第3話 「愛」の種類―父

 奉仕団員の帰りを彼の家の前で待つ間、私はずっと足下に意識を集中していた。だが、あれ以来、なんの変化もなかった。


「せめて地上への出口の、正確な場所と規模が分かればなあ」


 私の様子に気付いたのか、カンが呟いた。


「この辺、どうせそんなに人いねえし、いっそ一斉に隣国へ行ってもらう、とか」

「だからそれは無理なんだって。いつ帰るか分からない避難民をだらだらと受け入れる程、あの国は優しくないよ。それに」


 ユウは自分の額に指で×印を書いた。


「俺らのせいで、この辺の奴らは隣国にいい印象を持っていない」

「でもよ、親父さん、半ば騙されて強盗の片棒担がされたようなもんだったんだろ」

「まあね。じゃなきゃげい刑(入墨刑)だけで済まないよ。でも、罪は罪だ。詰所周辺じゃ誰も何も言わないけれど、この辺は」


 ユウがそこまで言った時、大柄な中年の男性が、藁と縄を抱えた姿でやって来た。


「おうカン、久しぶりだな。お、もしかして彼女があれか、ロンが買ったっていうユニか。こんちは。へえ、えらい別嬪だな。こりゃあロンもいよいよ年貢を納める気になったかな」


 彼が奉仕団員なのだろう。愛想が良く、明るく振る舞っているが、彼が意図的にユウを無視しているのになんとなく気が付いた。


「さっさと年貢納めりゃいいのによ、ぐだぐだしてんだよあいつ。でもよ、ユニとロンのガキが娘っこだったら、凄え別嬪だろうなあ。俺の孫の嫁に欲しいぜ。宜しくな、ユニ」

「かっ返しにくい冗談はやめて下さい」

「ああ、じゃあ、やめるな。で、本題に入る前にお前」


 冗談を飛ばしていたカンの表情から笑顔が消える。彼は奉仕団員を睨み付けた。


「いい歳こいて無視なんかすんじゃねえよ」


 カンの言葉に、奉仕団員の顔からも笑顔が消えた。彼は藁と縄を地面に降ろし、腕を組んでユウを見た。

 寒期の乾き切った風が、傍らの藁を揺らした。


「皆、言っているぜ。『強盗の息子が自警団員じゃ、セ村もおしまいだな』って」


 カンは口元だけで笑みを作り、俯くユウの後頭部を軽く叩いた。


「その言い回しな、うちのかかあもよくするぜ。『花柄の帯、皆持っているんだよ。だから買っちまった』ってな。嬶の『皆』は嘘か、せいぜい一人の事だ」


 カンと奉仕団員は睨み合い、ユウは俯いて拳を握っている。私は堪らなくなって声を掛けた。


「あの、皆さん、忙しいんじゃないんですか? 畑の木に藁を巻くの、まだ残っているんじゃないんですか? まずはユウの話を聞いて下さい。鬼の襲撃でこの集落が全滅するかもっていう話をしに来たんです」


 やはり「全滅」という言葉の威力は強かったらしい。奉仕団員は、不機嫌そうな表情のままユウを見る。ユウは私を見て軽く頭を下げた後、ロンが持ち帰った情報や、女将の話をした。


 **


「――じゃあ、この集落の地面の下には、鬼の巣に通じる巨大な穴が幾つもあって、そこから一斉に奴らが出てくるかもしれない、んだな。でも、その正確な場所は分からない、と」

「そう。だからこの集落の人達を出来るだけ別の場所に移す。大体の必要数を教えてくれれば、今言った宿の他も、早急に隠れ場所を確保する。あと、もし人がいれば隣国に行ってもいい。ただ避難ではなく観光名目になるから、それなりの費用が必要になるけれど。ロンによると、トン国の鬼と隣国の鬼は巣が別らしいんだ。だから多分連携はしていないんで、安全と言えば安全だよ」


 ユウの話を真剣な表情で聞いていた奉仕団員は、そこで鼻を鳴らして腕を組んだ。


「でもよ、隣国は」


 口の端を歪めて嗤う。


「鬼は出なくても、人間の強盗は出るんだろ」


 その言葉に、ユウは目を泳がせ、俯いた。

 カンは何かを言おうと一歩前に出る。

 奉仕団員は見下ろす様にユウを見る。

 折角進んでいた話が途切れ、濁った空気が乾いた風に乗って漂う。


「あ、あの!」


 自分でも少しびっくりする様な大きな声が出てしまった。皆こちらを見る。私は一度息を呑み、声を落として続けた。


「ごごめんなさい大きな声を出して。あの、わ、私はミ村の出身なんです」


 「ミ村」と聞いて、奉仕団員は喉の奥を鳴らした。


「知っていると思いますが、ミ村はセ村の何倍も大きくて、自警団員だって沢山いました。ででも、私以外全員鬼に殺されて、村はめちゃくちゃになりました。そのほんの数日前に、ささっきあったような地震や地鳴りがあったらしいんです。だから、鬼が襲ってくるかもしれないのは、遠い未来の話じゃないんです。言い争いしたり、ユウに突っかかっている暇はないんです」


 息が苦しくなる。目の前にあの日の光景が甦る。自分でも呂律が回っていないのが分かる。思わず声が大きくなりそうになるのを抑える。


「鬼が襲って来たら、住む場所もなくなって、だ大事な人もいなくなって。じ自分の上に被さった家族の体が、どんどん冷たくなって、し死体の間を這いながら逃げて、村中、鬼の臭いと、死体の臭いが溢れて、村を出ると今度は食べるものがなくて、で、変な言い方だけど、空腹が癒されるなら死んでもいいなんて思ったりして……」


 甦る。

 あれだけ大きく、人も物も溢れていたのに。

 今、あの村で残っているのは、私と、帯締め一本だけだ。

 

「ごごめんなさい、うまく、うまく話せなくて。でも、ユウは、この村の自警団員です。今は余計な事を考えないで、集落の為にお互い協力して下さい。じゃないと、この村も、ミ村みたいに」


 隣村の事もある。実際にはミ村の様に全滅はしないかもしれない。だがすぐに全滅させられるか、じわじわと崩壊させられるかの差だけで、鬼に襲われた村の行き着く先は同じだ。買われた身の下っ端雑用係の小娘が生意気なことを、と心のどこかが言っていたが、敢えて無視した。

 

 カンが私に向かって何かを言いかけた。

 だが、言葉が出てくる前に口を閉じた。


 彼はゆっくりと後ろを振り返った。

 奉仕団員は私達の背後を見て眉を顰めた。

 ユウは振り返り、舌打ちをした。

 私も後ろを向いた。


 ユウが、呻く様な低い声で言った。


「何そんな所で突っ立っていんだよ、父ちゃん……」


 **


 私達から少し離れた所に、いつの間にかユウのお父さんが立っていた。

 毛織物の着物と、額を覆う様に布を巻いた姿でこちらを見ている。彼は私達の視線を受け、軽く頭を下げた。


「向こう歩いていたら、ユウが見えたから、どうしたかと」

「どうしたもこうしたも仕事していんに決まってんべ。あっち行っててくれよ。折角ユニが話が進む様に気ぃ遣ってくれたのに、父ちゃんが来たら全部だめになっちまうだろ」


 ユウが早口でまくし立てる中、お父さんはカンに向かって声を掛けた。


「今の話、聞こえちまいました。あの、本当なんですか。この集落に、鬼が」


 そこへ奉仕団員が吐いて捨てる様に言い放つ。


「結構声は抑えて話していたのに、全部盗み聞きしたのか。流石盗みの名人だ」

「おめえ、何訳の分かんねえ事言ってんだ。盗み関係ねえだろ。そもそもお前が俺らを家にあげてくれりゃ、聞かれずに済んだ話なんだよ」

「カン、すんません。気ぃ遣わんでいいです。それよりあの、わしの聞き逃しならいいんですがね」


 お父さんはユウを見、カンを見、俯き、顔を上げた。


「集落の人間を避難させるんでしょ」

「おう、そうだ。あ、言いふらすんじゃねえぞ。鬼は人間の言葉が分かるんだ。下手に騒ぐと鬼共に感づかれちまう」

「言いませんや。言ったところで儂の言う事なんか、誰も聞きやしません。それよりもし、集落の人を避難させて、その後鬼が出てきたら、鬼は誰もいない所に湧いてくるんでしょ。そしたら奴ら、何の障害もなく村の他の集落へ行きますよね」


 お父さんの言葉に、カンとユウが顔を見合わせ、唇を噛んだ。

 その問題は、詰所でも議論された。仮に鬼に気付かれずに村民を安全な場所に避難させたとする。そこへ鬼が湧いて出て来る。鬼はもぬけの殻の集落に顔を出すことになるが、それは言葉を変えれば何の抵抗もなく地上に出られる、という事なのだ。

 ロンが「世田谷中央口」と呼んでいた場所は広大で、纏まって何箇所も入口があったらしい。枯れ井戸の様に入口が小さく分かりやすい場所の場合、事前に仕掛けをつけるなりなんなり出来るが、世田谷中央口はそうはいかない。仕掛けの仕込みようがないのだ。


「でも、もし『今、鬼が出た』ってのが分かれば、自警団員さん達がすぐにやっつけるなり出来ますやね」

「まあな。もしそんな合図があったら、合図と共に突っ込んでいきそうな可愛いおっさんが一人、自警団にいるしな」

「可愛いおっさん、って、誰ですかい」

「あ、何でもない。忘れてくれ」

「ん? まあいいです。あの、儂のほんの思いつきなんですが、もし鬼が集落に現れたら、それと同時に狼煙みたいなのが上がったら分かりやすいですかね」

「そう出来たらそれが一番いいよな。鬼共がここから出て来たと同時に叩ければ、被害も最小限で済む」

「じゃあ儂が狼煙を上げますわ」

「ほお、お前が、って、おい!」


 お父さんが当たり前のことの様に言った言葉に、思わず普通に相槌を打ったカンは、裏返った声を出した。

 

「父ちゃん、何余計な事言ってんだよ! 父ちゃんの出る幕じゃねんだよ! もし、それやるなら、せめて俺が」

「俺がじゃねえよユウ、どっちも駄目だ。何言っている。ちょっと待てやこの件は」


 ユウとカンが騒いでいる間、奉仕団員は顎に手を当て、何かを考えている様だった。

 風が強くなってきた。

 そうだ、風。下手に騒ぐと風に乗って鬼共に話を聞かれてしまうかもしれない。声を抑えるようにと言おうとした時、奉仕団員が声を上げた。


「駄目だ。お前にそんな事はさせられない」

「だよな。ほら見ろ。そんな危険な事」

「違うよ。カン、お前つくづくお人よしだな」


 奉仕団員はお父さんを睨み付け、声を荒らげた。


「鬼が襲撃して来たと同時に狼煙を上げるって、村全体に関わる重要な役割じゃないか。そんな事、強盗あがりにさせられるか」


 その言葉に、私は思わず奉仕団員を睨み付けてしまった。そして自分のした失礼な事に驚いて慌てて目を逸らす。

 逸らした視線の先に、小柄な一人の男がいた。私達が騒いでいたので、何事かと見に来たのだろうか。奉仕団員も男に気付いたようだ。


「おいお前、今、大事な話をしているんだ。あっちい」


 その声と同時に、男は踵を返し、走り出した。


 着崩れた服。

 乱れた髪。

 細い手足。

 大きな頭に、幼い顔。


「お前、まさか!」


 カンはそう叫ぶや、剣に手を掛け走り出した。

 だが、彼よりも早く追いかけた人がいた。

 ユウのお父さんだ。


「親父、そいつを捕まえろっ!」


 あっという間にカンを引き離し、逃げる男の後を追う。物凄い速度だ。男が振り向いた瞬間にお父さんは当て身を食らわせ、二人一緒に地面に倒れ込む。そこにカンが追い付き、男を押さえ込み、着物の前をはだけた。

 鬼の印の入った胸に、剣を突き立てる。


「おい、お、おめえよ」


 カンは息を切らせ、剣を拭いながら、奉仕団員の方に振り向いた。


「お、俺らの話が鬼に漏れる所だったのを、救ったのは、誰だ?」


 **


 その後、狼煙の件は詰所持ち帰りの保留とし、まずは避難の順序等を決めて、私達は集落を後にした。


「ユウ、お前、どうしてそんなに運動神経が鈍いんだ? 少なくとも親父さんのせいじゃないんだな」

「知らないよ。それ、子供の頃からいろんな人に散々言われているんだよ。放っておいてくれよ」

「私、ちょっと思ったんですけれど、ユウがお腹の中にいる時、お父さんの運動神経の栄養が、頭に入っちゃったんじゃないでしょうか」

「何、それは褒めているの? けなしているの?」

「どっちでもないです、といいますか、深く考えないで言ってみただけです」


 馬車に揺られながら、果てしなくくだらない会話を続ける。

 だって、考えなければならない事が、あまりにも多過ぎたから。


 **


 集落を出る時、カンはお父さんに聞いた。


「狼煙、っていうのは、発想としてはいいかも知れん。だがな、そんな危険な事は誰にもさせられんよ。お前、なんでそんな事を思いついたんだ?」

「思いついたきっかけ、ですかい?」


 お父さんは俯き、口の端で笑った。


「儂はね、強盗やった時、見張り役だったんです」


 ユウが険しい顔をして唇を噛んだ。


「自警団なんかが来たら中にいる奴に知らせる、っていう。でも結局、儂の見張っていた所とは別の所から自警団が来て、全員あっさりお縄ですわ」

「じゃあ何か、一度は失敗した見張りを、今度は成功させようって事か」


 奉仕団員の言葉に、お父さんは首を横に振った。


「儂はね、足は速いが、頭がどうも抜けていまして。でも、流石に一斉に湧いて出て来た鬼を見逃すほどには間抜けじゃないと思うんですよ」


 お父さんはユウを見て、少し笑った。


「食い詰めたからって強盗やるなんて、あってはならん事です。後悔してもしきれません。飢えは人の判断を狂わせる。その過ちのせいで、家族にはずっとつらい思いをさせてしまっている。家族を食わす為にやらかした罪のせいで、儂は家族を一生食わせてやることが出来んくなった」


 ユウが何かを言おうとしたのを、お父さんは手で制した。


「ねえ、カン」


 お父さんは大きな目で、カンを真っ直ぐに見つめた。


「もし、儂がこの集落に独り残って狼煙を上げて、鬼に殺されたら、ユウやアミは、強盗の子ってだけじゃなく、ちょっとは村を救った奴の子にも、なれますかな?」

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