第2話 「愛」の種類—妻

 女将の所へ向かう道すがら、ユウは眉をひそめて言った。


「ユニってさ、大人しそうな顔して、案外頑固だよね」

「え、そうですか?」

「まあ、本人は分かんねえもんだよな。でもよ、まさかユニが俺らについて来るのを、ロンが許すとは思わなかったぜ。全く、折角お膳立てしてやったのによ。居留守状態の暗い詰所の中で、惚れた女と二人っきり……ぐふ」

「カン、今の笑い方、鬼みたいで気色悪かったよ」


 私、結構従順なつもりなんですけれど、とか、その冗談、どういう返しをしたらいいのか分からないのでやめて下さい、とか、言いたい事は色々あるが、少し笑って流すにとどめておいた。

 私とロンは、近いうちに別れなければならない。それが確定している以上、カンの冗談に、素直に照れたり喜んだり出来ない。


 さっきロンは、思ったよりあっさりと、「そこまで言うなら行って来い」と言った。

 その時の彼は、少し機嫌が悪そうだった。私の事を真っ直ぐに見つめ、何かを言いたそうに口を開きかけたかと思うと、ふいと目を逸らして納戸に入り、扉を勢いよく閉めてしまった。


 彼の急な態度の変化の理由は分からない。

 だが、その様子は。


 **


 久しぶりに来た宿つき飯屋の一室で、女将と新入りの男性、私達三人が向かい合っている。

 厨房から漂う、ひしおと酒の混じったような独特の匂いが懐かしい。

 女将達には、襲撃の可能性についても含め、全て話した。女将は「鬼が襲撃して来る」くだりで少し顔を歪めただけで、あとは腕を組んだまま黙って話を聞いていた。


 話が一通り済んだ後、彼女はいつもの睨む様な表情で私を見た。


「ユニ、鬼っていうのは、人の多い所を狙って襲って来たりするのかい?」

「私の村の場合、私以外全滅でしたから、特にどこを狙って、というのはないです。ただ、詰所に、詰所に火をつけられてすぐに、うちに来たから、じゅ、順番とかは考えていなかったと思います」

「ふん。で、隣村は既に鬼に乗っ取られていて、隣国への一斉避難は容易じゃない。要は逃げ場がないんだな」


 少し下を向き、鼻を鳴らす。

 顔を上げる。


「分かったよ。じゃあ今の話、受けよう」


 女将はカンの方を向いた。


「今日はもう無理だが、明日以降当分、宿の客の受け入れを止める。何かの為に一室は開けておくが、残り七室は好きに使いな。そうだ、地下の食糧庫も片付けて避難出来る様にしようか。うちに来る奴は、家族に年寄りや病人、怪我人がいて、すぐに逃げられないのを優先しな。まあ、うちも商売だから、飯代だけは貰うが、宿代はいらない」

「えっ」


 色々話し合って説得して、ということを想定していたのであろうカンとユウは、女将からのいきなりの具体的な提案に、顔を見合わせたまますぐに答えを出せないでいた。


「えっじゃないよ。何か問題でも? 避難してくる奴ら、飯代の負担が厳しいようなら、その分自警団が肩代わりしてもいいんじゃないかい。避難する七家族を集落の奉仕団と決めて来い。七家族の受け入れじゃ足りないならすぐに言っとくれ。宿屋仲間に口聞いてやるから、って、おい、大丈夫か? この位、ロンにお伺い立てなくても判断出来るだろ。それともあんたら、ユニのとろさが伝染うつったのかい?」


 立て板に水を流す様な女将の話が終わった後、ユウは暫く俯き、口の中で何か呟いた後、女将に向かって深く頭を下げた。


「有難い。女将、感謝するよ。俺の、集落の為に、そこまでしてくれて」


 「俺の」集落。

 その言葉を発するまでの数秒間に、一体ユウの中でどれ程の葛藤があっただろう。


「俺からも礼を言うぜ。あ、あとな、その若いの。こんな物騒な話をした後で頼むのは心苦しくもあるんだが、まあこういう時だからこそお願いしたいんだが、いや勿論本人の意思が最優先だが」

「奉仕団だろ? いいよ。入る。女将、いいかい?」

「お前がいいんならいいよ。暫くは宿よりそっちを優先しな」

「分かった。というわけでこれからよろしくな。あとで近所の奉仕団に挨拶して来る」

「あんたら早いな色々!」


 ああ。

 女将、本当はこういう体格が良くて、判断の早い人が雇いたかったんだろうな。

 そう思うと、女将が私を買った、という「好意」の深さに頭が上がらない。


 **


「いやぁ、女将には頭が上がんねえや。こんな話を聞いた上でここまで協力してくれるとはよ。女将の胆力、自警団に入って欲しい位だ」

 

 カンの言葉に、女将は少し首を傾げた。


「あたしは、あんたらの役に立っているかい?」

「あたりめえよ。普通こんな話をされたら隣国に逃げ出すぜ。本当にありがとうな」

「ふん。人抱えて商売しているのに、一人で逃げ出す訳ないだろ」


 女将は不機嫌そうにそう言った後、ふっと口元に笑みを浮かべた。


 女将の笑顔なんか、初めて見た。


「自警団の役に立ったんなら、嬉しいよ」


女将は笑みを湛えたまま、ここではないどこかを見つめていた。


「うちの宿六だんなさ、よく『奉仕団に入りたい』って言っていたんだよ。まあ、本音は自警団に入りたかったらしいんだがね」


 ここではない「向こう」にいる、旦那の事を見ているのだろうか。


「でも病気持ちだったから無理だった。だからさ、あたしが自警団に協力して、村の奴らを助けたら、宿六はきっと泣いて羨ましがるよ。あたしはね、自分が死んだあと、その無様ぶざまな姿を見て笑ってやりたいのさ」


 そして真顔に戻った後、私達を追い払う様に手をひらひらさせて、「本当にとろいねあんたら。さっさと集落へ行ってきな」と、いつもの口調で言った。


「た、多分」


 押し出される様に外へ出ながら、私は女将に向かって声を掛けた。


「女将の旦那は、今、女将を見て泣いて羨ましがっていると思います」


 私はロンと違って魂が見えるわけじゃない。だが、これだけは言いたかった。


「人の魂は、この世に未練があったり、この世でやり残したことがあると、『向こう』へ行けずに彷徨ってしまうことがある、と、思います。も、もし女将の旦那が自警団に未練を持ったまま、魂がこの辺りにいたら、女将が自警団に協力しているのを見て、俺だって生きていたら協力したさって、悔しがっていると思います」


 女将が目を細めた。その目を見て、かつて女将に殴られていた日々を思い出し、私の魂は怯えたが、両足を踏ん張り、彼女の目を見返した。

 私が得体の知れない奴に買われるのを防いでくれ、結果的にロンと出逢うきっかけを与えてくれた、この村で初めての恩人の目を見返した。


「これから何が起きても、女将、どうか、無事でいて下さい。女将が自警団に協力して、無事に今回の事態を乗り越えたら、旦那の魂は、きっと、悔しがって、羨ましがって、喜んで、満足して、『向こう』へ行けると思うんです。でも、女将の身にもしものことがあったら、旦那の魂は、俺の夢のせいで女将がこんな目に遭ったんだって、きっと、悲しくなって、彷徨ってしまうかも、えーと、分かんないですけど。だから、協力は大事ですけど、どうか、無事でいて下さい。そして年取って女将が『向こう』へ行った後、旦那に笑顔で自慢して下さい。だから、えーと、どうか」

「なんだいそりゃ。魂だの『向こう』だの、訳分からん」


 私の言葉に、女将は当然の反応を返して腕を組んだ。


「あんたらも気をつけるんだよ。最近ないけど、もう、これ以上自警団員の葬式に出くわすのは嫌だからね」


 そう言って、いつもの不愛想な表情のまま扉を閉めた。


 **


 ユウの集落までは馬車を利用したが、それでも結構な時間がかかった。この距離を実感すると、やはり村の広さに対する自警団員達の人数の少なさが気になってしまう。


「ユニって、死者の魂だのなんだのの話を信じているくちなの?」


 馬車の中で言われたユウの言葉に、私はなんと答えたらいいのか分からず、曖昧に笑った。


「んなもんあるわけねえよ。あれはユニが女将を気遣って言っただけだろ。見知った奴の魂が俺を見ていると思うと、便所へ行っても出るもんも出なくなるぜ」

「いや、カンなら出せるだろ」

「まあな」


 果てしなくくだらない話をしていると、やがて集落が見えて来た。改めて見てみると、この集落の寂れ具合がよく分かる。

 畑になりそうな土地も、多くは開墾されずに放置されている。点在する家々も、ユウの家程ではないにしても、古びていて粗末だ。私の住んでいたミ村のはずれは、もっと活気があり、家や店もあった。

 ミ村ですら蹂躙されたのだ。この村など、何もせずにいたら数刻で鬼共の手に落ちてしまう。


 馬車は一軒の民家の前に停まった。ここの家主が、このあたりの奉仕団を纏めているらしい。


 馬車から降りる。

 その途端、足元から僅かな振動が伝わる。


 最初、馬車に乗っていたせいで足元の感覚がおかしくなっているのかと思った。だが、足に意識を集中して暫く立っていても、その感覚は変わらなかった。


「ユニ、ぼーっとしていないで早く来て」


 ユウに促されて顔を上げる。

 その時、微かな地鳴りの様な音が聞こえた。


「地震かな」


 カンも気づいたらしい。立ち止まって辺りを見回す。そのうち振動も音もしなくなった。


「ああ、これな。朝もあったんだ。嫌だよなあこんな時期に。大きな地震でも来るのかな」


 ――地鳴りがしてよ、ズーン、ズーンって、変な音が聞こえるんだよ。

 ――なんだろうなあ。大きな地震でも来るのかな。


 記憶が、真っ黒な墨の様に心の中を広がってゆく。


「ユニ? どうしたユニ。馬車で酔っちまったか?」


 地面の上に座り込み、胸を押さえる。

 苦しい。息ができない。


「ま、満月」


 ロンは、鬼の襲撃時期を「今度の上弦から満月の間、晴れた日の夕刻」と言っていた。私は、自分の村の襲撃された日や、今までの鬼出没率を考えて、なんとなく襲撃は満月の夜前後だろうと思っていた。


「おお父さんの友達の自警団員が、言っていました。さ、最近、あの集落で、地鳴りや小さな地震が起きている、って。で、でも、うちの近くではそんな地震なんかなくて、それで、そんな狭い範囲の地震なんかあるのかよって」


 カンとユウが顔を見合わせた。私はひびの入った魂を押し潰し、記憶の残滓ざんしを掬い出す。


「き今日の朝、詰所では、そんな地震みたいなの、ありませんでした。カン、なかったですよね? た、多分、今のだって、他の場所ではなかったと思います。あ、あの、ミ村でも、あったんです。ごく限られた場所で、今みたいな小さな地震みたいなのと、変な音がして、そ、そして、そして」


 今、思えば。

 あれは、地震なんかじゃなかったんだ。

 地下で、うごめいていたんだ。


「地震が始まった数日後に、鬼が、襲って来て」


 地上への道を、取り戻さんと。

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