5.本業

 小野さんの黒ずくめ姿も近所の目を引いたようだが、前田さんの私服姿も近所の目を引く。


「来たわよカズヤよカズヤ。ヒカル君が最近変わったのって、カズヤのおかげなんですって! いやーん今日も恰好いいわー!」


 上野さんがご近所おばちゃん仲間を巻き込んできゃあきゃあやっているので、前田さんが来たのがすぐに分かった。

 しかし上野さん、お子さんがいるのに若いなあ。それともあたしが老け込んでいるのかな。




「こんにちは。今日はお兄さんが弟に『オトナの世界』を教えに来ました」


 要は、公共交通機関の乗り方や、銀行の手続きなんかの方法を出かけついでに教えに来たのだ。


「『オトナの世界』ですか!」


 意味も分からず、目をきらきらさせながら素直に復唱する。これがどうも前田さんにはたまらないらしい。


「ああぁ、この可愛い弟を手放したくないけど怖い……じゃない厳しい上司には戻ってきてほしい。俺どうしたらいいんだろう」


 そんなことを言いながら、猛烈に目立つ容姿の二人はべたべたとくっついて家を出て行った。




 出張整備から帰ると、上野さんがうちの玄関先に張り付いて中を覗いていたので、前田さんが戻ってきていることがすぐに分かった。


「ミキちゃん! まさか、まさかと思うけど」


 どうしたんだろう、上野さんが取り乱し気味だ。


「どうしたんですか」

「カズヤって、婚約者いるのよね?」

「えっ。勿論いますよ。確か年末あたりに結婚するって言っていましたから」


 新人さん三人とも、ほぼ同時期に結婚するって聞いたことがある。だからいつまでも「みんなのカズヤ」じゃないんですよ上野さん。


「そうよね、そうよね。やだわあたしったら」


 だからなんなんだ、あたしの家の玄関先で。


「だってさっきも今も、カズヤとヒカル君があんまりべたべたしているもんだから、もしかしたら二人って、友達じゃなくていわゆる、そういう関係なのかと」


 そういう関係ってどういう関係だよ!


「……えーと二人は、そ、そういう関係ではないです」

「あらそう? だって二人って凄く絵になっているじゃない? だからついそんなこと考えちゃって。じゃあヒカル君にも婚約者はいるのね?」


 だからあたしがそうなるために前田さんは骨を折ってくれているんだよ、とはさすがに言えず、「まだ未成年ですから。でももうすぐ指定があるはずです」みたいなことを言って、家の中に飛び込んだ。

 



 なるほど。家の中では、雑誌から抜け出たように垢抜けた前田さんと、人形のように美しく整ったコウが、楽しげに肩を寄せ合って書籍端末を覗いている。

 腹が立つなあ。これ絶対、あたしと並んでいるより絵になっている。


「そこの二人、何を肩寄せ合って読んでいるんですか」


 さすがに前田さんに怒鳴り散らすことはできず、不完全燃焼気味に大声を上げた。


「おかえりー。前田さんがね、面白いんだよ。いろいろ教えてもらったよ」


 コウは嬉しそうに前田さんの方を見て微笑んだ後、あたしに本の画面を見せた。

 画面には、得体のしれない漢字がびっちり並んでいる。とりあえずニホン語の漢字ではないことは確かだ。


「やはり、私みたいに資格だけではなくきちんと学校に通っていた人は違いますね。勉強になります」


 今まで散々仕事で斬り倒されていた人に、にこにこ顔でこうやって言われるのって、どういう気分なんだろう。

 人にもよるだろうが、とりあえず前田さんは、さらに惚れ直してしまったらしい。


「あの、仲がいいのはいいんですけど、うちの近所のおばちゃんが、二人の仲を勘ぐっているみたいなんで、愛情表現はもうちょっと控えめにしてもらいたいです」


 前田さんはすぐにあたしが何を言いたいか分かったみたいだが、コウは理解できなかったらしい。


「なんで? 俺前田さんにいろいろ教えてもらうの楽しいのに」


 唇を尖らせて言い返すコウの姿を見て、前田さんは躊躇うように少し間をおいて言った。


「コウさんも、やっぱりそういう話し方なんですね」


 そういう話し方って、ああ、普段のガキ口調か。


「そういやコウ、どうしてそんな変な喋りかたなの? ほかの管理品の皆さん、そんな話し方していないよね。普通の年相応の話し方だよね」


 先日、「管理品」のふりをしていた時思った。あたしは同意してもらおうと前田さんの方を見ると、彼は何ともいえない表情をして下を向いた。

 なんでだろう。理由、知っているのかな。


「変だよね。でも今さら直んないんだよ。目上の人向けの話し方と、この話し方しか喋る機会なかったし」


 そう言って微笑む。

 しまった。やってしまった。また彼に、苦しいときの微笑をさせてしまった。


「すみませんコウさん。でも、指摘できるのは今のうちだと思いまして」


 前田さんみたいな信望者ならともかく、確かに他の社員さんが聞いたらぎょっとするだろう。なんとなくこの話題はこれ以上引っ張ってはいけないような気がしたので、あたしは話をそらした。


「そういえばさコウ、前田さんに渡したいものがあるって言ってなかった?」

「あ、そうだ」


 コウは先程の苦しいときのものとは違う微笑を浮かべて、前田さんに小さな機械を渡した。


「汚染物質の原因の私なりの推測です。研究所の対応が遅いので自分で調べてみました。検証を指示しておいていただけませんか。勿論、その前に全部目を通して下さいね」

「……えーとこれ、もしかしてまさか」

「はい。容量いっぱいまで入っています」

「…………」


 コウのよく言う「容量いっぱい」というのがどういう意味なのかは分からないが、前田さんは先程までの勢いをすっかり失ってしまっていた。




 前田さんの帰り際、コウは前田さんの肩を掴んで少し厳しい口調で言った。


「そういえば、研究所へは私からの妥協案はお話していますか」

「していないです。そう簡単に出来ないって古谷さんが言っています。俺も同じ意見です」


 珍しく、というか初めて、前田さんは反抗的な態度で言い返した。


「向こうは、いずれこちらが言い出すのを待っているだけですよ。私がいいんですからいいじゃないですか」


 あ、この話。

 この間、コウが電話でしていたのと同じ話題かな。

 彼がここまでイライラしているのを見たことがないから。


「俺は嫌ですよ。皆だって嫌です。それに北山さんはきっと一番嫌ですよ」


 え、あたし?


「皆さんがそう言って下さるのは嬉しいんですが」


 まだ話を続けたそうだった前田さんのことを遮る。

 また、あの微笑を浮かべて。


「仕方がないのです。これが私の『本業』なんですから」


 顔を真っ赤にして何かを言いかけた前田さんは、下を向いて無言のまま立ち尽くし、しばらくして、黙って頭を下げて帰った。


 つい見てしまったその表情は、今にも泣きだしそうだった。

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