第5話 追及
私とロンはユウの家に向かった。
ロンの話はにわかには信じがたい。聞きたい事は山ほどある。
だが、今、さしあたって問題にしなければならないのは、ユウの事だ。
**
ロンはユウの家の前で立ち止まり、一つ息をついた。
ノックをする。扉が開く。そこにいたユウのお母さんは、ロンの姿を見るや喉の奥に詰まったような叫び声を上げて身を引き、杖を放り投げて土下座をした。
「そんな事をしなくていい。ユウと少し話がしたい。今日は家にいるだろう?」
ロンはかがみ込み、ゆっくりとお母さんに声を掛けた。だがお母さんは言葉にならない言葉をぶつぶつと呟くだけで、顔を上げようともしない。
そこへ年配の男の人が飛び込んで来た。
「ロン、やっぱりなのか! やっぱりユウが、何かやったのか! 申し訳ない。この通りだ。よりにもよって、ああ」
「いいから。本人以外、謝る必要はない。それよりユウはどこにいる」
家の奥から出て来たその年配の男性は、小柄で痩せていて、顔中深い皺に覆われている。だがユウやアミは、彼のもとの顔立ちを受け継いでいるのがなんとなく分かる。彼まで土下座を始めてしまったら話が進まない。ロンは跪こうとする彼を制して問いただした。
「へえ、こっちに、縛ってあります」
私達を部屋に案内しているこの人が、多分、ユウのお父さんなのだろう。
彼を見て、私は今まで感じていた違和感の理由を理解した。
ユウは自分の稼ぎで、両親と妹を養っている、と言っていた。
自警団の稼ぎはいい。他の団員も、彼らの稼ぎだけで家族を養っている。下っ端とは言え、ユウだって家族にそれなりの暮らしをさせてあげられる程度の稼ぎはあるはずだ。その証拠にアミはいつもきれいな着物を着ている。
なのに、どうしてこんな家に住んでいるのか。
村のはずれの、その中でも他から遠慮する様な場所にある、崩れかけた木の家。
これは、家を建てるお金がないからじゃないのだろう。多分、家を建てる作業をするのを拒否されているのだ。そしてその原因は、このお父さんだ。
鬼の顔や体には、線や点の模様のようなものがある。あれは生まれつきあるものではない。詳しいことは知らないが、皮膚に軽く傷をつけてそこに染料をしみこませる、入墨という風習があるのだそうだ。
深い皺の刻み込まれたユウのお父さんの額には、黒々とした大きな×印の入墨がある。
貧しい隣国で行われている刑罰、と聞いたことがある。
「鬼と同じ罪を犯した者」の印。
強盗の罪の印が、お父さんの額に彫られていた。
**
家の隅にある狭い納戸の中にユウはいた。
椅子に座った状態で、縄で縛りつけられている。その顔から、苛烈な折檻を受けたのは一目瞭然だった。
「やっぱり、生きていた」
ユウはロンの姿を見て少し笑い、傷が痛むのか顔を歪めた。
「酷いな、その顔。誰にやられた。
「『父御』なんて、御大層な生き物じゃ、ねってば。あいつ、何も分かっちゃいねえのに、いてて、手紙見て、あ、読めやしねえよ、看板だって読めねんだから。で、俺がロンに、何かしたって、決めつけて」
「手紙?」
ユウは黙って顎で納戸の隅を指した。そこには紙片が丸めて捨てられている。
ロンはそれを広げて読み、小さな溜息をついた。
「そんな事だろうと思った。何故、俺に相談せずに鬼の言いなりなんかになったんだ」
「い言えるかよ。だって、そ」
そこでユウは痣のある腫れた瞼を開いた。
「お前、まさか、知っていたのか」
「ユウとは三年の付き合いだ。見ていれば分かる」
ロンの言葉に、ユウは咳込んでから俯き、呟いた。
「お前、本当に何でも知っているんだな……」
ロンが手にした紙には、鬼の文字が書かれていた。
あれは、私の見間違いではなかった。鬼は、ユウの家に二枚の手紙を置いていっていたのだ。
鬼にとって誘拐の一番の目的は、武器や食料ではなく自警団長の命だった。
奴らは「ユウを脅迫する用」と「物品だけが目的と誤認させる用」の手紙を用意していたのだ。
鬼共は、ユウが鬼の文字が読める事を知っていた。
そして非常時になると、セ村の自警団長は自らが先頭に立つ性分だという事まで把握していた。
「母ちゃんが手紙を持ってきた後、すぐに隣の家に避難するよう言ったんだ。あそこんちは、俺らの事をあんま悪く言わねえ家だから。で、その後すぐに鬼共は来て、ア、アミを連れて、待ち伏せしていたらしい」
「ユウが俺以外の自警団員をこの家周辺に連れて来ないと見越して、呑気に待ち伏せしていた、という事か」
ユウは頷いた。
「わざわざ自警団員の家族を攫うのはなんでだと思った。武器が欲しいからかとも思ったが、どうもおかしい。奴らは、俺が一人きりの状態になって、詰所周辺の様にすぐに誰かの助けを呼べない状態にしたかったんだな。で、その為に」
ロンは言葉を切り、私の方を見た。
少し困ったような表情をする。
んん、とわざとらしく咳く。
「どこで気付かれたのか知らんが、ユウの、想いを利用された」
**
狭く窓の塞がった納戸の中は、詰所の倉庫以上に息苦しく、埃っぽい。
私は限られた空間の中、ロンの体温が伝わる位近くに身を寄せて立っていた。
ロンは奉仕団の人から借りた浅葱色の着物を着ている。明るい色の着物を着た白い肌のロンの周りは、仄かに発光して見えた。
私はこの場に居ていいのだろうか。ロンはなんとなく話しにくそうにしているし、二人の雰囲気から、これから話す事を私に聞かれたくないような空気を察した。
だが部屋が狭くて、さり気なく立ち去れない。それに向こうの部屋にはユウの両親がいる。
彼らの所へ行ってもどうしたらいいか分からないし、どうしたらいいのだろう。
「私、外に出ていましょうか」
仕方ない、私がいたら話しにくかろうとロンに声を掛けた。
「あれ、ユニ、話せるようになったの?」
あ、そうか。
私は頷いた。
「そうなんだ。ユニは話せないから、今回は楽勝だと思ったのに。まあ、もう、どうでもいいけれど」
「楽勝?」
ユウは口の端を歪めて笑い、「いてて」と呟いた。
「俺が何を吹き込んでも、何を言っても、周りの奴に、話を聞けない。だから、俺の言ったことが本当か、分かりゃしない、って」
「『二つの噂』の事ですか?」
私の言葉に、ロンは片眉を上げてこちらを見た。多分ロン本人も、噂の存在は知っているのだろう。
「聞きましたよ、さっき立ち寄った集落で。あれが本当にあった噂なのも、でも誰も信じていない事も聞きました。
恩人、という言葉を自分の喉が発した時、私の胸の奥が、きゅっとちいさく縮んだ。
恩人、で、いいの? という声が、頭の隅で囁く。
頭の隅が囁いた言葉の意味を探っていると、納戸の扉が大きく開かれた。
「ちょっと、何しているのよ!」
けたたましい叫び声と共に、アミが髪を振り乱して納戸に飛び込んで来た。
「ロン、無事だったのね。良かった! 詰所へ行っても全然帰って来ないし、すっごく心配したんだから! さっき父さんが言っていたんだけど、まさか本当にユウが」
「
ぐいぐいとロンに押し出されるアミは、それでも扉にしがみついて叫んだ。
「ユウ、分かっているんでしょうね! あたしが邪魔なのはこいつよ。もしロンに何かしていたら」
「アミがいると話が進まん。いいから出ていけ」
片足を扉に挟んでしつこく家に入り込んで来ようとする押し売りを追い出す時の様に、アミを外に出して扉を閉めた後、ロンは僅かに眉を顰めて肩に手をやった。無理な力を入れたせいで、傷に障ったのかも知れない。
アミ、兄であり一家の大黒柱でもあるユウに対して、なんていう態度だろう。いつも詰所で見せている顔とは全然違う。
「あんな言われようで、いいのか、ユウは」
ロンの言葉にユウは顔を逸らした。
扉の外では暫くアミが騒いでいたが、やがて両親に連れ出されたのか、再び室内には静かな空気が満ちた。
ロンはまたわざとらしく咳き、私の方を少し見た。だが私は、部屋を出る
「お前が幾ら、俺の周りから、女性を遠ざけようと、意味のない事だ。大体俺は自分の子供ほどの年齢のアミに目を向けたりしない」
そう言ってまた私の方をちらりと見る。
三十五歳の設定で言えば、という事ですよね、分かっています、と心の中で答えてみる。ただ、実年齢八百歳なんて、信じられないけれど。
って、今の視線、そういう意味だったんだよね。
ん?
「俺の周りから、女性を遠ざける」?
じゃあ、ユウが私に言い寄ったり、変な噂を吹き込んだのって。
「んなの、分かってんよ。でも、しょうがねえべ」
ユウが不貞腐れた様に呟いた。
「アミが、そうしろって言うんだからよ」
「幾らアミの言いなりになっても意味がない。その事も分かっているんだろう」
ユウの呟きに被せる様にロンが言った。ユウは不貞腐れた顔のまま頷いた。
「なら、アミの言いなりになりながら、俺をアミの前から消し去ろうとしても意味がない事も分かっているんだろう」
そこで言葉を切り、暫く言い淀んだのち、続けた。
「アミはユウの実の妹だ。だから何をしようと、お前のアミへの想いは叶わないし、二人が添い遂げる事も出来ない」
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