第5話 ペンネアラビアータ

 社屋の外に連れ出したのはいいけど、無礼極まりない藻原さんの口をしっかり塞いでおかないと、お客さんにタメ口ぶちまかした瞬間に共倒れだ。だから俺は、出がけにぎっちり釘を刺した。


「藻原さんがどこまで有能か知らないけどさ。少なくても営業って分野では、まるっきりのど素人なの。専門知識も、お客さんの情報も、取引経緯も、何一つ知らない君がお客さんに何を言えるの?」


 不愉快なんだろう。藻原さんが、ぷっと膨れた。お客さんを、それ以上の膨れ面にしないでくれよ。頼むから。


「言うのは、自分の名前と、よろしくお願いしますだけにして」

「なんで、よろしくなの?」


 ごるあああっ! だあほっ! あんたは神様かあっ! と、俺が怒ったところでしょうがない。


「君は給料をもらってるだろ?」

「うん」

「その給料をもらえるのは、お客さんがうちの取り扱い商品を買ってくれてるから。何もないところから給料が湧くわけないだろ」

「ふうん」


 そんな、小学生でも分かりそうなことまで説明しないと納得しないのか? いい加減にして欲しいな。とほほ。


「分かった」

「お客さんからの問いかけがあっても黙っててね。僕がフォローするから」

「どして黙ってないとだめなの?」

「失礼があるといけないからだよ」

「失礼ね!」


 あんたがね。自分が皮肉を言われてることには気付くんかい。意識の置き場が徹底的に間違ってる。アンバラもいいとこだよ。とほほ。


「まあいい。さっさと行こう。スケジュールはびっしりだ」

「うん」


 うん、かい。とほほ。


◇ ◇ ◇


 やれやれ。これまで回ったところではなんとか藻原さんのタメ口を封じることが出来た。


 藻原さんは、どこでも挨拶なし。俺に促されてのお辞儀だけだった。今日配属になったばかりで名刺も出来ていませんし、まだ見習いなので慣らしです。俺はそんな風にフォローして、お客さんもとりあえずそれで納得してくれた。態度がでかいのは、緊張のせいだと考えてくれたんだろう。


 まあ……我ながら上出来の対応だったと思う。俺の役目はあくまでも藻原さんに得意先を教え込むことで、新人のマナー研修なんか俺のギャラに入ってないよ。そうクールに割り切って、藻原さんに意識を置き過ぎなかったのが結果的によかったんだろう。商談の方も、進行中のものは駒を先に進められたし、ボーダー上のやつも後で羽田さんがダメを押せば一つくらいは落ちそうだ。順調だな。


 朝方べっこりへこんでいた俺は、少しだけ気分が持ち直した。この勢いで残りも行ければいいんだけど……そんなに甘くはなさそう。なぜなら客先では封じることが出来た藻原さんのタメ口が、俺の前では全開になりつつあったからだ。


「魚地さん、顔色悪いよ」


 隣を歩いていた藻原さんにいきなり突っ込まれた。これまで何千回、何万回言われてきたか分からないことだから、そう言われること自体にはすっかり慣れてるけど、藻原さんにずけずけと言われるとこっぴどく腹が立つ。


「ああ、これは僕の地顔だからね。別に体調が悪いわけでも、お迎えがくる寸前てわけでもないんだ。気にしないで」

「そう?」

「藻原さん、僕の顔のことなんかどうでもいいから、ちゃんと得意先のお客さんの顔と名前を覚えて」


 藻原さんが不満そうに顔を逸らした。おいおい、あんたの知ったこっちゃないだろが。俺の顔色がどんなに悪かろうが、俺を見慣れてるお得意さんからとやかく言われることはないし、仕事もちゃんとこなせてる。別に顔色が仕事に悪影響してるわけじゃないんだからさ。


 藻原さんのぶしつけな突っ込みは、俺がぶっすり釘を刺しても全く止まる気配はなかった。


「ねえ、魚地さん。ちゃんと食べてんの?」

「君がそんなことを気にする必要はないよ。僕の食事と顔色とはなんの関係もないの」

「ふうん」

「それよか藻原さん。お客さんの前で、絶対に今みたいな馴れ馴れしい口を利かないようにね。うるさ型のお客さんは、それだけで取り引き打ち切りにしちゃうことがあるから」

「そうなの?」


 これだよ。あーあ、とても分かってる風じゃないよなー。


◇ ◇ ◇


 ともあれ。午前中はなんとか予定していたところを無事回り切って、昼食の時間になった。


「さて、昼飯にするか」


 藻原さんが目をきらきらさせて俺を見る。俺に奢らせようってか? まあ、いいけどさ。昼飯くらい奢ってやっても。


 俺は行きつけのパスタ屋、イルマーレに入ることにした。そこは安くて、メニューが多彩で、味もいい。明るいカジュアルな雰囲気の店だから、一人メシでも誰かと一緒でも対応出来てすごく便利なんだ。


 席についてすぐ。俺はウエイトレスさんが持ってきたメニューを開かずに藻原さんに渡して、お冷やを一気飲みした。


「ふいーっ。生き返るなあ」

「おいしそうに飲むんだね」


 まあたタメ口か。


「まあね」

「なんにするの?」

「僕はいつもペンネアラビアータ。君は好きなの選んでいいよ。値段はどれでもあまり変わらないから」

「ペスカトーレにするかなー」


 そう言った藻原さんが、俺を横目で見ながら探りを入れてきた。


「一緒のにしない?」

「いや、僕はペスカトーレは苦手なんだ」

「嫌いなの?」


 しつこいな。


「そう。魚介類がだめなんだよ」

「えー? それじゃお寿司とか食べられないじゃない。彼女とか文句言わないの?」

「人の好き嫌いなんかどうでもいいだろ? 放っといてくれ」


 気分を害するのは俺のはずなのに、なぜか藻原さんがぽんぽんに膨れている。先輩に対する礼儀のかけらもないね。ひどすぎる。奢ってやろうかと思ったけど、やめやめ。割り勘だ。ああもう、さっさと食べて出よう。俺は配膳されたペンネアラビアータを超特急でがつがつ食べた。その様子を呆れたように見ている藻原さん。


「よく、そんな辛いのを一気に食べられるね」

「慣れてるから。ああ、君はゆっくり食べていいよ」


 藻原さんが、ぼそっと。


「クウキ読めないんだね」


 ぷっつーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!


 いかに俺が温厚でも、さすがに堪忍袋の緒が切れた。空気が読めないのはおまえだろが! 自分では読む気ないくせして、人にはそれを要求すんのかよ! もういい。がっつり思い知らせてやる。その小生意気な口が二度と開かないようにな!


 俺は黙ってテーブル越しに藻原さんのパスタ皿に手を伸ばし、皿からアサリの殻をつまみ上げて右手で握った。そして、驚いて口をぽかんと開けている藻原さんの前で手を開いて、中のものを彼女のお冷やのグラスに落とした。


 ぽちゃん。グラスの中で泳ぎ出す青い小魚。


 蒼白になってフォークを皿に落とした彼女に向かって、低い声で言い渡す。


「いい加減にしろよ。今度俺に生意気なことをほざいたら、おまえをこうしてやるからな」




(ペンネアラビアータは、茹でたペンネを唐辛子を利かせたトマトソースで和えた料理)

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