第6話 恋というものは、もっと

 ある程度は予想していた事だが、村は朝から混乱を極めていた。

 詰所が開く前から、入り口には村民がごった返していた。早朝の雪は既に止んでいたが、僅かに残っていた雪のせいで、詰所の入口はどろどろになっていた。

 この分では、国境や国を隔てる川の周辺はもっと大変な事になっているだろう。


「おぉい、いいかぁ、ちょっと聞いてくれぃ」


詰所の入口で、村民達にシュウが声を上げた。


「鬼共の攻撃には、俺らも色々手を回している。だから必要以上にビビるな。あとな、子鬼が人間に変装して、偵察に来ている場合がある。奴らは俺らの言葉が分かるから、下手な噂話を知らない奴相手にべらべら喋るな。だが間違っても見かけない奴を片っ端から子鬼扱いしてぶん殴ったりするなよ。んで、今日、詰所が開くのは一刻後だから!」


 シュウが逃げる様に詰所に入ろうとすると、扉の隙間から役人二人が滑り込んで来た。


「今日一日、ユウを借りる。国境の手続きや隣国との折衝で人手が足りないんだ」

「おいコラ、借りるっておめえら何勝手な事ぬかしやがる。こっちだって忙しいんだ。うちには頭ん中に筋肉じゃなくて脳みそが入ってんのはユウだけなんだよ。うちの書類仕事はどうなる」

「お前達は筋肉で精一杯考えろ。それにロンだって多少は脳みそ入っているだろう。あの頭の大きさじゃあ大した量は入っていないだろうが」


 多方面に失礼過ぎて誰にどこから突っ込んだらいいのか分からない言い争いの末、カンの必死の抵抗空しく、ユウは役人に引っ張られて役所へ行ってしまった。


 **


「さて」


 ユウが役所へ行くのを何故かあっさり了承したロンは、暖炉の前に立ち、室内を見回した。

 詰所の中には、いつもの団員達の他、非常勤の自警団員や奉仕団員の代表者が二十人ほど集まっていた。体格のいい男達がこれだけ集まると、実際の人数以上に圧迫感がある。


「今回の件について、概要は昨日常勤の団員達から聞いていると思う。今日は具体的な対策について決めたい。その前に、先日見て来た鬼の巣の現状を簡単に話す」


 ロンが私の方を少し見たので、私は頷き、納戸の中に入った。

 だが、納戸の中でも、話し声は途切れ途切れに聞こえて来た。


「地下の環境は劣悪だ。あそこは昔、人間が地下生活を送っていた、らしい跡地だ。高度な技術を用いて作られているらしく、空間は広大だ。だが」


 前に自警団員達に話していたものと内容は一緒だが、今回はより具体的に話しているようだ。聞くまい、聞くまいと思えば思う程、耳はロンの声を拾ってしまう。


「かつての技術を失った今となっては、地下は生き物が生活するような場所ではない。空気は澱み、悪臭が充満している。鬼共は自ら生産をしないが、地下の汚染された環境では、生産のしようがないのだ。だから奴らは、汚れた土地に僅かに生えた植物や、自分達の仲間の屍肉を食らい、泥水を啜り、瓦礫に身を潜めて生きている。それでもどうにもならなくなった時、奴らは、地上に出る」


 ロンの話に、皆がざわめいている。思い浮かべるな、仕事に集中しろと自分に言い聞かせても、目の前いっぱいに鬼の巣の光景が広がる。


「奴らの環境は恐らく限界に来ている。今後、地上への大規模な襲撃は増えるだろう。だからこそ今回、我々は奴らを徹底的に叩く。この村は、簡単には落とせない事を思い知らせるんだ」


 ロンの話に自警団員達は雄叫びを上げていたが、当のロンは、別に団員達を高揚させ煽るつもりはなかったのだろう。彼の淡々とした口調から、なんとなく察した。


 鬼はもともと、地上を追われた人間。

 鬼の襲撃から村を守った後、ロンはこの村を去る。


 雄叫びの中心にいるロンは、今、何を思っているのだろう。


 **


 その後、話はユウの集落の件に移ったようだ。


「ユウから話を聞いたよ。うちらの集落の人間全員分、避難先を確保したって。今日ここへ来る前に他の奉仕団員達に言っておいたから、今頃皆、避難の支度をしていると思うぜ」


 この間の奉仕団員のものらしい声が聞こえて来て、思わず扉に近寄って聞き耳を立ててしまった。


「まあ、それはいいよ。でもよ、うちの集落の周りに、ここまで人を割く必要あんのかな」

「これでも最低限だ。ユウの父御の協力がなければ、もっと人手を割かねばならない所だった。それに自警団関係者ではない人に全て投げていいわけないだろう」

「なんでだよ、折角狼煙や足止めを頼むんなら、あいつに全部任せりゃいいじゃないか」

「狼煙が上がれば、俺もすぐに行く。それまで待機組がやる事は、狼煙を上げた後の彼の逃走を助ける事と鬼共の足止めだけだ。それに」


 声を落としたロンの声が響く。


「村全体に関わる重要な役割は、強盗あがりにさせられないと言ったのだろう?」


 ああ。

 さっき、ユウが役所へ行くのをロンが認めたのは、こういうやりとりを聞かせたくなかったからなのかもしれない。


 **


 ユウが疲れ切った顔で詰所に戻って来たのは夕方だった。

 そこへ追い打ちを掛けるようにリクによるユウと私の鍛錬が始まる。

 ユウは私と同じ、細く短い刀を持たされていた。だがやはり私と同じで、技術に関しては絶望的な呑み込みの悪さだった。


 鍛錬を終わって三人で詰所に戻ると、途端に高く澄んだ声が頭に刺さった。

 なんだか久しぶりだけれど、ちっとも懐かしくない、この声は。


「ユウ! あたし達、今日から暫く、ここに泊まるから!」


 そこには、アミと、ユウのお母さんが立っていた。


 え、なんで?


「は!? 俺らの家族はあっちの宿に避難させてもらうって言っただろう」

「嫌よ!」

「嫌よじゃないだろ、何を我儘言っているんだ。あ、ごめんな皆。ちょっと話を」

「構わん。俺が認めた」


 ロンがユウの声を遮る。ふと詰所の中にいたシュウを見ると、彼は何とも言えない複雑な表情をしてアミを見、ユウに向かって言った。


「あのな、アミな、同じ集落の奴らと同じ宿にいると、まあその、色々、言われるんだとさ」


 ああ、そういう事か。

 それを言われてしまうと、受け入れざるを得ない。

 だけど。


「昼間は納戸で静かにしていろ。ここには宿泊施設がない。ユウの母御には納戸の寝台を使って頂くが、ユニとアミはその辺の長椅子でも使って詰所で寝ろ。俺とユウは物置で寝る」

「なんで俺がお前なんかと共寝しなきゃなんないんだよ」

「誰が共寝をすると言った。寝床位、自力で作れ」


 ロンはそんな事を言っているが、彼が物置、というのはなんだか申し訳ない。年齢や体調を気遣っているのか、「納戸にお母さん」は動かせなそうな口ぶりだった。なら詰所にロンとユウ、とか。でもそれじゃあお母さんが気を遣うかもしれないなあ。やっぱりロンは物置行きか。

 あ、そうだ、ユウは家族といたいだろう。えーとだったら納戸がお母さんで、詰所がユウとアミで、物置が


 ……だだだだ駄目だ駄目だないないないない。


 私が一人で勝手に狼狽うろたえている間に話は終わっていたらしく、アミ達は荷物を引き摺って納戸に向かい、ロン達は詰所に入って来た村民相手に仕事を始めていた。


 **


 仕方がないのだ。分かっている。

 シュウは直接的な事を何も言っていなかったけれど、アミやお母さんは、避難先で相当酷いことを言われたのだろう。でなければこんな、居心地が悪いであろう詰所に泊まるなどと言い出さない筈だ。

 今は非常事態だ。それも、鬼によって村が崩壊させられるかどうかという段階の非常事態だ。私情など挟んでいる余裕はないし、そんな事を言える状態でもない。

 以前の態度が嘘みたいに、アミはロンに対して無関心な態度を貫いている。私と目が合うたびに棘のある言葉を投げかけていたのに、それもない。だから私がアミ達を避ける理由はない。

 けど。


 ユウの家族が詰所に寝泊まりすることによって、私にとっての一番大事な時間が失われてしまう。

 遅番の人が帰った後、私が物置へ行くまでの少しの時間。

 ロンが、「自警団長」から「龍一郎さん」へと戻る時間。

 私に柔らかな微笑みを向けて、心を傾けてくれる時間が。


 幼い頃からずっと恋をしていた人、

 魂が重なり合い、ひとつになった人、

 奥手で臆病な私が初めて唇を捧げた人、

 ロンとの間に残された時間は僅かなのに。


 ロンは、なんとも思っていないのかな。


「ユニ、何をぼーっとしている。この調書を明日役所へ持って行くから、順番に並べて綴じて納戸に置いておけ」


 ばらばらの書類を手に私を呼ぶ。いつもなら「ぼーっとしていた」事を詫び、慌てて書類を受け取るのだが、何故か今日はそういう気になれない。

 私は愚かだ。今はそんな事を考えている場合じゃないのに。

 心は勝手に、ふつふつと沸く。


 ぼーっとしていたんじゃ、ないもん。

 あなたの事を、想っていたんだもん。


 詫びの言葉はおろか了解の返事もせず、私は無言でロンから書類を受け取った。彼と目が合う。少し眉を顰めた彼を見据える。多分、結構険しい表情をしていると思う。そのままくるりと後ろを向き、速足で納戸に入って扉を閉じる。扉が閉まる時に結構大きな音がしたので少し驚く。


 気を取り直し、作業をしようと書類を持ち直した時、納戸の扉が開いた。

 ロンが納戸の中に入り、そっと扉を閉じる。


「なんだ、今の態度は」


 口調は穏やかだったが、言葉に険しさを隠しているのは分かった。


「申し訳ありませんでした」


 書類を手にして俯き、ロンと目を合さずに低い声で言った。

 彼はそれ以上咎めなかったが、少し間を空け、再び口を開いた。


「ユウの家族が詰所に身を寄せる事に、機嫌を損ねているのか」


 そういう言われ方をすると、なんだか私が嫌な奴みたいじゃないか。確かにその通りの、嫌な奴なのだけれども。

 私は上目遣いに彼を見上げた後、ぼそぼそと言い訳した。


「そんな事ないです。だって、仕方がないですもん。それにここはいずれ避難場所になるんだし、それがちょっと早まっただけだし、詰所の中に一日中あの人達がいることになるけれど、別に、ここは、ロンと私だけの場所じゃないんだから、昼間だけじゃなくって、朝も夜も、人がいたって」

「なんだユニ、もしかして」


 まとまりのない私の言葉を遮る。

 彼の眉間からふっと力が抜ける。

 そして私の顔を覗き込み、悪戯っぽく笑った。


「拗ねているのか」


 ……す、拗ねて、いるのか? 私?


 頬に火が点き、頭に血が上る。掌に変な汗をかく。私は、にやにやと笑う――こんな表情するんだこの人――ロンを見据え、囁き声で反撃する。


「す拗ね、拗ね、拗ね……ていますけれど何か!?」


 私の言葉に、ロンは少し驚いた様に身を引いた。私は額に浮かんだ汗を拭い、息を一つついた。


わきまえていますもん、だから文句なんか言いませんけれど、でも、私、遅番の人が帰ったあとの、ちょっとの時間が、すごく大事で、でもそれがなくなって、言っちゃいけないんですけれど、ちょっと悲しくて、なのにロンは、何でもないみたいな顔しているし、でも、でも、拗ねていますけれど、それを言ったら」


 言っていいんだろうか。いや言ってはいけないに決まっている。でも言っちゃうもん、さっき気付いてしまったから。

 私はにやにや笑いから穏やかな微笑に変わったロンを見て、とっておきの擲弾てきだんに火を点ける。


「昨日カンが、ロンと私を詰所の中に二人きりにしようとした時、私、カン達に同行するって言いましたよね。あの時、ロン、急に『そこまで言うなら行って来い』って言って、ばーんって納戸に入っちゃったじゃないですか。あれって」


 今ならまだ間に合う。引き返せ私。でも引き返さないもん。


 ロンの目の前に擲弾を突きつけ、投げた。


「ロン、拗ねていたんじゃないですか?」


 私の言葉を受け、ロンは暫く無言で立ち竦んでいた。

 やがて彼の白い頬が仄かな桜色に染まり、桃色に変わり、牡丹色に変わり、謎の赤紫色へと変わっていく。


「すっ……」


 そして直立して拳を握り、少し怒った様な顔をして私を見た後、目を逸らして、言った。


「その通りだ。何か文句があるか」


 えっ!


 よわい八百の自警団長が取ったあまりに幼い態度に、体中から一気に力が抜けてしまった。

 互いの顔を探る様に見つめる。

 暫くそのまま見つめていたが、やがてどちらからともなく笑い合った。


「俺も毎日、あの夜の時間を楽しみにしていた」


 ロンは頬に僅かな桜色の気配を残しながら囁いた。


「だが、今はこういう事態だ。分かってくれ」


 それは勿論、分かっている。今度は素直に「申し訳ありませんでした」の言葉が出て来た。

 頭を下げる私を見て、ロンは微笑み、軽く頷いた。


 少し、近寄る。

 私の目を見て、顎に触れる。

 唇の触れ合う音が、室内に響く。


 ロンは私の頭をぽん、と軽く叩くと、納戸を後にした。


 **


 持っていた書類の束が、ばらばらと足元に舞い散る。

 膝をつき、座り込む。彼の出て行った扉を見つめる。

 指先で唇に触れ、彼の感触の記憶を何度も思い返す。

 目頭が熱くなり、鼻の奥が痛む。


 夢の中でずっと好きだった人と現実に出会って、想いが通じて、恋が叶った。

 それこそ夢みたいな話だ。もっと舞い上がって、喜んで、笑うべきなのに。

 何故だか今の心の中には、蒼く冷たい悲しみだけが、満ち溢れて揺れている。


 恋というものは、もっと、光り輝くあたたかな幸せに満ち溢れていると思っていたのに。




 このころの私は、頭では理解していたけれども、まだ、本当の意味で分かっていなかったのだと思う。


 数日後に起きる、出来事を。

 

 

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