3.錯乱

 真っ直ぐあたしの方へ向かってきた竹田さんは、背中の大きな機械を軋ませながら思い切り抱きついてきた。

 細い腕と明らかに不釣り合いな強い力が、ぎりぎりとあたしを締め付ける。

 息が出来ない。苦しい。


「ミキちゃん……」


 甲高くてとぎれとぎれの声。


 何? この人何をしようとしているの?


「ミキちゃん……」


 抱き付かれた勢いでリビングの床に倒れ、強く腰を打った。


 何、やだ、やだ何よ!


「たけ……ださん……」


 締め付けられているのと恐怖で声が出ない。


 やだ。苦しい。怖い。どうしよう。

 助けて……。


 云いかけて飲み込む。


 叫んじゃいけない。呼んじゃいけない。

 せめてあなたは、逃げて……。


 そのとき。

 急に竹田さんの体が離れ、体がふっと解放された。


「うわっっ!」


 竹田さんの体は、リビングのドアまで吹き飛んだ。がしゃんという大きな音を立てて激突し、背中の機械がドアに大きな傷をつける。


「お……前」

「頭の電源を切れ! 今すぐに!」


 竹田さんの甲高い声は、突如現れたコウの叫び声に遮られた。




 コウは眼鏡を外し、長い前髪を邪魔そうにかきあげた。

 あらわになった端整な顔。身なりや髪型は違うが、竹田さんはきっと気づいている。

 彼が、誰なのか。


「それは試作段階で開発中止になったものです。早く、頭の……」

「うるせえこの実験動物がああぁぁぁ!」


 竹田さんは絶叫してリモコンを壁に叩きつけた。砕けたリモコンが飛び散る。


「おまえなんか、おまえなんか、にんげんじゃないくせに!」


 竹田さんの声は途切れてほとんど聞き取れなくなっていた。あり得ないスピードでコウに殴りかかる。

 コウは両腕で拳を受け止め、手首を軽くひねった。それだけで竹田さんは大きく横倒しになる。


「じっけんどうぶつのくせにいぃ!」


 竹田さんが倒れ際にコウの両足を掴んで引っ張った。尻餅をついたコウはその体勢のまま竹田さんの体を掴み、ごろりと横になりながら投げ飛ばす。足を掴んだ手が離れると同時に体勢を立て直し、竹田さんを素早く羽交い締めにする。

 穏やかなはずの竹田さんの顔は紙のように白くなり、口から泡を吹いていた。


「なんでおまえばっかりなんでももっているんだぁぁ!」


 羽交い締めにされたまま暴れる。コウは竹田さんの首の付け根あたりの機械に噛みつき、何かを思い切り噛みちぎった。


「ぎゃっ」


 竹田さんは短い叫び声を上げ、糸を切られた操り人形のように項垂れた。




 あたしは倒れていた場所から一歩も動けなくなっていた。

 今さらながら体が小刻みに震える。コウは竹田さんを横たえると、あたしの震える手を優しく握った。


「竹田さんは大丈夫。強制的に電源切ったから一時的に気絶しているだけ。……ミキ、ごめんね遅くなって。怪我していない? 俺本当、いつも来るのが少し遅いよな」


 「いつも」って、初めて出会った時のことを言っているんだろうか。

 そんなことない。あの時だって、来てくれなければ助からなかった。今だってそうだ。

 助かった。助かったのに、震えが止まらない。

 そんなあたしを見て、コウは少し目を左右に動かした後、俯きながらあたしの肩をぽん、と一回軽くたたいた。


「……」


 俯いた彼の顔を覗き込むと、真っ赤になって目を宙に泳がせている。


 そうか。あたしのことをなぐさめたいけど触っちゃいけないから。


 きっと今の彼の中で、これが許される精いっぱいの違反行為なのだろう。

 体の震えが治まり、愛おしさで心がふっと温まる。


「もしミキが大丈夫なら、作業台貸して。竹田さんの機械、急いで外さないと」


 照れているのか本当に急いでいるのか分からないが、コウは大きな機械のついた竹田さんを抱きかかえてあたしの仕事部屋に向かった。




「これね、本当は流通していないはずのものなんだ」


 竹田さんの体に張り付いた大きな機械を手際よく外しながらコウは言った。


「外付けの機械だからメンテナンスは簡単なんだけれど、個人の筋力や知力を無視した力を出すから、凄く危険なんだ。出力を最大にして一時間もすると、俺だってその後何日か動けなかったよ」

「え、まさかこれつけたことあるの?」

「体だけだけど。俺でも耐えらんなかったから開発中止になったんだ」


 恐ろしいことを簡単に言う。でも、さっき「頭の電源を切れ」って言っていた。


「でもこれ、頭の方が危険なの?」

「これに限らず、知力をいじる機械は本当に怖いんだ。……アイも……」


 ああ、そうか。コウはその怖さを誰よりも知っているから、まず頭の電源のことを言ったんだ。

 首の後ろのコードを外し、傷口を塞ぐ。しかし丁寧だな。これなら傷跡はほとんどつかないだろう。


「ついでだからこっちも治しちゃえ」


 機械の取り外しが一通り終わったのに、コウは竹田さんの機械口を開けて何かをいじっている。


「何しているの? ん、脚?」

「うん」


 竹田さんの脚を触りながら機械を細かく調整する。


「こっちの動きが悪そうだったから」


 杖をついているほうの脚のことだ。さっきあんな取っ組み合いしながら、そんなことまで見ていたんだ。


「よし、おしまい。ミキ、さっきの機械外すの、やり方分かった? ミキがやったことにするんだからね」


 まあ、やり方はわかったけど、あたしこんなに丁寧にできないよ、不器用だし。

 ……ちょっと待って。


「そういや竹田さん、コウのこと……」

「……たぶん大丈夫。あんまり手放しでは喜べないけど」


 コウが複雑な表情を見せた。


「今日起きたこと、多分竹田さん、まともな状態では覚えていないと思うよ。俺は頭の実験はしていないけど、他のものが実験されていた時、その当時のことは殆ど覚えていなかった」


 そのときのことを思い出したのか、機械は怖いんだ、と、低い声で呟いた。




 タクシーで竹田さんを家に届けた帰り、あたしはようやく決心した。家につくなりコウに話しかける。


「あたし、明日朝一番で本社行ってくる」

「免許の更新?」

「あっ、そうだそれもやんなきゃ。じゃなくてあのね」


 世間体や将来の不安。いろいろあるけれど、やっぱりだめだ。もう、決定的だ。


「あたし、婚約解消の申請してくる」

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