3.八百年の末に
第1話 隣村の偵察
加耶子さんの魂と別れを告げた翌日の夕方、ロンが急に言い出した。
「新月の日を狙って鬼の巣へ偵察に行く」
当然、皆大反対だ。面を被って変装して、鬼の言葉を話したって、ばれる可能性は高い。そして正体がばれた場合、どういう事になるかは痛い程分かっている。
リクは声を荒らげて反論した。
「ふざけんなお前、そんな事言って、俺らが『はいそうですか、頑張ってね』とでも言うと思っていたのかよ」
「思ってはいないが、そう言ってくれれば色々楽だ」
「何だと!」
リクがロンに掴みかかろうとする。そこをユウが抑えた。
「あのさ、この件で、俺が何かを言う資格はないのは分かっているよ。でも」
ユウは俯きながら言った。小さな声で、何度もつっかえながら。
「ロン、さ、それは幾らなんでも、自分を粗末にしすぎじゃね? あのさ、お前がこの村の為にしてくれていることは、有り難いよ。で、でも」
「何だ。言いたいことがあるならはっきり言え。ユウが俺に遠慮する理由なんかない」
ロンの言葉にユウが一瞬体を強張らせる。
「でも、ユニはどうするんだよ。ユニは家族がいない。自警団員でもない。ロンにもしもの事があったら」
「危険ならいつだって目の前にある。それなのに皆、こうしてここにいるじゃないか。危険承知の仕事をして、皆、家族を養っているじゃないか」
「でも、いつもの見回りと偵察じゃ」
「あの、すみません、ユウ」
尚も言い募るユウを制し、私は会話に割って入った。
着物を、拳で強く握る。
「私は、自分の存在がロンの仕事の妨げになるのは嫌です」
私の言葉にユウは何かを言いたそうに口を開き、そして閉じた。
今、ユウが、私の事を「ロンが鬼の巣へ行くことを止めさせる為の方便」として使った事くらい分かっている。
でも、言わなければいけない、と思う。
私の立場では。
「勿論、本音では鬼の巣なんか行って欲しくありません。危なすぎますもん。でも、もしそれが必要な事ならば、私は、ロンの決定に従います。私は」
目に力を入れて俯く。拳を更に強く握る。
言わなければ。私の立場では。
「ただの買われた身で、ロンの、家族じゃありませんから」
言葉を喉から無理矢理引き摺り出す。
更に下を向く。
だからこの時、ロンがどういう表情で私を見ていたのかは、知らない。
**
夜が更け、遅番の最後の見回りが終わったようだ。
詰所の扉の向こうから、「俺、このまま帰るわ」という団員の声が聞こえた。
「ロン」
詰所の中に入って来たロンを呼び止める。
遅番の見回りが終わった後、私が物置へ行くまでの短い時間。この時間は、二人だけの話が出来る、二人だけの時間だ。
「あの、明日、本当に行くんですか? ス村へ」
「ああ」
鬼の巣へ行くことに対する、皆の納得が得られない状態で、ロンは今度は「鬼の襲撃に遭ったス村を見に行く」と言い出した。
「何なんだよ次から次へと。何しに行くんだ」
「被害状況を見にだ。あそこはまだ生き残っている人も結構いるようだし、自警団も一応機能しているらしい。だが役所の報告はどうもおかしい。だから実際にこの目で被害状況を見て、向こうの自警団員から話を聞く。明日早朝から馬を飛ばせば日帰りで済む」
ス村の件は、日帰りだという事と、向こうに自警団員がいるという事もあり、それほど大きな反対もなく決定してしまった。
だが、私からすれば、それでは済まない。
「鬼に襲われた所へ行くなんて、危険じゃないですか」
「危険だが、隣村の話だ。この村が同じ被害に遭わない為にも、一度見て来る必要がある」
「でも、役所の報告があるのに、わざわざ行かなくても」
「何を言う」
私の言葉を遮り、ロンは腰に佩いた刀を
え?
刀や剣を卓の上に放り投げる。団員達のよくやる動作だ。刀剣は重いので、皆、詰所に入った途端にがしゃがしゃと放り投げる。で、そのまま放っておく。
だが、ロンが刀をこんな風に乱雑に扱うのを見た事がない。どうしたというのだろう。
「だって、ス村は全滅したわけじゃないんでしょう? でしたら寧ろ鬼共に遭遇する可能性は高いじゃないですか。それに、襲撃された村って、それって」
言いながら、嫌でも思い出してしまう。あの日の村の事を。
何もかも失った村。瓦礫。炎。命を失った沢山の人達。
ス村の被害がどの程度かは分からない。ミ村に比べたら被害は少ないのかもしれない。
でも。
「俺の決定に従うんじゃないのか」
抑揚のないロンの言葉に我に返る。
「あ、あの、決定には従います。だって、きっと、それが村に必要だと思われたんですよね。あの、私、自分の存在がロンの足手纏いになりたくないんです。他の団員さん達は、皆、家族を抱えながら危ない仕事をしているのに、それなのに、私がいるからどうこうって言われても、でも」
自分が今、何をどう思っているのか、何から言わなければいけないのか、上手く言葉に出来ない。襲撃された村の風景は魂を傷つける。それに。
「『死なない』っていう事は、『死ねない』っていう事ですよね。『苦しみから逃げられない』っていう事ですよね。きっと今まで、何度も何度も体も魂も傷つけられてきたんですよね。なのにどうして、ス村や鬼の巣みたいな危険な所へ、いえ決定には従います、でもやっぱり嫌です、ロンが苦しむのなんか嫌です、でも私の立場では、そんな事は、でもどうして、そういえばどうして、こんな危険な事を」
途中から自分でも何を言っているのか全く分からなくなってしまった。聞いている方はもっと分からないだろう。
でも、言いたいことは二つだけなんだ。
私がいるからという理由で、仕事を躊躇しないで下さい。
私はあなたの、家族ではないから。
でも本当は、危険な事なんかしてほしくないんです。
私はあなたが、好きだから。
最後の一言が、一番大事な一言が、言えないから、こんな事になってしまったんだ。
「俺は」
ロンが口を開きかけた時、窓の外がふっと翳る。
詰所の窓のすぐ側を、二人の酔っ払いが並んで歩いている。
何かを上機嫌で話している。ロンは反射的に窓の外を睨み付けたが、ただの通りすがりのおじさんと知って再び口を開いた。
「俺はこの村の役に立ちたい」
菫色の瞳が、卓に放り投げられた刀を見つめている。
「自警団の奴らは、俺の事を清廉潔白だと言うだろう。鬱陶しい位清廉潔白だと」
「言いますねえ。あと吝嗇とか」
「吝嗇じゃない。無駄遣いが嫌いなんだ」
私の無駄な合いの手にロンは少しだけ笑ったが、再び視線を刀に戻した。
「俺は清廉潔白なんかじゃない」
彼の傍らにある角灯の灯が僅かに揺れる。
「死ぬことも、老いることも出来ないまま、八百年の間彷徨っていたんだ。その間ずっと清廉潔白でいられたわけがない。色々やった。人には決して言えない様な事も、人間としての尊厳を踏みにじって
彼の話を聞きながら、ふと思い出した。
昨夜二人で見た、少しだけ闇に沈んだ白い月の姿を。
「俺が今ここで『清廉潔白』でいられるのは、この村で、この立場で、あの人達に囲まれているからこそだ。この村の人達は、初めの頃は噂を流したりしたが、すぐに俺を受け入れてくれた。こんな、魂の奥底まで汚泥に
彼は私を見た。
「ユニはこの村で長く暮らすことになるだろう。であれば、ユニの暮らすこの村を、少しでも安全な場所にしたい」
そこで言葉を切り、立ち上がった。
私を見つめながら。
「俺はもうすぐ、この村を去らないといけない」
少し俯き、再び顔を上げる。
「そろそろ外見と年齢の差に無理が出てきた。また、どこか遠く離れた村か異国で、二十歳からやり直さなければならない。その前に、出来るだけの事をしてこの村に報いたい。俺がいなくなっても、ユニが安心して暮らせる村にしたい」
足元から床が消え、真っ黒な闇の中にゆっくりと落ちてゆく。
「俺がセ村を去る時、ユニは連れていけない。あてのない彷徨は過酷だ。ユニがそれに付き合う義理はない」
ロンは私の方へ一歩歩み寄った。
「ユニは買われた身で、俺の家族ではないから」
**
賑やかな朝の音が、扉の向こうから僅かに聞こえる。
ここも今は静かだが、早番の人が来れば一気に賑やかになるだろう。
暖炉の薪が、軽く爆ぜる。
「ユニ」
ロンは荷物を肩に掛け、私に声を掛けた。
「今日は帰りが遅くなる。詰所の戸締りはしっかりしておけ。返事は」
「
絞り出す様に呟き、俯く。彼は暫くの間立ち止まっていたが、やがて深沓の音を立てて詰所を後にした。
私は俯いて立ち尽くし、早番の人が来るまでそのまま動けないでいた。
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