第7話 誘拐

 ロンが「あの人」と同じ言葉を囁いた夜から何日か過ぎた。


 あの後、ロンから私に何かを訊ねるような事は何も言わない。そして態度も変わらない。相変わらず押しが強く、貫禄があり、仕事の指示は矢継ぎ早で、吝嗇けちだ。

 私の心を置き去りにしたまま、あの日の事など何もなかったかの様に日々が過ぎていく。そして私には、彼にあの日の事を問うすべがない。


 遅番の見回りが終わると、私は追い立てられる様に物置へ押し込められる。そして夜が明けるまで外出は厳禁だ。

 物置の窓には木の扉が取りつけられ、入り口の鍵も頑丈なものに取り換えられた。

 新たな細工もされた。物置と詰所の屋根に紐を渡し、物置の中に垂れた紐を私が引っ張ると、詰所のロンのベッド脇にある木片が鳴る、というものだ。

 私の安全の為の対策が、次々とされていった。

 私には何も言わないが、ロンは私の事に心を砕いてくれている。


 **


「最近寒くなったよね。こんな時に一人でいると怖いんじゃない?」


 ユウは最後の見回りの時間になると、たとえ自分が早番の日であっても詰所に来るようになった。

 そして私に話し掛けて来る。話は大抵、私を気遣う言葉と、ロンの噂話だ。


「なんか今日もごめんね。アミがまたユニに突っかかって。ユニだって困るよねえ、只買われただけなのに」


 アミはほぼ毎日詰所に顔を出す。その理由はすぐに判明した。

 彼女はロンが好きなのだ。

 他の団員から「こいつオヤジだよ」だの「吝嗇だよ」だの「自分勝手で命知らずで不愛想な仕事人間だよ」だの散々言われているのに怯まない。他の団員達にも適当に笑い掛けながら、ロンに露骨な秋波をぐいぐい送る。だがロンは露骨に嫌そうな顔をして全て斬り捨てる。

 そして暫くすると飽きるのか、ひょいと帰るのだが、帰り際に私を睨み付け、「不細工」だの「貧相」だのと小声で吐いていくのを忘れない。どうも常にロンの側にいる私が憎くて堪らないらしいのだ。


「俺はさ、心配なんだよ。アミ、まだ若いのに、ロンなんかに熱をあげて。さっさと忘れて欲しい。あとは」


 ユウは言葉を切り、私を見つめ、私の手を握る。


 得体の知れない不快感が走る。


「ユニが心配だ。出来る事なら俺が買って、ずっと一緒にいてあげられたらいいんだけど」


 ユウの真っ直ぐな視線から目を逸らす。ここ数日の彼の行動には本当に困っている。最初の頃の控えめな態度とは大違いだ。

 なんとか握られた手から離れたいともじもじしていると、彼は却って強く握って来た。


「ユニの事は俺が守りたいんだ。俺にユニを買う力さえあれば」


 守り「たい」んだ。守「る」んじゃなくて。

 それでその手段は私の売買なんだ。


 折角の好意だが、私は彼の言葉尻を捉え、妙に醒めた気持ちで話を聞いていた。

 彼の熱の籠った言葉は、私の頭上をつるつると滑っていく。


「ねえ、ユニには心に決めたひとはいるの? ユニがいたミ村に、そういう人はいたの?」


 ああ、もう、その話はやめてよ。


 私は今、眉間に皺を寄せた嫌な顔をしていると思う。

 

 この間からずっと、私の気持ちは混乱しっぱなしなんだから。

 んだから。


 この状況から解放されたいなあ、早く見回りの人達が帰って来ないかなあ、と扉の方へ目を向けると、微かに足音が聞こえて来た。

 脚を引き摺るような音。多分扉の向こうにいるのは一人だ。

 扉が開いた。


「ユウ! お前だけかい!? アミは!?」


 扉の向こうには、杖をついた年配の女性が息を切らせて立っていた。


「どうしたよ母ちゃん。俺一人に決まってんじゃん」

「アミは!?」

「いねえよ。つーかさ、昼間ちょろっとここ来たけど、そんだけだよ。後ぁ知んねえよ。アミがどうした?」


 これがユウの素なのだろうか。いつもと口調が違う。口調が、というか、独特の訛りがある。

 お母さんは杖にもたれ掛かりながら言葉を震わせた。


「あ、アミが」


 懐から紙片を取り出し、震える手でユウに差し出す。


「いなくなっちまったんだよ。薪を取りに外に出て、全然戻ってこないから外を見たら、アミがいなくて、扉にこんなもんが、貼っつけてあって」


 ユウに渡された紙片には、見たことのない文字らしきものが書かれていた。

 ユウは暫くそれを読んでいたが、やがて唇を噛み、紙片を持つ手を震わせた。


 **


 見回りの人達が戻って来た。

 ユウはロンのもとへ飛んでいき、先刻の紙片を見せた。ロンは紙片を見るなり顔色を変えた。


「これはどういう状況で見つけたんだ」

「母ちゃ、母が言うには、アミが薪を取りに外に出て、そのまま戻らなかったらしいんだ。それでおかしいと思った母が外に出ると、アミがいなくて、扉にこれが貼ってあったって言っていた」

「最近、奴らを家の周りで見かけたことはあるか」

「いや、俺の知る限りではない」

「そうか」


 ロンは紙片を見て僅かに目を細めた。


「しかし、なんでアミなんだ」


 ロンの言葉を聞いて、ユウはロンの胸倉を掴んで怒鳴った。


「知んねえよ!」


 胸倉を掴んだ手が震えている。


「でもアミがいなくなっちまったのは事実なんだよ!! アミが、アミが、もし、あ、あいつらに」


 ロンの胸倉を掴んだまま、言葉にならない叫び声を何度も上げる。


「やめろよ、ロンが何したっていうんだ」


 リクが間に入ろうとしたが、ユウに突き飛ばされた。

 ユウの目から涙が溢れていた。


「相手はその辺の悪党じゃねんだよ! 鬼なんだよ! もし奴らの言い分聞かねかったら、あ、アミは、どう」

「相手は捕まえて裁くべき人間じゃない。だからこれに書かれた要求は呑む。俺が対応する。武器を渡すのもこの際仕方がない。大丈夫だ。落ち着け。今、皆に説明する」


 ロンは、錯乱するユウに静かに語り掛ける。それでも尚叫ぼうとするユウを無理矢理椅子に座らせ、詰所に残っていたシュウとリクの方に向き直った。


「アミが鬼に誘拐された。この手紙によると、相手の目的は食料や武器類だ。ユウの家で、アミと引き換えると書いてある。だから奴らの要求通りの品物を全て渡す。鬼による誘拐なんか初めてだが、今回の成功で奴らは味を占めるかもしれない。その時は改めて対応を考えるが、今回は人命優先でいく。奴らの指定する時間まで間がない。急いで準備してくれ」


 **


 この家の娘は預かった。

 返して欲しければ以下の通りの食糧、武器を渡せ。

 今夜ニの刻にのこく迄に、この家の入り口前に用意しろ。

 その時、立ち合いの人間は二人までとする。

 待ち伏せて攻撃してくるようであれば娘の命はない。

 また、指定のものが全部揃っていない場合にも娘の命はない。

 我々としても娘の命を無駄に失わせるのは本意ではない。

 賢明な判断を望む。


 手紙には要求の品物の他に、このようなことが書かれていたそうだ。

 鬼が独自の文字を持っているなんて知らなかった。曲線が不規則に絡まった、糸屑がぽんぽんと置かれたような複雑な文字を、ロンは人間の手紙を読み上げる様に読み下した。ユウはロンから鬼の言葉を教わったらしく、喋れはしないが簡単な文章なら読めるそうだ。


 ニの刻まで時間がない。私は武器類の準備担当になった。物置にある武器の置き場所や数は、ほぼ一人で片づけをした私が全部把握しているからだ。

 要求された食料は大量だ。個人宅の備蓄で用意出来る量ではない。市場は遠いし、閉まっている。皆が困っていた時、私はいいことを思いついた。


 宿つき飯屋の女将に頼んだらどうでしょう。


 あそこなら食料が沢山ある。少し離れているが、馬を使えばすぐだろう。私はロンの袖を引っ張り、自分を指差したり宿のある方向を指差したりしてじたばたしてみた。


「ああ、そうか、女将に頼む手があるか」


 ロン、こんな身振りでよく分かったな。まあいいや。シュウとリクが馬を飛ばして宿へ向かった。

 私は重たい武器をロンと一緒に荷車へ載せていく。外は寒いが、私の額には汗が浮かんでいた。


 その間、ユウは部屋の隅で、俯いて立っているだけだった。


 **


「ユニ、よくやってくれた。助かった。後は俺とユウで対応するから、物置へ戻れ」


 立ち合いはロンとユウの二人で行うらしい。このような場面になった場合、ロンが出て行くと言い出すのは、なんとなく予測が出来た。

 彼は自警団一、自分の命を粗末にしている。


 でも、荷物を運ぶのを手伝う位ならいいでしょう?


 どう見ても今のユウが役に立つとは思えない。シュウとリクは物陰に隠れて待機すると言ったが、ユウが怒鳴り散らして家に帰してしまった。私がいたら鬼に指定された立ち合い人数を超えてしまうが、こんないかにも戦えなそうな女が一人荷物運びでうろうろしていても、鬼だって大目に見てくれるんじゃないか。そう思って荷物を曳く仕草をした。


「だめだ。早く物置へ戻れ」


 ロンは険しい声でそう言って物置を指差した。


 でも、もう時間がないでしょう? 早くしないと間に合わない。私は荷物を運んだらユウの家族のいる隣家へ移動しますから、大丈夫ですよ。


 言葉にすればたったこれだけのことなのに、身振りじゃどうしても伝わらない。私が口を動かしながらじたばたしていると、ユウが口を開いた。


「手伝うって言ってんだからやらせようよ。荷物運んだら隣家へ行きゃいいじゃ」

「黙れ!」


 ユウの言葉をロンは怒鳴り声で叩き切った。

 突然の出来事に、ユウは身を震わせて立ち竦んだ。


「お前にそんな事を言う資格はない! 彼女をなんだと思っているんだ! ユニは俺のものだ!」


 顔を紅潮させて激昂し、ユウに飛び掛からんばかりのロンの帯を、私は軽く引いた。


 大丈夫。大丈夫ですから。もう時間ないですよ。


 微笑み、彼の腕を軽く叩く。私に向かって何かを言おうとしたロンを見て、私は彼の唇に人差し指を当て、もう一度微笑む。そして荷物を曳く仕草をする。


「そうだ。あなたは」


 ロンは私のことを、遠くを見る様な目つきで見ながら呟いた。


「優しくて、頑固でしたね」


 そして少し俯き、微笑んだ。


 **


 食料が山積みにされた荷車を馬で曳きながら、私はユウに指摘していいものなのかどうか、考えていた。

 見間違いかなあ。意味ないことなのかなあ。それにどうやって伝えればいいんだ。



 さっき、ロンに鬼の手紙を見せていましたよね。

 糸屑みたいな字がびっしり書かれた一枚の手紙を。


 お母さん、手紙、二枚持って来ていませんでしたっけ。

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