第3話 崩壊の村

 昨夜の出来事がまるでなかったかのように、今朝は爽やかに晴れ渡っている。井戸の周りには、いつもの様に水を汲んだり野菜を洗ったりする女達が集まっていた。


 彼女達の陽気な声が、今日は何故か頭に響く。楽しげな笑い声を聞くのがつらい。

 水を汲み、担ぐ。だが思うように力が入らない。なんとなく体が重い。


「ユニ、調子悪そうだね。風邪でもひいたのかい?」


 おばさんの一人が私の顔を覗き込んで言った。


「うぅん、そうかもしれません」

「疲れが溜まっていたから風邪にやられちゃったんだよ。いつもいつもむさ苦しい野郎共にこき使われているからさ」


 おばさんの言葉に私は少し笑って会釈をし、井戸を後にした。


 調子が悪い原因なら分かっている。昨日の雨と、寝不足だ。

 ずっとずっと考え事をしていて、眠れなかったのだ。


 ――俺にとって、それはユニ。


 あれは、どういうつもりで言ったのだろう。

 私を大事にしてくれているロンを見て、鬼がそう解釈したのだろう、という程度の意味なのか。それとも。


 ロンは私を買った時からずっと大事にしてくれている。

 ロンは単なる吝嗇ではなく、全ての物を丁寧に扱うし、なかなか捨てない。昔、金銭的に苦しい生活をしていたからかも知れない。

 だから叩き売りとはいえ五十センというそれなりの値段の「人間」で、しかもつい最近まで昔の恋人の魂まで抱えていた私は大事にされている、そう思っていた。

 だが、私は近々、捨てられるのだ。


 彼は私を、どう思っているのだろう。

 彼の心が、魂が、見えない。


 まあ、一つだけ確実なのは、私がロンに抱いている気持ちと、ロンが私に抱いている気持ちは別だ、という事だ。


 詰所まで、もうすぐだ。

 肩に担いだ、水が重い。


 **


 朝の掃除が終わる頃、団員達が次々と集まって来た。今日は早番遅番関係なく全員集まっている。

 昨日の報告が始まるのだ。途中まで一緒に聞けと言われたので、私も部屋の隅に立って話が始まるのを待った。

 頭の中に綿が詰まった様な感じがする。気持ち悪い。座りたい。

 でも、皆が立っているので、言えない。


「ス村の前に、昨日ここに来た鬼の件だが」


 ロンの話は、昨夜の誘拐未遂から始まった。話の途中、皆がちらちらとこちらを見る。

 「鬼共は一番大切な人を誘拐する」のくだりはぼかした表現にしていたが、察したのだろう、ユウは唇を噛み、下を向いていた。


 **


「ご苦労だったなロン。厩の前にある死体は後で俺が捨ててきてやる。でよ、ス村とやり口が一緒だから、ここも下手するとス村と同じ目に遭うって言いたいんだろ、お前。そのス村はよ、どんな感じになっていたんだ」


 カンの言葉に、ロンは少し私を見た。

 今から鬼に襲撃された村の話が始まる。だから私の魂が傷つくのを気にしているのだろうか。私は一歩前に出た。


「私なら大丈夫です。この村に起きるかもしれない事は、聞いておきたいです」


 自分の言葉が、紙を一枚挟んだところから聞こえてくるように感じた。ロンは軽く頷くと、話し始めた。


「役所に上がっていた報告は、『村が鬼に襲われた』という点以外は全て出鱈目だった」


 団員達から、呻く様な低い声が漏れる。


「現時点では、殺害された人数は報告より少ないとみられている。家屋も表面上はさほど壊されていない。自警団員は二名生き残っていた。役所の人間も何人か残っている。だが、あの村が崩壊するのは時間の問題だ」


 そこで言葉を切り、もう一度私を見る。私は軽く頷いた。

 頷くために首を動かした時、頭が鈍く痛んだ。


「あの村の一部は、鬼共に占領されている。人間を殺害し、空いた家に棲みつき、夕方になると生き残りの人間相手に略奪を働いている。自警団や役所は他の村との交流上、存在を装っているだけで機能していない。あの村を襲った鬼共は、ミ村を襲った奴らの様に一気に襲撃して村を壊すのではなく、村の内側に根を張って少しずつ奪い取り、徐々に村を崩壊させる方法を取っている」


 ロンの見て来たス村は、人間こそ生き残っているものの、村としては死んだも同然だったらしい。

 通りは誰も歩いておらず、店も開いていない。役所や自警団は鬼の指示で嘘の報告を作成し、他村に流し、現状をごまかしている。そうして生き残った人間は、固く扉を閉じた家の中で、次に襲われるのが自分達でないことをひたすら祈っているのだそうだ。


 鬼は自分達で何かを生み出すことはなく、人間から奪うことしかしない。だから現状のセ村みたいに、たまに数頭の鬼が出て来て暴れる位なら持ち直すことは出来ても、占領されてしまえば、いずれ崩壊する。

 そして占領した村が崩壊すれば、鬼は次の標的を定めるだろう。


 じわじわと首を締められ、腐るように崩壊していく村。

 このセ村も、そうなる可能性があるというのか。


 **


 一通りの話を聞き終わった団員達は、暫くの沈黙の後、纏まらない思いを吐き出す様に騒ぎ始めた。


「そいつらがここを狙っているっていう確実な証拠はあるのかよ」

「いつ頃襲って来るんだよ」

「どうしたら対抗できるんだよ」


 口調はロンに問いかけている様だったが、答えが返って来るとは思っていないだろう。ただ、自分の心に張り付いた不安や恐れから逃げ出したいだけなのだと思う。


 私がいる場だったからか、ロンは具体的な様子はあまり語らなかった。それでも彼の語った内容は、黒い黴の様に私の魂を覆い尽した。


 あの日、ミ村でただ一人生き残った私は、

 また、村の崩壊を目にしなければいけないのか。


 気持ち悪い。


 団員達が思い思いに騒いでいる中、ロンは私の方へ近づいて来た。


「ユニ、大丈夫か」


 その言葉に、団員達は喋るのを止め、こちらを見る。私は軽く手を振った。


「大丈夫です。具体的な事を聞いていないので、魂は」

「そうじゃない」


 ロンの手が、ふわりと私の額に触れる。

 初雪の様に白く、骨ばった大きな手。

 手が離れる。

 ロンの菫色の瞳が間近に迫る。

 ひんやりとした、彼の額が私の額に触れる。

 息の聞こえる程近くに顔を寄せられ、私は思わず目を閉じた。

 

「どうして、こんなになるまで黙っていた」


 顔を離し、険しい声で言った。


「今日は一日休め。納戸で寝ていろ。後で治療師を呼ぶ」


 大丈夫です、と言おうとしたが、出来なかった。

 彼の真っ直ぐな視線が、無理や嘘を拒絶していたから。

 私は頭を下げ、納戸に向かった。


 寝台に横になり、ロンの気配のする毛布を被り、目を閉じる。

 その気配とぬくもりが、すぐ傍にロンがいる様な幻を見せる。

 ひんやりとした額と、菫色の瞳を思い出す。

 魂が、きゅう、と、震えながらちいさく啼く。


 この風邪は、そのうち治る。だが、いつか私の魂は、切なさに啼き疲れて、壊れてしまうかもしれない。


 **


 目を覚ますと、詰所の中が静寂に包まれていた。

 納戸から出ると、ユウが一人で机に向かって黙々と作業をしている。皆、見回りに出ているらしい。


「ユニ、具合どう? ロンがさ、見回りの帰りに治療師を連れてくるって」


 顔を上げたユウに向かって、私は軽く頭を下げた。


「だいぶ良くなったと思います。すみませんお手伝い出来なくて。私、結構寝ちゃいましたか?」

「まあね。あの後ロンが色々詳しい話をして、それについて皆で大騒ぎしたから、あんまり時間が経った気がしないんだけれど」


 やはり、私が部屋を離れた後に、具体的な話をしたんだ。気遣ってくれるのは有難いが、なんともいえない無力感が胸に広がる。


 ユウはペンを置き、暫く目を動かしたり何かを呟いたりした後、私を見据えた。


「あのさ、具合悪い時にこんな事言うのは良くないかもしれないけれど」


 大きな目が、険しい色を帯びている。


「ユニは、このままずっと、『買われた人間』としてここで働くつもり?」

「え?」


 余りに唐突な質問だったので、私はなんと言ったらいいのか分からず、変な声を上げた。


「ロンを主人として、このままずっと雑用係をしていくつもりなのかって聞いているの」


 それは、叶わぬ事だ。ロンはいずれこの村を出て行く。その言葉を飲み込み、目を逸らす。


「もしそのつもりなら、凄く腹が立つんだけれど」


 棘のある口調に思わずユウを見ると、彼は真っ直ぐに私を睨み付けていた。


「それでいいの? ユニは。このままだらだらと今の状態を続けていて」

「いいの、って、言われましても、私が何かを決めることは、出来ませんから」


 何事だろういきなり。私みたいな何の特技もない人間が、自警団の中に入り込んでいるのが気に入らないのだろうか。私はまだ少し痛む頭で考えを巡らせた。


「今回の誘拐の件さ、聞いたよね? ス村の自警団長の娘、アミ、そしてユニが標的になったの。ロンはちゃんと言っていなかったけれど、これって脅迫する対象が、一番大切に思っている人が狙われていたんだよ。分かる?」

「うぅん」


 どう返したらいいのか分からず、曖昧な返事になってしまった。


「ユニよりアミを先に狙ったのは、俺の家が詰所から離れていて都合が良かったからなのか、ユニの周りは常に自警団員がいて攫いにくかったからなのか、その辺は知らないよ。でもさ、常に詰所にべったり張り付いている訳じゃない、たまに偵察に来るくらいの鬼でも分かった事から目を逸らし続けている、ユニにもロンにも物凄く腹が立つ」

「ロンにも?」

「うん。あいつが一番腹立つ」


 ユウはそこで言葉を切った。


「あ、ごめん。体、きついよね。椅子に座って」


 私が椅子に座ると、言葉を続ける。


「ユニ、ロンに惚れているんでしょ」


 ええと……はい?


「見れば分かるよ。ユニ、喋れない時から気持ちが態度に出て分かりやすかったもん。それなのにさ、『私は買われた人間だから』みたいな態度で取り繕って、なんなんだと思う。それにさ」


 ユウは椅子から立ち上がり、私の目を覗き込んだ。


「分かっているよね」


 大きな目が私を捕える。


「ロンはあんたにべた惚れだ」


 あまりにも思わぬ方向からの攻撃に、私は目を見開いてユウを見返すことしか出来なかった。


「気が付かないわけないよね。皆、『自警団長』に気を遣って口には出さないけれど、団員達全員気付いていると思うよ。だってあまりに露骨だもん。特にこの何日かは、人間、色恋でここまで変わるものなんだって思って笑っちゃう位。あれじゃあ鬼にも気づかれるよなあって」


 仕方ない事だが、ユウは誤解している。ロンが時折見せていた私への「買った人間」に対するもの以上の優しさは、多分「加耶子さん」へ向けられていたもの……。


 ――これは、恋慕ではない。昔、確かに抱いていた恋慕の情は、いつの間にか、自分が彼女の足枷になっていたんじゃないかという罪悪感に変わっていった。


「まさか、気が付いていなかったとか、ないよね。いくらなんでもそこまでぼーっとしていないよね」


 ユウは溜息をついて椅子に座った。


「なんだよユニ達、凄く頭にくる。主人と買われた人間だからってなんだよ。ロンがオヤジだからってなんだよ。惚れた者同士が目を逸らし合って、ぐだぐだ距離を取りながらくっついている姿を見ていると、心の底からむかむかする」


 腕と脚を組み、私を見据える。


「ロンにこんな事言えないからユニにばっかり言って悪いけど。でも、俺ら自警団員は常に危険と隣り合わせだ。なのに自分の想いを胸に秘めっぱなしで、万が一相手がも、後悔しないわけ? お互いにさ」


 そこまで一気に言って、彼は俯いた。

 そして絞り出す様に、言った。


「二人の間に、なんの問題がある? どうして向き合わない? 買った買われただの、年齢だの、そんなもの問題の内に入らないよ。もういいや、言っちゃうよ。俺はユニ達が羨ましい。本当に羨ましい。だから目を逸らし合っているのを見ると頭にくる。なんでなんだって。惚れたから目を逸らすなんて、なんでそんな事をしているんだって」

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