11.夜明け

 体の奥まで凍えるような寒さで目が覚めた。

 傍らにコウがいない。ああ、だから寒かったんだ。

 空は少し明るくなってきているとはいえ、まだ太陽は顔を出していない。起き上がって周りを見渡すと、コウが川に入っていた。

 遊んでいるわけでないことは、真剣な横顔と手に持った機械が表している。この寒いのに、半袖シャツに膝上までたくしあげたパンツという格好で水の中に入るってどういうつもりだ。


「おいそこの筋肉仕事バカ!」

「わっ!」


 あたしの怒鳴り声に、コウは叫んで手にしていた機械を川に落とした。


「あ、おはよう」


 全く、おはようじゃないよ。

 あたしはずっと一緒にいたかったのに。あなたのぬくもりの中で目を覚ましたかったのに。

 なんなのもう。もっとそばにいてよ。


「この寒いのに何やっているの。いくらナントカは風邪ひかないって言っても、ものには限度があるよ!」

「えー。でもさ見てよこの川。すっかりきれいになっている。飲めるくらいだよ、ほら」


 だからさ。ほらと言われて機械の数字を示されても。


「へー、飲めるの。でもさ、もう寒いでしょ。それ終わったらさっさと上がっておいで」


 あたしも言葉が足りないな。「さっさと上がっておいで」じゃなくて「さっさと上がってそばに来て」って、なんで素直に言えないんだろう。




 ようやく川から上がってきたコウは、寒い寒いと言いながらも、上着も着ずに本に文字盤のついた機械の方へ直行した。そしてあたしを放って何やら作業を始める。


「あ、もう容量ないや」


 そんなことを呟いた後、ため息をついて機械をしまい、ようやくこちらを見て微笑んだ。

 なんか不安だなこの人。体力があるからって無理して、ある日がくんと大きな病気をするタイプだ。


「あのさ、あんまり自分の体力を過信しない方がいいよ。そういや聞いたよ。なんか実験明けに、頭に血の付いた包帯巻いて徹夜で仕事していたことがあったとかなんとか」

「そんなのあったっけ? ……あー、あったねー。穴塞ぐ処理が甘くて、翌朝包帯が真っ赤になっていてびっくりしたよ」


 穴ってなんだよ。やだやだもう、あたしのコウに何してんのよ「会社」め!


「あれはしょうがないよ。あの時、古谷さんのお子さんが風邪だったかをこじらせて、古谷さんの休みや早退が続いていたんだ。でもそうやってしょっちゅう休む人の仕事を自分に振られると、頭では分かっていても、なんであんなに休むんだって思う人もいるんだよ。だから古谷さんが気兼ねなく休めるようにって仕事片付けといたんだ。……子供って本当、しょっちゅう熱出したりするんだよ。ちゃんと気をつけていても」


 うー寒い、と毛布を頭からかぶりながら、そんなことを言った。

 あたしは人と仕事をしていないから、なんともいえないけれど、なんで休むんだって思う人の気持ちも、会社の人に気兼ねする古谷さんの気持ちも、なんとなく分かる。

 あと、コテンパンに斬り倒されながらも、整備係の皆さんが鬼係長を慕っている理由も。

 それにコウにとっては、古谷さんのことが人ごとに思えなかったんだろうな。「子供」を持つ者として。




 いつのまにか地平線の色が変わってきていた。きっと太陽の昇ってくるのはあの方角だ。あそこだけ、ひときわ強い輝きを放っている。

  あたしたちは土手の上に並んで座って夜明けを待った。地平線が徐々に明るくなり、空の色も白金色に変わっていく。


「ミキ」


 コウがいきなり口を開いた。


「この間、若林さん達が遺伝子がどうこうって話していたでしょ」

「ああ、あれねえ。凄い偶然だよね。めったにないんでしょ百パーセントって。あれがどうしたの」

「あれ、なんであんなこと調べたのか、聞いている?」


 あ。そういえばなんでなんだ。

 相性が良いからって、それだけじゃどうしようもない。コウは「管理品」だから結婚できないし、そもそも「会社」から脱走しているんだし、あたしは竹田さんとは婚約解消になったけれど、確か死別とかでない限り、結婚相手の再指定はないはずだ。

 それに、か、仮に、仮に子供が生まれたとしたら、その子は世間の白い目にさらされて、行き着く先は「管理品」。それこそアイ君と同じ運命を辿ることだって十分ありうる。

 そんな事、あの人達が分からないわけがない。なんでわざわざあんなもの調べたんだろう。


「やっぱり聞いていないよね」


 コウが落ち着きのない様子であっちを見たりこっちを見たりしている。


「なんなのコウ、もじもじして薄気味悪い」

「薄気味悪い……」


 あたしのあんまりな言葉に彼は下を向いて固まった。


「あ、ごめん言い過ぎた。で、なんであんなことを調べたの?」

「うん。この件、古谷さんも担当するみたいだね。さっきミキが言っていたけど」


 古谷さんの担当……。あー、あれ。そういや古谷さん、あたしの気持ちを聞いて満足げだった。


「遺伝子の相性が良くて、あたしがコウのことが好きだと、『会社』に何かメリットがあるの? 古谷さんが絡むっていうんなら、単なる新人さん達の相性占い遊びってわけじゃないんでしょ」


 しかもこの件、小野さんの管理下で、他の「総合職」の人達も知っていることだった。


「うん。最初は本当に新人たちの相性占い遊びが発端だったんだけどね。でも、これはあくまでミキと俺の問題だから、誰が何を言おうと、ミキがそれにとらわれる必要はないよ。むしろ、とらわれたら俺が嫌だ」

「もう、前置き長いよ。だから『会社』は何を企んでいるのよ」

「……『会社』の、というより小野さんたちの最終目的は、俺の正社員採用」


 ……はい?


「風が吹けばナントカが儲かる、みたいな話?」

「桶屋が儲かる、ね。うん、そんな感じの話」


 地平線には、ほんのわずかに太陽が頭を出し始めている。


「俺を正社員にするには俺を連れ戻さなきゃいけない。でもそのためには研究所にクローンを作るのをやめさせなきゃいけない。じゃあどうしたらやめるか。俺が『管理品』じゃなく市民になれば手の出しようがなくなる。でも市民権をどうしたら与えられるか。そうだ、結婚相手がいなくて遺伝子の相性が凄くいい市民の女性がいれば、相性を盾に結婚と市民権の申請が出来ないか。でもそんな人がいるわけない。相性が良くて、年齢がちょうどよくて、婚約者がいなく、しかも俺みたいな得体のしれない奴と結婚してもいいと思うような人なんて」


 そこでコウは言葉を切って、地平線を指差した。


「太陽が出てきている。凄く眩しいから気をつけてね」


 本当だ。眩しくて直接見られないくらいだ。

 空が水色と黄金色に染まる。川を見ると、陽の光を浴びてきらきらと黄金色に輝きながら流れている。


「そんな話を、小野さんと古谷さんが雑談の中でしたことがあるんだって。そこに若林さんが相性の話を持ってきて、この二人をどうにかできないかと。俺らの気持ちはまるで無視だったみたいだよ、その時の若林さん」


 たしか若林さんは、憧れの人が結婚相手に指定されたって言っていた。だから「相性が良いなら好きなはずだ」とでも思い込んじゃったのかな。

 まあ、当たりだけど。


「でも問題があった。ミキには婚約者がいたし、俺に良くはしてくれているけど、それは好き嫌いじゃなく、単に社会性のない俺を世間に放り出すのが可哀想だからって面倒見ているだけなんじゃないか」

「まあ、最初はまさにその通りだったよ。……今思えば、違ったのかもしれないけれど」


 あたしの言葉に、コウは微笑んだ。

 なんとなく、なんとなく、話が見えてきた。この先の話の展開も。


「そこで話が止まっていたんだよ。俺、この話を聞いたとき、そんなミキの立場を考えないこと思いついて何やってんだ、仕事しろと思ったよ。だから、昨日まではこの話を話題にするつもりはなかった。なのに、昨日……」


 コウはあたしの目を見た。

 アッシュブラウンの髪の縁が、黄金色に光っている。


「『婚約解消』と、『婚約解除』の違いって分かる?」

「え? 違うの?」


 普通に生活していたらそんなもの無縁だ。あたしに分かるわけがない。


「昨日の手紙、『警察』から来たでしょ。『会社』からじゃなくて」

「あー、そういえば」

「『解除』は警察の処分なんだ。会社の指定は『なかったこと』になる。だから、再指定ができる」


 あ……。


「さっきの小野さんの企みだけど、俺の正社員採用から話を始めると、何かいかにも『会社』の悪だくみみたいに聞こえるけれど、逆から考えたら、どう?」


 婚約者がいなくて、年齢もちょうどよくて、遺伝子の相性が凄く良くて、コウが好きなあたしとの結婚を申請する。

 許可されればコウに市民権が与えられる。

 そうすれば研究所はクローンを作れなくなる。

 コウは会社に戻れる。

 今までの実績や今後の仕事のことを考えれば、正社員採用になるだろう……。


「これ……すごいじゃない」

「小野さんは、『若い二人の気持ちを悪の秘密組織が利用させてもらう』なんて言っていたけどね」


 ……今、まさに昇ってきている太陽のように、あたしの心の中にまっすぐな光が差し込んできた。

 その光はあまりに眩しく、今のあたしには直接見ることはできない。

 でもはっきりと分かる。

 あたしたちの行き着く先は奈落ではなかった。


「でも俺だって、利用できるもんなら『会社』だって利用するよ」


 そう云っていたずらっぽく笑った後、真っ直ぐな目であたしを見た。

 緑がかった茶色の、澄んだ瞳。

 その瞳に負けないように、あたしもじっと見つめ返す。


「ミキ」


 昨日の甘い囁き声とは違う、強い意志を持った声。


「ミキが二十歳になった時」


 二十歳。昨日、警察の通知が来るまでは、絶望でしかなかった年齢だったのに。

 あたしは両手を強く握りしめる。


「俺と結婚して下さい」

 



 はい、という自分の声と共に、天井のない空高くに、どこまでもどこまでも昇っていくような気がした。

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