5.運命が動き出す

 「運命」って、なんだろう。

 もったいぶった伝言が気になったが、昼休み時間まで待つしかない。今やらなきゃいけないことは、ソーセージが焼けるのを今か今かと待ち構えている八歳児に朝食を作ることだ。


 朝食を食べながら夕方からの行先を訊いたら、「外」を見てくる、と云われた。


「外なんか毎日出ているじゃん。警察に追われているとは思えないくらいあっちこっちふらふらと」

「その外じゃなくてさ。本当の外」


 人差し指を上に向けて続ける。


「地上」


 ……は? 何考えているんだこいつ。


 「あの戦争」によって人が住めなくなった地上。

 人の手で散々破壊した挙げ句に棄ててしまった地上。


「あのさ、地上って、地表も空気も汚染されまくっているんだよ。何を好き好んでそんな所へ」

「でも地下の汚染も限界なんだよ。今の空調じゃどうにもならない汚染物質も問題になっていて」


 ソーセージ四本めを頬張りながら、結構深刻な話をしている。


「現在の地上と地下の汚染状況を比べたら、俺は地上に出るべきだと思う。実際、国家機能が残っている国の中には地上移住計画が検討されている所もあるみたいなんだ。パンもうないのー?」


 あんたにとっては人類の大問題とパンのおかわりは同列なのかい。仕方ないのであたしのをあげる。


「ありがとう。優しいね……ねえ、ミキ、太陽に照らされた青い空を見てみたいと思う?」

「そりゃ見てみたいよ。凄く明るいんでしょ」


 青い空。今も見上げれば青い空は見えるけれど、それは天井に映し出された偽りの空だ。


「雲から降る雨とか、大気のうねる風とか、天井のない夜空から降る一面の星とか。そんな世界を取り戻したいんだ」

「今じゃそんなの戦前の映画でしか見られないもんね」


 たまに上映されることがある戦前映画。そこに映し出されている風景は、とても現実のものとして認識できないようなものばかりだ。

 だから観ても「どこか知らない星の出来事」のように思えてしまう。


「でもさ、天井のない空って、広すぎて不安になったりしないかな」


 空が限りなく広がっている、ということを現実として考えたら、そんな言葉が出てきた。

 コウはあたしを見て柔らかに微笑んだ。


「大丈夫だよ。俺一緒だし」


 不安をあたたかく溶かすような、低く穏やかな声。


「もし地上に出て安全性の確認が取れたら、真っ先にミキを呼ぶよ。そして一緒に地上の空を見よう。俺、初めて誰かと一緒に空を見るなら、絶対にミキがいいんだ」




 うぬぼれても、いいんだろうか。

 あたしは、この東京の歴史を変えるかもしれない時間を、共に過ごすに相応しいと思ってもらえているんだろうか。


 あたし単純だ。あんなに悪夢に苛まれて、あんなに何もかも上手くいかない事ばかりなのに、心の中をまだ見ぬ太陽が暖かく照らしている。

 つらいのに、苦しいのに、たまらなく甘くて心地いい。




両手いっぱいの買い物を玄関先に放り投げると、あたしはそのまま倒れ込んだ。


「重かったー! もー!」

「ごめんねこんなにいっぱい」


 「地上行き」に必要なものを、色々買わされた。それまでにもちょこちょこ意味不明な買い物はお願いされていたが、今回は特別多い。これ以上変なお金の使い方を続けると、会社から目をつけられそうでひやひやする。

 コウはあたしが必死になって運んでいた大荷物をひょいひょいとまとめると、片手で軽々掴んで部屋の中に入れた。


 この姿を見ると、自分も含め世間の人間たちが、わざわざ機械を体に埋めてまで何やっているんだろうと思う。

 「健康な人の機能増進用」って、本当に必要なのかな。戦前の人と同じだけの力を出す機械、て、考えてみれば「本来人間が普通に出せていた力を、わざわざ機械で補っている」んだよね。


「しばらくうちのごはん食べられないでしょ。いっぱい食べていってね。……そういや、食事どうすんの? 買い物のしかたとか、知っているの?」


 今更気づいたが、この人店頭で買い物をしたことがない。「会社」にも店はあっただろうが、大丈夫なのか。そうだ、寝泊まりはどうするんだ。

 わあ、ここに来て長いのに、近所のおばちゃんと話したりちびっこと遊んだりしか社会の接点がなかった。

 不安だ。いっそ、一緒について行こうか……。


「俺三日位食べなくても平気なんだよ。何回か試された事ある」


 お父さんの部屋のドアの向こうからなんか恐ろしい事を言われた。もうやだ、それ、おかしい事なんだからね。

 



「あ、ハンバーグ、二個!」


 いきなり肩越しで大きな八歳児が歓声を上げた。振り返ると、コウがさっき買ってきた服を着て立っていた。

 お父さんの形見を破いたりすると嫌だから、と、今回用に用意したのだ。「長袖で、動きやすくて、安いやつ」という大雑把な要望と制服のサイズを基に量販店で適当に選んだのだが……。


 やばい。なんだこれ。惚れ直す。


 おじさん服姿と係長の制服姿――あれもある意味おじさん服だ――しか見たことないのにこんなに好きなのに、体に合った年相応の服を着たコウなんか見た日には……。


「おかずいっぱいだねー」


 そうだね、いっぱいだね。

 どうしよう、どうしよう、格好良すぎる。しゃべりはガキだけど、格好良すぎてまともに見られない。


「今晩からあたし一人でしょ。食材余らすともったいないから作れるだけ作ったよ」


 大騒ぎする心臓をおさえつけていつも通りに対応する。時計を見るとちょうど正午だ。前田さん達のお昼休みまであと少し。




 食べ終わってまた時計を見る。十二時半。洗い物をコウに任せて前田さんに電話する。


『ぉわ、きたやまさん』


 口に何かを入れたまま、うっかり電話に出てしまったらしい。


「ごめんなさい、お食事中でしたか」

『あ、いいよどうせ研究所の机で食べているだけだから。それより今居候さん……って、もうコウさんでいいか。コウさんは?』

「お昼ごはんの食器の片づけしています」

『……本当に居候なんだな』


 あ、しまった。またやっちゃった。


「ゆうべは寝てしまっていて、電話に出られなくてごめんなさい。何の話だったんでしょうか」


 電話の向こうで、前田さんが誰かを呼び寄せる声がした。


『いや、この間採血した若林なんだけど、あいつ、少し前に研究所に異動になっていたんだよね。もともと研究畑の奴だから』


 ああ、どういうつもりかあたしの結婚相手にコウはどうだ、なんて言っていた人ね。そういえば採血、手慣れた様子だった。


『あいつね、何かというとすぐに運命って言うんだよ。小さいころから憧れていた子が許嫁に指定されたとかで』

「へえ。凄い偶然ですね」

『それは偶然じゃない、っていうのが若林の言い分で。まあいいや。それで若林が北山さんの採血をしたでしょ。勝手にあんなことして申し訳なかったんだけど、あれ実は北山さんの遺伝子情報を調べたかったんだ』


 あたしの遺伝子? 調べられたからってどうというものではないが、何か、着替えを覗かれたような不快感があるな。


「あの……遺伝子を見る、くらいは一応事前に言っていただけたら良かったな、と」


 いくら「会社」の人でも、そのくらいは言わせてもらうよ。


『うん。ごめん。俺らじゃ市民の具体的な遺伝子情報の閲覧権限がないから、あんなことをしたんだけど、これに関してはコウさんからも色々言われた。でね、今回の話、最初のきっかけは、北山さんの婚約者に皆が腹を立てたことなんだ。あいつと結婚なんて北山さんが可哀想だ、人としての相性は最悪だろ、指定、間違っているんじゃないか、って』


 あたしのことで、皆、そんな風に言ってくれていたんだ。


『でさ、北山さんとあの野郎の相性を確認したの』

『そしたら五十一パーセントだってさ。なんか微妙な数字だろこれ、こんなんで指定してんじゃねーよ、ってなってさ』


 別の人が話に割り込んできた、多分佐々木さんだ。


『じゃあ他にもっといないか探してやれー、いいのがいたら再指定の働きかけをしてやれー、って、今思えば俺らがここまでムキになったのも運命ってやつだよ。な、若林』


 そうそう、と云いながら若林さんが割り込んできた。


『そうだよ。タイミングよく俺が研究所に異動になったのだって運命だ。でさ、思ったんだよ。そうだ、生活水準も知力の発達も特殊だけど、年齢がちょうどよくて結婚相手の指定がないのが身近にいるって』


 ……まさか。この話の持って行き方。

 まさかこの人達。


『あの野郎と比べたって、見た目も収入も話にならない位上だし、怖いのが欠点だと思っていたけど、気さくで優しいとか言っていたし、もともと管理品だからデータなら山ほどあったし、だから調べたんだよ、正直半分冗談で、だったんだけど。そしたら』


 お前言えよ、じゃあ俺言うよ、と電話の外で少しもめている。


 まさか。


『俺、こんなの初めて見たよ。多分めったに起こらない。遺伝子の相性が百パーセントだって。小数点以下欠けることなく百パーセント。会社の人間の目で見たら、もし二人が結婚した場合、アイに匹敵する子が生まれるかも知れない、ってことなんだろうけれど、そんなことより、こんな奇跡的な相性の二人が離れて生きるなんておかしいんだ。二人はそれこそお互いの『運命のもう半分』なんだよ。この東京の、こんなにたくさん人がいる中で、二人が出会うなんてそれはもう偶然じゃないでしょ。どう北山さん……』




 電話の話についていかれず困惑していた所に、外から大声が聞こえた。


「だからそんな奴知らねーよ! ここにいるのはヒカルっていう奴だけだよ、歳だって確か十四だよ」


 コウのことを一番慕っている、上野さんちの子の声だ。


「なにこの写真。こんなかっこよくねーよ! 腕? 知らねーよ刺青なんて。見たことねーよ」


 この会話。上野君の相手は……。


 挨拶もそこそこに電話を切る。

 なんで今更。今までずっと調べられたりしなかったのに……。


 腕の刺青の話なんか出すのは、警察しかいない。

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