第11話 オーリオ ドリーヴァ
美味しいものを食べると、気持ちをリフレッシュ出来る。イルマーレの奥さんが言ってたことそのままで、しょげてた藻原さんも少し気持ちが落ち着いたらしい。
「うん、おいしー」
「でしょ? ここは覚えておいたらいいよ。昼なら一人メシでもおかしくないし」
「う……」
俺にどうせ一人でしか来れないだろと言われたみたいで悔しかったのか。藻原さんが、ぷうっと膨れた。その反応は、とりまスルーする。
「さっきの君の問いに答えとこうか」
「うん」
「仕事はね、必ずしも自分で選べないよ。もし君が選べると思ってたら、それは考え直した方がいい」
「どういうこと? あ、ですか?」
言い直しただけましか。俺は苦笑しながら、続きを話した。
「僕が、ものすごく有名な大学を出て、トップで入社したように見える?」
藻原さんが、おずおずと首を横に振った。
「靴を何足も履き潰して、それこそ会社説明会の常連になるくらいまであちこちに顔出して、数限りなく落ちて、やっと今の社で拾ってもらえたんだ」
「そんな……ふうに」
「見えない? そりゃあ、君の感覚が狂ってる。あのね、成績や学歴だけじゃない。会社の人事担当の人は容姿を見るんだよ」
「あ!」
かちん。彼女の手からフォークが滑り落ちて、床で跳ねた。その音を聞きつけた奥さんが、すかさず新しいフォークを持ってきてくれた。
「あ、ども」
フォークを受け取った藻原さんのセリフを聞いて、奥さんがかすかに苦笑した。そうか、こういうことなのねって感じで。奥さんが離れるのを待って、俺は説明を続行する。
「僕のこういう顔色だと、面接担当の人は体力とか健康状態とかを疑問視しちゃう。こいつ、倒れてすぐに辞めるんじゃないかってね。そういうハンデを背負ってるのに、僕に仕事の選択肢があると思う?」
「う……」
「そしてね、それは僕だけのことじゃない。ほんの一握りのエリート社員を除けば、みんなそういう苦労を乗り越えて職をゲットしてる。仕事が出来る能力があるってことと、仕事をもらえることとは別なんだ。現実としてね。そんな、贅沢なんか言ってられない」
ひょい。藻原さんの鼻先に指を差し出す。
「羽田さんだってそうだよ。彼女はいいとこの大学の出じゃない。今の実績は、彼女が入社してから自分の努力で築き上げてきたんだ」
こくん。藻原さんがしっかり頷いた。
「すごいな……って、思った」
お、羽田さんに対して悪感情は持ってないってことだ。そこは、すごく重要。
「でしょ? 僕も羽田さんほどじゃないけど、がんばってるつもり。だから、仕事の好き嫌いはともかく、自分、給料以上にやってるよなーっていう実感が欲しいの。そこがモチベーションかな。やりがいとか、そういうの以前に」
「うん」
「営業って仕事が絶対に嫌ってことじゃなければ、藻原さんが努力した分だけ実績が付いてくるっていうのは分かりやすいと思う。やりがいとかプロ意識とか、そういうのを考えるのはもっともっと先かなー。僕だってまだ入社三年なんだから、そんなレベルだよ」
「そっか……」
藻原さんは、どうにか俺の説明で納得してくれたようだ。さて、ここからが本番だ。
「だから、まずスタート地点を確かめときたいの。もし君がどうしても営業が嫌なら、それは上司にちゃんと訴えておいた方がいい」
「どして?」
「いやいややる営業は最悪なんだよ。お客さんを怒らせちゃう。それは君だけのことじゃ済まなくなる。君がみんなに嫌われるだけじゃないよ。会社の評判落としたら、大勢の社員の恨みをかって、下手すりゃ夜道を歩けなくなるからね」
「うう……」
「でも、逆にちょっくらやってみるべいっていう気持ちがあるなら、あとは努力次第さ」
くん。藻原さんがしっかり頷いた。よし。これで第一確認が取れた。
「やる気はある。そう考えていい?」
「うん」
「はい、でしょ」
「う、はい」
「じゃあ、あとはテクニカルなところだけだよ。そのタメ口の矯正も含めてね」
「うー」
ちょうどそこで俺の大好きなサラダが来た。たっぷりの野菜に香り高いバージンオリーブオイルとワインビネガー、岩塩がかかってて、薄くスライスされた何種類かのハードタイプチーズが別添されてる。俺はメインは要らない。これだけ抱えて食べたい。それくらい大好き。
俺の目尻が下がったのを見たんだろう。藻原さんからこそっと探りが入った。
「あの……野菜……好き……なんですか?」
昼にここに来た時には俺への口の利き方で自爆してたから、さすがに今度は慎重だった。
「大好き。てか、僕は
「うわ……」
本当はもっと突っ込みを入れたかったんだろう。でも、その言葉はごくりと飲み込まれた。うっかり俺を怒らせたら、二度目はないってこと。いかに傍若無人の藻原さんでも、それはぎっちり脳裏に刻み込まれたらしい。
「肉や魚が嫌いってことじゃなくて、単に野菜が好きなんだよね」
「うん」
「でね。それって、ちょっと営業の仕事に似てるんだよ」
「は?」
何それって感じ。
「営業って仕事は、行商とは違うの。自社で扱ってる商品を、どうやってお客さんにとって魅力的なものに見せるか」
「うん」
「それなら第一に、まず社の窓口になってる自分自身が魅力的でないとどうしようもないのさ。やる気がない営業さんが、買ってくださーいって飛び込みで行っても、とっとと帰れって言われるだけ」
「うん」
「さっき僕がサラダを見た時に出しちゃった顔。あれをお客さんの前で見せないとなんない。おれんちのサラダ、さいっ高にうまいんだぜ、まあ食ってみなよって」
くす。藻原さんのずっと強張ってた表情が崩れた。うん、それそれ。その表情が欲しいの。営業の時には、それ必須なの。
「分かるー」
「でしょ? じゃあ、君がそういう風にお客さんに見てもらうためには、何が要る?」
もっさもっさもっさ。サラダの野菜をもりもり食べながら、俺は彼女の口が開くのを待った。
「そうか……」
「どう?」
「笑顔。丁寧に話すこと。向こうの質問にちゃんと答えられること」
「ビバ! 分かってるじゃん! それそれ、それよ!」
うん。イルマーレのご主人の推測通りだと思う。藻原さんは阿呆じゃない。父親や上司の指摘が理解出来ないはずがない。でも、それを一方的な押しつけだと感じてしまうんだろう。その時点で態度や言動に、変なフィルターがかかってしまう。
失礼な物言い、空気がまるっきり読めてない行動。それは、天然だからじゃないね。どこかで彼女の意識が捻じ曲げられてる。そういうことなんだろなー。
「マニュアルでそうなってるからじゃ、話にならないんだ。自分がお客さんだったらどう思うか。そういう考え方は絶対必要だし、それが出来たらあとは特殊なことは何も要らない。営業は、ある意味一番楽な仕事かもよ」
「そっかあ……」
「で、あとは自分の売りをどう作るか。それだけなの」
「売り……ですか」
「そ。例えば、プレゼンテクなら誰にも負けないとか、スペシャルサービスでいちころよとか、わたしおじさん受けするからそれでいいのーとか」
ぽて。藻原さんが軽くこけた。
「いや、実際そんなものなんだわ。マナーや笑顔、話術はちょっと訓練すれば必要な水準まで届くの。でも、それ以上に引力がないと営業職員として実績を作れない。そして引力のところは理屈じゃないんだわ」
「ふうん」
「そこだけは自分で自由に作っていい。営業さんの個性ってことになるよね」
「魚地さんの個性は……なん……ですか?」
おう。少し慣れてきた? いや、さっき俺が言ったことをポジに取ってくれたんだろう。俺は客のシミュレーターだ。俺を怒らせないようにトーク出来るか試してみようってことなんだろうな。おっけーおっけー。ひあういごー。
「顔色」
どてっ。今度は結構しっかりこけたな。いひ。
「いや、冗談じゃないんだよね。この顔色は、誰からも必ず注目してもらえる。会話のきっかけが必ずそこから生まれる」
「あっ!!」
がたっ! 椅子を鳴らして、藻原さんが立ち上がった。おいおい。
「しっだんぷりーず」
「す、すみません」
うん。出来るじゃん。
「で、この顔色で、僕が生意気な口を利くって考えるお客さんは少ないよ。僕はその分、お客さんとのやり取りに余裕が持てるの」
「すごーい!」
「でしょ? 欠点て言っても、直せるもの直せないものがある。直せないなら、逆手に取るしかないじゃん」
「ううーん、そうか。すごい……です」
「俺の隣の河岸だってそうさ。あいつは、しょうもないすちゃらかに見える」
「うん」
「でもお客さんからしてみたら、雰囲気が軽くて話しかけやすい。営業にありがちな押し付けがましさが臭わないんだ」
「あ、それで」
「それなりに、あいつを気に入ってくれるカスタマーが出来るってことね」
そう。営業はチームプレーであると同時に、個人プレーでもあるんだ。俺らにいろんな個性がないと、アプローチがワンパになる。それじゃあ手詰まっちゃって、突破力がなくなる。逆に言えば、どんな個性であってもそれを気に入ってくれるお客さんさえ付けば、なんとかなるんだよ。だからこその、売りなんだ。
お! 焼きたてのフォカッチャが来た。こいつに、オリーブオイルを塗ったくって食うとべらんま! 藻原さんと二人して、はふはふ言いながら焼きたてを頬張る。
「んまー!」
「おいひー!」
わはははは! レクチャーが順調に進むと、食欲が出るよな。会話は食事のソースって言うけどさ。その逆のことも言えるよね。おいしい食事は会話の潤滑油。おいしいもの食べてたら、ぎすぎすした会話にはならないよ。
(オーリオ・ドリーヴァは、イタリア語でオリーブ油のこと)
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