3.私の気持ち
会議室には二十人前後、男女比は半々くらいだ。にしても。
「北山さん、どうしたの?」
「……あの、設備係って、顔で選ばれたりしているんですか?」
前田さんや佐々木さんの顔もかなり整っていると思っていたが、女性社員、レベル高過ぎでしょ。凄いここ、お花畑みたい!
「冗談みたいに美男美女揃いで笑えます」
「あはは。前は係長からしてあんなだったけど、今は係長があんなだから」
「あんなってどんなだ佐々木君!」
小野さんが笑い顔で怒鳴った。
「あれ、ママは?」
小野さんがそう呟いた時、マサキさんが一礼して入室して来た。
「遅くなりまして申し訳ありません」
そのまま部屋の隅に立つ。
「さて」
マサキさん以外全員が着席したのを見て小野さんが話し始めた。
「今回は私のドラ息子が皆に迷惑をかけて申し訳なかった」
小野さんと、なぜかマサキさんが軽く頭を下げた。
「今の警察騒ぎは、まあそのうち被害者と称する人が勝手にボロを出すだろうから気にしなくていい。それよりそこにいる女性を改めて紹介しよう」
……あ、あたしか。
「既に気付いているだろうが、コウがこんなに長期間脱走していられるのは、特定の人が匿っていたからだ。で、それがこちらの人。北山ミキさん。警察の言う『協力者』だ」
この場合、あたしどうしたらいいんだ。とりあえず首だけで頭を下げる。
「コウの脱走理由については、研究所の機密事項に触れることなので言えない。けれども決して我々を見捨てたのではない……というか、むしろ見捨ててくれてもいいのに、という宿題をどっさり残してくれたぞ」
うわー来たー、という女子社員の悲鳴が聞こえた。前田さんと佐々木さん以外にも数人いる黒ずくめ族は事前に知っていたらしく、皆黙って頷く。
「大恩人である北山さんをこんなところに残して、奴は今どこにいるかというと、地上だ」
一瞬の沈黙の後、女子社員やスーツ族がざわめき始める。
「今日明日にいったん戻って、また地上に向かう。その後戻ってきたら、今度は我々の出番だ」
黒ずくめ族が息を呑む。
「空調の苦労も、汚染物質の問題も、厳密な人口管理も、そのための不自然な結婚制度も、一気に不要になる。ただしそうなるまでに何年かかるかわからない」
そこで小野さんは立ち上がった。
「東京中の人間を、地上に移住させる。その先頭に立つのが、我々だ」
小野さんは地上移住計画をごく簡単に話した。
「――今はこの程度しか言えない。安全性の問題もあるしね。ただこちらはおそらく問題ないだろう。あのコウが積み上げたデータだ。今の地上調査だって、観光半分だと思う」
いやいくらなんでもそんなことはないと思うが、確かに安全性にはある程度確信があったようだ。
「今日は以上だ。皆、分かっているとは思うが、この件はコウが絡んでいる以上、他部署の人は勿論、空調管理課の他の社員にも一切口外しないこと。課長へは私から直接話しておくが、皆は絶対に話さないこと。いいね」
皆一斉に頷く。その時、一人の女性社員が手を上げた。
「小野さん、この話は分かりました。でも、この話、なんで北山さん同席のところでお話になったんですか」
ちょっと申し訳なさそうにこちらをちらりと見たが、そう思うのはもっともだ。だってあたしもそう思うもん。こんな重要な「会社」の話、あたし聞かされても正直困るんだけど。
「それはね、別の計画に彼女を絡ませようとしているからだ。今日は時間がないから話はこれでおしまいにするけど、まあどうかな、女性の好きそうな話かな」
何その計画。女子社員は小野さんの話を聞いて、納得していないようだ。
「えー。じゃあヒントくださいヒント」
小野さんはそう言われて腕を組んで首をかしげ、前田さんや佐々木さんと目を合わせると少し笑った。
「ヒントねえ……。じゃあこれはどうかな。『コウにとって、北山さんは木本サキなんか足元にも及ばないような女性だ』……はいもうおしまーい! 噂や憶測は勤務時間が終わってからにするように」
いやそれは無理でしょ。女性社員は今の話を聞いて、一斉に会議室を飛び出していった。多分仕事に戻るためじゃない。
小野さん、頼むから木本サキを出さないでほしい。恥ずかしいよ、あたしこんななのに。
会議室に残ったのは小野さんと黒ずくめ族、さっき服を貸してくれた女性社員、マサキさん、そしてあたし。女性社員とあたし以外全員真っ黒でちょっと威圧感がある。
「移住計画では、ママの班の管理品を頼りにしている。スキル不足のものにはもっと勉強させて」
「かしこまりました」
小野さんって、マサキさんにも高圧的な話し方しないんだな。そういえば女性社員にも優しかった。
それよりママって何だ。
「あとはコウの連絡待ちだ。あいつの復帰は難しいから、今のところ我々が全て行うつもりで」
……ああ、やっぱりコウが「会社」に戻る可能性はあるんだ。
小野さんの言う「難しい」は、「出来ない」の意味じゃなく文字通り「難しい」んだろう。
「というわけで移住の件は以上。ではもう一つ。若林の置き土産の件だ。
「そうですね。今までの話の進め方を見ていても、彼らは乱暴です」
古谷さんと呼ばれた女性社員は前田さんや佐々木さんを見ると、そう言い放った。彼らと同い年くらいだし、黒ずくめ族じゃないのに、なんだか貫禄がある。古谷さんは私を見て微笑んだ。
「紹介が遅くなったわね。主任の古谷です」
「主任さん? あれ、制服は? それに前田さんなんかと同い年くらいですよね?」
「わぁー! 私この子好きー!」
古谷さんは満面の笑みを浮かべた。
「北山さん、それはないわ。古谷さん若作りだけど、もうさんじゅ」
「佐々木君!」
古谷さんの一喝で佐々木さんは黙った。
うん、分かった。若くてきれいだけど三十歳過ぎているのね。
「一般職だから私服で通しているのよ、って、私のことはどうでもいいの。それよりあなたたち、北山さんがどう思っているか、聞いていないんですって? そこきちんと押さえとかないと全く意味がないじゃないの」
「それを実は今から聞こうとして……」
「この状況で? こんな怖そうなおっさんが睨みをきかせている中で言わせるの? いいから小野さん以外のおっさんは一旦外に出て頂戴」
十歳は年上の女性におっさん扱いされた前田さんや佐々木さん、その他の黒ずくめ族はすごすごと退室した。凄いな古谷さん。
「――さて」
古谷さんはあたしに微笑んだ。
「話は聞いています。なんだかうちの若造たちが訳分からないことを色々やったみたいで、ごめんなさいね」
あたしが曖昧に笑っていると、小野さんが話を続けた。
「北山さんとコウの相性の話、若林達から聞いたよ。あんなこといきなり言われてもどうしようもないよね」
「はい……。そんなこともあるんだーとは思いましたが、じゃあどうすればいいのか」
「そうよね。だから何、って感じよね。実は今日、私たちが聞きたかったのはね、気持ち。法律とか、常識とか、相性とか、そういうの全部抜きで、あなたの気持ち」
古谷さんは身を乗り出した。
「ずばり、北山さんあなた、コウさんと結婚したいと思う?」
……え。
……ずばりすぎる。
言葉を返すことができずにあたしはその場で固まった。
「古谷さん、いくらなんでもそれはずばりすぎないかい」
さすがに小野さんが反論した。
「そうですか。じゃあ北山さん、好き嫌いで言ったら、コウさんは好き?」
「そりゃ好きです」
「同じ家の中で、食事作ってあげたり、おしゃべりしたりするのは楽しかった?」
「はい。とても」
「今、離れ離れで寂しい?」
「……はい」
「早く会いたい?」
「はい。会いたいです」
「一緒にいたい?」
「いたいです」
「ずっと一緒にいたい?」
「ずっと一緒にいたいです」
「そう思える人、他にもいるかしら」
「いないです。多分これからもいないです」
「今いる婚約者。婚約は取り消したい?」
「一刻も早く。場合によっては裁判起こすつもりです」
「そう。じゃあ取り消せたとしましょう。あなたは自由の身になりました。コウさんは外に出られるようになりました。でも結婚は出来ません。そうなった場合。それでも、ずっと一緒にいたい?」
「……一緒にいたいです」
あたしの後ろでマサキさんが大きなため息をついた。
分かっている。あたしの今の答えの行きつく先。
「じゃあ最後にね。あなた、コウさんのこと好き?」
「好きです。大好き。世界で一番。誰よりも」
……ああ、言っちゃった。
古谷さんはあたしの答えを聞いて満足そうに頷いた。
「うん、分かった。ありがとう。こんなおっさんもいる中でごめんなさいね。じゃあ着替えて、マサキリーダーと一緒に居住棟に行っていいわよ」
一礼して会議室を出ようとしたとき、古谷さんが駆け寄ってきた。
「そうだ。北山さん、さっきあなた、脚痛そうだったわよね。脚の調子が悪いの?」
「あ、いや全然そんなんじゃないんです。あたし、おしゃれとかあんまり気にしないんで、ハイヒールとか履いたことないんですよね。履く気もしないっていうか」
「え、やだちょっと、何やっているのあなた!」
古谷さんがいきなりあたしを怒鳴りつけた。
ドアを開けて会議室に入室しようとしていた黒ずくめ族が、古谷さんの剣幕にぎょっとしてこちらを見た。
「子供じゃあるまいし。九センチのヒール履いて一日動けるようじゃないと女の子失格よ!」
なんじゃそりゃ。新手の拷問じゃないか。そんなんならあたし失格で全然かまわないよ。そう思っていたところに古谷さんが畳みかけた。
「あなたコウさんのこと好きなんでしょう? だったら彼の愛情に甘えていないで自分をもっときれいにしようとしなきゃ! 会社指定の相手と結婚している私達だって努力しているのに、相思相愛の恋愛真っ最中のあなたがきれいになる努力しないでどうするの!」
会議室のドアは全開だ。
会議室の隣は設備係だ。
あたしは全速力でその場を逃げ出した。
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