1.初めての再会

第1話 出会いか、再会か

 朝食の時間になると、宿に泊まっていた客達が続々と飯屋に集まって来た。


 大部屋も含め全部で八部屋あるここは、田舎の宿付き飯屋にしてはいつも繁盛している。今日も満室だ。

 古い木の階段をぎいぎいと鳴らしながら降りて来る客は様々だ。移動商人や、飲み過ぎて帰れなくなった人、酒場で意気投合した女を連れた人など。


「おい女将、こいつ新入りかよ」


 女連れの若い男が私を指差して大声を上げた。


「ああ、半月前に買った」

「へえ。小汚いけど別嬪じゃねえか。こんなしけた宿にいたら勿体ないんじゃねえの?」

「どこがしけた宿だって? 文句があんならここに来ないで、大人しく家に帰んな。あんまり母ちゃんに心配掛けるんじゃないよ」


 女将に切り返された男は肩をすくめ、傍らの女と一緒に、私の事を遠慮のない視線で眺めまわした。


 私を値踏みし、「価値なし」と判断した時の、さげすむ様な視線。


 別嬪と言われた。だが男の傍らに立つ、化粧を施し、華やかな染模様が入った着物を着た女に比べたら、私なんか同じ「女」という生き物なのかもあやしい気がしてくる。


 私みたいな汚いのがうろうろしているのもまずいだろうと思い、腰を屈めて退出しようとした。そこを先輩に呼び止められ、給仕をしろと指図された。

 それってどうなんだろう。飯屋って、清潔感が求められるものなんじゃないのか。まあいい、やれと言われたのだからやらなければ。

 手渡された盆を受け取った時、やかましい濁声だみごえと大きな足音を響かせて、何人もの男が階段を降りて来る音がした。


 大きな足音。硬い革を何重にも底に重ねた、頑丈な深沓ブーツを履いた自警団員達だ。


 **


「よう女将、おはよう。相変わらず愛想のねえツラしてんな。腹減った。今日は何食わしてくれるんだ」

「愛想なくて悪かったね。なんだい、昨晩あんだけ飲んだのに食えるのか。そんなに元気なら、家に帰りゃ良かったじゃないか。あんたの女房、今、腹大きくて大変なんじゃないのかい」

「だからだよ。酒飲んで帰ると、臭くて吐き気がするから近寄るなって言われてさ」


 女房に結構酷いことを言われている彼は、どこか嬉しそうに微笑んだ。


 女将は愛想がなくて口が悪いが、村の人の事をよく見ている。この女将の性格が、ここの繁盛の理由なんだろうか、などと、売られてきて半月の私が勝手に考えてみる。


 いけない、給仕中だった。私は異国人の老いた移動商人の所へ、麦の粉を焼いて作った餅と鶏の卵、山羊の乳の朝食を持って行く。

 彼らの国では米を滅多に食べないらしい。いい歳した人間が、わざわざ獣の乳を飲む意味が分からない。


 移動商人のテーブルから離れる時、背後から、「ほう」という声があがった。自警団員達のいる卓だ。


「おい女将、なんだいこの汁」


 男の一人が明るい声を上げた。


「何の具も入っていないつまらない汁だと思ったけど、これ、幾らでも飲めるな。それに飲むと酒が抜ける気がする。なあロン」

「ああ。女将、この厨房に、チ村かミ村辺りの出の人が入っただろう」


 ロンと呼ばれていた男の「ミ村」という言葉に、私は危うく盆を落としそうになる。


「ロン、流石だね。ミ村の女が作ったんだよ。肉や野菜を大量に湯にぶち込んで煮込んだ挙句に、肉も野菜も全部捨てちまってさ、何やってんだ勿体ないと思っていたんだが」

「これは、あのあたりの村で作られている、二日酔いを治す為の薬湯だ」


 ロンの言葉に、他の人達は、お前本当に何でもよく知ってんな、などと言っている。そして暫くずるずると汁をすする音が響いた。


 へえ、この辺では作られていないんだ。もっとも、私の村でも手間の掛かるこの汁を作る人は、あまりいなかったけれど。酒飲みのお父さんと料理上手のお母さんのおかげで、少しは彼らの役に立てたみたいだ。


 何となく気分が良くなって歩き出した途端に、背後からいきなり帯を掴まれ引っ張られた。


「おい、女!」


 振り返ると、さっきの異国人の移動商人が、私の帯を掴んで睨み付けている。


「てめえ、俺の金子きんす袋をくすねやがったな!」


 何だそれ。名前の感じからしてお金を入れる袋だろうか。そんなもの、知らないに決まっている。

 いきなり怒鳴りつけられた言葉の意味を考えてぼんやり立っていたら、移動商人は私の頬を思い切り張り飛ばした。


 客の間から、短い叫び声が上がる。


「とんでもねえ奴だ、おい、この宿の責任者呼んで来い責任者!」

「責任者も何も、あたしが女将だよ、見りゃ分かんだろうるさいなあ」


 他の客と掛け合いをしていた女将が、面倒臭そうに私の背後に立った。

 私はひりひりと痺れる頬を押さえ、女将に向かって首を横に振る。


 私はやっていない。何を言われているのか分からない。信じて下さい。


「ユニ、あんたこの客に何か悪さでもしたのかい?」

「俺の金子袋をくすねやがった。この国での売り上げ全部が入っていたのによ」


 私が首を横に振る傍らで、移動商人が怒鳴る。


「売り上げ全部? なんだってそんなもの、こいつが分かるような所にぶら下げてうろうろしていたんだい」

「うるせえよ、異国の奴らは信用ならねえから、売り上げはいつも身につけておくのが普通だろ。そしたらこいつがそれを」


 今度は反対側の頬を張る。体勢を崩した私はつまずいて転び、そのまま床にうずくまる。

 そこへ彼は卓にあった飲みかけの山羊乳を手に取り、私の頭に浴びせかけた。


 僅かに生臭く、べっとりとした山羊乳が、胸まである髪を伝い、顔に広がる。一枚きりの着物の中に、ぐちゅぐちゅと滲み渡っていく。

 別の卓にいた客の女の一人が、「あーあ」と小さな声を上げた。

 顎の先から乳を滴らせながら顔を上げ、私は再度首を横に振る。


 私はやっていない。盗んでなんかいない。信じて下さい。


 叫びたくとも声が出ない。唇は只空しく宙を噛み、喉の奥からは時折変な息が吐き出されるだけだ。女将は険しい表情で私と移動商人を見比べている。移動商人はすり減った石の床に唾を吐き、歩き出した。


「こんな宿、二度と来るもんか。今、上にある荷物を纏めて来るから、それまでにこいつをひん剥いて調べてお」

「調べている間に宿代踏み倒して逃げ出したりしないだろうな」


 怒鳴り散らす移動商人の言葉を、一人の男が遮った。

 高い靴音を鳴らして、こちらに歩いてくる。


「なんだとてめえ、失礼な」

「失礼かどうか、お前の部屋を調べてみようか。お前みたいな奴、結構いるんだ。因縁つけて宿代や飯代を踏み倒す奴。彼女の雰囲気や身なりからして、因縁の標的に丁度いいと思ったんだろう。おい」


 おい、という言葉と共に、何人かが靴音を鳴らして階段を昇っていく。移動商人の部屋を調べに行ったのだろうか。


「なっ、何しやがるてめえら! おいお前、なんなんださっきから、若造の分際で偉そうに」

「ロンは見てくれ若いけど、もう結構な歳いってんだよ。なあ爺さんよぉ、自警団は鬼退治だけしてメシ食っている訳じゃねえんだぜ。もし俺らの村で悪さを働いたりしたらどうなるか、なあ」


 若い男が移動商人の顔を覗き込み、口を歪めてわらった。


 嗤いながら、腰にいた大型の剣に手を掛ける。

 移動商人は男の手元を見、私と女将を見、その後ろにいるロンを見た。

 暫くそのまま動かず、沈黙する。


 やがて移動商人は腰を屈め、薄ら笑いを浮かべて後ずさりした。


「そんな、兄さん、おっかない顔しないで下さいよ。俺も随分耄碌もうろくしちまったからね、部屋に置き忘れているかもしれん。ちょっと見て来ますよ」


 そして物凄い速度で階段を駆け上っていった。


 **


 いかにも「嘘がばれそうになったので逃げました」といったていの移動商人がいなくなった後、私はお礼をしようと後ろを向いた。


 ありがとうございます。助かりました。信じて頂けて嬉しいです。


 けれどもその心は、彼の姿を見た途端に固まり、停止した。


 勿論感謝はしている。それこそ疑われても仕方がないような外見の私を救ってくれたのだから。

 なのに私は彼の姿に心を奪われ、その顔を見つめたまま動けなくなってしまった。



 瑠璃色に染められた、腰丈の着物に淡青色の帯、生成きなりの服筒ズボン、自警団特有の頑丈な深沓。

 腰に佩いているのは、よく見かける大型の剣や太い刀ではない。到底実用性があるとは思えない、細身で軽く弧を描いた刀だ。

 特別風変りでも華美でもない、刀以外はごく一般的な姿。だが。


 漆黒の髪に菫色の瞳、自警団にありがちな荒々しさのない、繊細で端整な顔立ち。

 髪型や服装こそ違えど、彼は。


 幼い頃から何度も私の夢に現れて来た、「あの人」にそっくりだった。


 **


 穏やかな微笑みを向けてくれている。

 短く切り揃えられた髪に異国の服装。私も異国の女の服を着ている。

 彼は俯き、少し照れた様に私の手を取る。その彼の手の感触に、ぬくもりに、私の心はふわりと舞い上がり、柔らかく満たされていく。

 やっぱり、あなたしかいないわ、と言う。


 場面が変わる。

 私は逃げている。辺りは暗く、ごちゃごちゃとした異国の街並みがぼんやりと月明りに照らされている。何から逃げているのかは分からないが、心の臓が潰れそうな程鼓動は乱れ、口の中に嫌な味が広がる。

 早くしなきゃ、見つかったら最後だわ、と思う。


 戸を開けると、小さな明かりをつけて本を読んでいる彼がいる。彼は私の姿を見ると驚いたように少し身を引き、本を取り落とす。

 いけません、帰りなさい、と彼が言う。

 いやよ、そんな事言わないで。私にはあなたしかいないんですもの、と叫ぶ。


 その言葉を言い終わらないうちに、沢山の怒号と共に、怒りの形相をした男共が雪崩込んでくる。


 何人もの男に押さえつけられて、私は表通りに引き摺り出される。


 やめてやめて、と叫ぶ。

 やめてやめて、何でも言う事を聞きますから。彼は何も悪くないの。ですからお願いです、やめて下さい。


 私を捕えている男の一人が、鼻を鳴らして言う。

 そんなの、知っていますよ。

 

 彼の上に、何人もの男共が折り重なる。

 彼を殴る鈍い音と、潰れた様な低い呻き声が漏れる。私が幾ら叫び暴れても、その声は届かない。彼がなぶられ、傷つけられていく様を、私はわざと見せつけられているようだった。


 よし、じゃあ仕上げだ、と息を切らした男の一人が言い、自分の腰に差した短い剣を抜き、振り上げる。


 引き裂くような鋭い悲鳴が上がる。



 そして私は、自分の流した涙で目が覚める。

 

 

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