それはあまりにも…

 西に沈みゆく太陽が、空に浮かぶ雲へ緋色をかける時間。俺がこの日村にやってきた来訪者から逃亡し、森の中で取り押さえられたのが少し前のこと。


「放せ!放せぇえええ!!」


 デジャブ。

 そこには地面に倒されもがいている俺と、俺の胴をがっしり捕まえて離さないアリアの姿があった。


「このクソババァ!俺を騙しやがったな!?」

「ババァじゃないって言ってるだろ!それに落ち着つけ!! さっきのは少しばかり洒落になってないただの冗談を言ったに過ぎない!! うわっ、噛むな!噛むなよ!?」


 アリアは俺に噛み付かれないよう、股で俺の身体を抑えると顎を両手で抑え口が開かないようにする。


「ふっ、これでキミは手も足も出ない。諦めて…あぁ痛い!引っ掻くんじゃない!!」

「じゃあ今直ぐ放せよ白髪ババァ!!」


 足はともかく手は使えたので、俺はアリアの両太ももに爪をつき立てる。アリアの手が顎から離れた瞬間に俺は叫んだ。すると今度アリアは足をグッと閉じて胸を圧迫してくる。


「シラガって言うなぁぁ!!クザ、キミも見てないで手伝ってくれ!!」


 するとクザは黙ったまま俺とアリアに視線を投じ。


「こうして見ると仲の良い姉弟のようにも見え…」

「はやく!!!!」


 クザが言い終わるより先にアリアが叫ぶ。クザは少し残念そうな顔をして。


「分かりました。私も噛み付かれるのは御免ですから、失礼。」


 次の瞬間、地面に張り付いていたはずのクザの影がニョキと浮き出て蔓のように表面に浮き出す。


「うわぁああ何だそれぇええ!!!」

「うわぁああ痛い痛い痛い!!!!」


 驚きと恐怖の余り絶叫し、俺はアリアの太ももを思いっきりつねっていた。


****


「申し訳ありません、アル殿。」


 俺は今、クザの影から浮き出ている黒く細い蔦のようなものに身体を絡めとられ、軽い宙吊り状態だった。手も足も出ないとは、こういうことを言うのだと思う。


「うぅ、私の太ももが…。白かったのに…。」


 一方では地面に正座し履いているスカートを涙目でめくるアリア。その両太ももはミミズ腫れし、西の空に滲む夕焼けに引けを取らないくらい赤くなっていた。クザは打ちひしがれたようなアリアに目をやるも、少しして俺の方に向き直りおっとりとした口調で言う。


「申し遅れましたが私の名はクザ・ルイズ。少々手荒となってしまいましたが、我々は危害を加えるつもりはありません、ただ話がしたいだけなのです。もう少しだけアリア殿の言葉に耳を傾けてはもらえませんか。」


 大人の貫禄。俺だってこんな風にお願いされていれば、噛み付くようなことはしなかった。たぶん。


 今までのやり取りからも俺の心は、2人が危険のない人物である方に傾いている。もう一度ちゃんと話を聞いてみようと、そう思った。俺はクザの影から伸び俺を釣り上げている黒いそれに目をやって。


「これも…、魔法なのか?」

「ええ。我々がアル殿と同じ類の存在であることは、これでご理解いただけたかと思います。」


 俺に絡んでいた蔦がゆっくりとクザの影の中へと戻る。それに合わせて宙に浮いていた俺の足もやがて地に着いた。


「ではアリア殿、続きを。」

「くそう…、この恨みはいつか晴らしてやるからな。」


 クザに促されると、アリアはいまだ赤いままの自分の太ももを見つめて怨めしそうに呟いた。そしてスカートを戻し、地面に正座したままで話を再開する。


「いいかい?私が言った奴隷っていうのはキミが想像したのとは違うんだ。簡単に言うと、キミの身分証明みたいなものさ。こき使うわけでも、商品にするわけでもない!」

「身分証明って…、それと俺が奴隷になることと、どう関係があるんだよ?」

するとアリアはこめかみの辺りに人差し指を立て難しい顔をする。

「それは…。うーん、なんて説明したらいいんだろう。重要なのはキミが奴隷になることじゃなくて私が主になることの方なんだ。とりあえずそこら辺は気にしなくても大丈夫だよ!!」


 アリアは苦悶の表情をした末、遂にそう開き直って親指を立てて…。


「どのへんが大丈夫なのか詳しく教えてくれ。」

「まだキミには難しい、追々話すさ。」

「確かに今のアル殿にとって、それはまだ理解の及ばぬことかもしれませんね。それより、アリア殿…。」


 そのとき、おっとりしていたクザの口調が最後のところで不意に重く険しいそれへと変わる。合わせて聞こえてきたのは、土を踏みつける無数の足音。


「うん?」


 アリアが振り返る、俺もその方向に目をやった。するとクザの視線の先、森の入り口のところに何人もの人影が見えた。それは全員が俺の見知っている村人。手には斧や猟銃が握られている。


 こちらを鋭く睨みつけるように佇む男たち、その最前列にいるのは俺のよく知っている人物だった。


「村長…?」

「アルや、助けに来たよ。こっちへおいで。」


 静かな笑顔でそう言う村長。しかし大勢いる村人の中に口を開く者はなく、不自然な静寂が辺りを支配している。


 俺を助けに来た…? それはアリアとクザからということだろうか。

 しかし村長だけならともかく、どうして俺を除け者扱いしてきた他の村人までいるのだろう…。


 いや、そんなことよりこのままでは2人が危ない。

 アリアとクザは武器を持ち出すほど危険な人たちではないのだ。


 俺がそう伝えようとしたとき、俺の肩を持ったアリアが耳元で小さく囁く。


「行っちゃダメだ。」


 一発の銃声が大気を震わせたのは、そのときだった。振り返ると村人の構えている銃口から白い煙が上がっている。そして恐らくアリアに向かって打ち出された銃弾を、クザの影が受け止めていた。


「ちっ…、化物め。」


 そう言い村の男は再び猟銃の撃鉄をあげた。溜まらず俺は声を張り上げる。


「待ってくれよ!!この2人は悪い奴らじゃなくて…」

「どういうことですかな。」


 すると俺の言葉を遮り、糾弾するような口調でクザが言う。


「然るべきものは既にお渡ししたはずですが。」

「気が変わったんじゃよ。どんな奴が来るかと思えば貴様らのような小娘に老耄。いかに不可思議な力を使おうとも、村人全員で囲んでしまえばどうもできんじゃろう。」

「望みがあるなら言いなさい、無益です。」


 話が読めない。クザが村長に何かを渡した…?


「要らんよ、悪いが貴様ら2人にはここで死んでもらう。まさかそれがあれほどの金になろうとは知らなかったわ。」


「…かね?」

「だまれ!!!」


 更にそのとき声を張り上げたのはアリアだった。何故かその表情を激情に澱ませている。


「なんじゃ、もしやまだ話しとらんかったのか。」


 顎髭を弄ぶ村長は俺が今まで見たこと無いほど、愉快そうな顔をしていた。


「よく聞けのじゃアル、そやつらはお前を、」


 アリアが俺の耳に手をかけるも、間に合わない。


「金で買い取ってくれたんじゃよ。それも結構な金額での。」

「え…?」


 時が止まる。心臓の鼓動が早くなり、首の辺りが熱を持った。


「どういうことだよ…。」

「そのままの意味じゃよ。そやつらがワシからお前を買いたいと言ってきたんじゃ。」


 そんなことが聞きたいんじゃなかった。買い取って、くれた…?

 いまそう聞こえたのは、俺の聞き違いだろうか。そうに違いない、そうに決まってる。


 だってこの人は、村で唯一俺にーーー


「これでお前ともおさらばと思っとったんじゃが、考えが変わったよ。これほど金になるのならおまえを取り返し、別の買い手を探してみるのも悪くないとな。」


 目の前が暗くなる。あらゆる気力が失せてゆくのを、感じた。


「忌み子と知らずに育ててしまったお前が、まさかこんな形で功を奏すとは…」


 なにもかも嘘だったというのか…。

 思い出せる村長の笑った顔も、俺にかけてくれた言葉も、全部…。


「もういいクザ!!離れるぞ!!!」


 そんなアリアの声の直後、俺は身体が抱き上げられるのを感じて。そのあと聞こえた何発分もの銃声だけが、脳を打った。


『待つんじゃ! 誰がお前を育ててやったと思ってる!?恩を返せ!!』


**


 眼下の地面が、下から上へと流れていく。それ以外で視界に映るものーー


 誰かの背中。

 ぶらりと垂れている自分の腕と、ずっと地面を蹴り続けている同じ人の足。

 それが地面を蹴りあげる度に胸の辺りを突き上げられる。あとは…。


 長くて綺麗な、白い髪。


「済まない…、キミに辛い思いをさせてしまった…。隠すつもりはなかったんだ、頃合いをみてきちんと話すつもりだった…。」


 聞いたことのある声がした。女の人の声が。さっきからずっと背中に、その人の手が触れていた。


「うぁ…」


 でも、悲しくて。

 ただひたすらに、悲しくて。


 一度嗚咽と共に溢れてしまったそれは、止められなかった。


「大丈夫、キミは何も悪くない!何も心配しなくていい!私が責任を持ってキミの居場所になる! だから、お願いだアル、もしもまだキミがさっきと同じ気持ちでいてくれるのなら…」


 アリアが最後に言ったその言葉だけが、消えゆこうとしていた俺の意識をかすかに揺らす。


「私の夢を、手伝ってほしい…!」

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