2.恋の形と終わり

第1話 夢の続き

 太鼓や笛の鳴り響く中、私達は石造りの階段に並んで座った。


 様々な模様の描かれた紙で覆われた灯りがあちこちで揺れている。道路の端いっぱいに並んでいる小さな店には、香ばしく甘い香りの食べ物や、紙と木で出来た玩具などが並んでいる。子供達は茜色の小さな魚を網で掬う遊びに興じている。


 私と龍一郎さんは、時が過ぎるのを忘れて話し続けた。

 とはいえ殆ど私が話し続け、龍一郎さんは私の質問に答える様な形だったけれども。


「知らなかったわ。私の家から結構近い所に住んでいらっしゃるのね」


 彼は私の家の近くにある住宅地――ナガヤという言葉で表していた――に一人で住んでいた。


 龍一郎さんは子供の頃、彼を一人で育てていた母親を亡くし、その後父親に引き取られた。だが数年後には身一つで家を追われ、それから二十歳になる今までずっと一人なのだそうだ。

 父親は、さる名家の当主だが、父親の本妻には既に息子がいた。


「仕方がありません。これは『家』の問題ですから。それに父の家にいる間に色々学ばせてもらいましたので、今、何とか食べていく事は出来ています」


 口元に微笑を湛えながら、静かにゆっくりと話す。織りが荒く襟元の擦り切れたくるぶし丈の服と、背筋を伸ばした端正で上品な佇まいの不釣り合いさに、私は少し悲しくなる。


「ああ、もうそろそろ帰らなければいけませんね」


 彼は空を見上げて言った。気が付けば、空はすっかり暗くなっていた。


「ねえ、まだ早いわ。もう少しお話ししていきませんこと?」


 引き留めに掛かる私を見て、彼は微笑み、首を横に振った。


「これ以上遅くなってはご両親が心配されます。それに今は、大事な時期なのではありませんか?」


 彼の唇から発せられた、大事な時期、という言葉に、私の胸の奥が鈍く痛む。


 あなたに、そんな事を言われたくない。


「じゃあ、明日。明日また、お会い出来るかしら」


 どうしても別れ難くて、すがる様に彼を見上げる。

 薄闇の中、龍一郎さんの澄んだ菫色の瞳に、灯りの光が揺れる。


 彼の瞳を見つめる。顔を動かした時、階段の上に並んで置かれていた私と彼の手が僅かに触れ合った。慌てて指先を引っ込める。私の小指が、彼の体温を記憶する。

 ふっ、と、私の中の奥深くに眠っていた何かに痺れが走る。


 もっと、触れてみたい。


 何を考えているんだ、ついさっき出会ったばかりの人に対して。頭の中の上澄みの部分がそう言って私をたしなめるが、私の手は彼の体温を求めて躊躇いがちに動く。小指の先が、今しがた覚えたぬくもりに触れる。そして逃げる。頭の中の上澄みと、体の奥がいがみ合う。


 その私の手を、彼の大きな手が包み込んだ。


 薄闇の中に浮かび上がる、初雪の色の大きな手。彼の繊細な顔立ちの印象に反して、その手は骨ばって生活感が滲んでいた。

 けれどもその手の持つぬくもりは、私の手を柔らかく包み込む。


 私は彼を見た。私の視線を受けて彼の目は一瞬伏せられ、そして今度は私の目を真っ直ぐに見つめる。

 私の手から離れようした彼の手を、今度は私のもう片方の手が包み込む。私に挟まれた彼の手に、少しだけ力が入る。


 心がふわりと空に舞い上がるのに、体は深い沼に堕ちてゆくような感覚。


 分かっている。私も、龍一郎さんも、分かっている。


 私達のこの想いは、道ならぬ想いだ。

 私はもうすぐ、許嫁のもとへ嫁入りをする。


 **


 後頭部がずきずきと痛む。鳩尾みぞおちも痛いような気持ち悪いような不快感がある。私は体の痛みと強烈な饐えた臭いに目を覚ました。

 気が付くと、私は武器と一緒に荷車に仰向けに乗せられ、どこかへ向かっていた。視界いっぱいに星が輝いている。体の左脇では、剣や矢ががちゃがちゃと揺れている。頭の方向から、鬼共の声が聞こえる。


 この荷車は、多分詰所から持って来た物だ。

 そしてこの荷車は、馬に曳かれているようだ。

 荷車も、馬も、ユウがどこかへ持って行ったはずなのに。


 体を動かそうとしたが、思うように出来なかった。手首と脚を縛られている。どうやらあの状態で、何故か殺されなかったようだ。


 でも。

 私はこうして生きているのに。

 ロンが殺された。


 赤黒い襤褸切れのようになって、鬼に担がれるロンの姿が思い浮かぶ。あの状態だったらひとおもいに手に掛ける事だって出来ただろうに、多分わざと、嬲られ、苦しめられ、殺された。

 どうして?

 分からない。何がどうなっているのか分からない。

 今回の件は、鬼絡みとは言え単純な誘拐事件だと思っていたが、何かが少し、違う気がする。

 誘拐されたアミは解放された。その事は本当に良かった。けれども。

 私の大切な恩人は、私のせいで殺され、

 私は生きたまま鬼に囚われた。


 いつの間にか私は涙を流していた。あたたかい涙はすぐにその熱を失い、冷たく私の顔を横切り、髪の毛に吸い込まれて行く。声を取り戻した私の喉が僅かに振動し、呟く。


「ロン」


 人使いが荒くて不愛想、その上よく「買ったんだから大事にする」なんて言い方をしていたが、彼は常に私を気にかけてくれていた。

 そして人の目のない夜には、柔らかな笑顔を見せてくれた。

 どうして私にそこまでしてくれるのか、何故私を買ってくれたのか。何も聞くことが出来ず、声にしてお礼を言う事も出来なかった。


 ふと、彼と「あの人」の姿が重なる。

 今見た夢を想い返す。

 喉が振動し、唇が震える。


「龍一郎さん」


 物凄く長い名前だから、発音がこれでいいのか分からない。そもそも夢の中なのに、どうしてこんな馴染みのない異国の名前が出て来るのか分からない。

 今の夢は多分、前に見た夢の続きだ。

 私は夢の中で、龍一郎さんと道ならぬ恋に堕ちた。今までは何故彼が殺されなければならなかったのか分からなかったが、多分原因は、この想いのせいだ。

 私は、私の行動は、夢の中でも、現実でも、一番大切な人の命を奪う。


「ロン……龍一郎さん、ごめんなさい」


 荷車を曳く鬼共は話に夢中なのか、私の呟きには気づいていないようだった。次々と溢れる涙が髪に吸い込まれて行く。視界に広がる星が滲む。がらがらと音を立てて、荷車は私をどこかへ連れて行く。


 **


 その時、私の右側で、何かが動く気配がした。

 左側には山積みの武器、右側にも剣などが積まれていたが、体を無理矢理動かすと、右の武器の山が少し崩れた。

 私の右隣には、赤黒い襤褸切れの様な姿のロンが載せられていた。


 そしてロンの瞳は、私の事を見つめていた。


 ロン、と言いかけた時、彼の瞳が動いた。

 そして僅かに顔を動かす。多分「喋るな」と言いたいのだろうと思い、私は口をつぐんで少しだけ頷いた。

 ロンはそれを見て僅かに目を細め、口を動かした。声は出していない。

 けれども私は、彼が唇だけでなんと言ったのか、理解した。


 ――かやこさん。


 「加耶子さん」

 夢の中での、私の名前だ。

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