第6話 みちならぬ
騙された挙句に自分の命を鬼の前に差し出されたというのに、ロンはユウに対して、声を荒らげるでもなく冷静な態度で接していた。
彼らの会話から頭の中で色々整理してみる。
ユウはアミに対して、道ならぬ恋をしていた。
だが、実の妹に対する想いが叶う事はない。その上アミはロンに夢中で、こともあろうにユウに対して、ロンに近づく女性を片っ端から遠ざけるよう言いつけた。ユウはそれが無意味だと知っていても逆らえない。詰所での兄らしい強い態度は外面的なもので、家の中では完全にアミの言いなりだったようだ。
「迷惑にも程がある。揉め事の被害者や役所の担当者まで遠ざけられると仕事に障る」
壁に背をつけ、腕を組んで溜息をつくロンを見ながら、ああ、あの時役所の担当者が急に変わったのってそういう事だったのか、と思い返したりしていた。
「だって、アミがそうしろって言うから」
「さっきから何度同じ台詞を吐いている。なら今回、アミの身柄と引き換えに俺の命を差し出したのは、アミが望む事だったのか」
ロンの言葉に、ユウは顔を上げて言い返した。
腫れ上がり、端の切れた口を大きく開き、一気にまくし立てる。
「勿論望んじゃいねえだろうよ。どういうつもりか知んねえが、アミは父ちゃんと大差ねえ歳のあんたに惚れ込んでいんだ。それにあんたはこの村の英雄だ。皆あんたの事を信頼している。鬼共が不穏な動きを見せている今、あんたの存在はこの村に絶対必要だ。分かっているさ。俺ぁ父ちゃんみてえにばかじゃねんだよ。飢饉で家族を食わせらんねくなったからって、ほいほい強盗の片棒担ぐ様な奴とは脳みそのつくりが違うんだよ。分かってんだよ、分かってんだよ全部。でも」
ロンに指示され、私はユウを縛りつけていた縄をほどいた。縄という支えを失ったユウはがくりと肘を膝に落とし、それでも顔だけはロンを見据えて話し続ける。
だが、その語尾は段々と弱々しいものに変わっていった。
「あんな、ガキで、我儘で、どうしょもねえ奴だけど、俺には、アミしかいねんだよ。あいつの身柄を、盾にされたら、俺は、ああするしか……」
そして消え入るような声で、すまん、と言った。
**
塞がった窓の隙間から外を見ると、もう夕方近くになっていた。落ちかけの陽の光が、西側に取りつけられた窓の隙間から、山吹色の輝きを放って強く射し込んでくる。
「こんな事をして、もし俺があのまま奴らに斃されていたら、ユウはこれからどうするつもりだったんだ。何食わぬ顔をして自警団の仕事を続けたか」
「いや、そんな事、出来ない」
「出来ないなら結局はアミの為にならないだろう。ユウは」
「こんな事して言えたことじゃねえけど、分かってんだ、痛い位。ロンが役所に口きいてくれたから俺は自警団に入れたんだ。じゃなきゃあの父ちゃんを抱えながら、家族を食わせられるような仕事なんか誰もさせてくんねえさ」
「俺は別にユウの家族を気遣って役所に推した訳じゃない。同情で寄付金を使う訳にはいかない」
ロンはかがみ、ユウと目線を合わせた。
「ユウの存在は貴重だ。ユウが役所とのやり取りだの金勘定だのを一手に引き受けているから、俺や他の団員はのびのびと外に出られる」
陽の光が、ロンの白い横顔を山吹色に縁取っている。ユウは腫れ上がった口を半開きにして、不思議な生き物を見る様にロンを見た。
「今回、ユウの行いのせいで大量の武器や食料が鬼共に奪われた。明日からは、それらの損失を取り戻して釣りが出る位働け」
ロンはそう言ってユウの肩をぽん、と軽く叩いた。
「だから明日までにその顔をどうにかしろ。物事の流れ上、俺がやったと思われそうだ」
恐らくユウの心の揺れを知った上で冗談めかしてそう言い、頬の痣を強めにつついた。
「いてっ。無理だよ、お前じゃあるまいし、回復には時間がかかる」
何気なく返したのであろうユウの言葉を受けて、改めてロンの顔を見る。
そうだ。ロンだって、顔を傷つけられていた。だから左の顎下には湿布が貼られている。
だが、気がつけばそれ以外の所にあったはずの傷は、全て消えていた。
「なあ、い、いいのか、俺、また、働いても」
声を震わせるユウに向かって、ロンは頷いた。
「さっきも言ったが、ユウの存在は貴重だ。書類仕事の処理は早いし、間違いもしない。異国の文字や鬼の文字もかなり読めるようになった。これだけの人材はそうそう見つからないだろうし、別の人間を一から教育すると時間と金が掛かる。俺は無駄遣いが嫌いなんだ」
よくいじられている話題を自ら口にし、静かに話し掛ける。
「今後、何かあったら必ず俺に言え。いいな」
窓の隙間から差し込む光が金赤色に変わる頃、二人は立ち上がり、向き合った。
「本当に済まなかった」
深々と頭を下げているユウはいつもの口調に戻っている。
「あれだけの事をしたんだ。
彼の言葉にロンは眉を顰めた。
「当たり前だ。俺はお前を絶対に赦さない」
今の今まで冷静な態度だったのに、ロンの口調が僅かに変化した。
彼は一度ぐっと歯を食いしばり、俯いた。
顔を上げ、ユウを睨み付ける。
「俺の事はいい。今の謝罪の言葉で赦す。奪われた物は勿体ないが替えがきく。だが」
ロンはユウの襟元を掴むと強く引き寄せた。
襟を掴む手が震えている。顔から全身から怒りを滲ませ、ユウに顔を近づける。声だけは冷静を保とうとしていたが、その上辺だけ冷静な声に、ユウは顔を引き、口元をわななかせた。
「お前は、ユニの身を危険に晒した。ユニの身を、だ」
「ユニはこの世に一人しかいない。彼女は、何物にも代えがたいんだ」
襟元から手を離し、ユウを突き飛ばす。彼は体勢を崩し、椅子にぶつかって尻餅をついた。
その姿を見下ろして告げる。
「俺は、お前の事を、永遠に、赦さない」
**
外に出ると、かなり夕暮れは深くなっていた。
陽は落ちきっていないというのに、空には早くも月と、月に寄り添い強い光を放つ星が姿を現している。
風も冷たくなってきた。急いで詰所に戻らないと夜になってしまう。私はロンから一歩下がった位置を歩き続けながら、軽く身震いをした。
「寒いのか」
彼の言葉に首を横に振った。
実際、今、私は寒いのか、それともあついのか、分からない。
「今、詰所に戻ると、多分早番の団員達に捕まると思う。今日は女将の所で飲むつもりだったみたいだが、ユニも来るか」
「いえ、遠慮しておきます。流石にあそこへお客さんとして顔を出すのは気が引けますし。今日はこのまま早めに休ませていただきます。あ、そうだ、皆さん飲みに行かれるんでしたら、明日の朝、例の汁を作っておきますね」
ミ村の酒気抜き汁は詰所に来てから何回か作っており、今では前日に飲んだ団員は、朝、敢えて家で朝食を摂らずに詰所で汁を飲むのが当たり前になっていた。
「食事はどうするんだ」
「今日はいらないです」
「駄目だ。今日一日まともに食べていないだろう。汁より自分の食事だ。ユニが女将の所へ行けないのなら、俺は今日、飲みに行かない。そしてユニを他の飯屋へ連れて行く」
自警団員達はロンをいじる時、吝嗇と過剰な清廉潔白ぶりを槍玉にあげる事が多いが、彼の特性として私が前から気になっていたのが、この、食に対する態度だ。
彼は特別大食漢でも美食家でもないが、「食事を抜く」「空腹になる」という状態をやたらと嫌う。誰でも空腹は嫌かも知れないが、ロンのそれは普通の感覚と少し違う。
「食事はきちんと摂れ。飢えは人の判断力を狂わせる」
飢えってそんな大袈裟な、と思いかけ、思い出す。
ユウのお父さんは、飢饉で家族を養えなくなったから強盗に手を染めた、と言っていた。
だがそのお父さんの判断のせいで、家族は故郷にいられなくなり、外国の片隅で崩れかけた家に住むことになり、本人は額に一生消える事のない罪の印を彫り込まれた。
「分かりました。私はちゃんと食べますから、女将の所へ皆さんと行って下さい。どうせ皆さん、『ロンが無事に帰って来たお祝い』とかなんとか理由をつけて、いつも以上に飲む気満々ですよ」
ぽんぽん、と背中を叩く。
張りのある背中の感触を感じ、掌が恥じらう。
その感触を包み込む様に軽く拳を握り、腕を降ろす。
「それより、いいんですか? 明日から」
「何が」
「ユウ。明日から、私、どうやって接したら」
「普通に接することが出来るならそうすればいいし、腹が立って邪険にしたいならそうすればいい。気遣う事はない。ただ、今回の事は只の誘拐事件として終わらせるつもりだから、それだけは気をつけていてくれ」
淡々と事務的に話すロンの後姿を見ながら、私はさっき彼が見せた怒れる姿を思い出した。
金赤色の光を纏い、ユウの襟元を掴む、彼の姿を。
――ユニはこの世に一人しかいない。彼女は、何物にも代えがたいんだ。
「何をぼーっとしている。さっさと歩け」
もおぉぅ、なんで私ってこうなんだ。自分の世界に入り込んで脚が完全に止まっていた。
慌てて後を追い、ロンのすぐ後ろを歩く。彼の背中が再び視界いっぱいに広がる。
「あの、ロンの背丈って、普通ですよねえ」
「なんだ、話題が変わったのか」
「あ、あ、はい、すみません。いえあの、ロンって、『龍一郎さん』なんでしょう?」
「ああ」
「私、龍一郎さんって、他の人より頭一つ分くらい背の高い人だと思っていたんですが。もしさっきロンが話してくれた事が本当なら、おかしいなあって。ロン、背が縮んだんですか?」
「そんなわけないだろう」
ロンは少し笑った。
「それに頭一つ分は大袈裟だ。多分俺の頭身や姿勢のせいでそう見えていたんだろう。只確かに大柄な方ではあった。今の俺が普通なのは別に縮んだせいじゃない」
そう言いながら私の頭に軽く手を触れた。
「昔、この国の人間の平均的な背丈はもっと低かったんだ。丁度、普通の男の背丈がこの位だったと思う」
そう言って私の頭を軽く叩いた。
「え、時代で人間の背丈って変わるんですか?」
「変わる。俺が二十歳だった頃はそんなものだったが、その後食事や生活習慣が大きく変わる出来事が幾つも重なったせいか、百年もたたないうちに皆この位の背丈になった」
今度は自分の頭を軽く叩く。
「変なの。人間全体の背丈が伸び縮みするとか、信じられません」
彼は、だよな、と言って今の言葉を受け流していたが、私は心のどこかで納得もしていた。
今の話を聞いて夢を改めて思い出すと、確かに周囲の人達の頭と体の比率が、今この世界の人達とは違うような気がする。
男性が私位だったとすると、女性は。
「じゃあ、加耶子さんって、どの位の背丈だったんですか?」
私の言葉に、今度はロンの脚が止まった。
「加耶子さんは、そうだな、確か」
掌を地面に向ける様にして指を揃え、私の唇の前に手を差し出した。
「この位だった」
そのまま手を自分の胸元に引き寄せる。
自分の掌の下に広がる空間を眺め、慈しむように微笑む。
きっとその掌の下には、八百年の時を超えて、加耶子さんが寄り添い、微笑んでいるのだ。
そうだ。ロンもまた、道ならぬ恋に堕ちた事があるのだ。
決して添い遂げる事は出来ないと知りながら。
なぁんだ。そっか。
さっき、ロンがあんなに怒っていたのは、ユウが私を危険に晒したからじゃ、ないんだ。
加耶子さんの魂を抱えた私を、危険に晒したから、なんだ。
なぁんだ。
**
軽く弧を描いた、細く優雅な刀を佩くロンの一歩後ろを歩く。
空を見上げる。今の私達の姿は、丁度あの月と星みたいだ、と思う。
ふと目頭が熱くなったので、私はぎゅうっと強く目頭を押さえてそれに耐えた。
八百年がどうこうというロンの話は信じがたい。
でも、多分今でも、ロンは加耶子さんの事を想っている。
私がこんなに、あなたのことを想っているのに。
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