第7話 狼煙

 暖炉の火の消えた暗い詰所の中で、アミと私は長椅子を並べて眠った。

 今日は一日、大忙しだった。ロンとユウは物置に書類を持ち込んで、まだ仕事をしているようだ。


「アミのお父さん」


 心配を増幅させるだけだろうから、言わない方がいいのかも知れない。だがやはり気になってしまい、アミに声を掛けた。


「今頃、おうちでひとりなんですね」

「うち?」

「はい。自宅でひとりで待機って、寂しいでしょうし、その」

「違うわよ。集落のはずれの丘にある家を自警団が借り上げたから、そこで待機しているのよ。だってあの家の前で狼煙上げても見えないし、逃げにくいじゃない。何? あんた自警団の中にいて、そういう細かい事聞いていないわけ?」

「私、話し合いの時は結構席を外すよう言われるんです。私、村が、その、襲撃されているから、私が鬼の話や襲撃の話を聞いて傷つかない様にって」

「ふん」


 アミは一つ鼻を鳴らした後、暗闇の中、いきなり私の頬を引っ張った。


「いたた。何ですかいきなり」

「何この肉。太ったんじゃないの?」

「うーん、そうかも知れません。自警団の方達と一緒に食事をしていると、食べる量が増えちゃうんです」

「へえ。あんた、いいわね。何もかも上手くいって。いっぱい食べて、いい着物着て、自警団員達から大事にされて」


 アミがこちらを見ている気配がする。


「ロンに愛されて」

「えっ」


 私のひっくり返った声を、アミは鼻で笑った。


「見れば分かるって。何あのあんたを見る時のロンの目。いい歳したおじさんがさ、自分の半分の年齢の娘をさ」


 いや半分どころの騒ぎではないのだが。それより、はたから見てそんなに分かる程なのだろうか、ロンの態度は。

 それはともかく。


「あんた今、あたしが報われなくて可哀想ね、とか、ざまあみろ振られやがって、とか思わなかった?」

「えっ、ざ、ざまあみろはないですけど、な」

「いいのよ別に。あたしだってにロンを追いかけまわせないって」

「事情?」

「前にあんた達とユウがうちで話していたでしょ。あれ、聞いちゃったし」


 言われてみて思い返す。

 ロンと私が鬼の巣から逃げ出した後、ユウを問い詰める為に彼の家へ行った。その時アミが出てきたが、ロンに部屋から追い出されていた。暫くしてアミの騒ぐ声が聞こえなくなったから話を続けたのだが、あの時、話を全部、聞かれていたのだろうか。

 アミが誘拐されたのは、彼女を想うユウの心を鬼が利用した、ロン殺害の罠だった、という話を。


「アミ、あの、じゃあまさか、ユウの、えーと気持ちというか、それはもしかして、えーと」

「そんなのは前々から知っていたに決まっているじゃない。鬼でも気付くことに当の本人が気付かない訳ないでしょ。まあ、あんたみたいにぼーっとしている人だと、男から好意を寄せられても気が付かなくて、相手をひっそり傷つけそうだけどね」


 そんな事ないもん、失礼だな、と言い返そうと思って初めて気が付いた。

 そういえばロンは、いつから私の事を今の様に想ってくれていたのだろう。

 

 私まさか、彼から寄せられていた好意にずっと気が付かなくて、勝手に片思いぶって悩んでいた、とか、ない、よね……。


「ユウ、ばかだよね。だってさ、実の兄じゃん。どうにもならないじゃん。しかもあたしは『ロンが好きだ、だからあの人に近寄る女を片っ端から引き剥がして』なんて言う、嫌な奴よ。普通、嫌でしょ、そんな女。なのになんなのあいつ。いっつもあたしのいいなりで、全然諦めないんだもん。凄く困る」


 嫌な奴だという自覚があったのか。でもいくらなんでもその言い方はユウが可哀想だ、と思ったその時、彼女の話し方に妙な引っ掛かりを感じた。


「あの、じゃあ、ユウの気持ちを知っていたのに、ああいう事していたんですか? でも、前みたいに追いかける事が出来なくなったにしても、今のアミの感じ、なんというか、そこまでロンが好きなようには」

「好きよ、今でも」


 ごそり、と寝返りを打つ音がした。


「愛想なしで吝嗇けちなおじさんだけど、見た目いいし、自警団長だし、強いし。『好き』と『嫌い』という言葉なら、勿論『好き』よ」


 ――『好き』と『嫌い』という言葉なら、勿論『好き』だ。だが


 いつかのロンの言葉が甦る。

 そうだ、確か、加耶子さんの魂と別れた時の言葉だ。あれと、同じだ。


 アミ。

 いや、そんなわけない。


「『ロンが好き』っていうのは、この村の女にとって一番言いふらしやすいのよ。ロンは誰が見ても格好いいけど、誰も相手にしないから。だからユウに言ったの。あたしはロンが好きだって。弱っちい実の兄なんか、興味ないって思わせなきゃなんないから」


 その時、納戸からお母さんの咳込む声が聞こえた。暫く苦しそうにしていたが、やがて静かになった。私は納戸を気にしながら、アミに声を掛けた。


「確かにお兄さんに好きだと思われたら困るかも知れませんけど、別に嫌われる様な、というか、ユウが嫌がる様な事をわざわざしなくてもいいんじゃないですか? 『ごめんね、私はユウをそういう風には見られない』ってはっきり言って、あとは普通に接してあげれば」

「んな事分かっているわよ。そう出来ればそうするわよ。全くもう、あたし、さっきからなんでこんな呑み込みの悪い奴にべらべら自分語りしているんだろう。話しかけやすい、ぼーっとしたあんたの雰囲気が悪いのよ」


 私のどこがどの様に悪いんだろう。しかも溜息までかれてしまった。


 ごそり、とアミがまた動いた。毛布を被り、身体を丸めて小さくなっているようだ。

 暫くして、毛布の中から殆ど聞き取れない声で呟いた。


「早く嫌って欲しいのよ。『兄妹』でいる為に、なんであたしだけが本心を殺さなきゃなんないの……」


 **


 初雪の日から、何日か過ぎた。

 その間、鬼による強盗の被害は全く出ていない。子鬼と見られる奴の出没報告もない。その代り、村民同士の喧嘩や言い争い、川を渡っての不法出国等の問題が激増した。


 ほんの数日前まで、「貧しいだけで何も見るものがない」と誰も行こうとしなかった隣国へ、次々と人が逃げ出してゆく。だが規制が緩和されたとはいえ出国は手続きや金銭の問題上、そう簡単には出来ない。だから多くの庶民は、迫りくる鬼の襲撃に怯え、自警団にすがるしかない。いざこざが増えるのも仕方がないのだろう。


 今日は、詰所の地下室を片付けるよう言われた。避難場所としての体裁を整える為だ。

 最初に私が詰所に来た時、そのあまりの散らかりように言葉を失ったが、今回初めて足を踏み入れた地下室の中は、あの時の詰所の比ではない。最早冗談でやっているとしか思えない様な汚さだった。


 私とアミの二人がかりで地下室内の謎の物体達――自警団歴三十年のカンですら存在を知らなかった物体があった――を捨てまくった。アミは「あたし達の宿泊代代わりにしたってこき使い過ぎる」と文句を言っていたが、「吝嗇のロン」の指示なんだから仕方がない。

 仕上げの掃除の後に自分の腕や脚を見ると、この寒期だというのに、変な虫に何箇所も刺されていた。


 日常の仕事に加えて、こういった作業や刀の稽古があり、さらに鬼襲撃時の対応に関する指示もある。やる事、覚える事が沢山だ。

 目の回る様な忙しい日々。あの雪の日から、今日が何日経ったのか分からない。


 ロンは何かに取り憑かれた様に仕事に没入している。直接本人から聞いたわけではないが、何となく、自分を受け入れてくれたこの村に、最後の恩返しをしたいのかな、と思う。その気持ちは汲みたいし、協力したい。

 それでも夜、長椅子で寝ていると、堪らなく寂しくなる。


 いくらこんな時だからって、少し位目を合わせて、微笑んでくれたっていいのに。


 寂しさが心に収まりきらずに溢れ出すと、ふと、雪の日の出来事は幻だったんだろうか、などと思う事がある。

 あの言葉も、あの唇の感触も、全て幻だったのかと。


 **


 その日、私はシュウに言われて物置に入った。

 恐らく、物置の中に武器類が入っていることは、鬼共に知られている。だから中に入られてすぐに持ち去られそうな刀剣類を別の場所に移す、のだそうだ。

 鍵を開けようとしたら、扉が半開きになっていた。不用心だなあ、と思いながら中に入ると、物置の隅から、重いものを引き摺る音がした。

 ふう、と息を吐く音と共に、人影が立ち上がる。


 大きな木箱を載せた台車の前に、ロンが立っていた。


「何をしに来たんだ」

「シュウに言われて、刀剣類を運びに」


 そこまで言って、私は言葉を切った。

 沸き上がる感情を抑える。軽く頭を下げ、刀剣類の置いてあるロンの背後に回り込む。


 ロン、分かって。

 私が今、話したいのは、こんな話題じゃない。


 立ち去ろうとする彼に向かって、私は思わず手を差し伸べた。

 指先が、彼の背中の感触を捉える。


 忙しいのは分かっている。危険が迫っているのも分かっている。

 でも、少しだけでいい、あなたと目を合わせて、微笑みたい。

 その手に触れて、話したい。

 出来る事なら、ぎゅってして、ぬくもりを感じて。

 そして、あなたの。


「なんでもありません。失礼しました」


 魂が泣きながら叫ぶ声の数々を全て押し込む。

 振り向いた彼に向かって微笑み、背中に触れていた手を降ろす。

 その手を、彼の手が握った。


「この、騒動が」


 ロンが一歩、前に近寄る。反射的に身を引こうとしたが、すぐ後ろの壁に阻まれ身動きが取れない。

 体の自由を封じられたまま、彼の息が聞こえる程、肌の奥の熱を感じる程、間近に迫られる。


「この騒動が、終わったら」


 囁きが私の耳をくすぐる。彼は言葉を止め、暫く私を見つめた。

 唇が開く。

 だが続く言葉は封じ込められ、彼は黙って俯いた。


 私から体を離す。

 握られた手を離される。


 そして彼は後ろを向き、台車を押して物置を後にした。


 私の魂を、置き去りにして。

 

 **


 その翌日は、ここ数日の中で一番の暖かさだった。

 寒期とは思えない様な優しい日差しが降り注ぎ、風も穏やか。私はアミと一緒に毛布を干したり洗濯したり、日差しを存分に活用した。


 地下室の入口も開け放ち、新鮮な空気を入れた。ここに避難して来た小さな子供とかが、あの変な虫に刺されたりしたら大変だ。だからついでに駄目押しの掃除もした。

 地下室は詰所の建物いっぱいと同じ位の広さがあり、天井も高い。だが中に入ると、全て石で覆われているせいか圧迫感があり、「広々」という感じはしない。贅沢は言えないが、ここに長い時間大人数で隠れるというのは結構大変そうだ。


 やがて陽が傾き、外は鮮やかな金赤色の光で満たされた。

 燃える様な夕焼け。きっと明日は晴れだ。


 洗濯物は気持ちがいい位、というか、ちょっと干し過ぎたな、と思う位ばりばりに乾いていた。まあでもロンは、この位ばりばりに乾いた布巾類が好きらしいので、良しとしよう。


 洗濯物を抱えて詰所の入口に回ると、アミが移動商人の若い男となにやら楽しげに話していた。移動商人のでれでれした顔が妙に癇に障る。

 ちょっとアミ、せめて食事代分くらいはちゃんと働いて下さい、と誰かに似た思考回路で彼女に声を掛けようとした時、微かに鐘の音が聞こえた。


 一瞬、何かの聞き間違いか、と思い、耳をすます。

 やはり、聞こえる。


 三回連打、一拍止め、三回連打、一拍止め。

 物見やぐらの方向から、規則的な鐘の音が聞こえる。

 やがて、民家の所々から、鐘の音と叫び声が聞こえて来る。


 心の臓が、押し潰された様に痛む。

 指先が冷たくなる。洗濯物が私の腕の中で震える。


 詰所の扉を開けようとしたが、手が震えてうまく開けられない。脚に力が入らない。何度も扉に手を掛けていると、別の手が扉を大きく開けた。

 いつの間にか傍らに立っていたアミが扉を開け、私を見て頷いた。


 私も頷く。

 一度、息を止め、ゆっくり吐く。


 テーブルに洗濯物を放り投げる。詰所の中では、団員達が行動を開始していた。私は入口付近に置いておいた鐘を手に取り、外に飛び出した。


 物見櫓が、ユウのお父さんが上げた狼煙を認めた合図。

 三回連打、一拍止め、三回連打、一拍止め。


 三本の狼煙――「全面攻撃」の合図だ。


 村の所々から、鐘を鳴らす音と叫び声が聞こえる。物見櫓の鐘の音を聞いた奉仕団員達が、村民達に警告を発しているのだ。

 私も鐘を高く掲げ、力任せに鳴らす。

 息を大きく吸う。

 声を取り戻した時の、あの喉の感触を思い出す。私はお腹に力を込め、鐘を鳴らしながら思いきり叫んだ。



「鬼が出たぞ!」

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