第9話 金赤色の部屋

 草を編んだ敷物を敷き詰めた部屋の中で、私は年配の男性と向き合っている。


 この敷物は、龍一郎さんと一緒にいた部屋にもあった。だがこの部屋の敷物は、若緑色でつやつやとしている。

 随分と広い部屋だ。男性の背後には縦長の紙に墨で描かれた絵が掛けられており、その前には凝った模様の施された花瓶と、不思議な生け方をされた花が飾られている。


 男性は怒っている様だった。小さな布団の様なものの上に膝を折って座り、腕を組んでいる。私は彼の目の前に向き合う様に座っている。暫くの沈黙の後、男性が口を開いた。


「自分が何をしでかしたのか、分かっているな」


 私は彼を見据えた。


「分かっております。お父様こそ、ご自分が何をされたのか、お分かりなのですか」


 男性――私の父親らしい――は軽く首を傾げて黙る。

 そのまま又、沈黙が続く。


「お前は、わしと氷室様、両方の顔に泥を塗る所だった。近頃よく出歩くと思ったら、あんなどこの馬の骨とも分からぬ様な男の所へ」


 男性は溜息を一つつくと立ち上がり、部屋の出口へ向かった。


「兎に角、今後一人での外出はまかりならぬ。いいな」


 男性と目が合う。私は立ち上がり、彼を睨み付けて叫んだ。


「この、ひとごろし!」

「誰に向かって口をきいている!」


 怒号と共に平手打ちが私の頬に飛んだ。その勢いで私はつまずき倒れる。男性は私を見下ろして怒鳴った。


「どの口が儂をひとごろし呼ばわりする! そもそもお前があの男のもとへ押し掛けさえしなければ、奴もあんな目に遭わないで済んだのだ! 儂がどういう人間か分かっていただろう!」


 そこで男性は薄く嗤い、紙で出来た扉に手を掛けた。


「であれば、お前が奴を、殺したのだ、加耶子」


 **


 目を開けると、金赤色の光に満ちた部屋の中にいた。もう、夕暮れも深くなってきているようだ。

 寝台の左側には書類棚。中には大量の書類が無理矢理詰め込まれている。私は詰所の納戸の中に設けられている、ロンの寝台に寝ていた。

 頭が重い。ぼんやりする。私は書類棚の方に寝返りを打ち、自分がどうしてここにこうしているのかを思い返していた。

 毛布を引き上げると、さっきロンの胸の中で感じたのと同じ、微かな彼の気配がした。


 混乱し、ロンに向かって卑屈な言葉を吐いた私は、彼に怒鳴られ、そして抱き締められながら諭された。


「ユニの魂を犠牲にしてまで話を聞きたいと思わない。もし今後、話せそうなら話してくれれば有り難いが、決して無理はしないでくれ」


 温かな胸の中で黙って頷くと、彼は体を離し、私の顔を見た。


「顔色が良くない。疲れたんだろう。少し休め。物置は寒いから納戸を使うといい」


 肩を軽く叩かれ、納戸へと促される。背後で「なんだなんだ今の」という団員達の声がなんとなく聞こえた。


 **


 書類棚の反対側に寝返りを打つと、椅子に座ったまま眠っているロンがいた。

 腕を組み、前かがみになって眠っている。時折体が少し揺れ、その度に艶やかな黒い髪が額を撫でる。


 静かだ。他の人達は帰るか見回りに出るかしてしまったのだろうか。

 寝台から上体を起こす。彼は私が動いてもお構いなしに寝続けている。そういえば昨晩は徹夜で、しかも交代なしで見回りに出ていたんだ。


 彼の伸びやかに広がる睫毛の上に夕焼けの光が零れ落ちる。顔を寄せると、すう、という微かな寝息が聞こえる。

 すべらかな白い頬が、燃える様な金赤色の中で仄かに発光している。


「ロン」


 私が声を掛けると、ロンはびくりと揺れて目を覚ました。


「ごめんなさい、さっき、酷いことを言いました」


 頭を下げる。彼は寝起きの頭を整理する様に少し目を細めてから、私の顔を見て軽く頷いた。


「俺も悪かった。皆の前ではしたない真似をした」


 私から目を逸らし、瞳を左右に動かした。

 言葉が切れる。

 金色の光が満ちた部屋の中には、互いに互いが話し出すのを待つ、気まずい空気が流れる。


「夢を見ました」


 ここは私の方から話さないといけないだろう。息を呑み、んん、とロンがたまにやるようなわざとらしいしわぶきをしてみる。


「加耶子さん、の夢です。『龍一郎さん』が、変な男達に襲われた後の話だと思います。……」


 さっきの夢の話をする。ロンはそれを俯いたまま黙って聞いていた。


「私、ちょっと思ったんですけれど、人の魂ってどれもが皆、加耶子さんの魂みたいに残り続けるわけじゃないと思うんですよね」

「まあ、そうだろうな。もしそうだったら今頃大変な事になっている」

「そうそう。世の中魂だらけで訳分かんない事になっちゃいますもん。だから多分、こんな風に何百年も残ってしまうのって、それなりの想いがあるから、なのかなあ、って」


 話しながら、心の片隅で不思議な気分になっていた。


 私、いつの間にか受け入れているんだ。

 ロンが八百年生きていることも、加耶子さんの魂が私の中にあることも。


「加耶子さん、もしかしたらずっと罪悪感を持って生きていたのかもしれない」


 私の言葉にロンは顔を上げた。


「今の夢を見た時の気分で、そう思ったんです。あの怖いお父さんの言葉のせいで、加耶子さんはずっと自分を責めていたのかもしれない。自分が勝手な事をしたから、『龍一郎さん』は殺されたんだって。その気持ちは多分、えーと、け、けっこ、えー」

「結婚後も続いていたと思う、と言いたいのか。なら普通に言え。八百年前の事で気を遣われても困る」


 私が頭を下げると、ロンはふっと口元をほころばせた。


「で、でですね、加耶子さん、凄く悩んだと思うんです。殺した、といいますか、殺す指示をした、なんですかね、それはお父さんなのに、自分が押し掛けたせいで、龍一郎さんが殺された、だから自分が殺したようなものだ、って思っちゃったんだと思います」

「……俺は、死んでなんかいなかった」


 呟く様に言う。


「俺は、生きていたのに」


 目を伏せる。

 小さく息を吐き、唇を噛む。

 夕焼けの色が更に深くなる。いつの間にか陽の輝きは失せ、部屋の中は静かな茜色に染まっていた。


「あの時、俺は相当な深手を負わされて、巻きにされて町外れに棄てられたんだ。だが刺し方が下手だったらしく、生き返った。あの時はまだ命に限りがあったから、本当の偶然だ。でもあの状況では家には帰れない。だから町を出て、彷徨さまよっった。そして」


 顔を上げる。だがその菫色の瞳は遥か遠くを見ている様だった。


「未だに彷徨っている。住む家も、家族も、友人も持てないまま、十数年ごとに居場所を変えながら、ずっと」


 菫色の瞳が揺れる。


「二十歳の頃の姿のまま、八百年の間、ずっと」


 **


 私は今、なんと言って声を掛けたら良いのだろう。

 加耶子さんは多分、龍一郎さんを殺してしまったという罪悪感にずっと苦しんでいたんだ。それは結婚後も、死後もずっと続いていて、こうして私に魂を抱えられながらもなお、苦しんでいたのだろう。

 でも、きっとロンも、苦しんでいたんだ。


「加耶子さんの魂、安心しているでしょうか。『龍一郎さん』が生きていたって知って。ねえ、魂の感情みたいなものも分かるんですか?」


 こんな事、聞いていいんだろうか。そう思いながら言ってみたが、ロンは首を横に振った。


「分からない。ただ今ユニの抱えていている魂が加耶子さんだ、という事しか。変な話、俺が見えているものが本当に魂なんだと確信できたのは、ユニの夢の話を聞いてからだ」

「へえ。じゃあ案外役に立たない能力なんですねえ」


 言った直後にしまったと思ったが出てしまった言葉は戻らない。だがロンはさほど気にしている様子もなく、少し笑って聞き流してくれた。


「私は加耶子さんの何なんだろう。生まれ変わりか、子孫か、あるいはなんの関係もなくて、偶然魂を抱えただけなのか」


 魂の話を聞いた時からずっと考えていることを呟いた。だが、同時に理解もしていた。

 加耶子さんが亡くなってから、もう何百年も経っているのだ。

 今更生まれ変わりだ子孫だと言っても、もう、何の関係もない。例えば子孫だとしても、加耶子さんと私の間には大勢の人が入っている。だからロンは、私を見たって加耶子さんの面影を見つけることは出来ないだろう。

 だから分かっていることは三つ。


 龍一郎さんと加耶子さんという、悲しい別れ方をした恋人達は、八百年の時を超えて、再び出会うことが出来たということ。


 その加耶子さんの魂を抱えた私は、自らを加耶子さんと思い込んで、ずっと龍一郎さんに恋をしていて、そして今、目の前の「ロン」に恋をしていること。


 けれども私が、二人の間に入り込み、彼に想いを告げる余地は、どこにもないということ。



 ひたひたと満ちていたはずの透明な魂に、小さな音を立ててひびが入る。

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