3.婚約者

 今日は出張整備がなく、一日中家の中で仕事していた。

 身体整備師として開業して二年。お父さんのお客さんがそのままあたしの所へ来てくれたりしたので、そこそこ繁盛している。

 まあ、二十歳になったら同業者の竹田さんと結婚するので、それまであたし一人が食べていける程度に働けばいい。

 もっとも今は一人、変なのが家にいるけれど。




「37.2℃。あれえ、下がったと思ったのに、まだ結構熱あるね」

「ないよ。それ俺の平熱。ありがとう。明日ここ出て行くから」

「何その平熱。戦前の人でも平熱って三十六度台が多かったっていうよ。アンタの体、一体どうなってんの」

「アンタじゃないよ、コウだよ。なんだよ、名前聞いてきたのミキの方からじゃん」

「何そのいいかた。ガキなんだから。ねぇ絶対十七歳じゃないでしょ。十七っていったら、もう人生の三分の一生きているんだよ」


 この特殊な体質、「管理品=研究・実験サンプル」だから、なんだろうか。

 それはともかく。


「もう、別にいいけどさ、アンタ……コウはこんな調子で『外』の世界で生活できると思っているわけ? 『会社』に頭下げて戻った方がいいんじゃない?」


「会社」の単語が出てきた途端、コウの表情が険しくなる。あたしは怖くなって話を打ち切った。


「あ、ごめん……。えっと、竹田さんに連絡する時間だ。じゃ、さっきも言ったけど、この部屋と洗面所以外は入らないでね」




 電話の画面の向こうに、竹田さんの穏やかな顔があった。


「こんにちは。お加減はどうですか」

「うん、今日は調子がいいみたいだよ。ありがとうミキちゃん。そっちはどう?」

「今日は一日家で仕事です。楽しい一日でした」


 まさか家に「管理品」をかくまっています、とは言えないので微妙な笑顔を作ってみせた。


 で、話のネタが尽きた。

 竹田さんって、なんか話しづらい。「会社」から将来の結婚相手に指定されている人なんだから、仲良くならなきゃいけないのは分かっているんだけど。

 なんとなく、なんていうか。


「じゃあまたね。最近物騒だから気をつけて。護身のためにも早く両脚に機械入れたほうがいいよ。僕でよければいつでも埋めるから」


 連絡の締めの言葉も大体いつも一緒だ。あたしはお礼を言って電話を切る。これもいつも一緒。

 ま、婚約者なんて、会社から指定されただけの人だ。週一回の定期連絡なんて、こんなもんだろう。

 



 仕事も竹田さんへの連絡も終わったので、夕食を作ることにした。


「コウ、何か食べてみたいものある?」

「なんでもいい。ミキの作るごはんはなんでもおいしいもん」


 二つ折りの板のような書籍端末の画面を見ながら、そんなことを言う。

 あたしが仕事中、ずっと何かを読んでいたみたいだ。しかもガキくさい言動を繰り返しているくせに、読んでいる本は外国語で書かれた、わけのわからない難しそうなものだ。


 コウが書籍端末なんてものを持っていることには驚いた。あたしは勿論持っていないし、間近で見たのも初めてだ。

 普通に生きていたら、本なんて紙製の教科書と雑誌以外読むことなんてないし。

 だいたい、三割くらいの人は文字も読めないっていうのに、なんで管理品が書籍端末なんか持っていて、外国語なんか読んでいるんだ。


 意味不明な文字の羅列を真剣な表情で読む、彫刻のような横顔。なのにアッシュブラウンの長い前髪をちょうちょ結びの紐でひとつに縛っている。そこがなんとなく彼らしい。前髪長いと本読みにくいもんね。




 コウは夕食にもいちいち感動していた。


「凄い、ハンバーグ! このハンバーグの蛋白は大豆? あ、これ人参? これがガルニチュール?」

「つけあわせの人参がなんだって?」

「『ガルニチュール』じゃなくて『つけあわせ』の方が一般的ないいかた? おかわり」


 頭にちょうちょ結びをつけたまま、嬉しそうに食べる。しかもものすごい量を。


 コウ、明日からどうするんだろう。こんな世間知らずが生きていけるほど世の中は甘くない。

 なんで会社を逃げ出したんだろう。そんなに会社が嫌なんだろうか。




「ミキ」


 食器を下げようとしたとき、コウが声を掛けてきた。


「本当にありがとう。俺ミキのこと、一生忘れないや。優しくてきれいで、ごはんもおいしくて。竹田さんとかいう人と幸せになれるよう祈っている。いい人なんでしょ」


 あまりにもストレートで恥ずかしい台詞満載のコウの言葉に、どう答えたらいいのか困ってしまう。とりあえず竹田さんネタで逃げよう。


「うん。あたしのこといつも気にしてくれている。今日も、最近物騒だから脚に機械入れるなら僕がやるよ、なんてね」


 するとコウは眉間に皺を寄せて首をかしげた。


「物騒だから機械入れろ、なんだ。物騒だから俺が守る、じゃなくて」


 ああ、コウならそう思うか。こんな恵まれた体なら。


「あのね、竹田さん、体弱いんだ。内臓もほとんど機械で動かしているし、自分のことで精一杯なんだよ」

「内臓を……ねえそれ、整備医には診せた?」

「いやいや、診せられるわけないじゃん。そもそも整備医なんかこんな下町にいないよ。あんなん、それこそ『会社』の人でもなければかかれないもん。庶民は医師や整備師にかかるのだってひと苦労なんだから」


 整備医に診せたか、なんて、世間知らずにもほどがある。あたしがまくし立てると、コウは驚いたように目を見開き、呟いた。


「あ……そう、なんだ。知らなかった。ごめん」




 今日の売上を計算していると、ドアの外からあたしのことを呼ぶ声がした。


「何?」


 面倒くさいのでドアを開けずに声だけで答える。


「今までありがとう。やっぱり今から出ていく」

「ん? もしかしてさっきのこと気にしている? いいよ別に。知らなかったんだし。もう遅いから明日にしたら」

「ミキは優しいね。だからひとつお礼がしたいんだ。できれば今から竹田さんの家に案内してくれる?」


 なんであたしが優しいと竹田さんの家なんだ。意味分からない。しかもこんな遅い時間に。


「何なの一体……」


 そう言ってドアを開けた途端、あたしは目の前の光景に言葉を失った。


 誰、この人。


「竹田さんはミキの大切な人でしょ。だから」


 誰、この人。


「……コウ?」


 知らない、こんな人。


 ボタンをきっちり上まで閉めた襟の高い黒いシャツに、細身の黒いパンツと艶のある黒い靴。

 綺麗に撫で付けられたアッシュブラウンの髪。そして人形みたいに整った顔。


 目の前にいるコウは、さっきまでの世間知らずでガキくさいコウとは別人の。

 理知的で、冷たくて、人間らしさの全くない。

 そう。まるで「会社」の……。


「竹田さんのこと、診るよ。俺、あんまり臨床経験ないけど、一応整備医の資格もあるし、少しは役に立てるかも」

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