2.あなたは私の運命の

1.選択の可能性

 ちょうど朝食が出来上がる頃、コウが家に帰ってきた。


「おかえり。今日も豪快に汚してくれたね。ほらさっさとシャワー浴びておいで」


 最近、朝早くにどこかに出掛けては全身汚して帰ってくる。「空気の検査」をしている、と言っていた。前からやってみたかったんだ、と、にこにこしている。

 よく分からないし、詳しく話す気もないみたいなので、とりあえず好きにさせている。


 小野さんからの本社への呼び出しはあれ以来ない。そのかわり、私物引き渡しの時に、あたし専用の、あの板みたいな電話をもらったので、たまにコウの状況を報告している。前田さんとも昨日ちょっとした会話をした。

 皆、コウのことは気になっているが、本人と喋って激しい仕事の斬り込みをされるのが怖いので、あたしを利用しているらしい。コウ、そんなに怖いのかな。




「あれ、ウインナー二本だけー?」


 半袖シャツ姿のコウが、髪を拭きながらあたしの肩越しに皿を見て不満をもらした。

 最近、あたしの前では気にしなくなったのか、腕を出す格好をよくしている。あたしも腕の刺青や傷痕を意識することはなくなった。

 なくなったが……。

 心臓に悪いからやめてほしい本当。


 肩越しの体温とか、

 耳のすぐそばの声とか、

 石鹸の匂いとか、

 逞しく引き締まった腕とか、


 本当、本当、やめてちょうだい! 心臓が破裂しちゃうよ!


「しょうがないじゃん。最近ウインナーとかの大豆製品値上がりしているんだよ。あたしの分あげるから、それで我慢して」

「お金足りなかった?」

「そうじゃなくて、極端に出費が増えると税務部から目をつけられるんだよ」


 そうなんだあ、と呟きながら心臓破壊機が立ち去った。


 そばにいるときは早く立ち去れと思っているのに、立ち去るともっとそばにいてほしかったと思う。

 もう、どうしよう。この状態、あとどのくらい続くんだろう。

 やっかいなのに、苦しいのに、永遠に続いてほしいと思う、この状態。




「コウ。前田さんがね、今日新人さん達とあたしでランチ食べようって言っているんだけど」


 ウインナー三本目に突入しているコウに話しかけた。


「うん。『会社』の周りっておいしいごはんの店いっぱいあるらしいよ。俺知らないけど」


 あ、そうか。


「ねえ、皆さんとどこかでこっそり合流して、コウも一緒に食べらんないかな」

「難しいよ。それに俺がいたら皆ごはん食べらんないよ、怖くて」

「自覚あったんなら、もっと優しくすればよかったじゃない。うちにいるときみたいに、雑談したり、穏やかに話したりすればよかったのに。そっちの方がコウの素なんでしょ」

「『管理品』は業務時間中、正社員と仕事の話以外しちゃいけないんだよ。それに」


 ウインナーとサラダを全部食べ終わり、パンのおかわりに手を伸ばす。


「空調管理課は地味で小さな部署だけど、彼らにはもっと上に行ってほしいんだ。だから新人の時にいろいろ覚えてもらって、異動した先で『こいつやるな』って思ってもらえたら嬉しいからさ。でも多分皆分かってくれているんじゃないかな。どうかなあ」


 多分分かってはいるんだろう。だからこそトイレで泣くようなことを言われても慕ってついてきているんだろうから。


 でもさ、慕っているからこそ、「管理品」だから、ってコウの方から線引きされるのが悲しかったんじゃないかな。多分、ね。




 成程、これが「総合職」の世界か。

 前田さんたちに指定された店に着いた途端、あたしは怖気づいてそのまま回れ右して家に逃げ帰りたくなった。


「あ、あたし無理です……」

「大丈夫大丈夫、個室だから気にしないで」


 だからさあ、食堂に個室があること自体が庶民にとっては意味が分からないんだよ! 「レストラン」なんて小洒落たところ、入ったことないよ! 大体お昼ごはん食べるのに予約が必要ってなんだよ! 一体いくらするんだよ!


「皆さん、こんなところで毎日ごはん食べているんですか?」


 あたしの問いに、前田さんは笑って手を横に振った。


「まさか。何か買って社内で食べる方が多いよ。でも外で食べる場合、普通の食堂に俺らが入ってきたら嫌でしょ。だからさ。実は新人時代は『一般職』と大して給料変わらないから大変なんだよ」


 佐々木さんが大きく頷く。


「そうそう。そのかわり主任になったら給料ドーン。係長になったらさらにドドーン。今に見ていろ、って」


 ふーん、そうなんだ。黒ずくめ族も色々大変なんだね。

 あたしは彼らの「普通」さと、クローンを生み出し実験台にしようとする「異常」さの差に、改めて「会社」の巨大さを実感する。


 お昼ごはんは、どういうわけかお皿が一気に出てこず、一皿ずつ給仕された。ナイフやフォークもいろんな種類を使い分ける。こんな世界があるんだ。

 その一方で、ドドーンの給料を貰いながら、外に出ることも、普通の食事を摂ることも許されない人がいる。


 やっぱり、おかしい。

 「会社」、自分達でおかしいと気づいて、変われる日が来るんだろうか。




「――ところで北山さん、なんだか前に会った時と雰囲気違うね」


 佐々木さんが笑顔で言った。


「髪の毛とか、服とか。その髪、たまにそうやっている人見かけるけど、どういう構造になっているの?」


 あ、目をつけられた。あたしは複雑に編み込まれた髪に手をやって少し下を向いた。

 これ、言っていいのかな。


「あ……実はあたし不器用で、これどうなっているのか自分でもよく分からないんです。あの……今日ここに来るって言ったら、その、皆さんも多分ご存知の、手先が器用な居候が編んでくれまして」


 案の定、黒ずくめたちは一斉に目を見開き、手にしたナイフとフォークを落とした。


「え……もしかして人形みたいな顔をした」

「小野さんと同じ瞳の色の」

「筋肉と仕事で出来ている!?」


 最後の一言ひどいだろ。事実だけど。あたしは頷いた。途端に黒ずくめたちが騒ぎ出す。


「やっぱりこういうタイプが好みなんだ!」

「治療の時も手首から先以外は素手で絶対触らないって言っていたぞ。髪を編むなんてよっぽどだ!」

「なんだよ、二言目には『人間じゃない』って、立派なただの人間じゃないか!」


 大盛り上がりの彼らの間に無理矢理割って入る。


「いえその、多分そんなんじゃないです。タイプとか、そういう方面では皆さんのご期待には沿えないと思いますし、そんなこと言ったら、多分皆さん居候に張り飛ばされると思います」


 最後の一言に、彼らは一斉に口を閉じた。




「あのさ、実は皆、北山さんのことで一つ心配があってね、様子が見たかったんだけれど」


 しばらくの沈黙の後、前田さんが口を開いた。


「前に婚約者だって奴が変なことを言っていたでしょ。あいつその後どうしている?」

「どうもないです。定期連絡の時少し話すだけです。直接会うことはないですし」


 竹田さんの事は思い出したくもない。でも、皆さん心配してくれていたんだ。


「あの野郎、よりにもよってコウさんにあんな疑いかけやがって。その上今度は北山さんを疑って。ねえ、君、あんなのと結婚することについてどう思う?」

「どうって……仕方ないです」


さすがにこれ以上のことは「会社」の人には言えない。


「あのさ、『結婚生活が継続出来ないと予測される重大な事項』があれば婚約取り消しの申請ができるのは知っている?」


 「若林わかばやし」さん、という人が、いきなりそんな事を言った。

 その話、なんとなく知っている。でもそうすると一生誰とも結婚できないうえに、世間から後ろ指をさされて生活しなきゃいけないって聞いた。


「例えばさ、今後制度が変更になって、恋愛なりなんなりで結婚したいと思う人に出会った場合、その人と結婚できる、ってなったらどう思う?」


 もしそうなったらきっと素晴らしいと思う。でも、うーん。


「今の制度で問題なく暮らしている人が大半だと思うので、例えば、今の制度と自分で選んだ人と、どちらか選択出来たら素敵ですよね。自分で選んだ人と……」


 そこでいきなり脳裏に前髪ちょうちょ結びが浮かび上がり、あたしは頬を火照らせた。

 若林さんは顎に手をやって少し俯いた後、あたしを見た。


「成程ね。で、うまくいくか分からないけれど、試したい事があって、北山さんに協力をお願いしたいんだ。あのさ、血を数滴貰える?」


 ち?


「え、まあいいですけど、なんでですか?」

「うん、何の約束も出来ないから今は理由が言えないけれど、多分北山さんにとって悪いようにはならないと思う」


 ふーん。要は「あたしは知る必要もないし知る権利もない」ってところか。

 指先からの採血が終わると同時にデザートが来た。




 あたしのランチ代は小野さんが出してくれたらしい。値段は教えてもらえなかった。


「さっきの結婚制度の話だけど」


 若林さんがにやにやしながらあたしに訊いた。


「北山さんなら、『会社』指定の奴と、自分で選ぶの、どっちがいい?」

「自分で……」


 即答しかけて飲み込んだ。

 忘れちゃいけない。この人達は「会社」の人だ。

 けれども言葉を飲み込んだあたしを見て、若林さんはさらに畳み掛けた。


「なるほど。ところでさ、自分で選ぶっていうなら、俺ら、いい人知っているんだけど。北山さんとは年齢もちょうどいいし、見た目も収入も申し分ない。絶対気に入ると思うんだけど」


 え、何の話? なんでいきなりあたしにそんな紹介?


「例えば、北山さん、自分の家に今いる居候さん、どう?」


 若林さんの言わんとしている事に気付き、あたしは顔から火を噴いた。


「なななな何云ってんのよあんた!? じょじょ冗談にも云っていいことと悪いことがあるよ! だ、だって、むむ無理に決まっているじゃない!」


 あっ、しまった! あたし、なんて態度を!


「すすすみません! ごめんなさい! ご馳走様でした! じゃ!」


 気を利かせたようにタイミング良く来たタクシーに飛び乗ると、そのまま振り返らずに家に帰ってきてしまった。




 帰り際、タクシー乗り場で、こちらを見つめる人影があったような気がしたが、気のせいだと信じたい。


 杖をついた人影。

 きっと、気のせいだ。

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