第8話 私の心は、常に
物見櫓の鐘が止んだ。櫓の見張りの奉仕団員が、別の持ち場に向かったのだろう。
「三本の狼煙」が上がった、となると、自警団員の多くはユウの集落へ向かう。勿論、ロンもだ。
詰所の中では、皆、事前に決めた持ち場に向かう準備をしていた。鉢金と固い皮で出来た鎧を身に着け、剣の他に貴重な火薬を使った擲弾や、自分の得意とする武器を携える。
いつもの「鬼退治」とは明らかに異なる光景と空気。私も鎧の紐を締めたり物置から荷物を取って来たりと走り回った。
詰所の隅を見ると、アミとお母さんが立ち尽くしている。彼女達を地下室に促した後、詰所の扉の方に目を向けると、村民の怯えた様な叫び声が聞こえた。
一番初めに詰所を出ようとしたのは、「鬼の巣の入口」担当のカンだ。
「あっ、待って」
カンが置いてあった荷物を持たずに飛び出して行きそうだったので、私は彼の荷物の入った袋をずるずると引き摺って渡した。
「おぅ、忘れていた」
その様子を見て、シュウが自分の支度をしながら、溜息交じりに声を掛けた。
「普通忘れるか? これ。お前、少し落ち着けよ」
「平気平気、只の
「それはそれで平気じゃねえよ。あのな、ビビる気持ちは分かるけど、でも」
「ビビッてなんか……うーん、まあ、ビビッてねえって言やあ嘘にならぁな。そりゃ鬼退治に行くんだ、怖えよ。
太い腕で荷物を軽々と抱えたカンは、ふと私の方を見て笑った。
「ユニ、そんな変な顔すんなよ。俺はな、この世で一番嬶が怖え」
彼は少し周りを見回した後、私に顔を寄せて囁いた。
「鬼退治はな、そりゃ怖えよ。ぶち殺されるかも知れねえんだから。でもよ、死んだら俺としてはそれっきり。それ以上は何もねえ。だけど嬶が鬼の手に掛かったらよ」
私の目を、真っ直ぐに見つめる。
「俺は嬶を苦しませた挙句に守れなかったって想いを抱えながら、ずっと生きていかなきゃなんねえ。嬶のいねえ世の中をよ、ずっとさ。俺にはそれが、自分が死ぬより怖え」
そこで彼は照れた様に鼻を掻いて顔を離した。
「不細工で金遣いの荒いババアのくせによ、俺にそんな思いをさせる嬶が一番怖え。あ、ユニお
無言で何度も頷く私を見て、カンは私の頭をぽんぽんと叩いた。
目尻に刻まれた皺を優しく寄せて、微笑む。
「それはな、きっとロンも同じさ。だからな」
死ぬなよ、と言って、カンは詰所を後にした。
**
カンが出て行ったのとほぼ同時に、遠くから何かが爆発した様な音が聞こえた。
その爆発音と共に、張りつめ、辛うじて冷静を保っていた何かがぷつりと切れる。
鬼が、古井戸を使って襲って来ようとしている。
今のは恐らく、古井戸の仕掛けに鬼が掛かった音だ。今頃古井戸の中は、火や油、土砂の渦だろう。だがそれも、所詮一時凌ぎでしかない。
鐘の音を聞いた時よりも強く、『鬼が来た』という実感が、体の中でどす黒く渦巻く。
目の前に、失った村の最期の光景が甦る。
息が苦しい。吸っても、吸っても、空気が入って来ない。頭の裏で血液がどくどくと暴れ、視界が狭くなる。落ち着け、息を止めて、吐き出すんだ。胸を押さえ、着物を掴む。額に汗が滲む。ロンが指示を飛ばす声や、団員達の鳴らす武器の音がどこか遠くから聞こえて来る。苦しい。頭が痛い。死体、悲鳴、叫び声、血の臭い、肉の焼ける臭い、鬼の姿、
私は死ぬかもしれない……。
「ユニ」
息が出来ずに
鎧のひんやりとした感触が頬に触れる。私を包み込みながらも、ロンは鋭い声で指示を飛ばしている。
「ゆっくり、息を吐いて。大丈夫。この村は俺達が守る。落ち着いて」
指示の合間に、「龍一郎さん」の声で柔らかく語り掛ける。頭をそっと撫で、私に微笑みかける。鎧の奥のぬくもりと、彼の「大丈夫」という声が、私の心を少しずつほぐしていく。
ふう、と長く息を吐くと、「呼吸している」という実感が甦る。
「ロン、そろそろ」
弓を携えたリクとシュウが、傍らで困惑した様に立っていた。私はロンの腕の中から離れ、呼吸が出来た僅かな隙に笑顔を作ってロンに向ける。
「ごめんなさ、も、もうへいき」
声を出すと、少し楽になる。息を止め、もう一度笑顔を作る。目の前が暗くなって目眩がしたが、両手を床について踏ん張り、誤魔化す。ロンは一瞬眉を顰めて唇を噛んだ後、勢いよく立ち上がって声を上げた。
「ユウ!」
ロンの声に応じて、刀を手にしたユウが声を張り上げた。
「任せろ! 二度とお前を裏切らない働きをしてみせる!」
ユウの言葉にロンは大きく頷くと、扉を開け放って他の団員達と外へ出た。
扉の向こうにいた、避難に来た人達は、ロンの姿を認めるや、掴みかかる様に叫んだ。
「ロン、どこへ行くのさ! ここにいてくれないのかい!?」
「待てよオイ、
「落ち着け。話を聞いてくれ」
ロンの静かな声に、人々の叫び声が止んだ。
「村はずれの集落に、鬼共が集中して出没した。だからその集落周辺で、出来る限り奴らを斃す。鬼の攻撃が村全体に及ばないようにする為にも、俺達は今すぐ出かけなければならない。怖がる気持ちは分かるが、村の為にも、今、この道をあけてくれ」
ロンに掴みかかっていた人が、黙ってその手を離した。ロン達は小走りで厩に向かう。
その姿を見送っていた人達の誰かが呟いた。
「頼むよ」
**
「ユニ、儂らはどうすりゃいいんじゃ!? 家に籠っとったら襲われるんじゃろ! どこへ逃げればいい、そんな所に座り込んどらんで教えてくれ、お前、自警団じゃろ!」
近所のおじいさんの言葉が、空気を求めて
そうだ、私は。
私は胸を押さえて立ち上がり、息をふっと大きく吐くと納戸に走った。
詰所を守ると、ロンに約束したんだ。
私は、ロンと一緒に、戦うんだ。
「あっ、ユニ、どこへ行く!」
納戸の隅にあった縄を持って扉の所へ戻る。私は怪訝そうな顔をしているおじいさんに向かって声を掛けた。
「ちょっと、待って」
帯の上から、縄を強く縛る。そしていつも身に着けている帯締めを解く。
かつてあった私の村の特産品。私の分身。それを掴み、厩へ走った。
今まさに、馬に乗ったロン達が集落へ向かう所だった。私は帯締めを掴んだ手を上げて叫んだ。
「ロン!」
ロンは馬を止めて振り向いた。私は馬の傍まで走り、ロンに向かって帯締めを差し出す。
どうか、無事に帰って来て。
詰所は私が守ります。村の人達のことは、私に任せて下さい。だからここを気にせず集落へ向かって下さい。
でも。
私はずっと、あなたの無事を祈り、あなたのことを想っています。
私の心は常にあなたのおそばにいたいのです。
だからこの、私の分身も一緒に付き添わせて下さい。
死なないからって、自分の身を棄てる様な事はしないで下さい。私はあなたが苦しむ姿を見たくない。死ぬよりつらい苦しみをあなたが味わうのは、私にとって何よりつらいのです。
昔、誰かに教えて貰いました。かつて、兵士に向かって言った言葉。今、私の想いを全て言葉にすることは出来ません。でも、どうか、どうか。
「ご武運を」
帯締めを握った私の手に、ロンの手が触れた。帯締めを受け取り、鎧の間から懐にしまう。
ロンは、無言で頷いた。
彼と、私の瞳が交差する。
「
そして前を向き、馬を走らせた。
**
遠ざかっていくロン達の姿を暫く目で追っていたが、彼らが角を曲がった時、私は強く拳を握って詰所に走った。
強くなるんだ。
今ここで、「私は自警団員じゃない」なんて言い訳は通用しない。
詰所にユウが待機しているし、持ち場の鬼退治が終わった団員達は詰所に戻って来るが、避難してきた村民を抱えるのは私だ。
私が混乱したり、ロンを想って泣いたりしていてはいけない。
少し息を止め、叫ぶ。
「皆さん、落ち着いて! 足留めの策をとっていますから、鬼はすぐにここを襲ったりしません。詰所を避難場所として開放します。あ、そんな大荷物は持って来ないで。人が入れなくなります。最低限の身の回りのものだけ持って、中に入って下さい。こっちです!」
夕焼け色に染め上げられた人々が、地下室に入っていく。
ここに入れる人数は限られている。これから迎える夜の間、自分の家で怯えて隠れる人達の事に想いを馳せる。だが、ここだって絶対安全な訳ではないのだ。
夜が、少しずつ舞い降りて来る。
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