第15話 再生(後)
治療師は私の傷を診た後、暫く首を捻っていた。
「結構ずばっといっているんだけどなぁ。こんな事言っちゃいけないんだろうが、なんで助かったのか謎だ。まあでも取り敢えず大丈夫だろ。ただ貧血が酷いから、薬湯は欠かさずに。食べ物や行動にも気を付けて。傷痕は残ると思うけど、しょうがない」
「ありがとうございます。でも、やっぱりこの傷痕、残っちゃいますよね。別に見える場所じゃないからいいんですけど、ちょっと気になります」
「ここまで深い傷だとさすがにね。でもこれ、ロンを庇って出来た傷だろ? なら傷の見た目に関してロンに何かを言う資格はない。だから気にするなって。どうせこんな所、ロン以外見ないだろ」
最後の一言は何を意味しているのかと突っ込む間もなく、治療師は納戸を出た。
詰所で治療師が話している。私の状態を報告しているのだろう。暫くすると、団員達が野太い歓声を上げていた。
**
気が付くと、既に日が落ちていた。納戸の中は蒼い薄闇に包まれている。仕事が一段落したのか、詰所からは穏やかな話し声が聞こえて来る。
ゆっくり、ゆっくり起き上がる。傷痕がびりびりと痛む。視界がぐらぐらと揺れる。
「ユニ、何をしている」
詰所に顔を出すと、皆と話し込んでいたロンが駆け寄って来て私の体を支えた。肩に手を回す彼から、微かに傷薬のものらしい草の匂いがした。
「治療師は、もう、大丈夫だ、って。だから、皆さんに、ご挨拶と、ご迷惑おかけして、ごめんなさいって」
「誰が『ご迷惑』って言った?」
片腕を三角巾で吊ったリクが立ち上がり、私に深々と頭を下げた。
「俺は一生、ユニに頭が上がんねえ」
頭が上がらないなんてそんな、私は別に大したことはしていない。そういう風に言われたら困る。
私が声を掛けようとすると、リクはそれを遮った。
「アイに聞いたよ。陣痛で動けなかったあいつを、鬼を斬ってまで助けてくれて、子供が産まれるのを助けてくれて、そして」
シンは動かなくなった腕を掴んで俯いた。
「ありがとうな」
掠れた声でそう言い、再び頭を下げる。
「さあーて、ユニも大丈夫そうだし、今日はこの辺で終わりにしようや。明日も全員早いんだろ」
カンが重い空気を払う様に不自然に大きな声でそう言って、欠伸交じりの伸びをした。
「なあ、どうせ家に帰っても、市場潰れてちゃろくにメシ作ってもらえねえだろ。女将の所行かねえか。あそこなら食材溜め込んでいそうだし、女将に礼もしなきゃだしな」
その言葉と態度にシュウが乗る。
「お、いいな。ロンも行くだろ。ユニの分のメシはあとで」
「誘ってんじゃねえよ、察しろ馬鹿」
シュウが言い終わらないうちに、カンはシュウの後頭部を叩いて囁いた。
「俺は顔だけ出して、アイにメシを持って帰ろうかな。ロンとユニの分も包んでもらうよ。帰りがけにここに寄るからな。一刻後くらいかなあ」
「おいロン、一刻後にリクがここに寄るからな」
カンは帰り支度をしながらそう言って、ロンの肩を叩き、耳に口を寄せた。
「だから気ぃ抜いて、ユニと今朝の続きしてんじゃねえぞ」
「けけ今朝って、つ続きって、なな何の話だ! さっさと帰れ!」
ロン、いい歳してなんでこう過剰反応してしまうのだろう。これじゃ私が恥ずかしがる隙がない。
団員達は私にいたわりの言葉を掛けてくれた後、疲労や悲しみを
**
「自分は詰所にいるから行ってこい、とは言わないのか」
団員達の声が遠ざかった後、ロンはそう言って私の顔を覗き込んだ。
「そんなこと言ったら、ロン、
「まあな」
「否定しないんだ」
「俺も『女将に挨拶がてら行ってくるから寝ていろ』とは言わなかった」
「そんな事言ったら私、拗ねちゃうからね」
言いながら、思わず笑ってしまった。それを受けてロンも微笑む。
肩に回された手に力が入る。
顔が近づく。
目を閉じる。
彼のあたたかな唇が、私の唇に重ねられる。
くちづけの音が、耳の奥に甘く響く。
体の中に残された僅かな血が熱を帯びる。
蒼い光が少しずつ深くなる。暖炉の薪が軽快な音を立てて歌う。傾いた扉の向こうから、微かに人々の話し声や犬の鳴き声が聞こえる。
一昨日の夕方から昨日の朝にかけての出来事が嘘の様に、静かで清潔な空気が室内に漂う。
私達は、窓の側にある背の破れた長椅子に並んで座った。ロンは私の肩を引き寄せ、私は彼の肩に頬を寄せる。
「熱、まだあるな」
「怪我が怪我だったからね。治療師も、明日の朝くらいまでは熱が引かないかもって言っていたし……って、あ、すみません、私、いつからこんな口のききかたを」
「構わん」
ロンは私の肩を軽く叩いた。
「
そう言って、目を逸らす。私が彼の目を見ようとすると、そっぽを向いたまま動かない。仕方がないので暖炉の方へ視線を移し、彼の肩に頬ずりをする。
「皆が話しているの聞いていたんだけど、ユウの集落って、そんなに酷い状態なの?」
本当は、集落の事以外に、犠牲者の事が気になっているのだが、聞かなかった。
さっき詰所で話していた事以外は、現時点でロンがどれだけ知っているか分からない。それに、犠牲者の殆どは非常勤の自警団員や奉仕団員だ。
ロンの様子から何かを推し量る事は出来ない。だが、今、聞くのを躊躇われた。
「住民の犠牲者こそ出なかったが、畑も家も荒らされている。それに鬼の死体が至る所に転がっている。今は寒期だからまだましだが、早急にあれを処分しないと、衛生上深刻な問題を引き起こしかねない」
ロンはそこで言葉を切り、私の顔を覗き込んだ。私は「その位の話なら大丈夫」の意味で頷いた。
「ユニも会った事のある、あの集落の奉仕団員、彼は深手を負って動けないから、彼の畑の修復をユウの父御が手伝っているらしい」
「へえ。じゃあ、これを機にあの二人が仲良くなるかも知れないね」
「いや、そうは上手くいかないんだ」
ロンは深く溜息をついた。
「ユウの父御は、根は真面目で仕事熱心なんだが、自分の活躍を鼻にかけたり、話を実際以上に盛る癖がある。あれでは人と上手に交流したり、仕事を見つけたりするのは難しい」
そういえば私もちょっとそんな感じの人かな、とは思った。なかなか上手くはいかないものだ。
「あの集落もそうだけど、この辺だって色々大変なんでしょ。私、傷がよくなり次第、お手伝いするね」
「ゆっくり休め、と言いたいんだが、手伝って貰えたら有難い。そうだ、今回のユニの活躍は、詰所に避難していた人達から聞いている。大変だっただろう」
「ううん。自警団員の人達に比べたら」
「なんだよ、折角こっそり覗いたのに、なに仕事の話してんだよ、つまんねえ奴らだな」
物凄く自然に会話に入って来たリクは、食事の包みを二つ、
「女将の宿に避難していた人達、全員無事だったんだってよ。んで、あの宿にいる新入りの奉仕団員、非常勤の自警団員になってくれるかもって。今回も活躍していたみてえだし、今後、女将とも相談して、俺の後を継いでくれるといいんだが」
リクはそう言って少し俯いた。
「じゃあ、俺帰るわ。何しろ俺の家には生まれたばかりの世界一の別嬪がいるからな。あ、あとアイもな」
「アイは『世界一の別嬪』ではないのか」
ロン、そこ突っ込んじゃだめ、と言おうとしたが、リクは特に気にかけている様子もなく、片手を上げて詰所を出ていった。
**
食事が終わり、暫く話をした後に窓の外を見たら、すっかり暗闇に覆われていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃった。もう物置に戻るね」
痛みや目眩を
「物置は寒いだろう。納戸を使え。俺が向こうに行く」
「だめだよ。私、もう大丈夫だし。それに、その辺は、きちんとけじめをつけなきゃ」
そこは、
ロンは命の限りを得た。だからこれからも、ずっとこの村にいる。
私とロンの関係を、冗談に乗せてからかう人がいるが、真に受けてはいけない。
彼がずっとこの村にいて、私がずっと彼の傍にいられるとしても、それは『ずっと傍で仕えられる』という事なのだから。
贅沢を知った魂が、きゅう、と啼いた。
「あ、そういえばさ」
魂の啼く声に耐えられず、私は扉に手を掛けながら無理矢理話題を作った。
「あの、魚の目をしたおじいさんと一緒にいた、人魚の赤ちゃん、いたでしょ」
「ああ」
「あの子と別れる時、ちょっと不思議な気分になったんだよね」
「不思議な気分?」
「そう。私、あの子と会ったの、あれが最初だったでしょ。なのにね」
私が「不思議な気分」と言った時、ロンは何かを考える様に顎に手を当てた。私はあの時の気分を思い返し、言葉を続けた。
「あの子がおじいさんに連れていかれる時、『もどってきて』って思ったの。うーんと、なんていうのかなあ、もどってきて、っていうか」
ロンは顎から手を離し、私を見た。
何かを思いついたのか、目を見開き、真っ直ぐに私を見る。
「あの子、そのうち、私の所へ戻ってくるような気がしたの。そうそう、そしてね」
あの角度からだと、ロンは見えていなかったかもしれない。
「あの子、ロンと同じ、菫色の瞳だったんだよ」
それだけの話。じゃあね、と言おうとして、言葉が止まる。
彼の真っ直ぐな視線を受けて。
ロンは熱に浮かされた様な声で呟いた。
「俺も」
右手を上げ、降ろす。私と、私の向こうの何かを見ている。
「あの子が連れられるとき、『戻ってこい』と思った。そうだ、戻ってこい、というより」
大きく開かれた、切れ長の目。菫色の瞳。
「あの子は、また、俺の所へ戻ってくるような気がした」
ロンの、所へ? 私の所じゃなくて?
いや。もしかして。
いや、違う。
違う違うって。
私達二人の所へ、戻ってくるの?
――サア、行こう。坊は八百日を経た後に、人間として生まれ変わるからネ。
優しい子は人間の世では生き難い。
だから少しでも生きやすいよう、良き
はっぴゃくにちをへて わたしたちのもとへくる すみれいろのひとみのこども
そんな、そんなわけない。なんて夢を見てしまったんだ。何考えちゃったんだろう。でも私、なんでこんなに否定するの? だってあり得ない。なんであり得ないって思うの? だって私達は主人と買われた人間だし。そんなの幾らでも変えられない? なのになんで否定するの? だって勘違いかも知れないし、その方が確率高いし、だから私は、今の想いを全て封じ込めて、笑顔を作って……。
「へえ、偶然だね。なんでそう思ったんだろ。瞳の色がロンと同じで、親近感湧いちゃったのかな。あ、ごめんね話が長くなっちゃって。おやすみなさい」
私はロンの方を向き、軽く頭を下げた。そして後ろを向き、歩き出した。
その私の右手を、彼が掴んだ。
私を強く引き寄せる、白くて大きな、あたたかい手。
私を見つめる、切れ長の大きな目。
淡紅色の唇から言葉が零れる時、白い息が闇の中に溶けた。
「命に限りがなかった時、俺は今回の騒動が一段落し、この村を出る前に、ユニと二人だけの時間を何日か過ごしたいと思っていた。だが、俺はこの村から出ない」
頷く。彼は言葉を続けた。
「限りある命でどれだけ役に立てるか分からないが、自警団長を続けるつもりだ。だから村の再建に最後まで関与するし、自警団長として亡くなった方の喪に服す。今の時期なら喪が明けるのは暖期の始まり位だ。その後、俺は詰所住まいをやめて、家を構える。ユニ、ついて来てくれるか」
勿論だ。私はロンのものだから、家が変わってもついて行く。私がこくこくと頷くと、彼は短い溜息をついて俯き、少し間をあけた。
「そうじゃない。喪が明けたら、俺はユニとの売買関係を解消しようと思う」
突然の言葉に、魂が衝撃を受けた。だが私を見るロンの目は真剣で、澄んでいて、熱を帯びていた。
私を握る手に、力が入る。
「言い方を変える。喪が明けたら、俺の家に来て欲しい」
彼の力強い手の感触に、甘い痺れが走る。
私を真っ直ぐに見つめている。
ロンの唇が動き、白い息が舞い上がる。
「買われた人間として俺の後ろを歩くのではなく、俺の伴侶として隣に並んで欲しい。そしてこの髪が白くなり、死が二人を分かつまで、同じ道を歩いて欲しいんだ」
外の風を受けて、暖炉の火が揺れた。
私の腕を掴む手が、僅かに震えている。
暖炉と月明りに照らされた彼の白い顔は桜色に染まっていたが、菫色の瞳は私を捕えて離さない。
体中の血が熱くなる。傷痕がずきずきと疼く。だがそれすらも、今の私には堪らなく甘く熱い。
私は彼を見つめ返した。彼の瞳を、彼の魂を、全て受け止める様に真っ直ぐに見つめる。
私の答え。決まっている。
口を開く。微笑みを湛え、魂の全てを差し出して。
「私を、ロンの隣に並ばせて下さい。死が二人を分かつまで、あなたの……生涯の伴侶として」
**
空には、白い月が輝いている。
柔らかな光が、私達を照らしている。
八百年の時を経て出会った私達がこれから歩む道も、きっとこの月が見守ってくれる。
あれだけあり得ない事と自分の気持ちに蓋をしていたのに、彼の言葉に応える時は不思議と躊躇がなかった。
だって、私はロンが好きだから。
どんなに自分の心を偽っても、押し隠しても、魂で想うことは変わらない。
好き。大好き。全てを飲み込み、飲み込まれたい位に。
私の心も、私の全ても、死んでもいいと思う程に。
私は、あなたのものだから。
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