4.リーダーとの関係

「もういいじゃない。いずればれる話だったんだし」


 部屋の隅で丸まっているあたしを見て、マサキさんはため息をついた。

 灰色の制服に着替えたあたしは、仕事もせず、さっきから同じポーズをとっている。


 だって恥ずかしいよ。あそこ、全員コウの元部下の人達だもん。

 それに相思相愛って言っても、考えてみればお互い直接気持ちは伝えていないし、コウに至ってはあたしの気持ちを知りもしない。


「……そういえば」


 もう、他のこと考えて気持ちを切り替えよう。


「小野さんって、誰にでも優しいですよね」

「そうだねえ。まああの人は家柄が良いから、敢えて偉ぶらなくてもいいからじゃない?」

「家柄?」

「うん。あの人、瞳の色とか顔立ちとか、ちょっと変わっているでしょ。外国の名門の血を引いているんだって、あれでも。だから仕事の出来はアレでもコウの出生に関わることになったんだよ」


 仕事の出来は知らないけれど、なるほどね。ちょっとだけお父さんになった理由は、そんなところにあったんだ。

 そういえば。


「小野さん、なんでマサキさんのことママって呼ぶんですか?」


 「ママ」なんていうのは小野さんだけだ。


「ああ、あれねえ。やめてほしいんだけど。小野さんって、ちょっとだけコウのパパでしょ。私はね、お腹だけコウのママなんだ」


 ……ん?


「勿論私の遺伝子なんか一個も入っていないよ、あの子の体には。だけど人為的な操作で生まれたって言ったって、機械があの子を産んだんじゃない。私のお腹の中で八カ月かけて大きくなって、産まれてきたんだよ」


 へえー、そうなんだ! だからマサキさんのこと、コウは頼っているのかな。


「あいつ結構冷血漢だからね。私の班に実験じゃなく作業をまわしてくれていたのは、単純にうちには有資格者やスキルのあるやつが多いからだよ。ほかの班で使えるやつがある場合は、容赦なくそっちに作業を回す。だけど今回のアンタの件みたいな、本当の本当に頼りたい時だけ頼ってきてさ、ムシがいいったらありゃしない」


 そうはいっても、マサキさんは優しげに目を細めた。


「『生みの苦しみ』って言葉、あるじゃない。喩えじゃない方はね、人にもよるらしいんだけど、そりゃあ苦しいなんてもんじゃないよ。こんな痛みがこの世にあるのかってくらい。でもさ、そうして生まれてきた子はやっぱりかわいいんだよ、少なくとも私はね。あの子が私から産まれてくれたことは、私にとってはこの上ない恩だと思っている」


 そこでマサキさんは悲しげな表情を見せて、ぽつりと呟いた。


「アンタも、いずれ分かるかもしれないね」




 その日の夜、小野さんから電話があった。マサキさんの部屋に行って電話を取ると、周りに人の声がある中、小野さんが話し始めた。

 今、夜の十時だ。「オフィス」では、まだ何人もの人が働いているらしい。


「今日はいろいろお疲れ様。古谷さんがね、北山さんには本当に申し訳なかったって言っていたよ」

「……もういいです。多分遅かれ早かれ皆さんにはばれる話なんですよね」

「うん。でもとりあえず今日は一般職の女性達が皆働かないで喋ってばかりになっちゃったから、全員定時で帰したよ」


 背後で、「切手ってどこに置いてあるんだー!」という声が聞こえる。黒ずくめ族に仕事のしわ寄せがきているのかな。


「まあそれはいいよ、それより先程警察から電話があってね。例の被害届、取り下げられたから」


 周りの混乱をよそに穏やかに話を続ける。


「そうそう。数日前、警察が北山さんの家に行った時の話だけどね。近所の人、皆コウを見たことがないって言っていたんだって。コウ、結構外に出て近所づきあいしていたんだろうに、まあ、がよかったんだろうねえ」


 警察が近所の人に見せたのは、黒ずくめにかっちり頭でこわばった無表情の写真だろう。ばさばさ頭にちょうちょ結び、ださい眼鏡におじさん服姿でへらへらふらふらしている「ヒカル」と同一人物だと誰も思うまい。


「でね、前田の話を基に色々追及したところ、あっちこっちから矛盾が出てきて収集がつかなくなって、結局『全部憶測と勘違いでした』ということになったらしい。だからあの家に『ヒカル』と一緒に帰って大丈夫だから。むしろ近所の目があるから早く帰って」


 またあの家に帰れる。

 またあの時間が取り戻せる。あの家で、また二人で……。


「ありがとうございます。皆さんには、どうお礼をしたらいいか……」

「……ねえ、本当にお礼する気ある?」


 さっきまでの穏やかな口調から一転、疲れ切った声の小野さんが言った。


「じゃあ、今から空調管理課に来てくれる? 事務作業、やってもやっても終わらないんだ」

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