罪を悔やんで子を憎まず

それから何事もなく週が明けた。


今日はファミレスのバイトが休みなので、カフェのバイトが終わってから、たくさんのショップが軒を連ねる通りに行ってみる事にした。


夕べ布団に入って眠る前に、順平からもらったネックレスのチェーンが絡まって取れなくなったのをそのままにしていた事を思い出した。


新しい物に取り替えて、もう一度身に着けてみよう。


順平、覚えてるかな。


時々は思い出話もしたいのに、順平は昔の話はしようとしない。


そもそも会話自体、あまりないんだけど。



ジュエリーショップで、ネックレスのチェーンを新しい物に取り替えてもらった。


元のチェーンとよく似た物を選んだから、違和感はほとんどない。


ネックレスを早速つけて鏡にうつしてみた。


あの時の順平の笑顔を思い出す。


またあんなふうに笑ってくれたらいいな。




しばらく辺りのショップを見ながらブラブラ歩いた。


喉が渇いたな、ひと休みしよう。


コーヒースタンドで窓の外を眺めながらカフェラテを飲む。


バッグの中でスマホの着信音が鳴った。


画面に映っているのは“壮介”の文字。


お金の事かな?


電話に出ると壮介からの用は思った通り、残りのお金を返したいという事だった。


壮介の気が変わらないうちに返してもらおう。


ちょうど今日は時間があると言うと、壮介の仕事が終わってから会う事になった。


もう壮介を責める気も失せたけど、会ったらイヤミのひとつくらいは言ってやろう。



約束の時間まで適当に時間を潰した。


そしてやっと約束の6時になる少し前。


待ち合わせしたカフェにやって来た壮介は、コーヒーをオーダーして、まずは一息ついた。


「元気?」


「まあまあ。そっちは?」


「まあまあかな。」


この間まで婚約者だった人というよりは、昔の同級生か友達にでも会うような感覚だった。


ああそうか。


私の中で壮介は、もうすっかり過去の人になっているんだ。


ものすごく好きだったわけじゃないけど、3年も一緒にいてそのうちの2年間は生活を共にしていたからか、妙な情がある。


「これ、残りの分な。遅くなって悪かった。」


「うん。」


封筒の中をこそっと覗いて、枚数をササッと確認した。


「確かに。」


お金の入った封筒をバッグにしまって、コーヒーを飲みながら考える。


さて、どうやってつついてやろうか。


まずは子供は無事に生まれたのかと聞いてみようか。


それとも、奥さんは元気?かな。



「もう生活は落ち着いた?」


私より先に壮介が尋ねた。


「うん、まあ。壮介は?」


「まだバタバタしてるよ。」


よし、この流れで聞いてみよう。


「そう…。子供は無事に生まれたの?」


「えっ?!いや…えっ?!」


ふふふ…驚いてる驚いてる。


「見ちゃった。二人で歩いてるの。」


「あっ…。」


壮介はバツの悪そうな顔でコーヒーをすする。


「あのね…今更責める気も失せたけど、ホントの事を聞きたいだけ。奥さんは前に会った人じゃなくて、紗耶香なんでしょ?」


「……ごめん。」


「で?無事に生まれたの?」


「ああ、うん…11月に入ってすぐ。女の子が生まれた。」


「そっか。一応おめでとうって言っとく。」


「ありがとう…。」


さて、本題に入るか。


「壮介も人が悪いよね。私と同棲してた2年間ずっと紗耶香とも付き合ってたんでしょ。」


「え?」


「私との結婚が決まった時には既に紗耶香が妊娠してたのに…なんでもっと早く言ってくれなかったのかなーって。」


「ちょっ…ちょっと待て。なんでそうなる?」


壮介はわけがわからないと言いたそうな顔をしている。


「あれ?違うの?」


「俺が紗耶香と初めて二人で会ったのは…朱里と同棲初めてから1年以上は経ってた。」


「え?」


「ずっと付き合ってたわけじゃないよ。朱里といずれは結婚するつもりでいたから。相手は朱里の友達だし…深入りしないうちに終わりにしようって。3ヶ月くらいで一度は別れた。会ったのもほんの数回だし。」


「……そうなの?」


志穂から聞いた話と随分食い違ってるな…。


「朱里との結婚が決まったのは紗耶香と別れた後だ。別れてからはずっと会ってなかった。」


「じゃあ…紗耶香から妊娠してるって聞かされたのはいつなの?」


「結婚式の10日前かな。もうお腹もかなり大きかったし、俺の子だって言うから…。」


…と、いう事は。


壮介が別れ話をした時の3日前に彼女の妊娠がわかったというのは、ホントなんだ。


「ねぇ…。私と別れる2ヶ月くらい前には紗耶香と入籍してたんじゃないの?」


「はぁ?そんなわけないよ、第一その頃はまったく会ってなかったのに!入籍したのは朱里と別れて1ヶ月近く経ってから。別れ話した翌日っていうのは俺がついた嘘だ。」


「そうなの?」


だんだん混乱してきた。


「あの“みいな”とかいう人は?」


「ああ…。あれ、サクラってやつだよ。さすがに朱里の友達と浮気してたとは言いづらかったから…。妊娠してまだ間もないって設定で。」


「もしかして…佐倉代行サービス?」


「ああ、それ。知ってんの?」


「うん、ちょっとね。知り合いが…。」


元は順平もサクラだったという事は黙っておこう。


「あのさ…ちょっと混乱してきた。ちゃんと整理しよう。私たちが結婚する予定だったの、9月中旬だよね。別れたのはその1週間前。で、今は12月半ばになる。」


「うん。朱里と別れてから3ヶ月…まだそんなもんか。」


「紗耶香から妊娠したって聞いたのは?」


「9月の初めだったかな。」


「壮介、紗耶香と一度は別れたって言ったよね?付き合ってたのはいつなの?」


「去年の秋から付き合ってたかな…今年入って1月の終わりに別れた。」


「そこからずっと紗耶香には会ってなかったんだよね。」


「うん、間違いない。だいたい俺、年度末から仕事忙しくて、休みの日なんかずっと家で寝てたじゃん。一緒に暮らしてた朱里ならわかるだろ。」


「まぁ…そうだよね。で、子供は11月の最初に生まれたと…。ん?」


指折り数えて、そんなはずはないと何度も確かめてみる。


「どうした?」


「いや…あれ?ちょっと待って。」


バッグからスケジュール帳を取り出し、もう一度数えてみる。


「壮介…おかしいよ。嘘ついてない?」


「はぁ?嘘なんか一切ついてないよ。ここまで来てごまかしてどうすんだ。」


私は気付いてしまった。


もし壮介の言った事が本当なら…。


「どうした?何がおかしいんだ?」


「うん…。」


確かな証拠もないのに、こんな事を軽々しく言ってもいいものだろうか?


私の勘違いか、それとも壮介の記憶が曖昧だったのか。


「あの…変な事聞いていい?」


「ん?なんだよ。」


「壮介さ…私とは避妊、欠かさなかったじゃない?私とはデキ婚とか有り得ないって思ってたから?」


「はぁっ?!」


「紗耶香とは子供ができてもいいから、避妊しなかったの?」


「ばっ…バカか?誰が相手でも簡単にできていいとか思ってないし、紗耶香ともちゃんと避妊はしてた!朱里と結婚するつもりだったってさっきも言っただろ?朱里とだって結婚して落ち着いてから子供が欲しいって思ったから欠かさなかっただけで…。」


知らなかった。


壮介は壮介なりに考えていたんだ。


私と結婚したくなかったとか、紗耶香となら子供ができてもいいと思ってたとか、そういうわけじゃなかったんだな。


「じゃあなんで紗耶香は妊娠したの?」


壮介は一瞬驚いた顔をして、気まずそうに目をそらした。


「なんかな…失敗したらしい。そん時は気付かなかったんだけど…途中で破れたか穴が空いてたみたいで…。って…なんで俺、朱里にこんな話しなきゃいけないんだよ…。これ拷問なのか?もう勘弁してくれよ…。」


歯切れの悪い返事をして、壮介は心底弱った顔をしている。


「ふーん…そんな事ってあるんだねぇ…。それって別れる直前?」


「うーん…そうだったんじゃないか?だから、それになんの関係があるんだ?」


「いや…その…ちょっと。」


「俺にここまで話させたんだろ。朱里もハッキリ言え。気になってこのままじゃ帰れない。」


確かに壮介の言う通りだ。


私だって本当の事が気になる。


「あのさ…先に言っとく。私の勘違いかも知れないよ。」


「わかった、早く言って。」


「あのね…妊娠がわかってから出産まで、だいたい8ヶ月くらいなの。11月の最初に生まれたという事は、3月には妊娠がわかってるはずなんだよね。」


「ふーん…。それがどうかした?」


「妊娠がわかるのってさ…だいたい妊娠してから2~3週間後なんだって。この間バイト先の主婦の人に聞いた。」


「うん。それで?」


ホントにこんな事言っていいのかと思ったけれど、言いかけた物は仕方ない。


私は水を一気に飲み干して、覚悟を決めた。


「だから…紗耶香は多分、2月後半くらいに妊娠してるはずなんだ。壮介が1月の終わりに紗耶香と別れてその後会ってないなら…壮介の子供を妊娠するのは、不可能だよ…。」


「…えっ?!」


壮介は呆然と目を見開いている。


やっぱりまずかったな。


私は慌てて言い訳を考える。


「あ、でもホラ、勘違いかも!!出産予定日はあくまで予定日だってその人も言ってたし!2週間とか遅れて出産って事もあるんだって。」


壮介は眉間にシワを寄せて、冷めきったコーヒーを一口飲んだ。


そして静かに口を開いた。


「うちの子…予定日の1週間前に生まれた。ってかさ…どっちにしても…無理じゃね…?」







カフェを出る時、壮介は肩を落としてため息をついた。


「ごめん…変な事言って。」


「いや…。朱里は悪くない。元はと言えば、朱里を裏切った俺が悪いんだ。」


「壮介は…どうするの?」


「さあな…。これから考える。子供にはなんの罪もないもんな。」


「それは確かにそうだけど…。」


紗耶香は一体誰の子を身籠り、壮介の子として産んだのか。


私たちには皆目見当がつかない。


結局、後味の悪いまま壮介とはカフェの前で別れた。


悪いことしちゃったかな。


知らない方が幸せな事だってある。


紗耶香は志穂を騙して、壮介を騙して、私から壮介を奪い取ったんだ。


紗耶香という人間がまるでわからない。



こんな時になって初めて、壮介が私との結婚をちゃんと考えてくれていたんだとわかった。


壮介はいろんな物を背負う覚悟で、紗耶香との結婚を選んだんだ。


紗耶香の産んだ子が壮介の子ではないなんて、どうか、私の間違いであって欲しい。





その夜、私は志穂に電話して今日壮介から聞いた話をした。


志穂も紗耶香から聞いた話と違うと混乱しているようだった。


「紗耶香…なんで私にまであんな嘘なんかついたのかな?」


「志穂に話せば、私にも伝わると思ってたのかなあ…。私が壮介と紗耶香の仲を疑って喧嘩になると思ったとか…。」


「でもさぁ…ありもしない事、よく本当にあった事のように話せるよね。結局、紗耶香の子は壮介さんの子じゃないって…一体誰の子なんだろ?」


「それは紗耶香にしかわからないよ。壮介もショック受けてた。」


「壮介さんは自業自得って気もするけどさ…浮気はしたけど、ホントは朱里の事、ちゃんと好きだったんだね。」


「うーん…。なんか複雑。」


壮介との結婚が破談になった今になって壮介の本音を知っても、今更もう遅い。


壮介にとっても、紗耶香と結婚して子供が生まれた後で、その子が自分の子でないと知っても今更どうにもならない。


順平を選んだ後になって、早苗さんが好きだと気付いてしまった事にしてもそうだ。


気付かなければ、私は順平に対してこんな後ろめたい気持ちにもならなかったし、早苗さんを想って胸を痛める事もなかった。


「ねぇ志穂…。知らない方が幸せな事ってあるんだねぇ…。」


「ん?そうかなぁ…。私は知りたいよ。」


こういうところは志穂らしい。


なんでも白黒ハッキリつけなきゃ気が済まないんだから。


私はふと、順平が言っていた事を思い出した。


志穂にはまだ順平との事は、話していない。


「志穂…私ね、もうひとつ気になってる事があるんだけど…。」



私は壮介との結婚が破談になってからの順平との経緯を志穂に話した。


そして、私が順平以外にも付き合っている人がたくさんいて順平とは遊びだったとか、順平と付き合っている時には既に壮介と付き合っていて、将来を考えられない順平を捨てて壮介を選んだとか。


ありもしない事を順平に言われたと言うと、志穂はまたうーんと唸った。


「それって…誰かに吹き込まれてるよね?」


「やっぱり志穂もそう思う?そのせいで順平は私に仕返ししようと思ってたって。」


「そんな子だったっけ?」


「ううん、私が知ってる順平はそんな事はなかったけど…。今の順平…昔とは全然違うの。」


「違うの?」


「うん…。昔はもっと優しかった。すごく大事にしてくれたし…私がいやがるような事は絶対しなかったよ。人間って3年でそんなに変わるもんかな?」


「なんでだろう…。気になるね。朱里はそんな順平くんといて幸せ?朱里が好きだった頃の順平くんと全然違うんでしょ?」


「うん…。正直言って、順平の事が全然わからない。でも、一緒にいるって決めたし…。」


「朱里の気持ち、わからなくもないけどさ…。よく考えた方がいいよ?この先長いんだし。」


「うん…。」
























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