第9話 幸福の居場所

 こいつ、私と同じ名前だ。


 私の「ユニ」という呼び名は、人売りにつけられたものだ。だが、途中から呼び名を変えるのも面倒なので、ロン以外の人には本当の名前を言っていない。

 私が親から貰った本当の名前は「アイ」だ。


「アイ?」


リクが明らかに不快そうな顔をして子鬼を小突いた。


「適当な事言いやがって」

「わたしの名前はアイです。アイはたくさんいます」

「ああいるよ、その辺にごろっごろしているよ。だからってなんでてめえが人間の名前を使うんだ」


 子鬼の名前という、どうでもいい事でリクがムキになるのには理由がある。彼の女房の名前がアイなのだ。

 「アイ」は、男女とも本当によくいる。詳しくは知らないが、昔の偉人の名前が由来らしい。そのため、子供の名前つけに迷った大抵の親が「これならいい子に育つだろう」と辿り着くのが「アイ」なのだ。


 子鬼は、自分のことを「人間」だと言った。

 そして名前が「アイ」で、同じ名前は沢山いる、と言った。

 歯が生え変わりきっていない様な幼い子供が咄嗟にそんな話を作れるとも思えない。だから、鬼の間で「アイ」という名前が多い、というのは本当なのだろう。


 もしかしたら、「アイ」が多い理由も、同じなのかもしれない。

 祖先に、「アイ」という名前の偉人がいたから、という。


「なあリク、話進めるよ。あなたは人間なんですね。じゃあ、わたしは何ですか」

「ちいさい人間です」

「まあ、俺らから見てもちいせえわな」

「うるさいな! じゃあ、このおじいさんは何ですか」

「鬼です」


 重く澱んだ空気をよそに、子鬼は細い脚をばたばたさせて喋り続けた。


「上の国はこわいそうですよ。でも、こわくないですよ。上の国は、いいにおいがします。ごはんおいしいです。鬼は小さくて、おじいさんです。こわくないですよ。わたしは上の国が好きです。帰らないです」


 無邪気に喋り続ける子鬼を前に、団員達も、私も、言葉を失ったまま互いの顔を見合った。


 この子鬼は、自分が「上の国」では「鬼」であるという事実がよく分かっていないようだ。

 「帰らない」で、これからどうするつもりなのか。「鬼と人間は異なる生き物で、鬼は人間に害をなす生き物」というのが世間一般の認識だ。そして今はともかく、成長すれば外見も人間とは異なってくる。「上の国」に、こいつの居場所はない。

 だが、それを六歳児に理解しろと言っても難しいだろう。


「上の国は、ちいさい人間の国です。だから」


 ユウはカンに目くばせをした。カンは頷きながら言った。


「勘違いしちゃいけねえ、こいつは鬼だ。いずれ大人になりゃ殺人や略奪をする。しかも役に立ちそうな情報を持っていねえ、となれば」


 他の団員達も頷く。団員の一人が納戸に行き、暫くして布袋を持って戻って来た。

 ユウは少し上を向いた後に息を呑み、子鬼に向かって言った。


「少し、みんなで外に出ませんか? ユニ、そこで待っていて。いいね」


 ユウに促され、子鬼は立ち上がって扉の方へ向かった。

 そこで子鬼は私を見て、微笑んだ。


「よぉーし、これ被せるぞぉー」


 布袋を手にした団員が、不自然な明るい声を出して、子鬼の頭に布袋を被せた。

 布袋を被せられた子鬼は、楽しげに「ぐふ」と笑った。


 少し遅れて、カンも外へ向かった。


「……苦しまないようにしてやるからな」


 腰に佩いた剣を抜いて呟き、扉を閉めた。


 **


 団員達と子鬼が外に出たのとほぼ入れ替わりで、色の黒いおばさんが息を切らせて詰所に飛び込んで来た。

 リクの女房の面倒を見ている産婆だ。


「リク、いるかい!」

「今、外に出ていますが、すぐ戻ると思います」


 暫くして、険しい表情をした団員達が戻って来た。

 カンは戻って来ない。

 だが、そんな団員達の空気などお構いなしで、産婆はリクの姿を認めるや、彼の袖口を引っ張って叫んだ。


「あたしと一緒に今すぐ帰んだよ! もしかしたら早く産まれるかもしれない」

「おい産婆、お前その台詞何度目だよ。あのさ、俺忙しいんだよ。どうせ帰ったって何も出来ないんだし、俺が産む訳じゃないんだから放っておいてく」

「ふざけんじゃないよこの大馬鹿野郎!」


 産婆の怒号が、団員達の沈んだ空気を一気に吹き飛ばした。産婆はリクの着物の襟を掴んで叫ぶ。


「まだ分かっていないのか! アイは持病がある上に腰の骨も狭い。しかも逆子なんだ。つまりなあ、アイは自分の命を懸けててめえの子供を産むんだよ! 稼ぎさえ家に入れれば男の務めは終わりだと思ったら大間違いだからな!」


 産婆に引き摺られながら、リクは困った顔をして団員達の方を見た。皆、無言で頷く。リクは皆にぺこぺこと頭を下げながら、産婆に引き摺られたまま詰所を後にした。


「子供って、ああやって大事にされながら産まれるものなんだな」


 ユウは、閉じられた扉を見ながら、誰に言うともなく呟いた。


 **


 その後も詰所の中は大忙しだった。

 村人達はロンを信頼しているので、揉め事の仲裁の際にロンがいないとまとまらない。他の団員達の意見だと、なかなか納得したり引き下がったりしないのだ。

 幸い、今日は大きな犯罪がなかったが、物事の処理一つ一つに手間取っていたので、決して楽が出来た訳ではない。


 その忙しさは、私には救いであったのかもしれない。

 ロンの身を想い、不安に魂が潰されている時間がなかったから。


 **


 遅番が帰る時間まで残っていたカンが、帰り支度をしながら団員達に向かって言った。


「今晩、大丈夫かな。朝の子鬼の件もある。新月だからって油断ならねえ」


 彼の言葉に、遅番の団員の一人が腕を組んで難しい顔をした。


「まあ、あれ、偵察じゃなかったみたいだし、大丈夫だと思うけどな。にしても、そんなチビガキにまで言葉教えているって、奴ら何考えているんだろう」

「俺、自警団ここに三十年位いるけどよ、俺らの言葉を話す鬼なんか湧いて出て来たの、本当ここ最近の話だぜ」


 カンの言葉に、一同相槌を打った。


「気味悪いよな。俺らは奴らの言葉が分からないっつうのに。この村で奴らの言葉が全部分かるのって、ロンだけだろ? ユウも喋れないんだろ? なあ、なんだっけ鬼の言葉、えーと」

「『にほんご』って言うんだ。あれ、発音がもの凄く難しいんだよ。文字だって二千とか三千とかあるのを使い分けるんだから」

「うあぁぁムリムリムリムリ! なんでそんな難しい言葉使う頭あるのに、略奪とかするんだろうな鬼。自分達で働いた方がよっぽど楽だぜ。ユウ、お前もな。そんな言葉読むより、剣を持ち上げる方が楽だぜ」

「うるさいな!」


 どうも自警団員達の流行が、「ロンの吝嗇いじり」から「ユウの非力いじり」に変わったらしい。ユウは腰に手を当てて私を見た。


「それよりさ、今夜はロンがいない。ユニ、一人で大丈夫?」

「あ、私は……」


 急に話を振られ、上手く言葉が出て来なかった。


「そう、ですね、なにか問題があった時は、リクの家に相談に行かせてもらおうと思います。ここからすぐですし。鬼、は、大丈夫だ、と信じるしかないです」


 一人で不安だ、鬼が怖い、なんて言っていられない。

 だってもうすぐロンは、私のもとから去ってしまうのだもの。


 心の奥に湧き上がる苦い水を飲み込む。


「分かった。帰り際、リクの家に寄って言っておくよ。どうせまだ産まれないだろうし、大丈夫だろ」


 団員の一人がそう言って微笑んでくれた。


「でもよ、ロンがここに当直代わりで寝泊まりしていると便利だけどよ、あいつ、ずっと納戸で寝泊まりしていてどういうつもりなんだろ。いい加減自分の家を構えりゃいいのに」

「そうしたらユニはどうするんだ? 物置暮らしのままか?」

「なわけねえだろ。一緒に家に連れて行くだろ。ユニは自警団員じゃねえ、ロンのものだからな」


 団員達は顔を見合わせ、微妙な半笑いを浮かべながら、「だよな」「まあな」などと呟き合い、そのまま全員帰って行った。


「ロン、大丈夫かな」


 帰り際、そう呟いた団員に、カンは囁いた。


「ここまで来たら信じろ」


 **


 団員達のいなくなった詰所の中は、押し潰される様な静寂に包まれている。

 今日は詰所で夜を明かすことにした。物置で寝るのは、なんとなく怖い。自分の毛布を持って来て頭から被り、テーブルに突っ伏す。

 寝台は使わない。ロンの気配を含んだ寝台で一晩を過ごすのは、たまらなく寂しくて、少しだけ恥ずかしいから。


 ロン、今頃どうしているだろう。


 鬼の変装をし、鬼の言葉を喋ったって、面の穴から覗く澄んだ菫色の瞳は隠せない。ロンの容姿の情報など、鬼の間ではとっくに知れ渡っている事だろう。


 もし、正体を見破られたら。

 死ぬことの出来ない体は、一体、どれ程の苦しみを味わうことになるのだろう。


 嫌だ嫌だ、冗談じゃない。そんな事、あるわけない。

 ロンはきっとうまく立ち回る。そして村にとって重要な情報を沢山抱えて帰って来る筈だ。そうしたら来るべき襲撃に備えて、万全の準備が出来るだろう。だからたとえ鬼が襲って来ても、この村は安泰だ。

 ロンも、自警団も、全員無事で、鬼はこの村を襲うことを諦めて……。


「無事に、帰って来て……」


 私の魂を込めた呟きは、白い息とともに暗闇に吸い込まれていく。赤黒い襤褸切れの様になったロンの姿と、次から次へと鬼を薙ぎ倒していくロンの姿が交互に何度も頭に浮かぶ。


 息が苦しい。

 胸に手を当て、落ち着かせようとする。だが頭の中は次第に、暴漢に襲われた「龍一郎さん」や、鬼に襲われた「ロン」の姿で占められていく。


 無事に帰って来て。

 私の魂は、粉々に砕けてもなお、血を吐くように叫び続ける。


 何度も、何度も。

 一晩中。


 **


 気が付くと、窓の外から仄かな茜色の光が射していた。

 泣き明かし、泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 もうすぐ夜が明ける。私は無理矢理気分を切り替え、今、自分がなすべきことをしようと立ち上がり、前掛けを手に取った。


 恐らくロンは、昨日から今朝にかけて、殆ど食事を摂っていない筈だ。一応、麦粉を練って焼いた小さな餅は持たせたのだが、あれでは何の足しにもならないだろう。

 過去の経験のせいだと思うのだが、ロンは空腹というものを必要以上に嫌がる、というか怖がる。だから今朝は、美味しい食事を作っておこう。


 米を炊き、野菜をたくさん入れた汁と甘辛く味をつけた芋を煮る。

 美味しくなりますように。

 食べると元気になりますように。

 祈るように食事を作る。


 その合間を見て、手早く顔を洗う。冷たい水を何度も顔にかけると、一晩中泣いたせいで腫れ上がっていた顔がもとに戻るのが分かった。


 ああ、よかった。ロン、大変な思いをして帰って来て、出迎える私が愉快な腫れ顔だったら、きっと色々つらいだろう。


 米の炊ける匂いと、芋の煮える匂いが詰所に漂う。もうそろそろ完成だ。


 夜が明け、詰所の中に透き通った蜂蜜色の光が満ちる。

 暖炉の火を入れる。薪が軽快な音を立てて歌う。

 米が炊けたようだ。釜の蓋を開けると、白い湯気がいっせいに蜂蜜色の光の中に立ち昇り、ふくよかな甘い香りと、ぷちぷちと囁くような米の笑い声が台所に広がった。


 その時、詰所の扉が開く音がした。

 釜の蓋を放り出し、台所から飛び出す。


 扉の前に、朝の光を背にしたロンが立っていた。


「ロ……」


 無事に、帰って来た。


 そこには、外套を羽織り、腰に細い刀を佩いた、いつもの姿のロンがあった。

 目立った外傷も、着物の乱れもない。


 無事に、帰って来た。


 鼻の奥が痛くなり、涙腺が緩む。

 私は目に力を入れ、それを押しとどめる。


 ロンは無事だった。でもきっと今、酷く疲れている筈だ。それなのに、私が今ここで泣いて取り乱したりしたら、彼はそれを一生懸命なだめるだろう。

 今私がなすべきこと。それは多分、

 疲れた彼が、ゆったりと羽を休められる場所を作ること。

 私は前掛けで手を拭き、涙を押し込め、満面の笑みを湛えた。


「おかえりなさい」


 うまく、笑顔が作れただろうか。

 ロンは、光を背にしたまま動かない。

 窓の外を、雀が啼きながら横切った。

 朝食の匂いが、詰所の中に漂っている。


 ロンが、手にしていた荷物を床に落とした。

 一歩踏みだす。

 菫色の瞳が、朝の光の中で揺れて光る。


 そして私のもとへ駆け寄り、強く抱きしめた。


 息が苦しくなるほど強く抱きしめる。私の全てを包み込む様に。

 私を掴む手に力が入る。縋る様に。

 そのままずっと、時が経つ。


 ロン、どうしたんですか、という言葉が出かかったが、飲み込む。

 私は彼の背中に手を回し、少し躊躇ったが、腕に力を入れて抱き締めた。


 包み合う体の間を、互いのぬくもりが巡る。

 張りのある彼の背中の奥が震えている。


 きっと今、声をかけてはいけない。私は彼の背中をそっと撫でた。


「ただいま」


 震える声で、絞り出す様にそう言った後、ロンは私を抱く腕に更に力を込めた。


 窓の外で、雀が啼いている。

 出来立ての朝食の匂いが漂っている。

 蜂蜜色の朝の光が二人を包む。


 私達は、これ以上、何も話さなかった。

 けれども、気付いてしまった。きっと彼も、気付いていることだろう。



 私達の魂は、今、重なり合い、ひとつになった。

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