第8話 叫び

 ユウの家は、詰所から荷車を曳いた馬で半刻位かかる場所に、ぽつんと建っていた。

 木だけで作られた、崩れかけの小さな家だ。


 詰所のあるあたりは村の中心部という事もあり、割と整備された道路と大きな店、それに民家などが集まる様に建っている。だがそれはごく狭い範囲だけのことらしく、宿つき飯屋のある方向とは反対側のこちらは、中心部を過ぎると一気に建物の数が少なくなる。

 この辺りに来ると家は「点在する」といった感じで、あとは暗闇に覆われた小さな畑や荒れ地が殆どを占めていた。

 こんな遠くから、ユウもアミも毎日詰所まで来ていたんだ。あのお母さんの脚で詰所まで来るのはさぞかし大変だったことだろう。


 案の定、ユウはぼんやりと荷車に座り込んだままで何もしない。家の前に到着したので、ロンと私は荷車から荷物を降ろした。


「ユウ、馬を離れた場所に停めておけ。これまで盗られたら困る」


 一通りの作業をほぼ二人で終わらせた後、ロンにそう言われてユウは初めてのろのろと顔を上げた。私の方をなんとなく見つめ、ぽつりと「ごめんね」と呟く。

 そしてどこかへ馬を連れて行った。


 **


 彼が去った後、改めて周りを見回した。

 ここに到着した時から、気になっていた。

 人気ひとけのない村はずれ。寂しげにぽつんと建っている、崩れかけた家。

 西の空の端に身を沈め始めている半分に欠けた月と、星の明かりだけが頼りの暗闇の中に、

 漂う臭い。


 この臭い。あの日、私の村は、この臭いと血の臭いが充満していた。

 独特のえた様な、鬼の臭い。


「結構いるな」


 ロンは鼻の下を軽く押さえながら呟いた。


「もう時間がない。急いで隣家へ」


 隣家、といっても少し歩いたところにある。二人で歩き出した時、ユウの家の扉が開いた。


 塗装の剥がれた木の扉から、小さな穴を二つ開けた、皮の面が顔を出す。

 一頭が少し背を屈めて扉から出て来る。

 そのすぐ後ろからもう一頭。

 もう一頭。


 もう一頭。


 小さな家の中から、十頭程の鬼がのっそりと出て来、私達の前に立った。


 ユウは、まだ戻って来ない。

 鬼の登場は指定された時間よりも早い。

 いや、それより。

 指定の時間のかなり前から、奴らはこの家の中で待機していたのだろうか。


「そういう事か」


 ロンは呟き、小さく舌打ちをした。私を庇うように前に立つ。

 一頭が声を発した。それに応える様にロンも声を出す。少し強めの口調で何かをやり取りしている。暫くして、ロンは私の方を見た。


「この家の中にアミがいる。縛られているらしいからほどいてやって一緒に逃げろ」


 ロンは私の盾になる様に前に立ちながら、ゆっくりと扉の方へ体を動かし、私を促した。中に入ってみると、成程、扉の近くの土間に、手足を縛られ猿轡のようなものを嵌められたアミが転がっていた。

 暗く狭い家の中に充満する饐えた臭いに、私は何度か咳込んだ。

 暗くてよく見えないが、アミに大きな怪我とかはなさそうだ。猿轡はどうなっているのか分からないので、取り敢えず縄だけほどいて体を起こす。アミは私を軽く睨んだ後、外へ飛び出して行った。


 待ってよう。私も一緒に行きます。


 あぁ、とろいにも程があるだろ私。慌てて外に出ると、そこには鬼と対峙するロンの姿があった。


 彼の発する殺気にあてられ、私は思わずその場に立ち竦んだ。


「…………」


 「あの人」の声で、鬼の言葉を話す。

 短いやり取りの後、刀の柄に手を掛ける。

 鬼共が、手にした剣や鉄棒を構え、腰を落とす。


「向こうへ行け」


 私に向かって声を掛け、刀を抜いた。


 月の光を受け、細く優雅な刀は、冷たい光をその身に滑らせた。


 斬り合いが始まる。

 逃げなきゃ。


 頭では分かっていても、脚が動かない。それでも逃げようと体を動かすが、べたりとその場で尻餅をついてしまった。脚が動かない。腰が立たない。這おうと手を動かすが、震える手は只地面の土を掴むだけだった。


 ――本当によかったわ。世が世なら、あなたもいくさに行かれていたかも知れないのでしょう?


 突如、私の脳裏に一つの鮮明な映像が浮かび上がった。

 異国の風景。木で出来た薄暗い家。床には草を編んだ敷物が敷かれている。

 私の言葉に、「あの人」は少し笑い、首を横に振る……。


「逃げろっ!」


 ロンの鋭い叫び声で現実に引き戻される。手で土を掴む。立ち上がろうにも、腕が震えて力が入らない。呼吸が苦しい。繰り返し空気を吸い込むが吐き出せない。胸が痛い。それでも何かの拍子でふっと立ち上がれた時、背後から甲高い金属音が響いた。


 鬼が振り下ろした太い鉄棒を、ロンの細い刀が受け止める。

 鉄棒は払われ、次の瞬間、刀はその身を鬼の腹の中に沈ませていた。


 ロンが腕を捻じりながら引く。

 赤黒い血を纏った刀身が姿を現す。


 鬼は腹を押さえ、崩れ落ちる。


 何が起きたのか、どう動いたのか、私が理解する間もなかった。


 鬼達は一瞬怯んだように身を引いた。その間にロンは一度刀を大きく振り、体勢を整える。

 腰を落とし、前のめりに構える鬼達と違い、片足を少し前に出した状態で直立している。刀を体の正面に構え、睨み据える。

 ロンの全身から、冷たく鋭い殺気が噴き出す。


 私はゆっくりと後ずさりした。今の私には、彼の気を乱さないように逃げることしか出来ない。少しずつ離れ、駆け出す時機を伺う。背中を冷たい汗が伝う。

 この位離れればいいだろうか。どう考えても不利な状況のロンを置いていくのは嫌だが、私がいた所で邪魔にしかならない。震えるこの脚で走れるか。息を吐き出せないこの胸は耐えられるか。兎に角今は、走らなければ。


 走り出す私の目の前に、生温かい皮の壁が立ち塞がる。

 饐えた臭い。

 小さな穴から覗く黒い目。


「…………」


 言葉の様な声を発し、鬼は私の頬を張り飛ばした。

 勢いをつけて地面に倒れ込んだ私の上にのしかかる。面越しにくぐもった声を発する。

 そして、ぐふ、と小さな声で笑い、何かを叫んだ。


「ユニ!」


 ロンが振り返った一瞬の隙を見て、鬼達は一斉に飛び掛かった。

 ロンは苦し紛れに刀を振り回し、それに当たって一頭が顔を押さえて倒れた。

 だが、ロンに出来た抵抗はそこまでだった。


 ロンの上に、何頭もの鬼共が折り重なる。

 彼の姿が、皮の塊に飲み込まれ、押し潰されて行く。

 彼を殴る鈍い音と、潰れた様な低い呻き声が漏れる。

 それはまるで。


 やめてやめて!!


 鬼に押さえつけられながら、私の喉は声にならない叫び声を上げる。私の上にのしかかった鬼は、顔をロンのいる方へ向ける。

 ぐふ、と笑い声を漏らす。

 私の方に顔を向ける。

 面越しに見る目は、嗤っていた。

 彼がなぶられ、傷つけられていく様を、私にわざと見せつけているようだった。


 やめてやめて! お願いだから、やめて!


 どんなに暴れても、泣いても、私の声は喉に詰まり、口からは小さな息が吐き出されるだけだ。暴れる私の後頭部を鬼が殴る。痺れる様な痛みが走る。頭を地面に押しつけられ、砂が頬に刺さる。


 やがてロンの上に折り重なった鬼共がばらばらと立ち上がった。奴らの体の間から、ロンの深沓が覗く。一頭が声を上げ、それを受けてもう一頭がかがみ込む。


 全身を赤黒い血で染め上げた、変わり果てた姿のロンが担ぎ上げられる。


 いやああぁぁ!

 

 そうだ。これは。

 あの夢と同じ。「あの人」と同じ。

 私の大切な人が、私のせいで、私の目の前で、嬲られ、殺され。

 

 私のせいで。


「……ぁぁ」


 絶叫は、喉の奥を微かに震わせ音を立てた。私は髪を引っ張られ、顔を起こされた。首を振る私の髪を鬼がもう一度強く引く。赤黒い襤褸ぼろ切れの様なロンの姿が涙で霞む。


「ぃゃぁ……」


 夢だけじゃなく、現世でまであなたをうしなうなんて。

 私の大切な人。私のせいで。また喪ってしまう。いやだ。いかないで。もうやめて。お願いだから。おねがいだからいかないで。

 もううしないたくない。うしないたくないの。どうしてこんなことに。どうして。どうして。

 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ……。



「いやああぁぁぁっ!!」



 喉が激しく振動し、叫び声が私の唇から溢れ出す。届くはずのない手を伸ばし、彼の姿を追う。鬼共は何か声を上げながら歩き出す。肩に担がれた彼の姿が離れていく。


「いやあっ! ごめんなさい、ごめんなさい! いかないで、お願い、お願いだから!」


 夢の映像が重なる。目の前が霞む。喉は私の心の奥を吐き出す。私は膝をついたまま絶叫した。



「行かないで、お願い、龍一郎りゅういちろうさん!」

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