4.愛の形と始まり

第1話 始動

 詰所の入口には「団員不在」の張り紙がしてあり、扉が全て閉じられている。

 朝の光が遮られた暗い詰所の中には、角灯の灯りが揺れている。暖炉が使えないため、部屋の中は少し寒い。

 分所の人も含めた自警団員十人全員が、部屋の中央にある机を囲む様に集まっている。ロンは全員の顔を見渡した後、口を開いた。


「昨日から今朝にかけて鬼の巣の偵察をして来た。一晩だけなので大した量の情報はないが、今から共有する」


 私も一緒に聞くよう言われているので、少し離れた所に立って聞いている。ロンは俯いて、んん、としわぶくと、再び顔を上げて言葉を続けた。


「奴らは現在、この村への襲撃の準備を進めている。襲撃は、今度の上弦から満月の間、晴れた日の夕刻の可能性が高い」


 **


 皆、ある程度覚悟していたのだろう。動揺で空気が揺れたが、誰一人声を上げなかった。その様子を見てロンは頷き、机の上に視線を落とした。

 机の上には大きな地図が広げられている。この村の全体図だ。何箇所か印がしてある。ロンは懐から何枚か紙片を取り出した。

 紙片には、毛糸を丸めた様な形の鬼の字が、びっしりと書き込まれていた。


「奴らの巣の中には、昔、いや多分昔、人間が作ったのであろう残骸が溢れていた。昔、文明がもっと発展していた、と思うのだが、その時に作られた、と思う内部は広大で、現在『巣の入口』とされている場所以外にも、地上と繋がった場所が幾つもある」


 ロンは地図の端の方にある印を指差し、手にした紙片を机に置く。その紙片をユウが覗き込んだ。


「ええと、よたや? たに?」

世田谷せたがや第一非常通路、だ。名前はどうでもいい。俺達が普段『鬼の巣の入口』と呼んでいる場所だ。ここの他にもあと一箇所、階段通路があった。今は塞がっているが、階段自体は残っているから、掘り返して利用出来るかもしれない。それがここ。分所から割と近いから、帰ったら確認してくれ」

「分かった。って、ここ、まっさらな空き地だぜ。こええな、放置していたら大変な事になりかねん」

「実際、掘り返しているかどうかまでは分からなかった。あと、枯れ井戸。見たのは一箇所だけだが、あれも地上で見るより大掛かりな穴だ。多分、こちら側から見える範囲で埋めたとしても、掘り返されて利用されるだろう」

「じゃあ、あの対処法は正しいのか」

「だと信じたい。だが、階段通路も枯れ井戸も、規模としてはさほど大きくない。それより、地上に通じている穴で、大きなものがあった。昔は昇降機械を使って多くの人や荷物を地下に運ん、でいたのだと思うが、ここから地上に出られるようになっていたら厄介だ」


 ロンは地図の一点を指差す。その場所を見て皆が息を呑んだ。


「『世田谷中央口』。ユウの集落のあたりだ」


 **


 その後、地下の様子や鬼の様子の報告があった。

 一言話すたびに、ロンはちらりと私を見る。私の魂を心配しているのだろう。

 その度に、私は少し笑って頷く。

 手足の震えが分からないよう、そっと椅子に座り、手を後ろに回す。


「しっかし、たった一晩で随分色々見て来たな。なんか最初から当たりをつけていたのか?」

「勘、というか、まあ、それはともかく、今後の件について意見を聞きたい」


 ロンの言葉に、皆が考えを出し合った。


「村人には周知しないといけないよな。立て札でもするか、集会でもするか」

「そうすっと子鬼に見つからねえか? 言葉が分かるっていう話だし」

「まずは役所と奉仕団全員に伝えて、奴ら経由で一戸一戸伝える、うーん、面倒臭えなあ」

「伝え方も考えないとな。村脱出する奴が、大騒ぎして鬼にばれたら」

「そもそも皆に言うのか? 日にちも確実じゃねえのに。なあロン」

「そうなんだ。俺が鬼共に聞きだした話では、詳しい日程は分からなかった。確実に襲撃するかどうかすらも、では知ることが出来なかった」


 皆、好き勝手に思った事を話しているが、少し離れた場所からその様子を見ていると、話されている内容の割には冷静に対応している、という風に見えた。前にロンが隣村の偵察から帰って来た時とは随分違う。

 それが、彼らの強さなのか、あるいはこれから来るかもしれない事態に対して、感情が一時的に麻痺しているだけなのかは分からないけれども。


 気がつくと、また呼吸が苦しくなっていた。

 息がうまく出来ない。吸い込んでも、吸い込んでも、空気が体の中に入って来ない気がする。体中の空気がなくなって、臓腑が押し潰されそうになる。

 息を止め、表情を悟られないように下を向く。

 この大事な時に、私の事で迷惑をかけたくない。


「今日の所はひとまず解散しよう。これから各自手分けして、奉仕団に鬼の様子だの襲撃の可能性だのの話をしてくれ。彼らに直接話をする機会も別に設ける。村民への伝達は慎重に。不確実な情報なのに下手に不安を煽る様な事をしたら、混乱を招く。そうすればそれこそ鬼共の思う壺だ」


 ぱん、とロンが手を叩くと、それを合図に分所の団員達は詰所を出て行き、その他の団員達は見回りの支度を始めた。


「ロン、俺」


 ユウは書類を机の上に出しながら、上目遣いにロンを見た。


「ユウ、今日は自分の集落周辺の奉仕団へ、話をして来い。あの一帯は危険だ。有事に集落の人達全員が迅速に避難出来る様に、避難場所の指定と確保をしろ」

「でも、あ、あの集落の奴らは、俺の話なんか聞いてくれない」

「カンと一緒に行って来い。だが、話をするのと避難場所の件はユウに任せる」


 ユウはなおも反論しようとしていたが、やめたようだ。確かに、ロンがこういう態度の時は、何を言っても無駄だ。


「じゃあユニ、行ってく」

「ロンお前、どこ行くつもりだよ。寝てろ寝てろ。もう若くねえんだから無理すんな」


 刀を手にしたロンを、カンが押しとどめた。


「いやだが」

「徹夜で鬼の巣に行っていたんだろ? 奉仕団への連絡といつもの見回り位、俺らだけで充分だ。こんな事態になったんだから、むしろ休める時に休んでもらわないと困る。三十五歳ってのは結構難しいんだぜ。気は若くても体が言うことを利かなくなる。それによ」


 彼はロンに近づき、耳元で囁いた。


「さっきから、気になっていたんだろ、ユニの様子」

「えっ」

「見りゃ分かんだよ。ユニが心配で途中からちらちらちらちら。なら気遣ってやれよ。俺らはこんな商売だ。惚れた女は可愛がれる時に可愛がっておけ」


 何かを言いかけたロンを遮り、カンが更に何かを言おうとしていた所に、私は立ち上がって間に入った。


「私は大丈夫です。今の話を聞いて前の村の事を思い出して、少し苦しくなっただけですから。それより」


 まだ少し痛む胸を押さえ、ロンを見る。


「ロンは、少しお休みになって下さい。その代り、にはなりませんが、カンやユウと一緒に、私も行きます。多分、お役に立てると思います」


 今度は二人同時に私に向かって何かを言いかけたが、手で制した。


「ユウの集落に行く前に、女将の所へ行って協力を仰ぐのはどうでしょうか。女将は自警団の活動に協力的ですし、宿屋や飯屋のつながりも持っています。集落から離れてはいますが、場合によっては避難場所として宿を貸してくれるかも知れません。あ、あとそうだ、あそこに新しい男の人が入ったんですが、奉仕団への加入を打診してもいいかもしれません。強そうな人でしたし。ね。今、外套取ってきます」


 もしかしたら、というか絶対、これは余計なお節介だ。折角ロンが用意したユウの仕事を取る様な話だから。

 多分ロンは、敢えてユウに集落の人と接し、指示を出す仕事をさせようとしているのだろう。自警団員や詰所周辺の人達は誰も気にしていないが、ユウのお父さんの過去のせいで、あの家族は集落内で肩身の狭い思いをしている。だからこそ、この機会を利用しようと思ったのかもしれない。


 ロンは、自分の身を鬼に売った人に対する復讐心で、やりにくい仕事を指示したりはしない。普通ならそういう考えになっても仕方ないと思うが、彼はしない。

 八百年の時を経て、擦り減り、傷ついても尚、彼の魂の奥底は驚くほど澄み切っている。それは分かっている。

 でも。


「ユニ、その必要はない。その情報だけで充分だ。あとはこの二人に任せればいい」

「その通りだよ、俺らだけでいける。お前はゆっくりしていろ。ロンと、な」


 カンの意味ありげな笑みを曖昧な微笑で流し、私は扉に向かった。


「二人の仕事の邪魔をする気はありません。でも、きっとお役に立てます。じゃ、外套取ってきます」


 **


 女の子としての本音の本音を言えば、このまま詰所にいたかったに決まっている。


 カンはあんな冗談を言っていたが、私だって、ロンと少しでも一緒にいたいんだ。


 だって、もうすぐ別れなければならないのだもの。

 折角、魂がひとつになったのに。


 でも、今は非常事態だ。村のために、ロンの仕事のために、自分が出来ることは精一杯やりたい。剣を持って戦う事はどうも無理そうだが、私にだって出来ることはきっとある。


 強くならなければ。

 この村のために。

 ロンの仕事を支えるために。


 いやいやをしながら泣き出す甘えた魂を、胸の奥にしまい込む。

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