第8話 捕獲

「今更言ってもお前が聞かないのは分かっているけどな、やっぱりやめないかロン」


 リクは詰所へ来るなり腰の剣をテーブルに放り投げながら言った。彼の言葉に他の団員達も頷く。


「聞かないのを分かっているなら言うな。鬼共は新月の日はあまり地上に出ない。だから今日を逃したくない」

「でも」

「ス村の話は聞いただろう。今のこの村の置かれている状況はあれとそっくりだ。これ以上のんびりしている暇はない」

「そうだけど。じゃあせめて俺らも」

「絶対駄目だ。それにリク、もういつ産まれるか分からないんだろう?」


 こうなったらもう、ロンは動かない。それは誰もが知っていた。

 詰所の中を重い空気が漂う。暖炉のパチパチという音だけが、団員達の気も知らずに一人で軽快に歌っている。


「お前だけ危険な目に遭わせていいわけがない。もしもの事があったら」


 リクの言葉は、呟きに近くなっていた。


「俺は死なない。それに」


 今ロンが言った「死なない」の意味が、文字通り「死なない」だという事は、私以外勿論誰も知らない。ロンは傍らの荷物を掴んだ。


「これ以上、団員達から死者を出したくない。これはお前達本人だけの問題じゃない。お前達には家族がいる」


 そこで言葉を切り、団員達を見まわす。

 最後に私に目を止め、目を逸らす。


 そのまま黙って外に出る。扉が開いた途端、寒期特有の針の様に鋭く冷たい風が私の両頬に刺さる。

 扉が閉まり、深沓の音が遠ざかる。部屋の中が、再びじんわりと暖かくなる。

 暖炉だけが、一人で軽快に歌っている。


「ユニ。俺に偉そうな事を言う資格はないけれど」


 皆が持ち場に戻り始めた時、ユウは私の顔を覗き込んで言った。


「大丈夫だよ。こ、この間、だって戻って来られたんだから、さ。だからロンを信じようよ。今の俺らにはそれしか出来ないんだし。ね。ほら、もう仕事に戻ろう」


 ユウは私の顔を覗き込み、軽く溜息をついた。


「ロンは必ず明日の朝、鬼の巣から帰って来るって。ね、ほら、折角の別嬪が台無しだよ。だから、もうこれ以上、泣くなって……」


 **


 ロンを見送った直後、扉の向こうから騒がしい怒鳴り声と一緒に人が転がり込んできた。


「おい、こいつ盗人だよ! とっ捕まえてギッタギタにしとくれ!」


 なんだか聞き覚えのある声だと思ったら、宿つき飯屋の女将だった。屈強な若い男と一緒だ。彼は顔色の悪い貧相な男の襟首を掴んでいる。この掴まれているのが盗人だろう。


「おう、女将久しぶりだな。実は昨日、女将の宿の前まで行ったんだけどな」


 怒りに燃えた女将と若い男に向かって、カンは呑気に声を掛けた。


「知っているよ。枯れ井戸見に来ていたんだろ。って、知るかい! それよりこいつ、うちの厨房に入り込みやがった!」

「しかも俺らの賄いの朝メシ食いやがって、ただじゃおかねえ」


 若い男はそう言って舌打ちをし、盗人の後頭部を叩いた。盗人は項垂れたまま叩かれるに任せている。


「俺らの賄いって、お前女将ん所の新入りか。女将、随分使えそうな奴雇ったなあ。おいお前、奉仕団にならねえか?」


 盗人がいるというのに、カンはさっきから雑談ばかりしている。そのカンの態度をさすがに見かねたのか、リクがわきから出て来て盗人の両手を縛り、ユウは女将達から事情を聞き始めた。


「お前、なんで盗み食いな」


 リクが盗人に話しかけたのを、カンが手で制した。

 ユウはその様子を横目で見た後、手際よく書類手続きを済ませた。


 帰り際、女将は私の顔を覗き込んで険しい顔をした。


「ユニ、泣かされているのかい?」


 泣き腫らした目に気付いたのだろう。私は無言で首を横に振り、俯いた。


「女将、そりゃ人聞き悪いぜ。実はな、ロンが今おに」

「実はな、今朝、ユニがぼーっとしていてちょっと色々やらかしちまったんだよ。そうしたらな」


 リクの言葉を遮り、カンが少し大きな声で話しながら、私の頭を軽く叩いた。


「ロンが怒鳴ったんだよ。そうしたらまあユニがびっくりして大泣きしちまって大騒ぎさ。こいつ、今までロンに怒鳴られた事なくてよ。ロンの野郎、俺らに対する態度とユニに対する態度が正反対でな。大事大事でべったべたに甘やかしているもんだから、って、おう、これ以上言ったらロンに斬られちまう」


 カンは首をすくめ、自分の頭を叩きながら笑って舌を出す、という謎の行動を取った。


「だから言ったろ、こいつ、ぼーっとしているって。あんまり甘やかすなってロンに言っておきな」


 女将は一瞬、口元をほころばせた後、いつもの気難しい表情に戻り、若い男と一緒に詰所を出て行った。


 **


 リクに襟首を掴まれ、両手を縛られた状態の盗人は、額に汗を浮かべ、せわしなく詰所の中を見回している。よく見るとどことなく薄汚れていて、近くに寄ると結構体臭がきつい。

 カンは盗人の方に向き直った。書類を片付け、ユウも近づく。カンは盗人に目線を合わせ、口の端を歪めた。


「落ち着きねえな。ま、当たり前か。とっ捕まったりしたら一大事なんだろ、てめえらは」


 盗人に顔を寄せ、声を落とす。


「なあ、子鬼よぉ」


 カンの言葉を受けて、盗人は鼻に皺を寄せ、甲高い声で怒鳴った。


「わたしは鬼じゃありません!」

「てめえ、この期に及んで何言ってやがる。あ、カマ掛けていると思っていんのか? なんだったらその着物ひん剥いてやろうか」

「わたしは鬼じゃありません。隣の国から来ました」

「だからなんだよ、微妙に話通じてねんだよ。舐めくさってんじゃねえぞコラ」

「わたしは」

「ちょっと待てカン。こいつ、多分本当に言葉がよく分かっていない」


 唾を飛ばして声を荒らげはじめたカンを押しのけ、ユウは盗人の前に立った。


「なんだよ、隣国は言葉が違うとでも言いたいのか?」

「そんな訳ないだろ。俺をばかにしているのか? そうじゃない」


 ユウは少し何かを考えるような仕草をしたあと、口を開いた。


「こんにちは。わたしはユウです。はじめまして」


 ユウが唐突に始めた不自然な言い回しの自己紹介を聞いて、盗人――子鬼らしい――は、何故かぱっと表情を明るくした。


「あなたはいつ、セ村に来ましたか?」

「前の夜に来ました」

「昨夜、来たんですか」

「あ、昨夜」


 ユウはそこで一旦言葉を切り、カンを見て笑った。


「こいつ、言葉覚えて間もないんだよ。だからカンの汚い言葉遣いじゃ分からない」


 カンはユウの言葉には特に反応せず、暫く腕を組んで何かを考えた後、ユウを手招きし、耳打ちをした。剣を手に子鬼に向かっていた団員を制し、「こいつ使えるかも」と囁く。

 私は子鬼の方へ目を向けた。奴はユウの方を見てにこにこと笑っている。この状況で何を笑っているんだと思いながら見ていると、奴と目が合った。

 子鬼は私を見ると、満面の笑みを浮かべて「きれいですね」と言った。


「てめえ、調子こいてユニに媚び売ってんじゃねえぞコラ。んなの聞かれたらロンになますにされ」

「だから。そういう話し方じゃ通じないんだよ。じゃあ分かった。聞くだけ聞いてみるさ。無駄だと思うけれど」


 ユウは子鬼に向き直った。


「あなたは隣の国から来たんですか」

「はい。隣……隣?」

「あなたの隣は誰もいません。あなたの前がわたし。後ろが、この人。上が」

「あ、隣、違います」

「あなたは、どこから来ましたか」

「下の国から来ました」


 ぽん、と手を叩いた後、奴は床下を指差して言った。


 笑みを浮かべて楽しそうに話す子鬼を見て、黒い泥の様な嫌悪感が体の中から噴き上がる。


「誰かに、上の国へ行きなさい、と言われたんですか」

「いいえ。わたしは小さいです。行かないで、行って、行ってはいけない? と言われたんです」

「もっと大きくなって、もっと言葉が上手になってから行きなさい、と言われたんですか」

「はい。上の国には鬼がいます。殺されるそうですよ。剣で殺されます」

「鬼、ってまさか俺らの事か」


 ユウの呟きを受けてカンが口を挟んだ。


「へぇ、鬼共はガキに俺らの事を『鬼』って言って躾けているのか。ひでえ話だな。あ、でもよユウ、お前は多分鬼に入らねえぜ。なにせ剣が重くて持てない奴だからな」

「うるさいな! これでも頑張っているんだよ! あ、なんでもないです。このおじいさんは言葉が上手じゃありません。聞かなくていいです。えーと、じゃあ、あなたは、遊びに来たんですか」

「はい。上の国にはごはんがたくさんあります聞いています。だから来ました」


 人間の、恐らく自警団の事を「鬼」と呼ぶこの子鬼は、その「鬼」に捕まったというのに、平気で色々喋っている。さっきまで落ち着かない態度だったのに。

 今、自分が危機的状況だという事を、忘れているのだろうか。

 目の前の人と言葉が通じただけで嬉しくなって、状況が理解出来なくなる位、幼いのだろうか。


 ユウは目を細めた後、口を開いた。


「わたしはユウです。十八歳です。あなたは?」


 子鬼は脚をばたばたさせ、所々前歯の抜け落ちた口を大きく開いて答えた。


「わたしはアイです。六歳です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る