、いってらっしゃい」と俺を見送っていたアイが。


 今ならまだ治せる、機械を外して治療すれば何とかなると思い、研究所に訴えたが聞き入れてもらえない。

 無理やりアイを連れ去ろうとひと暴れした結果、拘束衣つきで鉄格子の部屋に逆戻りさせられた。

 その時、アイの実験を担当した社員が放った言葉が、脱走の決定打だった。


「他の奴らは失敗を俺のせいにするが、違反行為ってことに怖気づいて、『コウから専用に採取した細胞で、まず一体だけ作る』なんて変な縛りをつけた方が悪い。今回の件のほとぼりが冷めたら、今度は何体か作るから」


 俺がここにいる限り延々とアイを生みだされる。

 そんなことをしなければならない程、自分に価値があるとも思えない。


 だから仕事の合間を見て脱走したのだが、逃げ切れるとは思っていなかった。

 だってこんなだし。逃げたはいいがねぐらの確保の仕方も分からない。買い物の仕方も、自分の金の下ろし方も分からない。

 おまけに体罰と絶食で抵抗力が落ちていたせいか具合まで悪くなるし。


 逃げるあてはなかったが、どうせ行くならS区だと思った。逃げるついでに汚染状況を調べてやろうと。会社を脱走したのに何考えているんだとも思ったが、抑えようがなかった。


 あの汚染物質のせいで、俺ではなくアイが犠牲になった。

 俺があんなものを見つけてしまったばかりに、アイが実験に選ばれてしまった。

 ならばいっそ徹底的に調べ尽し、叩き潰してやろうと。


 しかし体調が悪かったこともあり、この日は何もできなかった。

 でもS区に行って良かった。本当に良かった。


 ミキに、出会えた。


 *


「ミキに、出会えた」


 そう言って、あたしの目を見て微笑む。

 いつの間にか、大分遅い時間になっていた。あたしは何も答えることができず、下を向いて彼の話をひとつひとつ噛みしめた。


「会社」に対して、彼の抱く二つの極端な感情を改めて知った。「会社」は、彼を差別しながら評価し、彼の「子供」を生み出しながら殺した。

 怒りや悲しみの源であると同時に、生きがいでもある「会社」。

 色々思う所はある。だけどやっぱり、彼は「会社」に戻るべきなんだろう。


「ミキ、ごめん。そんな顔しないで」


 いつもの幼い仕草であたしの顔を覗き込む。


「……ありがとう。話してくれて」


 やっとの思いでその言葉を口に出す。

 でも。


「でも、どうしたの? なんでいきなり話してくれたの? なんか今日のあんた、いつにもまして変だよ」


 あーもう、なんであたしってこういう話し方しかできないんだろう。

 コウは少し笑って一息置いて、淡々とした口調で言った。


「実はね、今日、ミキが出張整備中に、『会社』から電話があったんだ」

「え、今頃になって? 誰から?」

「空調管理課長」


 課長? 小野さんとかじゃなくて?

 そういやあたし、課長って見たことない。庶民からしたら想像もできない雲の上の人だ。


「あのさミキ。俺、今話したような生まれ育ちのこんなやつだけど、それでも結婚してくれる?」


 は? 課長の話から何いきなり。


「当たり前でしょ。コウがコウであることに、何の変わりもないじゃない」


 あたしの当然の答えに、コウは今更ながら嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。あのね、課長からの電話なんだけど」


 少し間をおいて。


「俺たちの結婚と、俺の市民権獲得の申請が、受理されたんだって」


 


 その言葉を、ずっと待っていた。

 コウが「外」に出られる。「人間」として生活できる。

 あたし達は、正式に結婚できる。


 けれども今の話に続く彼の言葉に、あたしは一気に奈落の底に突き落とされた。



「ただし研究所からの条件があるんだ。受理されるのは、俺が例の実験を受けて、生き延びられたら」

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