第8話 スパゲッティ カルボナーラ

 やれやれ。藻原さん、昨日までの俺や羽田さんの脅しを甘く見てたんでしょ。しょせん、そんなの口先だけでしょって。


 あほか。君にはもう後がないんだよ。蟹江さんや細貝課長をとことん怒らせたことで、親父さんの立場が極めて悪くなったんだろう。今までずっと娘のことを案じていた親父さんまで敵に回したと見た。

 頬が赤くなってたのは、きっと親父さんから折檻された跡だろなあ。小さな子供ってわけじゃないんだから、親父さんが娘に手を上げたっていうのは本当に腹に据えかねたってことなんだろう。一番の理解者である身内からも、すでに絶縁寸前になってるんだよ。それなのに、なに? あの緊張感の無さ。天然て言っても、あまりにひど過ぎる。

 自分の置かれている危機的状況が全然見えていないなら、強制的にでも目をそっちに向けてやらないと、本当にどこからも干されるよ。実家に逃げ込めるならともかく、身内からも厳しい目で見られているならリアルに後がない。


 どんなに俺の作り話が荒唐無稽だって言っても、召喚術を目の当たりにしてる彼女にとっては俺の脅しが現実の話に聞こえただろう。魚の餌になりたくなかったら、死に物狂いで一週間を使いこなして欲しい。


「はあ……」


 正直、こんな恐怖で駆動するようなやり方はしたくないけどさ。でもどこかできっかけを作って意識を変えないと、長い間に身体に染み付いてしまった物言いは直らないよな。


 神妙な表情で羽田さんの説明をせっせと手帳に書き写している彼女を見て。俺はほっと息をついた。まあ、まだ社内はいいさ。なんだかんだ言っても、彼女は社の幹部の縁者だ。面と向かって露骨に敵意をぶつける剛の者はそうそういないでしょ。問題は、仕事の方だよ。お客さんにタメ口は一発退場。課の全員を敵に回すだけじゃない。もし大口の取り引きをこじらせたら、下手すりゃ親父さんまで引責辞任だよ。ったく。


 ぶつくさ言いながら外回りの準備をしていた俺に、河岸が話しかけてきた。


「なあなあ、魚地」

「うん?」

「彼女、噂になってたほどじゃないような」

「甘いな。羽田さんの重石が利いてるんだよ」

「う、そうか」

「うちの課で羽田さんを怒らせたら、前後左右上下昨今関係なくアウトさ。細貝課長で分かるだろ?」

「確かに……そうだな」

「それを、藻原さんに嫌っていうほど念を押しといたからね」

「へー。ってか、なんでお前が?」

「細貝課長に面倒見ろって押し付けられたんだよっ! 最初に言っただろが!」

「そうだったな。お前も人がいいからなあ」

「ううう、言わんといてくれー」


 まあ、いい。冗談抜きで、彼女にべったり付き合ってると仕事にならん。俺だって人のことなんか偉そうに言えないんだよ。ちゃんと営業成績上げないと干されるんだからさ。


 藻原さんへの説明が一段落したのか、羽田さんが外回りの準備をしていた俺に目を向けた。


「魚地くん、出るの?」

「はい。明工社にもう一度攻勢かけます。あと、ボーダー上のところをいくつかと、飛び込み三つくらい」

「がんばるね」

「月初のノルマをまだこなせてないんすよ。それを人のせいにしたくないんで」


 にかっ!

 羽田さんが、気持ち良さそうに歯を見せて笑った。


「魚地くんらしいね」

「ははは。じゃあ、出ます」

「あ、ちょっと待って」

「なんすか?」


 羽田さんが、机の上に乗せてあった資料入りのクリアファイルを俺に手渡した。


「セイホーの桑名さんが、うちの総合パンフ欲しがってたから渡しといてくれる?」

「あれ? この前行った時に渡しましたけど」

「あんたねえ」


 それまでの笑顔が、いきなり般若になった。


「例年この時期に、新号に更新でしょ! チェックするっ!」

「ぎょええええっ!?」


 慌てて、カバンの中のパンフを全部引っ張り出して、まだインキの匂いがぷんぷんする新パンフに入れ替えた。


「やべえやべえ。羽田さん、ありがとうございます」

「そういうところでも、足元見られるからね」

「そうですね。気を付けます」

「がんばって」

「うーす! 出まーす」


 ばたばたばたっ!


◇ ◇ ◇


「くっそ!」


 きつぅ。世の中、そんなに甘くないね。ちょっとしたタイミングのズレでライバル社に契約持ってかれちゃったし、飛び込みはものすごーく効率が悪くて徒労感が大きい。それでも、百社回って一つ契約取れれば御の字の世界だ。派手な売りのない俺は、足で地道に稼いでいくしかない。それに……。


「どうすっか、だよなあ」


 今日は、化粧でごまかせないほど藻原さんの顔が腫れてたから外回りに連れてこなかったけど、営業職員としての配属だから彼女は外回りを避けて通れない。事務員じゃないからね。でも今の状況じゃ、怖くてとても一緒に回れないよ。あの悪魔のような口がいつ開くかってずっとはらはらしてたら、それに気を取られてセールストークに身が入らない。かと言って、この前みたいにずっと黙ってろじゃ仕事になんない。

 彼女にも慣れが要るだろうけど、クライアントにも彼女に慣れてもらわないとなあ。そして、根回しは俺にしか出来ないと来たもんだ。とほほ。


 まあ、しょうがない。羽田さんに言ったけど、藻原さんにはまだ御用聞きしか出来ないだろう。それなら、お客さんに彼女の悪癖のことをそれとなく流して、口害に免疫を付けてもらうしかない。


「予防接種かよ」


 あー、めんどくさ。


 俺はぶつくさ言いながら、行きつけのイルマーレでカルボナーラをかき込んでいた。この前来た時に藻原さんに不愉快なことを言われたから、定番のアラビアータに食指が動かなくて、俺にしては珍しくクリーム系だ。まあ、たまにはいいかって感じで。


 クリームソースの合間に、ぽつぽつと粒コショウの黒。それがエッセンス程度の量だから、俺はおいしくカルボナーラを食える。でも、もしがりがり音を立てて噛まないとならないくらいでかい黒コショウがたっぷり入っていたら、それは料理じゃなくなる。

 藻原さんのタメ口もそうなんだよ。時々ぽんと出るくらいなら、まあ今時の若い子はそんなもんだってスルーしてもらえるし、彼女はかわいい系だから個性としてプラス評価されるかもしれない。でも、全部が黒コショウで出来てたらさあ……食えないよ。どうやっても。


 俺は、手を止めたまま目の前の料理をじっと睨み付けていた。そのポーズが、お冷やの補給に来たウエイトレスさんを不安にさせてしまったらしい。小声で話し掛けられた。


「あの、お客さま。当店の料理に何か不具合がございましたか?」

「げ。い、いや。とってもおいしいです。ちょっと考え事をしてまして」

「それならいいんですが……」


 俺は顔を上げて、そろっと店内を見回した。今日は昼飯を食う時間を少しずらしたから混み合う時間帯はもう過ぎていて、店内には二、三人しか客がいなかった。


「ふうー」


 溜息を一つテーブルの上に転がして、俺のグラスに水を足してくれたウエイトレスさんに話しかけた。


「あの」

「はい?」

「口の利き方がなってない子にトークマナーを教えるって、どうやったらいいんすかね?」


 いきなり変なことを聞かれて、ウエイトレスさんが目を白黒させてる。


「あの、わたしの言葉遣いに何か不手際がございましたか?」

「いいえ、とんでもない。うちの課に来た新人の女の子に手を焼いてて。困ってるんです。接客をされてる方なら、何か対策をご存知かなあと思って」


 ほっとしたらしいウエイトレスさんが、うーんと考え込んだ。


「会社では研修とかされてないんですか? わたしたちも、最初にぎっちり絞られますけど」

「研修は受けてるんですよ。でも、その効果が全くない。あまりに天然なんです。思ったままを、すぐ口に出しちゃう」

「あらら」

「仕事が事務っていうなら、まあそういう子だって僕らが割り切りゃいいんでしょうけど、営業じゃねえ」


 しばらく俺をじっと見下ろしていたウエイトレスさんが、ひょいと頷いた。


「あの」

「はい?」

「昨日、その方と来店されませんでした?」

「わはは。ばれましたか。そうなんすよ」


 はああっ。


「とてもじゃないけど、怖くて一緒に得意先を回れないんですわ」

「この前は?」

「あんたはまだ何も知らないんだから黙ってろと」

「うわ」

「でも、その手が使えるのは最初だけでしょ? どうしたもんかなあと」

「そうよねえ」


 そんなこと知りませんとスルーされるかと思ったけど、ウエイトレスさんはまじめに考えてくれたみたいだ。感じのいい人だな。羽田さんと同じくらいの年に見えるけど、雰囲気はずっと柔らかい。笑顔の優しいお姉さんだ。こういう感じの人、俺のタイプなんだよなー。


「少々お待ちください。そういうのは、使われてるわたしたちより雇用者の方がアイデアがあるかも」

「え? いやお店にご迷惑をおかけするのは……」

「あはは。もう繁忙のピークは過ぎてます。厨房はサブ一人でまかなえると思うので、主人を連れてきます」


 うわ! オーナーの奥さんだったのかよ。とほほ。ちょっとときめいてた俺は、バカみたいだ。もしかして、俺が足止めして話し掛けてたからご主人にナンパと勘違いされたかな。しくったー。


 でも、奥さんを伴ってゆっくり現れた長身でハンサムなご主人は、奥さん同様にとても感じのいい人だった。


「お客様。いつ当店をご利用いただき、本当にありがとうございます」

「いえいえ、ここはすごくおいしいんで。どうしてもリピしちゃいますー」

「嬉しいです。あ、それで」

「はい」

「新人さんのマナー教育でお困りとお聞きしたんですが」

「そうなんですよ」


 思わず、テーブルの上で頭を抱え込んだ。


「はああっ。いろんな意味で悪条件が重なってて。まだ入社して三年の僕には、荷が重すぎます」

「あらら」


 俺の向かいの席に、ご夫婦が並んで座った。


「まず。その子はうちの社の幹部の娘なんです。地位を振りかざして威張り散らすなら最初から無視するんですけど、そういうわけじゃない」

「ふむ」

「でも、威張りはしないんですが謙虚さもないんです。誰が相手でもタメ口」


 どてっ。ご夫婦が揃ってぶっこける。


「営業で、お客さん相手にタメ口利いたら一発アウトですよ。怖くて仕方ない」

「あなたの会社では、その問題は認識されてるんですか?」

「してます。だから、彼女が最初に配属されたのは営業じゃなくて総務課だったんですよ」

「……干された?」


 奥さんが、ぐんと身を乗り出してきた。


「はい。温厚なことで有名な総務課長を激怒させちゃって配転」

「うーん、変だなあ」


 ご主人が、しきりに首を傾げた。


「舌禍が元で干された子を、なんでもっとヤバい営業に?」

「僕にはわけ分かんないです。でも……」

「うん」

「うちの課長が、お荷物を押し付けられたんかなあと」

「ふう。力関係、か」

「で、うちの課では一番下っ端の僕に、世話しろってたらい回し」

「うわ」


 奥さんが、そらあ気の毒にって感じで首をぷるぷる振った。


「立場的には、あなたには面倒を見る義理はないんですよね?」

「ええ。ただ」

「うん」

「ものすごーく性格が悪いっていうわけじゃない。あまりに天然過ぎ。会社っていう組織に彼女に適した型がないってだけで、その子がどうしようもないワルだとか、役立たずってわけじゃないのがね」


 奥さんが、ふっと笑った。


「ふふ。あなたは面倒見がいいのね」

「お人好しで通ってますから」

「いいことじゃない」

「そうなんですかね」


 ご主人が、逸れそうになった話をすかさず元に戻した。


「今日は、彼女は?」

「一緒に得意先を回る予定だったんですけど、僕の先輩に営業ノウハウのレクチャーを受けてます。内業ですね」

「予定変更?」

「そうです。ちょっとアクシデントがあって」

「アクシデント?」


 俺は、自分の両頬を引っ叩く真似をした。


「親に……殴られたんじゃないすかね」


 ご夫妻が、顔を見合わせて黙り込んでしまった。俺も、どうしても表情が曇る。


「幹部の娘って言っても、七光りなんか長続きしませんよ。俺の退職までの間に努力して、自力で会社に居場所を作れ。父親がそう言ったんじゃないかな」

「ああ、それが全然うまく行ってなくて、敵ばかり作っちゃってるってことか」

「はい。親の立場もすごく悪くなりますから、怒ったんじゃないかと」

「うまく……行かないものねえ」

「本当にそう思います」


 はあっ。自分の顔を指差して、話を続ける。


「僕は生まれつきこういう顔色なんで、必ず人に大丈夫ですかって心配されるんですよ。でも、僕はそれを逆手に取ってる。ビジネスでは顔と名前を覚えてもらうのはすごく大事ですから。珍名とか変わった特技とかと同じですね」

「なるほど!」

「でも、彼女のタメ口はちっとも商売の足しにならない。いや、それは害にしかならない。そこがねー」


 腕組みしてじっと考え込んでいたご主人が、腕組みを解いてテーブルをとんとんと叩き始めた。


「私も脱サラ起業組なんで、その子の抱えている疎外感みたなものはよく分かります」

「あ、そうなんですか!」

「会社ってのは、理不尽がまかり通るところですから」


 ご主人が、どうしようもないという感じで苦笑を浮かべた。


「でも私らのケースと違って、その子自身が理不尽の元になってしまってる。それを誰も制御出来ない……ってことですよね」


 うん。ぴったりだ。


「まさにおっしゃる通りです。上司が命じても変えられないものを、指揮権のない僕が変えられるはずがないんですよね」

「そうですね、でも」

「はい」

「それが逆に効く場合もあるんです」

「へ? どういうことですか?」

「権威で押し付けられたものには、どうしても反発を感じるんですよ。指導役がどんなに親切な人であっても、上下関係が絡むと厚意をダイレクトに受け取りにくくなるんです」

「うーん、なるほどー」

「誰も味方がいないと感じてるその子が、立場のそれほど変わらないあなたにだけは気を許せる。そういう退路を確保してあげるのが大事かなあ」

「退路、ですか」


 やべえ。その退路を、俺自身が真っ先にずんばらりんと切っちまってるじゃん。むー。


「難しそうですか?」


 奥さんに確かめられた。


「ちょっとねー。いろいろ経緯があって、僕が彼女にぶち切れてしまったので」

「あらら」

「彼女のことをぶん投げてるわけじゃないですよ。でも誰のアドバイスもまともに聞かない彼女をトラブルなしで仕事させるには、どうしても行動や言動を制御するための重石が要るので」

「うん。それはそれで分かるなあ」


 ご主人から探りが入る。


「どういう重石を設定されたんですか?」


 ううー。


「やりたくない方法だったんですけど、彼女の弱みを握りました」

「……どんな?」

「それはちょっと……。決して非合法なことではないんですけど、説明は出来ません」

「ふうん」

「で、それをたてに、一週間で口の利き方を直せってノルマを課してます」

「大丈夫?」


 奥さんが、心配そう。


「結果だけを求めるなら達成するのは難しいかなと思うんですけど、一応手引き付きにしたので」

「へえー、そんな魔法みたいな方法があるの?」

「あはは。書くだけですよ。自分の返答まで含めて、書き上げて添削するまでは絶対に口に出すな。僕が指示したのはそれだけです」

「おー、それはすごいな。強制的に間を確保したということか」

「はい。だけど、それで社内でのトラブルは減らせても、外回りの時には使えないんですよね」

「営業だとしゃべりにテンポがいるものなあ」

「そうなんですよ。それで頭を抱えてて、どうしたもんかなあと」


 こんなえぐいことを知らない人に相談する俺も俺だけどさ。でも、俺もいっぱいいっぱいなんだよ。藻原さんの巻き添え食って共倒れになったら、ライフプランが狂っちまう。はあっ。溜息しか出てこない。


 じっと考え込んでいたご主人が、うんと一つ頷いてから話し始めた。


「そうですね。あくまでも私ならということですが」

「はい!」


 藁にもすがる思いで、俺はぐんと身を乗り出した。


「その子。どこをどう立ち回っても失敗しちゃうんですよ」

「ええ。そうですね」

「だから、自分をプラス評価されたことがないと思います。少なくとも社会人になってからは、ね」


 うん。確かにな。そうかもしれない。


「でも親のガードがかかってるから、自分が誰にも正しく評価されないっていう焦りが強く出てこないんでしょう」

「そんな感じに見えます。懲りないっていうか、学習しないっていうか」

「でもね、評価してもらうなら失敗じゃダメなんですよ。その子は失敗に対してすごく鈍感になってる。一の失敗も一万の失敗も同じじゃあ、話にならない」

「んんー?」


 ぴんと来なかった俺に、ご主人が例を出してくれた。


「つまりね、このパスタは不味いから作り直せって言われても、私の腕はちっとも上がんないんです。それよりも、ここの料理はおいしいと評価してくださるお客さんが一人でも二人でも増えてくれた方が、ずっと腕の向上に繋がる」


「そうか! 追い詰めるだけじゃなく、成功や達成感を体験させないとってことですね?」


 ご主人が、親指をぐいっと立てて俺に突き出した。


「ええ。自分をましにしようとする動力としては、その方がずっとまともなんじゃないかなーと」

「確かにそういう視点は欠けてたなあ。ちょっと僕の被害者意識が強過ぎたかー」

「営業なら、新規顧客の獲得っていうのが分かりやすい成果だと思いますから、出来レースでいいので一つ実績を作らせるというのも手ですね」

「確かに。でも、すぐには難しいなあ。営業トークがまともにこなせるようになってからじゃないと」

「その通りです。だけど、目標があった方が達成感が出るんじゃないかな」

「貴重なアドバイスを、ありがとうございます。社に戻ってから同僚と相談してみます」

「あれ?」


 奥さんが、ふいっと首を傾げた。


「あの、あなたの上司の方と相談じゃ……」


 思わず苦笑い。


「うちの課には、スーパー社員がいまして」

「へ?」

「僕の三つ上の女性なんですが、恐ろしいくらい仕事が出来るんです。うちの課の実績の半分以上を実質一人で叩き出してるんですよ」

「うわ! すごいですね」

「そうなんです。ただ、とてもエネルギッシュなのはいいんですけど、その方を怒らせると」


 右手を首に当ててべろを出し、しゅっぽーんと切るまねをする。


「ってことで。昨日課長が地方に飛ばされまして」


 ずどおん! ご夫妻が揃ってぶっこけた。


「うわわ」

「ひえー」

「僕のいる課は、全社で三指に入る売り上げ実績を上げてるんです。その牽引役の彼女を失ったら、うちの社は業績が傾きますよ。だから、絶対に彼女を怒らせるわけにはいかないんです」

「なんつーか……」

「で、新人の子は、今頃その先輩にぎっちり絞られてるはずです」


 ごくっ。二人が揃って生唾を飲み込んだ。


「そこでトラブったら、その子の人生おしまいなんじゃ」

「そうなんですよ。だから筆記させることで強制的に口を塞いだんです」

「なーるほどなー。あなたもすごいアイデアマンだなあ」

「いや、窮余の策ですよー。もっとマイルドな方法があればいいんですけど、そんなに時間的な余裕がないんで」

「そうだね」


 おっと。長居し過ぎた。


「申しわけありません。お仕事中にとんでもない相談を持ちかけてしまって」

「いやいや、私らもただ料理作って配膳するというだけじゃ、気持ちに張り合いが出ないからね。こうやってお客さんと直にいろんな話が出来る機会はとても貴重です」


 ほっとする。


「ありがとうございます。また伺いますね」

「その新人さんも連れていらっしゃい。食べるってことは大事な気分転換よ」

「そうですね」

「彼女もだけど、あなたも自分をあまり追い詰めないようにね」


 奥さんにそう声をかけてもらって、危うく泣きそうになった。

 

「ありがとう……ございます」




(スパゲッティ・カルボナーラは茹で上げたスパゲッティをチーズ、黒コショウ、パンチェッタ、卵を用いたクリ−ムソースで和えたもの)


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