第8話 「あの夜」の話

 満月に近づくにつれて、鬼の出没率は高くなる。月明りで行動がしやすくなるから、と言われている。逆に新月あたりになると出没率が低くなる。

 勿論月だけでなく天気や気温にも左右されるし、天候の条件が揃っていても、祭りなど人々が夜中に溢れる様な行事のある日は、あまり出没しない。そんなこんなで、結局警戒が必要なのはいつも同じだ。

 

 だが、特に警戒が必要な日はある。今日がそうだ。

 何の行事もない普通の日で、満月で、晴れている。その他諸々の条件も揃っている。セ村では皆、鬼出没の傾向の知識を持っているので、夕方になると、通りには誰も歩いていなかった。


 こういう日は自警団の見回りも強化される。非常勤や奉仕団も全員集められ、分所と連携して警戒に当たる。早番遅番関係なく、今夜は交代で夜通し見回りをする。ロンは誰とも交代せず、一晩中見回りに出る。


 私は物置ではなく、詰所の隅で休むことになった。一晩中人が出入りするのでゆっくり寝る事は出来ないが、一晩中誰かしら自警団の人がいるので安心だ。

 いつ襲撃されるか、何頭規模になるか、誰もが警戒し、恐れていた。


 **


 だが、結局、なんの被害も報告されないまま夜が明けた。


 **


 自警団歴三十年の老練者ベテランで、この世で一番怖いのは鬼よりかかあと断じているカンが、大欠伸をしながら言った。


「で、結局シュウ達が見かけた二頭だけ、か。そいつも家や人は襲っていなかったんだな」

「ああ。俺ら見て逃げやがった。奴らのいた辺りの家に聞いても、特に被害には遭っていねえって」

「じゃあ、昨日の昼過ぎから大騒ぎして夜通し見回りして、結局とっ捕まえたのは人間の空き巣一人だけかい」


 そう言って、詰所の隅で背を丸めている男を睨みつける。


「あんだけ条件揃っていたのに一頭も退治出来なかった、ってのもなんか気持ち悪いや、いやまあ良い事なんだがよ」


 そこへロンが帰って来た。彼も見回り中、被害は確認出来なかったらしい。


「こいつ、なんだ」


 ロンは空き巣を見て目を細めた。団員達の目も一斉に空き巣に向けられる。シュウは鼻で笑って空き巣の頭を軽く叩いた。


「ちょっと前に奉仕団の奴が捕まえたんだよ。今まさに盗みに入りますよ、ってな感じで窓を跨いでいる所を見つけたらしい。ばかだろこいつ」

「どこで」

「笑っちまうよ、たまたま人が出払っていた分所だって。まあコイツ見ねえ顔だし、あそこ、ここと一緒で見た目は普通の民家だから、間違えちゃったのかねえ」

「本人は何と言っている」


 シュウが大欠伸をしている間にカンが話を引き取った。


「それがよ、こいつだんまり決め込んじまって、一言も喋らねんだよ。どうしようか。面倒臭えから役所に丸投げすっか」


 ロンは空き巣の目の前に立ち、顔を覗き込んだ。


「この辺りの国の顔立ちではないな」

「おめえもな」


 カンの突っ込みを無視して、ロンは空き巣を見据える。


 ロンの言葉に、私は改めて空き巣を見てみた。

 私の目にはトン国やその周辺国の人間にしか見えない。

 淡い卵色の肌に肩上まで伸ばした黒い髪。背を丸めて座っているが、背丈はロンとそう変わらないだろう。身幅が狭いわりに頬や腹には結構肉がついている。顔は全体的にのっぺりとしていて大きく、鼻が低く、口が小さい。だがそれは「個性」の範囲内だと思う。


 ロンは眉間に僅かに皺を寄せ、少し間を置いたのち、形のいい薄紅色の唇を開いた。


「…………」


 途端に空き巣は目を見開いて顔を上げた。そこへロンが更に畳みかける。空き巣は椅子を蹴る様にして立ち上がり、懐から小刀を出して振り上げた。


「てめえっ」


 団員達が一斉に空き巣に飛び掛かる。

 ロンが何かを言ったが、団員達の床を蹴る音に掻き消される。ロンは空き巣の前に立ちはだかろうとする。空き巣は小刀を振り下ろす。

 そして、躊躇いもなく自分の胸に小刀を突き刺した。


 甲高い絶叫が響く。空き巣は小刀を握り締めたまま、床に転がり叫びながら暴れ回った。ロンはその空き巣の姿を見て唇を噛み、腰に佩いていた刀を抜いて、暴れる空き巣の首を斬った。


 空き巣の動きが止まり、血の臭いと黒い沈黙が室内を満たす。


「ロン、今言ったのって」


 部屋の隅にいたユウが震える声で呟いた。ロンは刀の血を拭って鞘に納めると、空き巣の前にかがみ込んだ。


「こんな事をしてまで、とは」


 低い声で呟き、空き巣の着物に手を掛ける。そして体を仰向けにして着物の前をはだけた。


「きっとこいつだけじゃない。こうやって、村や我々の事を探っていたんだ」


 露わになった空き巣の胸元を見て、団員達も私も一斉に息を呑んだ。


「偵察をしていたのは大人だけじゃない。鬼共は、こうやって自分達の子供を使って、この村に入り込んでいるんだ」


 空き巣の胸には、鬼の印である点や線の入墨が黒々と彫られていた。


 **


 自ら命を絶とうとした鬼の子供の体を藁で包んで、皆で床を片付ける。私は報告書の準備をしながらロンに声を掛けた。


「あいつがどうして鬼だって分かったんですか?」

「顔や体格が子供だったから」

「そう言われてみるとそんな気もしますけれど、でも、言われなきゃ童顔の人間にしか見えませんね」

「俺も自信はなかった。だから鬼の言葉で声を掛けてみたんだが」


 私から用紙を受け取り、確認する。私に背を向け、ユウと報告内容を話し合う。

 リクが藁に包まれた子鬼を見下ろして言った。


「しっかし、こんなのが夜中に歩いていても、俺らまず疑わないよなあ」


 カンが腕を組んで溜息をつく。


「ガキに危ない橋を渡らせて、その上もし俺らにとっ捕まったら自分で死ね、って教え込んでいるんだろうな」


 その言葉に、リクは低い声で呟いた。


「ガキっていうのは大事なもんじゃないのかよ、化け物め」


 **


 鬼の死体は役所へ報告後、村内に数か所ある処分場に棄てられる。たとえ子供だろうと鬼に同情する気なんか全くないが、それでもいい気分ではない。

 それはあの子鬼が、あまりにも人間そっくりだったからだろう。


「鬼って、汚れを取るとあんなに人間と同じ顔になるんですか? もっと違う顔立ちだと思っていたんですが」


 ロンとユウと私の三人で役所から帰る途中、そんな事を聞いた。


「もとはあんなものだ。大人の顔が違って見えるのは、奴ら特有の皮膚病や、顔に入れられた入墨のせいだろう」


 顔に入れられた入墨、の言葉に、ユウは少し体を強張らせた。


 **


 詰所に戻ると、団員達は全員待機していた。今後の策を練るらしい。


「もしあのガキみたいなのがうろうろしていても、声掛けて受け答えが出来たら俺らまず分かんねえよな」

「国境があんからなあ。知らない顔の奴がごろごろしているし。でもよ、ロンやユウじゃあるまいし、鬼のガキには言葉覚えるのなんて無理だろ」

「いや、鬼にとっては俺らの言葉を覚えるのはそう難しくないかもしれないよ」


 珍しくユウが発言した。


「俺らの言葉と鬼の言葉は文の構造が似ているんだ。肯定否定の言葉が語尾に来る所とか、語順が多少前後しても意味が通じる所とか。その上俺らの言葉は約五十音で成立しているけれど、奴らはその倍以上の音を使う。母音だって俺らが四つのところ、奴らは五つだ。音便は」

「おいユウ、おめえの喋くっている事も訳分かんねえよ。要は鬼の言葉より俺らの言葉の方が単純だから、鬼のガキでもいける、って事だろ? なら最初からそう言やいいだろうが」


 全くもってその通りなカンの言葉に一同大きく頷き、ユウはぷっと頬を膨らませた。


「今の状況は危険だ。役所の報告書の事は知っているだろう」


 カンとユウが睨み合っている所をロンがやんわり制し、話を進めた。


「偵察や準備に時間を使っているのか、あるいは」

「ユニ」


 団員の一人が話している途中だというのに、ロンは急に私を呼んだ。


「物置の整理をしろ。結構散らかっている」


 え、そんなに散らかっていないはずだ。結構気をつけているから。だがそんな事を言えるわけもなく、私は詰所を出ようとした。


「ちょっと待て、ユニ。お前確か、ミ村の出身だっただろ」


 その時シュウが椅子から立ち上がり、私に声を掛けた。


「じゃあ教えてくれよ」


 シュウの言葉を聞いてロンが立ち上がり、シュウの肩を掴んだ。


「やめろ、シュ」

「ミ村が襲撃される前の、村の状態とか、その時の様子とか。役所の報告書によると、この村は鬼共の標的に上がっているらしいんだ。今、奴らが大人しいのは、単に食糧なんかが足りているだけなのかも知れねえ。あるいは俺らが知らないだけで、隣村で悪さをしているのかも知れねえ。だけど、もしかしたら襲撃の前の静かさなのかも知れねえんだ。思い出したくないのは分かる。だが多分、セ村は今、危ない。だから申し訳ない。教えてくれ。ユニが知っている事、見た事を」


 真剣な顔で私に訴えかけて来る。シュウの言葉が、全身に刺さる。

 心臓が捻り潰され、手足の先が細かく震えだす。

 吐き気がする。喉の奥が苦くなる。

 潰れた心臓が早鐘の様に鳴り響く。

 頭の奥が掻きまわされる様に回転し、鈍く痛む。


「ミ村は」


 足の裏に力を入れて床を踏みしめる。


 負けるな。この村の為に、大事な話だ。自分が思い出したくないからって、逃げていいわけがない。

 私を生かしてくれたこの村の為に。この村の被害が最小限になる為に。その為に必要だというのならば。

 話す義務がある。

 負けるな。


「正確な事は覚えていません。でも確か、襲撃の少し前に父の友人の自警団員が言っていたように思います。最近鬼が全然出ない、悪さをするのは人間ばかりだ、鬼は見かけるけれど被害はないって。それで他の人達が、寄付金泥棒とか言ってからかっていて」


 思い出せ。私の体験だけじゃなく、お父さんの友達の事とかも一緒に。彼らは色々な事を言っていた。

 忘れたふりをするな。思い出すんだ。誰もが生きていたあの時、彼らは、なんて言っていたか。


「襲撃の日は月の明るい日でした。晴れていて、気候も良くて、私は食事の後、月を眺めるために外に出ていました。暫く鬼の被害の話も聞かなかったから、警戒心がなかったんだと思います。家の中で父の友達が酒盛りで騒いでいるのをなんとなく聞きながら空を眺めていると、いきなり詰所の方角が、明るくなって」


 そうだ、確か、あれはいきなりだった。何かの騒ぎがあったわけでもなく、奴らはどこからともなく、いきなりやって来た。


「鬼の巣の存在なんか知らなかったから、奴らはいつも、どこからともなくいきなり湧いてくるものだと思っていました。でも、あの日は沢山の数の鬼がいきなり暴れ出して、最初に詰所に火をつけられて、ああ、あの日は確か自警団の人はうちに来ていませんでした。で、私は慌てて家の中に入ったら、母が私に、奥の部屋に隠れろと言って、それとほぼ同時に、家の扉が、扉が、開いて」


 思い出す。次々と。家の扉が開いて、鬼共が何頭も入って来て、家の中には沢山の人がいて。

 その人達が皆。


「ユニ。もういい。無理するな」


 ロンが駆け寄って来て私の両肩を掴んだ。私は頭を両手で抱えて首を振り、思い出す。


 話せ。伝えるんだ。どうして私の口は震えてばかりで言葉が出ないんだ。役立たずめ。

 ミ村のようにしてはいけない。あんなことが繰り返されてはいけない。伝えることで役に立つなら、話せ。それが、只一人生き残った者の務めなんだ。


「い移動には馬を使っていました。普段、馬をつ使うなんてき聞いた事ないです。や奴らが馬に乗って、ああ、ゆ弓を持った奴も」

「弓を使う奴がいたのか。そいつはどのくら」

「シュウ、やめろ!」


 ロンは問いかけるシュウを大声で怒鳴りつけ、私の顔を見つめる。


「悪かった。もういいから。今日はこれで充分だ。もう話すな」

「ででも危ないんでしょう? この村危ないんでしょう? みミ村みたいになっちゃやだ。だだから、あの、そうだ、ゆ弓を持った奴もいて」

「分かった。棒や剣だけでなく弓使いもいたんだな。分かったから。もうやめろ」

「だだって」

「これ以上はもういい。だめだ」


 彼は団員の方を少し振り返り、声を落とした。


「これ以上話すと、ユニの魂が潰れる」

「……たま、しい?」


 彼の「魂」という言葉を聞いた途端、すっと頭から黒い幕が下がった。


「大丈夫です。私の魂が、潰れたって」


 頭の芯が冷たく冷える。

 目の前が回転し、自分でも何を言っているのか分からなくなる。


「私、なんか。だって、加耶子さんの、魂が、あれば」

 

 魂が潰れる。

 ああ、成程。なんとなく分かる。


 心の中に浮かんでいる、薄い球体の様な透き通った魂が、ぴしぴしと音を立てている。

 私はそれを、自らの手で強く握った。


「ロンも、加耶子さんの魂が無事なら、いいんでしょう?」

「ふざけるな、馬鹿野郎!」


 ロンの激しい怒号を共に、霞んでいた視界が一気に開いた。


「誰がそんな事を言った?」


 掴まれていた肩を引き寄せられる。

 気がつくと、私は彼に抱き締められていた。


 強い力が掛かり、肩と腕が痛い。団員達のどよめきのような声が聞こえる。彼の両腕に力が入り、指先は私の体に深く食い込む。

 彼が話すと、押し付けられた彼の胸から私の頬に鼓動が伝わる。


「加耶子さんはもう、何百年も前に亡くなっているんだ。魂はあるが、加耶子さんはいない。だが」


 おいロン、どうしたお前、という団員の声が聞こえる。彼の声の振動と共に、彼の鼓動と、胸のぬくもりが頬から伝わる。


「ユニは、生きている。今ここにいる。魂が潰れていいわけないだろう」


 指先に力が入る。

 吐息の様な囁きが、頬と耳から伝わり、

 魂にひたひたと満ちる。


「俺は『ユニ』が大事なんだ。なのに何故それを、分かってくれない?」

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