第4話 違う魂

 薄暗い部屋の隅でくつくつと煎じられている薬草の匂いは、決して「芳香」と呼べるようなものではないけれど、不安と疲れに沈んだ私に不思議な安心感を与えてくれる。


「生きているんだよなあ。なんでなんだこの深手で」


 ロンに傷薬の湿布を貼り終えた治療師のおじさんは、さっきから何度も同じ台詞を繰り返している。


「この傷、そんなに酷いんですか」

「酷いも何も、普通なら三回位死ぬような傷だよ。でもあれだろ? この傷であんたと一緒に鬼の巣から逃げ出してきたんだろ? ありえんって普通。流石だよ。本当、ロンがこの村に来てくれて良かった。なあ」


 治療師の言葉に、周りにいた人達は一斉に深く頷いた。


 **


 ロンが謎の言葉を残して倒れた後、私は近くの集落に寄って、道行く人に事情を説明した。

 その人は私の話を聞くと顔色を変え、即座に奉仕団の人達を集めてくれた。奉仕団の人達は馬車でロンを救いに行き、別の集団は武器の回収の為森に向かった。


 治療所の寝台の上で、ロンは静かに眠っていた。

 ほんの少し前まで苦しそうな息遣いだったのに、今はすっかり落ち着いている。よく見ると、白くすべらかな頬は僅かに紅潮しているし、額に手を当てるとびっくりする様な熱があるのが分かる。だがちょっと見ただけだとまるで昼寝でもしているかのような雰囲気だ。


「コイツ、丈夫過ぎておかしいだろ。何やっても死なないんじゃねえか?」


 奉仕団の一人がそう言って笑ったが、彼の言葉を聞いて、私の体からすっと血が下がった。

 改めて、ロンの顔を見る。


 ――どうやっても死ねない。

 ――八百年の間、ずっと。


 意識を失う直前、彼はそんな事を言っていたように聞こえた。昨夜からの彼の言葉をつなぎ合わせ、それらが全て言葉通りの意味だとすると、ロンは死ぬことが出来ないまま、八百年の間生き続けていた、という事になる。

 その間に、「にっぽん」は「トン国」になり、文化も変わり、何度も戦争があった。


 とても信じられるようなものではない。

 人は普通、六十歳位で寿命が尽きる。ごく稀に八十歳位まで生きる人もいるが、まあせいぜい、そんなものだ。


 ロンはなんでもよく知っている。異国の文化も、様々な国の言葉も知っている。

 見た目が若い。三十五歳という事になっているが、三十五なんて言ったら、普通は大きな子供の二人か三人くらいいるような、いいおじさんだ。だが目の前にいる彼は、どう見ても私と同年代だ。

 だが、それだけだ。

 彼は、「人間」だ。


 **


 ロンの容体が安定したのを見て安心したのか、奉仕団の人達は帰り支度を始めた。


 そうだ。詰所周辺の人に聞くのもあれだし、を聞くなら今が良い機会だ。


「あの、すみません。私、もともとこの土地の者じゃないんですけれど」

「ああ知っているよ。ロンに買われたんだろ。ロンが思わず買う程のいい女ってどんななんだって話題になったもんなあ」


 え、そうなのか。私、有名人だったのか。なんかご期待に沿えず申し訳ない。

 じゃなくて。


「ロンがこの土地に来た時、『二つの噂』があったって聞いたんですけれど」


 私は噂について、皆がどう思っているか聞いた。そしてその結果は、ある程度予測していたものと同じだった。

 まず、噂があったこと自体、皆忘れていた。そして誰かが「そういやあったなあ」と言い出し、それを合図に皆きまり悪そうにもじもじした。


「考えてみたら酷ぇ事言ったよなあ。コイツ確かに人並み外れて丈夫だけど、それと鬼にどんな関係があるんだって話だよ。鬼だって傷つきゃ弱るし死ぬときゃ死ぬ」

「よその村で悪さやらかして逃げて来たって、何だそりゃだよ。少なくともこの村には、ロン以上に清廉潔白な奴はいねえ」

「ま、それも良し悪しなんだけどな」

「そうそう」


 ロンの過剰なまでの清廉潔白ぶりをいじるのは、吝嗇いじりみたいに自警団関係者の間では定番のネタなのだろうか。それはともかく、分かった。よく分かった。


 ユウから聞いた「二つの噂」は、本当にあった。

 だが、そんなものに囚われている人はいない。

 だから噂を私に吹き込み、私が彼を警戒するよう仕向けるなど、意味がないのだ。


 **


 奉仕団の人達は帰り、治療師は他の患者を診るために部屋を出た。

 部屋の中には私とロンの二人だけになった。


 扉の向こうから、治療師が患者と話す声が微かに聞こえる。

 部屋の隅では、薬草がくつくつと煎じられている。

 私の目の前には、血や汚れをきれいに拭われ、体中に湿布や包帯を巻かれたロンが眠っている。


 薄暗い部屋の中に、静かな時間が流れる。



 ロンが僅かに目を開いた。まだ目が覚めているわけではないのか、ぼんやりと視線をこちらに向ける。

 私と目が合い、彼は微笑んだ。

 夢の中で何度も見た微笑と同じ、穏やかな、優しい微笑だ。

 形のいい唇が僅かに動く。そしてまた、眠りにつく。 

 ロンは見て、言った。


 ――加耶子さん。


 その言葉を聞いた途端、私の心に黒くて苦い何かがじくじくと満ちてきた。

 だがそれが何なのかは分からない。


 **


 昼過ぎになり、眠りから覚めたロンは、完全に復活していた。

 気のせいかもしれないが、小さな傷は既になくなっているようだ。私達は村の中心部へ買い出しに出かけるおじさんの荷車に載せてもらい、集落を後にした。


 馬に乗っているおじさんの耳を気にしながら、私はロンに子供の頃から見ている夢の話をした。

 子供の頃、同じ夢を何度も見ていたが、ある程度大きくなってからは殆ど見なくなってしまった事。だが宿つき飯屋で働くようになってから再び見るようになった事。そしてロンに出会ってからは、新しい夢を見るようになった事。夢の内容と併せてそれらの事も全て話した。


「倒れる前に言っていましたよね、ロンは八百年生きているとかなんとか」

「俺、そんな事まで言っていたのか」

「言っていましたよ。まあ信じていませんけれど。他にも昔はこの国は『にっぽん』って呼ばれていた、とか。あ、あとさっき、治療所で寝ていた時、寝ぼけて私の事を『加耶子さん』って呼んでいました」


 私の言葉の何がいけなかったのか、熱は引いたはずなのに、ロンは白い頬を僅かに染めて頭を抱えた。


「そこまでべらべら喋っていたんなら仕方がない」


 少しして落ち着いたのか、ロンは私の方を見た後、空を見上げて話し始めた。


 彼の菫色の瞳の先には、昨夜の出来事が嘘の様に澄み切った青い空が広がっている。

 その空を、つぅ、と鳥が横切った。


 **


 信じられないなら信じなくて構わない。只のオヤジのおとぎ話だと思ってくれ。


 俺は八百年前、ある罪を犯したせいで呪いが掛かった。

 二十歳の頃の事だ。それ以降、死ぬことも、老いることも出来ないでいる。


 加耶子さんという人は、八百年前、実在した人だ。そう、俺との仲は夢と同じ。ユニの見た夢は夢じゃない。本当にあった出来事だ。

 俺と加耶子さんは、自分達が道ならぬ仲であることも、決して添い遂げられないことも分かっていた。でも、止められなかった。

 あ、それは違う。彼女との仲が原因で呪われたんじゃない。だってそうだろう。似たような罪を犯している奴はあちこちにいる。これでいちいち呪いが掛かっていたら大変だ。こう言ったらなんだが自警団の中にも……あ、いや、忘れろ、忘れてくれ、すみません忘れて下さい。


 これだけ長く生きていると、普通の人では見えないものがなんとなく見えてくる。

 いつの頃からか、その人本人と違う魂を抱えている人がいる事に気がついた。一人の中に、本人とは違う人格を持った魂、なのかなんなのかよくは分からないんだが、そんなものが入り込んでいる。

 何も抱えていない人もいるし、一人で幾つも抱えている人もいる。だが、だからどうというものでもないから、あまり気にしないことにしていた。


 でも、宿つき飯屋で、見つけたんだ。

 加耶子さんの魂を抱えた、ユニを。


 **


 村の中心部とは全然違う所で、ロンはおじさんに声を掛け、降ろしてもらった。鬼の巣から持ち帰った武器類は、おじさんが詰所へ届けてくれるそうだ。


「こんなところで降りるんですか」

「ああ。詰所へ戻る前にやらなければいけない事がある」


 すいすい歩くロンの後ろをついて行く。


「あの、さっきの話ですけれど、魂を抱えているって、私は加耶子さんのなんなんでしょうか。生まれ変わりかなんかですかね」

「それは分からない。俺はどちらかというとこういう世界の話にはずっと懐疑的な方だったから」

「じゃあ、生まれ変わりか、あとは」

「加耶子さんの、子孫か」

 そこでロンは言葉を切り、俯いた。


「子孫? 加耶子さんの? ああ成程。え、え、じゃ、じゃあ、私、もしかしてロンの子孫なのかもしれないんですか?」


 私の言葉に、彼は首を傾げてこちらを見た。


「ん、なんで俺? ……って、あっ」


 彼の白い頬がみるみるうちに真紅に染まる。そしていきなり怒鳴り出した。


「違う! 違う違う違う! 普通に考えろ、加耶子さんはあの後許嫁のもとへ嫁入りしたんだ。だからその子孫だ! おお俺達はそそそそんな、そ、そんな」


 八百歳にもなって何を狼狽しているんだこの人は。まあいいや、要は加耶子さんとは心を通わせる仲だった、という事なのね。彼の話を信じ切っているわけではないのだが、私は何故かほっとして、「失礼しました」と言って微笑んだ。


「ところでこれからどこへ行くんですか」


 怒鳴るだけ怒鳴ったロンは、そこで真顔に戻り、前を向いた。


「ユウの家だ。これから話を聞く」


 そう言って指を指す。その方向には、昨夜見た崩れかけの小さな家があった。



「何故、俺の身を鬼に渡そうとしたのか」

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