第7話 東雲

 ロンが鬼の巣へ行く新月を翌日に控えた朝。

 団員達に囲まれて、私はあの日の事を話していた。


 私は自警団員の前で、少しずつ自分の身に起きた出来事を話すようになった。

 ここまで村の危機を感じてしまうと、自分の魂の事ばかり考えていられない。話していると、時折うまく息が出来ずに臓腑が潰れそうになってしまう事がある。だが、それだけの思いをしても、話す。

 私の経験は、私が思っていた以上に重要な情報を含んでいたからだ。


 奴らの襲撃の行き着く先は違っていても、私のミ村と隣村のス村で起きた出来事には、共通点が色々あったのだ。

 そしてそのうちの一つに、「鬼共は鬼の巣の入口からだけではなく、枯れ井戸からも出て来た」というものがあった。


「そういえば、ミ村の詰所の近くには、大きな枯れ井戸がありました。確か、網だか蓋だかがしてあっただけだから、壊そうと思えば簡単に壊せたと思います」


 それなりの頭数の鬼が遠くから詰所に向かっていたら、奴らが詰所に到着する前に騒ぎになっていただろう。そうすれば、あんなにすぐに自警団が全滅することはなかったはずだ。

 だが、詰所の近くの枯れ井戸から奴らが出て来たとなれば、話は別だ。

 枯れ井戸の事なんか、普段、誰も気にしない。早速、手分けして枯れ井戸の対応に向かうことになった。


 **


 以前私が買われていた、宿つき飯屋の近くにも枯れ井戸がある。今、その周りに団員達三人が集まっている。

 私は見張り役だ。見慣れない人がいたら、彼らに合図をする。


 また、知らない人が来た。大人の男性で、ぼんやりとした顔でこちらを見ている。着崩れた着物に乱れた髪の毛。私が合図をすると、団員達は作業の手を止めた。

 男は暫く立ち止まってこちらを見ていたが、やがてのろのろと去って行った。


「ありゃぁ子鬼だな、多分。もし違っていたら申し訳ねえけど」


 寒空の下、額に汗をびっしりとかいた団員が、泥のついた手で額を拭って言った。


「よし再開だ。さっさとやっちまおう」


 団員達は枯れ井戸に向かう。私は見張りを再開する。


 枯れ井戸の中をいじり、井戸の周りで子供達が遊ばないよう網を張る。

 そうやって、鬼の偵察の目をかいくぐり、近々来るかもしれない襲撃に備える。


 **


 才能、で誤魔化してはいけないと思うのだが、努力ではどうしようもない「才能」というのは絶対にある。

 例えば歌。一回聞いただけで上手に歌える人もいれば、何度練習しても下手な人もいる。

 例えば絵。見た風景以上の美しい風景を描く人もいれば、さかずきひとつまともに描けない人もいる。

 そう言う意味で、ロンには「剣の才能」があり、私やユウには「そもそも運動神経がない」のだろう。


 普段、団員達が鍛錬している詰所の裏手。そこにいる私達を見て、シュウは腕を組んで溜息をついた。


「なあ、絶対無理だろ。分かりきっていた事だろ。時間ねえんだから諦めようや」

「無理は百も承知だ。だが、ユウも自警団員だ。それに」


 シュウに「絶対無理」、ロンに「無理は百も承知」と断言されながら、私とユウは、腕をぶるぶる振るわせて重い剣を構えていた。


「これ重いんだよ。技をどうこう以前に振れないんだよ」


 華奢で小柄なユウは、思っていた以上に力がない。そしてちょっとびっくりする位動きが鈍い。彼の創造主は、「頭と顔を良くしたんだから、あとはまあ、いいや」と考えたのだろうか、などと思わず失礼なことを考えてしまった。

 まあ、人のことは言えないのだが。


「なら弓を」

「前にやったじゃんかよ、そしたら的じゃねくて詰所の屋根にばっか刺さったんだよ。槍は地面しか刺せねえ、手裏剣は隣の奴に当たりそうになる。んで、俺が武器を持つと味方を殺しかねねえから二度と持つなって言ったの、ロンだったじゃんかよ。……何だよユニ、『そこまで酷いって逆に才能だな』って思っただろ今。喋んねくても顔に全部出んだよ」


 急に素の状態になって、何故か私に当たり散らし始めたユウに向かって、ロンは静かに告げた。


「こういう事が苦手なのは知っている。知っていて、敢えてやらせている。今までだったら『得意な仕事だけしていろ』と言えた。だが、大規模な襲撃があった場合、この詰所は近隣住民の避難場所になる」


 ユウは剣を降ろし、少し不貞腐ふてくされた様に話を聞いていた。


「俺や他の団員達は、その時詰所にはいないだろう。そうなった時、自警団員が武器も持たずに震えている訳にいかない。実際鬼を斃せるかどうかはともかく、少なくとも剣を持ち、住民の前に出ろ。彼らを守るという気概を持て。それに、家が遠いから実際にはないだろうが」


 ロンは少し声を落とした。


「ア、自分の家族が詰所にいたとしたら、どうする」


 アミが、と言いかけていたのだろう。ユウは俯き、唇を噛んだ。


「痛い所衝くの上手いな。でもさ、自分こそ、どうなんだよ」


 ユウは私を見て、私の剣を見て、ロンを見た。


「お前、詰所で構えて指示出す性分じゃないだろ。絶対一番前に出て刀振り回すだろ。彼女は俺以上に武器が使えない。なのに『自警団の中にいるから』って住民の前に出す気なのか? お前、んだろ?」

「ああ。な。だからユニには、俺がいない時、せめて自分の身を守れる位にはなって欲しい」


 ロンは、剣を構えていた私の手に触れ、剣を降ろさせた。

 私に触れた手を離し、その手で拳を作り、強く握った。

 険しい表情で暫く地面を見つめ、やがて口を開いた。


「村に危機が訪れた時、一番大切な人の傍にいて守れないのが自警団員だ。それは皆、同じだ」


 私を見て、ユウの方へ向き直る。

 ユウはロンではなく、私を見ている。


「ユウには夕方前に役所へ行ってもらう用事がある。だから時間がない。再開する。構えろ」


 私達は再び剣を持ち上げた。


 剣は重い。だが、胸の奥はもっと重い。

 石を詰め込んだ様に。


 **


 昨夜は殆ど眠れなかった。

 外に出る。まだ夜は明けきっていない。雲を抱いた濃藍色こいあいいろの空に星はなく、僅かに白んだ地平線の縁が茜色に染まっている。

 掌を合わせ、息を吐いて温める。指の間から立ち昇る白い息が、ふわりと濃藍色の中に消える。


 今日、ロンは鬼の巣へ行く。


 鬼の死体処分場から持って来た面と服を直し、子鬼に扮して中の様子を探るのだという。明日の明け方には戻る、と言っていた。


「最近、鬼による強盗の被害は出ていない。しかも明日は新月だから大丈夫だと思うが、どうする。誰か団員の家に泊めてもらうか、女将の所へ行くか」

「女将の所はないです、さすがに。それに大丈夫ですよ。一晩経てば、ロンが帰って来るんでしょう?」


 昨日、そう言って微笑んだ。


 どうか無事で。

 見つからないように。

 捕まらないように。

 以前鬼に捕われた時の、赤黒い襤褸切れの様になった彼を思い出す。

 死なないだけで痛みは同じだと言っていた。だとしたらそれは、死ぬよりも苦しいじゃないか。

 それに、もし、首を跳ねられたりしたら、その時は。


 泡沫うたかたの様に浮かんでは消える昏い想いを全て呑み込む。


 少し早いが水でも汲もうと桶のある場所へ向かうと、詰所の中に明かりが灯っていた。

 窓から中を覗く。そこには空と同じ濃藍色の着物を着たロンの後姿があった。

 背中を曲げて何かを持った手を規則的に動かしている。暫くして背中を伸ばし、首を動かす。


 角灯の光を受けて、彼の手にした刀身が鈍く光る。


 そっと窓から離れる。その時、気配に気づいたのかロンが立ち上がり、振り向いた。

 だが、私は彼と目が合うよりも早く背を向け、歩き出した。


 **


 少しづつ、空が明るくなる。地平線の茜色は、淡く白い光を受けて少しずつ溶けてゆく。

 この白い光が空を覆う時、ロンが巣へ向かう。


 桶を担ぎ、大股で井戸に向かいながら、何度も思う。

 さっきの態度、あれで、良かったんだ。

 彼を無視し、背を向けて正解だった。

 もし、あそこで目が合っていたら。彼の瞳を目にしていたら。

 私はきっと、醜態を晒していた。


 詰所の中に入り、彼にすがり、泣き出していたかもしれない。

 この期に及んで行かないでなどと言っていたかもしれない。いや、それならまだいい。


 自分の心のうちを曝け出していたかもしれない。


 井戸を覗き込む。井戸は澄んだ水を湛えている。勿論、遥か地底から鬼が這い出して来ることはない。

 水の入った桶を担ぎ、詰所に戻る。

 そして再び思う。


 あれで、良かったんだ。彼を無視したのは正解だった。

 あそこで、私は距離を取らなければならなかった。


 私の為にも。

 そして、おそらく。

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