6.私が何者なのか(前)

 ある日を境に、コウにもあたしにも「会社」からの電話がぷつりと途絶えた。

 考えてみれば脱走中なんだし、連絡なんかないのが当たり前なんだけれど。

 そしてそのころから前後して、コウはお父さんの部屋にこもっての作業をほとんどしなくなった。本はよく読んでいるが、仕事関係ではないのは読む態度で一目瞭然だ。

 だから、家事を手伝ったり、ちびっこと遊んだり、読書をしたりといった、いかにも居候、ということをして一日をつぶしている。


 あたしはだんだん不安になってきた。

 このまま「居候と家主」状態がずっと続くんじゃないか。結婚の話は立ち消えになったんじゃないか。この中途半端な関係が一生続くんじゃないか。そんな気持ちが常につきまとう。


 勿論、なんで「会社」から何の連絡もないのか、訊いてみたことはある。


「この間、結構長い電話していたよね。あの時喧嘩でもしたの?」


 一度、かなりの長電話をしていたことがあった。連絡が途絶えたのは、おそらくその電話以降だ。


「喧嘩なんかしていないよ。皆、俺のことを考えて動いてくれているんだもん。今はね、連絡待ち」


 そう言ってお父さんの部屋に入っていった。

 もうこれ以上は話さない、の合図だ。




 それから結構な日数が経った。


 あたしが出張整備から帰ると、家からなにやらいい匂いが漂っている。料理の匂いだ。


「おかえり。お疲れさま」


 台所からコウの声がした。まさかと思ってダイニングに行くと、テーブルには、珍しい料理が胃袋を直撃するいい匂いをさせて、所狭しと並んでいる。


「暇だから、本見ながら作ってみたよ。ちょっと早いけれど夕ごはんにしよう」


 さすが「歩く器用・几帳面」だけある。人生初の料理とは思えないような出来栄え。味もいい。

 唯一おかしな点といえば、冗談みたいに量が多いことぐらいだ。何人前作ったんだ一体。


「おいしいよ。さすがだね。でも、珍しいじゃない、どうしたの今日。何かあったの?」


 あたしの問いに、コウは曖昧な微笑を浮かべただけだった。




 しばらく料理の話題と、あたしの今日の出来事の話が続いた。会話が途切れたとき、唐突にコウが口を開いた。


「俺、変だよね」


 え?


「うん。変どころの騒ぎじゃない。何、今更」


 おそらく予想通りだったのであろうあたしの答えを聞いて、コウはにっこり笑ってナイフとフォークを置いた。


「そろそろ、ちゃんと話した方がいいかと思って。なんでこんな変なのが生まれて、今ここにいるのか」


 * 


 自分の親が誰なのか、よく分からない。

 正確に言うと、「親」と呼べる人が誰に相当するのかがよく分からない。

 けれどもそのことに疑問を感じたことはなかった。周りには、そういったものが他にもあったから。


 気がついた時には、鉄格子のついた部屋の中にいた。だから、この世とはそういうものなのだと思っていた。

 十二歳まで、その部屋と研究所から出たことがない。だから「外」とは何か、知識として知ってはいても、現実に存在するものとして捉えることができなかった。


 俺たちのことを、研究所の大人たちは「特管」と呼んでいた。「特殊管理品」だかなんだかの略らしい。

 「管理品」には二種類ある。主に「恋愛」で生まれた子がなる通常の「管理品」と、人為的な操作で生まれた「特管」。

 「特管」はすぐには出来ない貴重品だから、ここにまとめて置いて管理しているんだよ、と言われた。


 貴重品、と言われる割には扱いは乱暴だった。朝、普通に挨拶を交わしていたものが、研究室のドアの向こうに消えて、二度と戻ってこなかったことは一度や二度ではない。

 それを考えると、俺はまだ扱われ方がましだったのかもしれない。実験中にトラブルが起きると、研究担当者は上司に厳しく叱られていた。

 これは初めて出来た「成功例」なんだから、絶対に壊すなよ、と言って。


 俺は成功例、らしい。そして他の特管達は、そうではないらしい。

 その線引きがどういう基準でなされていたのかは知らない。皆のどこが自分と違うのかも分からない。ただ、少なくとも成人するまで残ったのは、俺だけだった。


 大抵が、七、八歳になるかならないかくらいでどこかにいなくなった。だから、会話をするのは小さな子供だけ。研究所の人達にはその人の年齢に関係なくそれなりの言葉遣いじゃないといけない。


 だから、今になるまで幼児言葉が抜けない。いきなり年相応の話し方をしろ、と言われても、住環境や教育レベルなどで同じ年齢層でも言葉は違う。

 自分はどれに合わせればいいのか。知識があるせいで、却ってどれも話せなくなっている。




 生まれた時から、俺に対する基本的なテーマは決まっていた。

 「機械を使わずに、人間としての能力はどれだけ伸ばせるか」だ。


 だから、小さな頃から色々なものを詰め込まれた。

 基本的な筋力・運動能力、それを効果的に引き出すための動きはどれか、栄養素はどれをどのタイミングで与えればいいか、休息の時間や質はどう影響するか。

 逆に拘束したり絶食させたりした場合のパフォーマンスの低下具合も、データとして取られた。


 知能面でも「使える」と判断されて以降は、無意味な資格取得をよくさせられた。

 俺が研究所内で生きるために、資格なんか何一つ必要ない。けれども教育の結果が分かりやすく現れるから、便利に利用していたらしい。

 だからただ脳の状態を計るためだけに、大卒や整備医なんかの、所謂「難関資格」を延々と取らされた。正直今、自分がいくつ資格を持っているのかよく分からない。


 体内や脳内の状態を効率よく計るために、体内や脳内に直接機器類を差し込んで計られることもある。勿論麻酔は上手に使われるから、見た目ほど痛いわけではないが、どうしても傷跡は残ってしまう。

 この間、前田さん達に連れられて「美容院」に行ったとき、何か所か髪のない部分があると指摘されて肝を冷やした。

 「円形脱毛症にしては小さすぎますね」なんて言われたが、まさか穴開けて塞いだ痕ですとも言えず、曖昧に笑うしかなかった。

 だから俺は丸刈りが出来ないんだ。する気もないけれど。


 今までミキに見られたことのある腕や背中以外にも、体中無数の傷痕がある。マーカー代わりに彫られた刺青もある。

 見て楽しいものではないし、怖いと思うかもしれない。

 だからこそ、結婚前に言っておく。




 十二歳で大卒の資格を取ったのと同じくらいの時期に、「会社」の手伝いをさせられるようになった。

 「会社」としては、せっかく詰め込んだ知識を空き時間に有効に使おう、という程度の意図だったらしい。だが、なんとなく分かると思うけれど、俺はこの「仕事」というものの魅力にすっかり取りつかれてしまい、どんどんのめり込むようになった。


 仕事は面白い。やれば成果が返ってくる。それが誰か知らない人のためになる。「会社」側も、俺が成果を上げればそれなりに評価してくれる。

 そのうち本来の実験サンプルよりも、「会社」での仕事の方が比重が重くなっていき、使いようのない給料が意味もなくどんどん貯まっていき、気がつくと十六歳で係長になっていた。

 普通は二十一歳で総合職として入社後、係長になるのは大体三十歳前後。だから小野さんは「万年主任」なんて言っていたけれど、別に昇進速度がゆっくりなわけじゃない。


 自分ではそうするつもりは全くなかったのだけれど、俺の「新人泣かせ」は名物みたいになっていた。

 新人が泣く理由は二つある。

 一つは今までのエリート人生で叱られたことがなかったから、単純にびっくりしてしまった場合。

 もう一つは、自分よりもはるかに年下で、しかも「人間」じゃないような奴に叱られて言い返せない、自分の今の状況が悔しい場合。

 佐々木さんや若林さんは二つの混合型、前田さんは庶民出身で学生時代仕事をしていたからか、完全に後者型だった。

 でも彼らだけではなく、皆、逆恨みしたり心が折れたりせず、ついてきてくれて本当にありがたい。




 研究所での暮らしは苦痛を伴うことばかりだったが、研究所の人達に悪意はない。

 皆、より良い機械を開発しよう、より人々の健康に役立つものを作り出そう、と熱心に働いていた。それは分かっていた。悪意を持って暴力を振るうような人なんか、藤田さんをはじめ、ごく限られた人だけだ。


 だからこそ、どんな苦痛でも受け入れた。どんな要求にも応えようと努力した。

 でも、どうしても許せないことが一つだけあった。


 アイを、生んだこと。

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