第6話 軌跡―鬼の正体
ユニ、具合はどうだ。
話が長くなった。もう少し続けても大丈夫か?
そうか。
で、ああ、三度目の戦争の話からだったな。
**
三度目の戦争のきっかけを、今の言葉で何と言えばいいのだろう。
あの時代は
それらと国同士の思惑が最悪の方向でぶつかり合い、戦争が始まった、と思ってくれればいい。
あの時代の戦争は、今の戦争とは規模が違う。釦一つでトン国を全滅させることが出来る様な兵器や、遠く海を隔てた異国に向かって爆弾を落とせる兵器などが幾つもあった。それらを世界中が使ったのだ。
そう。その通り。その戦争は、勝ち負け以前に、地上の大半と、国家の大半を崩壊させて、終結した。
終戦、というより、争っていた国そのものが共倒れした、という状態だ。
この時、「日本」という国も、崩壊した。
国が崩壊した、といっても人間は生き残っている。人々は戦争で用いられた兵器によって汚染された地上から、地下へと生活場所を移した。
戦争が最悪の状態に進めば、いずれそうせざるを得ないことは予測されていたらしい。戦前に既に作られていた地下都市への移住は、一般庶民が想像していたよりもすんなり完了した。
何故そうなる前に、という話はしない。兎に角戦争を生き延びた僅かな人間達は、広大な地下都市で、百年以上にわたって生活をすることになった。
地下都市は日本国内に何か所も作られていたが、国が崩壊した後、それぞれの地下都市ごとに政治を司る組織が出来上がったらしい。要は、東京なら東京で、一つの国の様になった。
やがて地上の汚染が解消され、人々は次々と地上に出て生活を始めたが、遂に日本が一つに纏まることはなかった。
地上に出て暫くは平和だったが、そのうち政治組織に不満を持つ者が各国に現れ、内戦や隣国同士の戦いなどが繰り返された。
その度に人口は大幅に減り、文明は衰退していった。
ここまで聞けば、想像つくだろう。
現在、「鬼の巣」と呼ばれているものは、三度目の戦争の後に使われていた、地下都市だ。
俺の知る限り、地球上の文明の頂点の時期に作られた地下都市。現在、中がどうなっているのかは分からないが、数百年の時を経ても鬼が生活するには充分な空間だ。
鬼。
便宜上、鬼と言っているが、厳密には、この世に鬼という生き物は存在しない。
奴らは、戦争に敗れ、地下に逃げ込まざるを得なくなった人間達の、末裔だ。
何故、あそこまで外見が変わったのか、俺は専門家ではないから詳しいことは分からない。生活習慣の変化位では、ああは変わらない。
だが、三度目の戦争で撒き散らされた汚染物質の一つに、人の成長に作用するものがあったと聞いたことがある。人間が地下から地上に出た理由は、地上の汚染が解消されたからというより、地上の汚染物質が地下に移動したからという事だったらしいから、そのあたりが原因なのかも知れない。
鬼だって、最初からああだったわけではない。少しずつ、少しずつ、変わっていった。
外見はさほど大きな問題ではない。
一番変わったのは、心だ。
かつて人類が棄てた地下に棲み、数百年の時をかけて、いつしか「人間」は、「鬼」と呼ばれるまでに変わってしまった。
鬼は、人間だ。
だからなめてはいけないし、俺は常に、自分が「人間」を殺しているのだ、という意識がある。
**
こうして俺は、色々な場所で、色々な事をしながら生きて来た。
その中で、俺をここまで信頼してくれたり、温かく迎えてくれたりした村はそうそうなかった。
そしてここまで出て行きたくないと思う村はなかった。
だが、仕方がない。
**
ロンの話を聞き、受け止め、咀嚼し、そして魂の震えが治まるまでに、随分長い時間を要した。
暖炉の薪が爆ぜる音で我に返り、ロンを見つめる。彼は軽く頷いた。
「そういう事だ。長くなった。もう遅い時間だ、物置へ戻れ」
いつもの口調に戻り、立ち上がる。私を扉の方へと促す。
「私は」
立ち上がりはしたものの、彼に抵抗する様にその場を動かなかった。
次の言葉が出てくるまでに時間がかかった。
「ロンと一緒に、この村を出ることは出来ないんでしょうか」
「駄目だ」
私が言い終わるか終わらないかの時にロンの言葉が刺さった。
「ユニの新しい雇い主なり、働き口なりは見つける。これ以上人に買われる様な事にならないようにする。だから安心してこの村で暮らすといい。それにもう十八だ。そろそろ亭主を見つけてもいい年頃だろう」
あまりにも残酷な
窓の外を見る。既に夜更けだ。風に揺れて時折音を立てる硝子の向こうでは、少し欠けた月が白く光っている。
「あの月」
唐突な私の言葉に、ロンが怪訝そうな顔しながら近づいて来て、窓の向こうを見た。
「少しずつ、欠けて細くなっていくんですね」
少しずつ、少しずつ、闇に飲まれて細くなっていく月。今はまだ強い光を放っているが、やがては完全に闇に飲み込まれていくのだ。
周りの星を従え、孤独に大きく光る、少し欠けた月。
その姿が、ロンの姿と重なる。
「月が欠けていくのを止めることは出来ないけれど、こうして姿を見て、その姿の全てを受け入れて、寄り添いたいと思うんです。それが何の役に立つんだって言われると困っちゃうんですけれど。でも、月って、周りに星が沢山あるのに、なんだか独りぼっちみたいなんですもん。だからそれは違うよって言ってあげたいんです。私がいつも見ているよ、ずっと傍にいるからねって」
私のすぐ隣で、ロンも月を眺めている。
風が嘆ずる様に哭く。
「月は欠けても、いずれまた満ちていく」
月に向かって、ロンは静かに語り掛ける。
「月の満ちていくさまを見たかった。少しずつ少しずつ、本来の姿を取り戻して、やがて満面の笑みを見せる日まで、寄り添い、雲や雨からその輝きを守りたかった。村を出れば、月を眺める事は出来なくなる。だが俺自身が、月を泣かせる雨になるわけにはいかない」
そして口を閉じる。
俯き、再び顔を上げる。
「月がどれだけ闇に飲まれて細くなっても、月そのものがなくなっている訳じゃないです。月はちゃんと大きな丸い姿を持っています。闇に飲まれて隠れているだけなんです。でもきっと、闇に飲まれた部分は痛いんじゃないかなって思うんですよね。そんな時、私、一緒に痛みに泣いたり、闇に飲まれた部分をいたわりたいんです。だって、私は」
少しだけ、ロンを見る。
目が合う。
目を逸らし、月を見る。
月の姿の向こうに、彼の姿を思い浮かべながら、言う。
「私はずっと、月が好きだから」
薪が軽快に爆ぜる。
私達は寄り添う様に並んで窓の側に立っている。
一瞬、薄墨を掃く様に月に雲がかかり、風が雲を持ち去り、再び白い姿が現れる。
私達は同じ月の話をしながらも、どこか会話が噛み合わない。
それでも話す。私が彼への想いを口に出すには、こうするしかなかったから。
そして話はかみ合わなくても、互いの魂のどこかが重なりあい、同じ音を立てて揺れているのを感じたから。
少し体を動かした時、腕が軽く触れ合った。慌てて離れ、反対の手で腕にそっと触る。
彼の腕の触れた部分が、彼の体温を記憶する。
その記憶に縋る様に、再び寄り添う。
温もりが着物を通して、じわりと滲みる様に伝わって来る。
ロンは私を見た。
目が合う。
互いに微笑む。
再び月に目を向ける。
「この呪いが解ける日は来ないだろう。それに解ければいいというものではない。だからこうして月を眺められるのは今のうちだけだ。それでも時折、夢見ることはある。見た所で仕方がないのは、分かっているのに」
言葉を切り、続ける。
「もしも呪いが解けたなら、俺はこの村にずっと留まりたい。そして」
ロンは私を見た。
今にも泣き出しそうな、儚げな笑みを浮かべて。
「月の満面の笑みを眺め慈しみながら、この髪が白くなり、やがてこの身が骨になるまで、寄り添えればと」
**
風はいつの間にか弱くなっていた。
もう、かなり遅い時間だ。明日もある。そろそろこの時間に別れを告げなければならない。
それなのに私達は、僅かに触れた腕の温もりを感じ合いながら、寄り添い、月を眺めていた。
そうして八百年の時の果てに出会い、同じ音を立てて揺れ合い重なり合う、互いの魂の音に耳を傾けていた。
**
「もう遅い時間だ。そろそろ物置に行け。明日も忙しい」
触れ合った腕を離して、ロンはいつもの調子で言った。
腕が離れると同時に、重なり合って揺れていた魂も引き剥がされた。魂は、うすい硝子細工が割れる時の様な、ぱりぱりと乾いた音をたてて泣いた。
「明日から頑張ります。おやすみなさい」
そう、言うしかない。私は買われた人間で、ロンは主人だ。
あなたが好き。大好きなの。もっと一緒にいたいし、これからもずっと一緒にいたい。想いを受け入れて欲しいとは言わない。主人と買われた人間の関係のままでいいから。あなたよりもずっと短い、この命が消える時まで、出来得る限り尽すから。だから。
私を、捨てないで。
言葉にすればこれだけなのに。
声は出せるのに、声に出せない。
扉を開けた。しん、と滲み込む冷たい空気が体を覆う。私は扉の前に立つロンの方を向き、軽く頭を下げた。そして後ろを向き、歩き出した。
その私の右手を、彼が掴んだ。
私の手を掴む、あたたかで大きな手の、力強い感触。その力強さに思わず立ち止まり、振り向く。
甘い痺れが、体の奥を走る。
月明りと角灯が僅かに彼の姿を浮かび上がらせている。
真っ直ぐに私を見つめる、彼の瞳が揺れている。
何かを話し始める時の様に唇が動き、そして、閉じる。
形のいい唇を強く噛みしめ、目を伏せる。
手を離す。
「すまん」
私を握った手で拳を作り、腕を降ろす。
強く握りしめられた拳が震えている。
「おやすみ」
扉が閉じられる。
**
暗い物置の寝床に入り、毛布を掛ける。
冷たい毛布の感触に身震いをし、その冷たい感触がたまらなく寂しさを湧き上がらせる。
ロンに握られた右手に、そっと触れる。
あの時感じた、力強い感触とぬくもり、そして甘い痺れ。
私の魂は、あの痺れを求めて、きゅう、と啼く。
身を
毛布の中が少しずつ温まってくる。
ロンの話を思い返す。
彼の罪の話。
普通では考えられない様な不思議な話だった。だがあの状況で自分の罪を誤魔化すために、適当な作り話をしたとも思えない。いや、作り話ならもっと現実にありそうな話にするだろう。
私は本物の海を見た事がない。だが、子供の頃に聞いたことがある。
海の向こうに、「あの世」がある、と。
「あの世」というのが何なのかは分からない。「異国」とは別の意味の、今、こことは違う世界が、海の向こうにあるのだろうか。
陸と海の境目で倒れたロンは、「この世」と「あの世」の狭間に落ちてしまったのだろうか。
鬼は人間だった。
ロンが鬼の巣の事について、時折見てきたような事を言っているのが不思議ではあった。まさか以前にも偵察に行ったことがあるんじゃないでしょうね、と思っていた。
そうじゃない。彼は、あの地下で百年、生活をしていたのだ。現在とは比較にならない位、高度に発展した文明の中で。
地面を掘り返すと、たまに不思議な形をした金属が出てくることがある。どう考えても自然に出来たものではない。だから昔、そういったものを作る文明があった、というのは知っていたが、その発展ぶりは私の想像をはるかに超えていた。
寝返りを打つ。
毛布の端を握る。
沢山聞いた数々の不思議な話以上に、本当は、心を占めているのは。
握られた、手の感触。
揺れる瞳、閉じられた唇。
体の奥を走る、甘い痺れ。
あの痺れを感じた途端、私の魂が叫びだした。
それを理性という名の心が強く押さえつける
ないから。あり得ないから。そう言って魂を鎮める。魂は理性の手を潜り抜け、叫ぶ。
好きです。
愛しています。
それに。
あなただって。
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