12.アイ
別にここに来たのは初めてではない。整備師の資格試験の時とか、開業申請や体内に機械を埋める許可申請を提出する時とかにも来たし、お父さんがなくなった後、支払いの仕方が分からなくて水道が止まってしまった時も来た。
兎に角、結構ちょこちょこ来ているはずなんだけれど。
「会社」の巨大な本社を見上げた時、あたしは自分の脚が震えているのに気づいた。
受付に指示通りの来訪目的を告げてロビーで待つ。待つ間、行き交う人を観察していると、今まで見えていなかったいろいろなものが見えて興味深い。
社員たちは、黒ずくめにかっちり頭より、普通のスーツ姿の方が圧倒的に多い。あたしが今まで窓口とかで会った「会社」の人も、皆そんな感じだった。
あと、彼らの事は前から知っていた。
ロビーの端を遠慮がちに歩く管理品達。
灰色で半袖の制服。そして右腕に刺青。市民の中には、竹田さんみたいに露骨に蔑むような視線を投げる人もいる。
そういえば、彼らについてあまり詳しいことは知らない。多分、多くの人がそうだろう。
それなのに、彼らは差別されている。
「北山さん、昨日は『筋肉仕事バカ』を撃退してくれてありがとう。早速会議室の方へ」
小野さんが大げさな拝む仕草をしながらやってきた。
あたしはS区の空調に関する苦情と現状報告をしに来た、という設定だ。身分は偽らず、以前コウと接触したことも隠さない。その方が却ってボロが出にくいと思ったからだ。
しかし、庶民の間ではともすると悪の秘密組織的なイメージのある「会社」だが、中は戦前の映画とかで見る「オフィス」といった感じで、拍子抜けするほど大したことない。
「ここが空調管理課。今は私がここの設備係長だけど、前任はコウだよ」
その時、前を通りかかった若くて背の高い黒ずくめに、小野さんが声をかけた。
「前田君、この人が今日のお客さん。例の、コウを助けちゃった人」
「えっ」
前田君と呼ばれた黒ずくめは、前のめり気味になって私を見た。
「君、コウさんに関わって大丈夫だった? 怖くなかった? きついこと言われなかった?」
早口の問いに答えようとして、言葉を飲み込む。
この人、全部過去形で話している。そうだ、小野さん以外の人は、あたしが今もコウを匿っているって知らないんだ。
「え、いえ、とても気さくで優し……かったです」
「気さくで優しいだぁ!?」
彼は目を見開き、「オフィス」の中から彼と同年代らしい二人の黒ずくめを呼び寄せた。
あたしや小野さんと一緒に会議室に入る。
「そもそもなんでコウさんを家に入れたの?」
さっき呼び寄せられた黒ずくめのうちの一人が訊いてきた。
「あたし、金目的の暴漢に襲われたんですけれど、その暴漢をやっつけてくれたんです。でも、別れ際彼が熱で倒れたんで放っておけなくて」
あたしが全部言い終わらないうちに、若い三人はひそひそと話し出した。
「その暴漢、運の尽きだったな。悪いことはするもんじゃないな本当に」
「コウさんが倒れるって、まさに鬼の霍乱」
「コウさん、この間の実験明け直後、頭に血のついた包帯巻いたまま徹夜で仕事していたぞ。コウさん倒すって、どんだけ恐ろしい病原菌だよ」
うん。よく分かった。コウ、社内ではそういうポジションなのね。
あぁ、言いたい。あなた達の鬼係長は、今、下町で頭にちょうちょ結びをつけて、ちびっこと怪獣ごっこしていますよ、って。
「そんな怖い人には見えなかったです。ずっとにこにこしていて、あたしの……婚約者の診察と整備もしてくれました」
「にこにこ!?」
若い黒ずくめ達が見事にハモった。
「あのさ、もしかして、コウさんって、こういう感じが好みだったのかな」
「好みとか、そういう感情あったのか」
「あったんじゃないか本当は。あぁ、正社員だったらもっと聞き出せたんだけどなあ。俺らとの雑談は禁止だったもんなあ」
「こら、お前達、お客さんに対して何言っているんだ、さっさと仕事に戻れ」
黒ずくめ達の盛り上がる雑談に、さすがに小野さんが割って入ってきた。
「えー、もうちょっといいじゃないですかー。俺仕事の時以外のコウさんの事聞きたいっす」
「お前達、私のことをなめているだろう。よーし、これならどうだ。『会議室に入ってから八分経ちましたね。その間、滞った業務の代わりに自らの技能上得るものはあったのですか。ないならそれは職場放棄です。八分の放棄による業務停滞と周りへの迷惑を考えられないようでは』……えーとえーと、ここでびしっときつい一言が入る!」
若い黒ずくめ達は、「こえー、懐かしー」と笑いながら会議室を出て行った。
去り際、前田君と言われていた人が、あたしにそっと耳打ちした。
「万が一、コウさんがあなたの家をもう一度訪れるようなことがあったら、警察に通報しないで空調管理課設備係の直通電話に連絡して。絶対に通報しないで。刑事罰は受けさせたくないんだ」
「本当、すまなかったね、今の若いの、『総合職』の新人なんだが、全く今どきの若いもんは」
小野さんは会議室を退出した後、しばらくして再び入ってきた。何かを載せた台車を押している。
「コウって、随分正社員さんに慕われていたんですね。こういうこと言いたくないですけど、係長っていっても『管理品』の非常勤だから、もっとこう、周りの人もそういう扱いなのかと思っていました」
「彼らも入社当時は、まあ、そういう態度を取っていたよ。でも皆、一週間もするとそんなこと意識しなくなる。もっともコウは『管理品』といっても出自が特殊だから」
そんなことを言いながら小野さんは台車から次々に荷物を下ろした。
「これ、持てるかな。コウの私物とか、依頼された資料とかなんだけど」
「……機器類と紙類ばっかりじゃないですか。私物って、あたしてっきり雑貨とか日用品かと」
重い、重いよこんなに金属の塊と紙ばっかり! うわー、左腕の機械、止めなくて本当に良かった。
「はい、小野さんへこれ。コウから預かった引き継ぎ書の一部です」
これも重かったんだよ。コウが昨日一晩で作った大量の紙の束を小野さんへ渡す。
それを見て小野さんの顔色が一瞬で緑色になった。
「筋肉仕事バカ……」
小野さん、その綽名気に入ったんだろうか。まあいいや。
「そ、そうだ北山さん、あとこれ。本当は私物じゃなくて貸与品なんだけど、持って行ってあげて。……アイの制服」
アイさん。
私物引き渡しをする、と言われた時から、それがコウのものだけじゃないことは分かっていた。
でも……。
「アイのこと、随分ショック受けていただろう。でも、社内にいてもどのみち看取らせてはもらえなかったと思う。ひどい話だと思うよ。あいつ、本当にかわいがっていたからね、アイのこと」
言葉を返すことが出来ず、下を向く。
「北山さん。実は今日はあなたに、アイに関わることを話そうと思ってこんな会議室に呼んだんだ」
小野さんはぐっと声を落とした。
「アイのことは、社内機密だ。絶対に口外しないこと。いいね」
そんな重要なことをなんであたしなんかに。でも、何らかの意図があるのだろうと、黙って頷く。
「多分、コウもアイに関することを具体的には話していなかったと思う。だから北山さんも、『こんなにショックを受けて、なんなんだアイって』って思わなかった?」
「凄く凄く……大切な人、って言っていました」
「うん、そうだろうね」
小野さんはまだ何かを躊躇っているようだった。
「あの、あたしなら大丈夫です。絶対何があっても口外しません。もし、コウの役に立つことなら、何でもします。役に立ちたいんです。どんなこと言われても受け止めます」
役に立ちたい。あたしに出来ることは何でもしたい。小野さんに伝わっただろうか。
「北山さん……」
小野さんは複雑な表情であたしを見た。
「そうだ。これ、あたし見てもいいですか。制服」
「あ、いいよ。ロビーでいっぱい見たのと一緒だよ。まあ小型だけど」
紙に包まれた制服を広げる。心臓が一度大きく飛び跳ねる。
確かにロビーで見かけた、あの灰色の制服だ。ちょっと小型だけど。
「……ん?」
小さすぎないか、これ。貧相なあたしでも入らないよ。
襟の裏にある表示を見る。
……え?
「小野さん、この『120』って、子供服の表示ですよね」
確か身長120センチ前後の子が着る、という表示だ。120センチって、えーと何歳くらいの大きさだ。
……んん?
「うん。そう。アイのだから」
小野さんは覚悟を決めたように一度、大きく息を吸った。
あたしを見る。
そして小野さんは、全てのものを根底から覆す言葉を放った。
「アイは」
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