第2話 映像記録Ⅰ

 夕方。マリオンは洗面台の鏡の前に立って居た。


「今日だ」


 小さく呟いたのはキッチン。何故リビングではなかったのか、それは夕飯を作る妻に聞かれない為。少しだけ伸びた顎髭をシェーバーで綺麗に剃り落とし、顔を洗う。入念に。


 キッチンから自分を呼ぶ妻の声、どうやら夕飯の支度が出来たらしい。直ぐに行く、とだけ答えると、彼はそさくさと戸棚から拳銃を取り出し、妻の待つリビングをこっそりと通り過ぎて子供部屋に向かう。


 戸を開ける。その部屋の臭いと言ったらとても常人が耐えられる物では無いだろう。断言するが、何にも増して単純かつ純粋にアレは悪臭なのだ。それ以外にどう言語化したらいいのか、今の所、僕には皆目検討がつかない。


 呻き声が子供部屋から微かに聞こえる。マリヨンは深呼吸を何度も繰り返し、そして部屋に入る。くちゃくちゃと何かを咀嚼する音が聞こえ、マリオンはさらに大きく深呼吸をし始めた。


 先日六歳に成ったばかりの娘がマリオンより先に夕飯を食べている。一心不乱と言う言葉がこれほど合う事も無いだろう。娘は母が作った夕飯に舌鼓をうっているのだ。


「すまない」


 銃口を突きつけると、娘は父を睨み付け、その銃口をがりがりと噛み始めた。


「メアリー、止めなさい」


 声に反応は示さず、ひたすら銃口を噛み砕こうとしている自分の娘の姿に耐える事が出来なくなって視線を逸らす。


「メアリー、止めなさい」


「おにく、おにく。オニク、お、に、ク!たべる、コロス!ころす?」


 メアリーが目指すは拳銃の先にある父の手、更には腕。そして酷く肥えた腹。今にも喉奥にまで咥え込んでしまいそうな勢いに、マリオンは恐怖を感じ気が付いた時には娘の脳天を撃ち抜き、部屋中に腐敗臭と血の臭いが充満していた。


「メアリー、おやすみ。おやすみ、メアリー愛してるよ。愛していたよ」


 銃声を聞いて妻が駆け付けた。最期まで娘だと思って世話をし続けた妻と、終止符を自らの手で打った夫。二人は亡骸の前で強く抱擁を交わし、それから、咽び泣いた。


「メアリーが、メアリーが!」


「あぁ、分かってるよ!私が殺した!自分の娘を、私が!」


「まだ助かったかもしれないのよ……いいえ、助かったわ、きっと助かったのに。それなのにあなたったら」


 今まで以上に激しく妻は泣いた。付き合い始めた時の様に優しく彼女の頭を撫で、それからマリオンは、妻の顳顬に銃口を当てた。


「今日は貴方の好きなルガイユよ」


「いつも美味しい料理をありがとう。愛しているよ」


「私もよ、愛しているわ」


  二人はお互いの顳顬を綺麗に合わせ、それから数秒後、亡くなった。




 アビゲイルがブチリと映像の電源を切った。少しばかりの沈黙を経て、誰からとも無く席を立つ。


「やってらんねーな、畜生」


「アビゲイル……」


「一体何をしたらこんな事になっちまうんだ?全く……俺達人間は余程神様に嫌わてるらしい」


 そう言いたくなるのも分からなくはない。仕事上、僕達はこうした映像を観続けなければならない。人が自ら死ぬ瞬間、人が人を殺す瞬間、人が人で無くなる瞬間を。今回の犠牲者は偶にあるケースで、親や子供をまだ何とか助かると思い続けて生活していたが、最終的には途方に暮れて無理心中を図るタイプだった。これが実に後味が悪い。まるでアビゲイルが淹れてくれる特製コーヒーの様だ。


「もし、娘さんがあんな風になったら、チャールズはどう思う?」


 疑問符を投げ掛けたのはサザンカ。ここに居るのが最も不自然に思える。彼女は首を傾げながら悲しげな顔をしている。先程の映像の夫婦に色々な感情を抱いての事だろう。


「分からない。それに、僕達はあぁはなれないから」


「分かってるよ、チャールズ。でも、分かってるけどさ、もし、そうなったらって事を聞きたいの。仮の話」


「それでも分からない物は分からないよサザンカ。ごめん」


「うん」


「だー、もう辛気臭い、辛気臭い。映像記録ログをチェックしてあの夫婦が最後に感染したか、調査が進むまでは戦浄ロンダリングがない限りぐーたら出来るんだぜ?」


 アビゲイルはそう言いながら面倒臭そうにテーブルにある書類を纏める。


「戦浄も頻度が増えて来たから、そこまでぐーたら出来ないとは思うけど」


「分かってるよ、感染者を叩き潰すのが俺達ロンダリンガーの仕事だ。仕事はするぜ、仕事はな」


 沈黙が生まれた。


 9.11以降、テロ対策が各国で進み、紛争や戦争は高レベルの情報統制により管理されて来た。しかし、それから数十年後、人類は未曾有の虐殺期間に入った。暗黒の到来。そんな暗黒が訪れたその日は丁度クリスマスだったと言う。夜だと言うのに世界中のあちこちが街灯の灯りと、活気に満ち溢れていた。


 そこに何処からともなくやって来た何十体かの感染者。サンタクロースが一日で世界中にプレゼントを届けるよりも早く、虐殺は感染していった。後少しで人種を超え、言語を超え、ほぼ全ての人類が絶滅してしまう所だった。


 虐殺の原因は何処にあるのか、それを解明する為、世界中の精鋭が掻き集められ調査が行われた。結果として分かったのは感染してしまったら虐殺からは逃れられないという事。どんなに奥ゆかしい貴婦人でもそれまで世を恐怖のどん底に陥れていた狂気殺人鬼シリアルキラーよりも凶暴で残忍な化物へと変貌させる。


 そうした異常事態に対応すべく、僕らが生まれた。戦浄者ロンダリンガーは物心が付く前から施設に集められ、ありとあらゆる授業を受け、実戦をこなし続けて漸く数人だけがなる事のできる名誉ある職なのだ。感染し、暴走しているとは言っても、実際に生きた人間を道徳心にとらわれる事無く殺し続ける為の忍耐力と、いつ死んでもおかしくない状況下でも、その局面局面でミス無く判断を下し、行動に移す精神力が必要となる。


「戦浄者とは堪え忍ぶ者達だ」


 これは、日本好きなアビゲイルの言葉だ。日本にはその昔忍者と呼ばれる汚れ仕事ウェットワーク専門家プロフェッショナル達が沢山いたらしい。以前は我が国でも、各国でもターゲットの暗殺は報道された段階で直ぐ世界中に叩かれ、マスコミに有る事無い事取り上げられてしまっていた。故に暗殺自体がバレないように極秘裏に行われ、マスコミが嗅ぎつけてきても知らん顔を貫く事でひた隠しにして来た。


 しかし9.11以降、アメリカ合衆国を筆頭にあらゆる国で特殊部隊が発展していったのはまごう事なき事実であり、その結果として僕達ロンダリンガーは、公の場で虐殺を食い止める為の虐殺行為を繰り返す事が公的に認められた存在になれたのだ。


「サザンカ、僕とアビゲイルはモールに出掛けるけど君はどうする?」


「二人で?あぁーまたゲーム?」


 僕達を交互に蔑む様な目で見るサザンカ。呆れているのだろう。僕達は仕事でたくさんの感染者を殺す。それも古典的な方法で。それだと言うのに僕とアビゲイルは仮想現実ヴァーチャルリアリティの中でも人を殺す。僕らからしてみれば、ゲームは遊びだから実戦と違いストレス発散になるだが、サザンカにとっては戦浄している時となんら変わらないのだろう。


「なんでも本気でやるのが本当の男なんだよ、分かってないなぁサザンカ嬢は」


「分かりませんよーだ。なんでもかんでも本気でやれば良いって物でも無いでしょうに……」


「あぁ、そこの所は分かってるよ?分かってるとも!なぁ?チャールズ」


「え、あぁ、うん」


 先程の空気とは打って変わり、明るくみんなが振る舞えているのは、僕達の精神がしっかりと軍の管轄下に置かれていて、精神安定の為のナノマシンが心的ダメージを僕らに感じさせない様にシャットアウトしたからだ。


 アビゲイル達はそれに慣れてしまったから、もう気にはならないだろうけれど、僕はどうにも微妙な気持ち悪さがあって仕方がない。


「さぁて、パーっと買おうぜ!ヘッドセットにパッド!それから冷却ファンも新調してやらぁ!」


 アビゲイルは重苦しい空気が篭っていた部屋を飛び出して行く。


「や、安いのにしなよ?って、聞いてない……」


 サザンカが肩を落とし、こちらをちらりと見る。


 僕はジェスチャーで伝える。やれやれ、と。


 どうやら僕も周辺機器を総買い替えする事になりそうだ。



















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