第17話 ポレンタ
「大漁大漁!」
午後の部を無事終えた俺は、藻原さんを連れて意気揚々と帰社した。気分は上々!
「どしたん?」
「午前の部は、基本彼女の挨拶回りの付き合いだけだったんで、特に収穫はなかったんですけど」
「飛び込みの方?」
「そう! こんな日は滅多にないですよ。やっぱ、新しい漁場は回っておくもんですね」
「へえー」
さっと席に戻った羽田さんが、ノートパソコンを開けて環状線東側のエリアマップを開く。
「どこらへん?」
「岸野町から中根まで六箇所。エリアとしては小さいんですけど、老舗っぽい感じの
「町工場かあ。それじゃスケールメリットがなあ」
「そう思うでしょ? でも、そういうところはそろそろ代替わりなんです」
ぱんぱんぱん! 羽田さんが、机の上を手で叩いて悔しがった。
「そっかあ! しまったあ……」
「クロダさんとこもそうですけど、親の代では事業を大きくするつもりがなくても、跡継ぎは必ずしもそうじゃないですよ。自分の将来のことなんですから」
「やーるーわーねー」
「まあ、いきなり大型取引ってことはないにしても、カタログはちゃんと受け取ってもらえたし、短時間でしたけどセールストークも出来ました。橋頭堡は作れたかなーと」
「何軒?」
「三軒です。どこも社長さんはまだ三十代。ばりばりですね」
「そっか。これから打って出ようって人ばかりってことね?」
「ええ。びしっとアンテナ張ってる人たちですから、
「よし! 私も突っ込むわ。まだ上がりがありそうだしね」
「お願いします。それと」
俺は、課室に残っていた先輩たちにもぐるっと視線を回した。なんだなんだって感じでみんな集まってくる。
「南光産業の新人さん。相当手強いですよ。うちのシマが思い切り食い荒らされてます」
ざわざわざわっ! 場が激しくざわめいて、殺気立った。
「なんだと!」
「くそっ!」
俺は、みんなの前で手帳を開いて現状報告をする。
「南光さんとこは、うちと取引がない。うちの製品を扱えないはずなんです」
「ああ、そうだな」
「それなのに、うちの製品『も』納品してるんですよ」
一同絶句。
「つまり、うちの販売ラインを通さず、市販品を買ってそれを納めてる。当然そこは赤になりますけど、他で補填出来ればそれでいい。で!」
ごくり。みんな、息を飲んで俺の次の言葉を待った。
「うちの系列品をまとめて入れてくれれば、加直さんから入れるよりかなり安く出来ますよ……そう持っていくんです」
しーん。静まり返ってしまった。
「技術的な説明もしっかり出来る。人当たりもいい。戦略も、えげつないけど非常識って言うのとは……」
「厳しいね。うちもケースによっては同じことやるから」
羽田さんが、珍しく不安感を丸出しにしてる。そりゃそうさ。羽田さんは俺らと同じでヒラだ。決裁権限のある管理職じゃないもの。
「どうする?」
一番年かさの先輩が、ぐいっと顔を突っ込んできた。
「そこなんですけど」
俺は、藻原さんの肩を押してみんなの前に押し出した。
「彼女が、なかなかいいアイデアを出してくれたんですよ。そこは新人ならではのポイントですね。僕もすっかり見落としてました」
はあっ!? みんなの好奇と疑念の視線が藻原さんに集まる。このトンデモ女にそんなんが出せるわけないって、そういう感じで。
「さっき、羽田さんが言ったじゃないですか。小規模のところならスケールメリットがって」
「うん」
「それを逆手に取ればいい。値段を安くしても、売り切っておしまいなのが小売ですよ。うちは違います」
どよどよどよっ!
「彼女は、値段以外に見てくれるとこはどこですかって、馬鹿正直に質問したんです」
「へえー」
じろじろじろじろ。羽田さんが、無遠慮に藻原さんをぐるりと見回した。
「ナカジマっていう鉄工場の社長さんが、それに対してこう答えたんです。細々したもんはその日のうちに持ってきて欲しい。そういうのが嬉しいかなって」
ざっ! 全員が一度席に戻って、手帳やノートを持って再集合した。
「南光さんの新人が目立ってる。つまり、その若い女の子が一人で全部回ってるってことです」
にやっ。羽田さんの顔に笑顔が戻った。
「なるほど。そらあ先々しんどいわ」
「でしょ? 南光さんとこがどういう営業体制なのかは知りません。でも羽田さんクラスの実力があっても、一人で広域カバーは無理です」
「当たり前よ」
羽田さんはふうっと大きな溜息をつくと、机に積まれた書類の山に目を移してぼやいた。
「体、一個っきゃないんだから」
「ですよね? うちは、そこを人数でカバー出来るんです。てか、それしか攻め手はないですよ。きめ細かいサービスがうちの売りですから」
「だね」
「だから新しいサービスを考えて、そいつをお客さんに積極アピールしていくのがいいかなあと思ったんですけど、どうでしょう?」
先輩たちがざわざわ話し合いながら、うんうんと頷く。
「妥当な線だな」
「もっぺん足元見直すか」
「売り切りの連中に余計なちょっかい出されたんじゃ、しゃれにならんわ」
「今のうちにがっちり巻き返しとかんと」
「ああ」
うちの課の先輩たちは、自分の仕事に自信と誇りを持ってる。押されてすぐへこむようなタイプなら、アクティブな一課には居られないんだ。課室の中がぐんと熱を帯びて、俺はほっとする。
「とりあえず……」
前に一歩出た羽田さんが、腕を伸ばして藻原さんの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「でかした!」
褒め言葉はそれだけだった。でも、藻原さんにはそれで十分だろう。イルマーレのご主人が言っていたこと。一つでも成果を出す。達成感を得る。それで本人のやる気に火が着くってことだけじゃないんだ。周りが藻原さんを見る目も変えるんだよ。欠点だけ見てても、それはちっとも仕事の役に立たない。それよか、彼女に何が出来るか、彼女の何を武器にしたらいいか、そっちを見てあげた方がいいんだ。
ざっ! みんなが一斉にそれぞれの机に散った。自分が受け持って回っているところに南光さんが食い込んできてないか、もし横取りされそうだったらどう防ぐか。急いでチェックして対策を講じないとならないからね。そして。長い付き合いなんだからさって泣き落としをするんじゃなく。おっ、加直さん、いいこと始めたじゃないかって、お客さんにそう言ってもらえる新機軸を探した方がいいよな。
作戦会議の第一歩は、まずそれぞれの社員のところから。俺は、上気したまま突っ立ってた藻原さんに着席を促した。
「藻原さん。みんながそれぞれに新しい販促案を考えるんだ。君もアイデアを出して。今日やったみたいに」
「うん!……あ、はい!」
まあ、最後くらいはいいよ。それよか、アイデア、アイデア。アイデアっていうポレンタは、時間経って冷めちゃったら硬くなって食えたもんじゃなくなる。熱々出来立てを食わないとさ。
(ポレンタは、お湯やスープに粗挽きのトウモロコシ粉を加え、加熱しながらじっくり練り上げたもの。小麦の作れない北イタリア山岳地帯で主食として食べられてきた)
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