第3話 二つの噂

 飯屋でのやり取りの時、あまりいい顔をされていなかったので不安だったが、自警団の人達は私の事を温かく迎えてくれた。


「村の中でも選りすぐりのむさ苦しい奴揃いだけど、怖がることはないからね。買った売られたとか考えないでさ。ユニはもう、自警団の一員だよ」


 詰所で書類仕事をしていた団員が、そう言って笑った。

 彼は私と同い年だ。華奢で小柄で、私以上に女の子らしい顔立ち。どうも見た目通り、と言ったらあれだが、剣の腕が全くないので、主に書類仕事や役所への対応をしているらしい。

 名前はユウ。多分これから、詰所で一番顔を合わせる時間が長い人だ。


 セ村は南方の田舎だが、河を挟んで国境があることもあり、人の出入りが多い。だから犯罪や揉め事が結構ある。

 役所は罪人を裁いたり刑を執行したりはするが、その罪人を捕えるのは自警団だ。揉め事の仲裁も然り。

 何となく鬼退治の印象が強い自警団だが、実際は捕り物や揉め事の解決、村の見回りなどが仕事の大半を占めている。

 そしてセ村の自警団員は本部と分所を合わせて十人。非常勤や無給の奉仕団も数に入れればもっといるが、常勤の団員は本部八人、分所二人だ。

 これだけの人数で、村の治安を守り、いつ攻めて来るか分からない鬼に備えている。


 つまり、彼らは目が回る程忙しい。

 だから、詰所の片づけなんかしていられない。


 「自警団の一員」である以上、私への態度は皆、優しいけれど容赦ない。初日から詰所の片づけは勿論、役所への遣いやらこまごました雑用やら、四方八方から矢のような指示が飛んでくる。ぼーっとしたり故郷に思いを馳せたりしている余裕なんかない。自分の身の上の急激な変化に戸惑っている暇なんて全くない。

 毛織物の着物を着、革の深沓ブーツを履いて、私は古い民家を改造した詰所の中を、飛ぶように走り回った。


 **


 ようやく長いんだか短いんだか分からない一日が終わり、私は詰所に一人残っているロンに退出の許可を貰いに行った。


 彼は部屋の隅で、自分の刀の手入れをしていた。刀身を角灯ランタンにかざし、真剣な眼差しで見つめている。

 彼の刀を抜身の状態で見ると、細く薄く、緩やかな弧を描いた優雅な形をしていて、到底鬼なんか斬れそうにない。武器というより一種の美術品の様だ。

 だが、もともと出自不明の外部者よそものだった彼が、自警団長という村の安全を左右する役割を任されているのは、その剣の強さに因るところが大きいのだという。

 つまり、この美術品の様な刀も、「あの人」と同じ、繊細で端整な姿のロンも、今までに数多くの鬼を斬り血を浴びてきた、という事なのだ。


 すみません、もう遅いので、寝床に行ってもいいですか。


 ロンの側に立ち、物置の方を指差して口を少し動かす。彼は私の姿を認めると刀を納めた。

 静寂の中、澄んだ金属の音が響く。

 そして彼は私の方を向いて、柔らかく微笑んだ。


「昼間は助かった。忙しくて大変だっただろう。今日はユニの意見も聞かずに色々勝手な真似をして悪かった。もう遅いから、ゆっくりお休み」


 低く、ゆったりと囁くような声が、仄暗い室内に染み渡る。昼間の押しの強い態度とは正反対のその声と雰囲気、微笑みに、私はどうしたらよいのか分からず視線を宙に泳がせた。


 あなたはどうして、そんな表情で、そんな声で、私に話し掛けるのだろう。

 それじゃあまるで、

 「あの人」みたいじゃないの。


 どうしたらいいのか分からなかったので、取り敢えず頭を下げて部屋を出ることにした。扉に手を掛けた時、背後から彼が呼ぶ声がした。


「ユニ」


 振り向く。彼は私と目が合った瞬間、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。


 その仕草が、また、「あの人」を思い起こさせる。


「『ユニ』という名前、それ、異国人の人売りが呼んでいたものだろう。発音も『ユニ』ではなかったはずだ。だとすればそれは名前ではなく只の記号だ」


 確かにその通りだ。だが名前を伝える手段がないので、まあいいやとそのままにしていたのだ。


「いつか、ユニが自分の名前を俺に教えてくれたら」


 そこで彼は言葉を切り、私を見つめ、続けた。


「その時、俺も本当の名前を言う。そして、教えるから。本当の、俺の」


 そこまで言って、急に彼は我に返ったように少し目を動かし、後ろを向いて、おやすみ、と言った。


 多分、今日はこれ以上、何も教えてくれないだろう。私はもう一度頭を下げ、詰所を後にした。


 ** 


 彼の上に、何人もの男共が折り重なる。

 彼を殴る鈍い音と、潰れた様な低い呻き声が漏れる。

 よし、じゃあ仕上げだ、と息を切らした男の一人が言い、自分の腰に差した短い剣を抜き、振り上げる。

 引き裂くような鋭い悲鳴が上がる。


 私は泣き叫び、自分を押さえつける手から逃れようとする。

 なんてこと! 酷いわ! この人殺し! 鬼!

 私の叫びを聞いて、男は喉の奥で嗤った。


 そうですよ、我々は、鬼なんです。


 私を押さえつけていたのは、

 人間よりも二回り大きく、目の部分に小さな穴を開けた皮の面を被り、皮の着物を纏った、


 鬼だった。


 **

 

 声のない叫びを上げて目を覚ました。

 心臓が叩きつけるように強く打つ。息が苦しい。両手が冷たく震えている。私は一度短く息を止め、ふっと強く吐いた。


 なんなの今のは。あんな場面、見たことがない。


 いつもは男の一人が短い剣を振り上げ、「あの人」の悲鳴が聞こえて終わる。私はその時、泣くだけだ。私を捉まえていた男がいつの間にか鬼に変わるなんて、今までなかった。

 だが、こんな夢を見てしまった原因はなんとなく分かる。

 昼間、ユウから聞いた話が、頭にこびりついていたせいだろう。


 **


「ユニ、女将の所から来たんだって?」


 夕方、詰所の中に人がいなくなった時、ユウは私に話し掛けて来た。私が頷くと、彼はペンを置き、私の方に向き直った。


「まあ確かにユニが来てくれて助かっているけどさ、なんでロンはわざわざユニを買ったんだろう。変な話、個人で人を買うより、普通に人を雇った方が安上がりなんだけれど」


 それはそうなのだが、私がそこで肯定するのもあれなので俯いて誤魔化した。ユウは椅子から立ち上がり、私の方に近寄って来た。


「確かにロンは強い。俺らを纏める才もある。だから皆、信頼している。だけどね、彼には気をつけた方がいいよ」


 そこでユウはあたりを見回し、声を潜めた。


「ねえユニ、おかしいと思わない? 自警団員ってさ、俺が言うのもなんだけど女の人に結構人気があるんだよ。ロンはその団長で、しかもあの顔だ。なのに今まで浮いた噂が一つもない」


 あ、そうなんだ。成程、シュウの言っていた「清廉潔白」って、そういう意味もあったのか。

 だがだからなんだというのだ。縁なんて、ちょっとした加減でうっかり逃すこともあるだろう。

 私が表情で「だから何?」と伝えると、彼は更に顔を寄せて来た。


「ロンはね、この村の人間じゃないんだ。十五年位前に、行き倒れ寸前みたいな恰好でこの村に流れ着いたんだって。今じゃすっかり周りに馴染んでいるけれど、実はロンの昔の事は未だに誰も知らないんだ。でね、ロンが村に来た当初、彼について二つの噂が流れていたんだって」


 出自不明の流れ者に対して色々な噂が流れる。まあ、あることだろう。しかしそんな大昔の噂を、なんでこの人は私に言おうとしているんだ。十五年前なんて、私達はまだ三歳位だ。


「一つはね、ロンは昔住んでいた村で酷い罪を犯し、村に居られなくなって逃げて来たんだろう、っていうやつ。ま、ありがちな噂だよね」


 確かに。それに可能性としてなくはないと思う。それがどういった種類の罪かは知らないが。

 罪を犯す。それは確かに悪いことだ。

 だが、悪意や過失だけが罪の原因ではない。

 例えば。


「ユニ、聞いているー?」


 ああぁ、またやっちゃった! 私は首を少し振り、ごめんなさいの仕草をする。ユウは少し笑って言葉を続けた。


「あともう一つ。まあ今となっては信じている奴は誰もいないと思うけれど、多分これが原因で、ロンは浮いた噂が出ないんだと思う。だって、こんな噂があったってだけで嫌だもん。あのね」


 **


 怖ろしい夢から逃げる様に、暫く自分の呼吸に意識を集中していたら、少しずつ落ち着きを取り戻すことが出来た。

 いつもは悲しい気持ちでいっぱいになる夢だが、今は何とも言えない不愉快なもやもやと、曖昧な怒りのような感情が心を占めている。

 あんな噂、聞きたくなかった。ロンが「あの人」でないことは分かっているが、それでも悪く言われるといい気分はしない。


 昼の姿と夜の姿、どちらが本当の彼の姿なのかはまだ分からないが、少なくとも彼は、個人のお金で私を「買う」という行為を通じて、私を「売り買いされる人間」という身分から救ってくれた。

 ここでの仕事は忙しい。下手をすると飯屋より忙しい。けれども食事も着物も与えられ、殴る人もいない。皆、「人として対等な下っ端」という扱いをしてくれる。

 これは、私のような立場の人間からすれば、思いつきもしないような幸運だ。そしてこれは、ロンのおかげだ。


 彼は私の愛する「あの人」ではないが、現実の世界では誰よりも大切な恩人だ。

 下らない噂話なんか、吹き込まれたくなかった。


 硝子の嵌め込まれた小さな窓の外が暗くなった。月が雲に隠れたのだろうか。室内はより深い闇に包まれる。

 そういえばまだ夜中だ。明日もきっと忙しいだろう。今、彼に出来る恩返しは、きちんと眠って明日の仕事に備える事だ。そう思って横になりながら、何気なく窓の外を見た。


 外が暗くなったのは、月が雲に隠れたからではなかった。



 窓の外には、

 皮の面を被った鬼が一頭、べったりと張りついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る