2.新人の訪問
今日は午前中にお客さんが来るっていうのに、コウはまた近所のちびっこ達とどこかへ行ってしまった。
どうもただ遊んでいるだけじゃなく、読み書き計算なんかも教えているらしい。
この辺は義務教育を受けていない子もいるし、識字率も低い。そんな環境で教えてどうなるのかは知らないが、とりあえずちびっこ達も勉強を嫌がっている様子はないし、悪いことじゃないので好きにさせている。
「ミキちゃんミキちゃん。ちょっとちょっと」
本来の掃除担当であるコウが遊び呆けているので、あたしが玄関先を掃除していると、上野さんの奥さんが目をきらきらさせてこちらに駆け寄ってきた。
「あっちにカズヤいたわよカズヤ。雑誌よりずっと恰好いいの! 最近見ないけどどうしていたのかしら」
「誰ですかそれ」
「あら知らないの! ミキちゃんファッション誌とか見ないんでしょう」
どうも雑誌に出ている有名人に会ったらしいのだが、正直そういう世界ってよく分からない。
「あたしそういうのあんまり興味ないんですよねー。……あ、こんにちは。お休みのところうちの居候がどうもすみません」
新人さんたちがやって来たので、あたしは上野さんとの会話を打ち切って家の中へ通した。
「あれ、居候さんは?」
「なんか近所のちびっこ達と遊び呆けています。時間には戻ると思うんですが」
「遊ぶんだ……」
うん、遊ぶよ。怪獣ごっこしたりかくれんぼしたりしているよ。そんな言葉を喉の奥にしまい込み、曖昧に笑った。
ふと窓の外を見ると、上野さんがうちの中をじっと覗いている。
「上野さん、何見ているんだろう」
あたしの言葉に、若林さんは窓の外を見た。
「ああ、あの人か。前田目当てでしょ」
それを聞いた前田さんが軽く溜息をつく。
「いやもうさすがにいないだろ」
「わかんないよ。北山さん、あの人さっき何話していたの?」
「なんか近所でカズヤを見たとかなんとか」
「……まだいるんだ」
前田さんが低い声でそう呟いた。
「何がいるんですか?」
あたしの問いに、佐々木さんが面白そうに答えてくれた。
「前田ねー、大学時代、雑誌のモデルやって学費稼いでいたんだよ。だからああいう人、今でもたまにいるんだ」
へー、そうなんだ。前田さん、この間も今日もやたらお洒落だと思っていたけど、そういう事だったんだ。
でも前田さんだけじゃない。佐々木さんや若林さんも相当なものだ。殺風景な我が家が一気に華やかになった。
「皆さん、勿体ないですね。普段はあんな制服と頭で」
思わず結構失礼なことを言ってしまったが、三人とも気にしていないようだった。まあ、東京の頂点の余裕、ってところだろう。
本当に雑誌から抜け出てきたような姿の前田さんが微笑む。
「俺らわざわざ三人で休日に来たのはさ、まあ平日は通勤中と勤務時間中は制服着用が義務だからここに来られないっていうのもあるんだけど、一度コウさんと雑談してみたかったんだよ」
入社一週間、コウに斬られて毎日トイレで泣いていたという佐々木さんが笑顔で言う。
「あの人……そう言うといちいち否定されていたけど、あの『人』でいいや……あの人さ、仕事中は私語厳禁だし、仕事終わるとすぐ研究所や居住棟へ行っちゃうし、だからこんな機会そうそうないと思ってね」
……へえ。
慕われてんなーコウ。感じ悪いのに。雑談したくてわざわざ貴重な休日にこんなところに来ちゃうんだ。
若林さんが軽く身を乗り出す。
「俺らコウさんっていったら、あの黒い制服や、灰色の制服姿しか知らないでしょ。だから今日はどんな格好なのかも楽しみで」
……しまったあぁぁぁ!
その時、計ったようなタイミングでコウがちびっこ達と帰ってきた。皆で米語の歌を歌っている。
言葉遊びの歌らしいのだが、ちびっこの歌声の中に、明らかに発音と声質の違う歌声が混じっていた。
「ヒカルまたなー! あ、母ちゃん何やってんだよヒカルんちの前で」
「こんにちは上野さん!」
今まで聞いたことがなかったであろう朗らかなコウの声に、三人はぎょっとして窓の外を見た。
「ちょっとちょっとヒカル君、あなたカズヤの知り合いなの?」
「カズヤ? あ、前田さん? もう来ているんだ」
「やっぱり知り合いなのね! なんで? お友達?」
「……えーとえーと、わかんないです。じゃあ失礼しまーす」
まさか「『会社』の元部下です」とも言えず、お父さんのサンダルを引きずって家の中に入ってきた。
「お待たせしました。休日のところありがとうございます」
「…………」
「…………」
「…………」
脱走後一度も切っていないぼさぼさ頭にちょうちょ結び。
誰をターゲットに売っていたのかわからないださい眼鏡。
組み合わせ完全無視のおじさん服。
そして笑顔。
「……ふうっ」
三人の中でおそらく一番のコウの信望者である元ファッションモデルは、変な息を吐いた後に、その場で気を失ってしまった。
椅子の上に倒れ込む前田さんを一瞥し、健康上問題ないと判断したらしいコウは、前田さん無視でいつもの調子でどんどん話を進めていた。
「昨日お話ししましたものは持ってきていただけましたか」
「……はい、これです。型落ちのものしかなかったんですが。メモリはとりあえず五本です」
「分かりました。ありがとうございます。私の方ですが、まずこちらが地上の環境汚染のデータです」
「……まるまる機械ごとですか? あの、データはメモリに移さないんですか」
「手持ちのメモリでは足りませんでした。機械内の容量いっぱいまでデータが入っています」
「…………」
「こちらは若林さんの提案の件の私からの意見を簡単に書いたものです」
「……簡単な意見がこんなにあるんですね」
「そうです。ではこちらの内容ですが……」
よく分からないが、とにかく大量の仕事が手渡されたことは、二人の顔色を見ているとよく分かる。
考える隙もない程どんどん話が進んでいる。この二人まで気を失いそうな勢いだ。
「以上です。質問は」
「……ありません」
「そうですか。何か問題がありましたら電話を下さい。今日はありがとうございました」
おそらくいつもの「会社」の調子で、仕事が終わったら後は話すことはないという勢いでコウは席を立った。
「……問題ならいっぱいあります!」
その時、前田さんがいきなり復活して椅子から立ち上がった。
「ああ前田さん」
「ああじゃないです! コウさん、あなたは神を信じますか!?」
「信じません」
前田さん、こういう感じの表現、クセなんだろうか。
「あ、そうですか……じゃなくて! じゃあまずえーと、コウさんは自分の外見のこと、どう捉えているんですか!?」
「さあ……?」
「さあじゃないです! 完璧なんですよ! あのですね、俺学生時代の仕事で、いっぱい見てきたんですよ。世の中の若い人は、どんなにブサイクでもブサイクなりに服や髪に手をかけたりして頑張っているんです! 俺だってこいつらだってそうです! それがなんですかこれは!? ここまで恵まれた外見に生まれたのに身なりに構わないのは、俺からすればもはや神への冒涜です!」
……前田さん、本当にコウのことが大好きなんだな。
言っていることはひどいけれど、コウに身ぎれいでいてほしいから言っているのは分かる。
あと、なんとなく分かった。設備係がお花畑みたいな理由。多分、前田さんや古谷さんなんかが皆を引っ張って、レベルを引き上げているんだろう。
まあ、彼らの上長である新旧係長達はアレだけど。
鬼係長に言いたい放題の前田さんの姿を見て、佐々木さんや若林さんはおろおろするばかりだ。
「お前ちょっと待てよ、いくらなんでも言い過ぎ……」
ふとコウの方を見ると、彼はおそらく会社では一度も見せたことがないであろう穏やかなにこにこ顔で三人のことを見ていた。
「そうですか。私は今まで外見を気にする機会がありませんでしたので、知りませんでした。服を選んだことも、買い物をしたこともありません。そうですね、もし今後機会がありましたら、そういったことを教えてもらえますか。今の私は係長ではなく、世間知らずの弟だとでも思って下さい」
今までコウといえば怖い存在だと思っていた三人は、この姿を見てどう思っただろう。
でもね、コウはちっとも怖くないよ。
三人はそう言われてしばらく無言のまま固まっていた。
いち早く復活したのは前田さんだった。
「なぁ、どうせなら……」
三人で何やらひそひそ話している。その間にコウは持ってきてもらった機器類を片付けに部屋に引っ込んだ。
多分、片付けるためというよりはひそひそ話をしやすくするためだろう。
「……いいよ、どうせ今日暇だし」
「じゃあ早速……あ、北山さん、コウさんお金持っているかな」
「自分では持っていないですけど、一部あたしが預かっています。いくらか必要ですか?」
お父さんの部屋にいるコウに了承を得て、言われた金額を手渡す。庶民からしたら恐ろしい金額だが、預かったお金からすればほんの一部だ。
簡単にお金を出してきたあたしの姿を見て、佐々木さんは「絶対出世してやる」と呟いた。
部屋から出てきたコウを捕まえて、前田さんは瞳の奥に炎を燃やして言った。
「早速ですが、これから俺らと出かけましょう。今日は弟ということでいいですか?」
「いいですけれど、出かけるとは、どこへ」
「いろいろです。北山さん、今日半日、コウさん借りるね。『相思相愛の恋愛真っ最中』なのに申し訳ないけど」
前田さんの言葉に、あたしは声にならない叫び声をあげた。
「そうそう。でも悪いようにはしないからさ。恋人の帰りを楽しみに待っていて」
佐々木さんの言葉とともに、四人は騒がしくどこかへ消えていった。
急に静かになった家の中で、あたしはぺたりと床に座り込んだ。
――恋人。
そうか。
まだ結婚申請をしていない段階で。
「家主と居候」「鈴木ヒカル」の仮面を取ると。
あたし達は、恋人なのか。
聞きなれないその言葉の響きを、静かな家の床の上で、あたしは何度も何度も噛みしめた。
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