第16話 きらい


 俺の仕事、闇月の仕事。大人の考えは本当にわからない。変。そう思った。言うとおりにするという、しなければいけないという教育を受けてきたからまだその時は仕事をしていた。言われるがままに。ただ変だな、かわいそうだな、つまんないなとそう思っていた。あの日一人の女の子に出会うまでは。


 真っ赤な目をしていた。この施設で今まで本当にいろんな子ども達を見てきたけど全然違う。怖い。初めてそう思った。赤い目と黒い服。そして、施設の外の林にいたから。あの施設からは逃げられないはずなのに。俺と同い年くらい、合わない服を無理矢理着て、見つめる。赤い目で。でもおびえながら、カタカタ震えながら、汗をかきながら、瞬きしないで、息継ぎすらしないで、じっと見つめる。俺はその目に捕らえられた。


 俺は逃げた


 怖かった。ガタガタ震えた、汗だくになった、瞬きも息継ぎもいつしたのか覚えてないくらい、走った。逃げた。


 俺は施設の入り口でいつものことをやって、中を突っ切って、いつもの仕事場に来た。俺の妹の闇月飛鳥のところに来た。



「あ、お兄ちゃんおかえり。お仕事おつかれ」



 妹にとってここは家だ。俺は仕事から帰ってきたフリをする。



「ただいま、あすか」


「どうしたの?汗だくだよ?」


「早く家に帰りたくて走ってきたんだ」


「お兄ちゃん、足速いもんね!」



 そうして飛鳥と会話する、遊ぶ、教える、兄としてできることを妹にする。それが今の俺の仕事。本名はセカンド。闇月の新兵器としての妹の製造。この施設の奴らにとっては、人間と怪物の共存が可能か否かの実験らしい。その人間、兄役が俺。それもこの年になってやっとここまでわかった。それでも仕事を続けている。何故か。そう教育されているから。そろそろもうつらい。いいや、ここにいる何千人もの子ども達の方が辛い。何十億倍もつらい。


 俺はこの施設を比較的自由に回れる。この施設の掃除屋だからだ。床の血だまりはロボットが自動で掃除する。その血だまりを作るのが俺の仕事。いつかの時は血すら流れない子もいたっけ。いったいどんなことをされてきたのか知りたくもない。だけどそれも闇月が引き受けた仕事。施設を自由に回れる理由はもう一つ。俺が闇月の息子だからだ。



「この間のかけっこも全然勝てなかった~」


「ああでもな、お前のお姉ちゃんのフィフスの方が速いよ?」


「お、おねえちゃん?私にはお兄ちゃんしかいないよ?」


「お前にはな、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんだっていないんだよ」



 ブチンッぷとぅ~ん

 大きな音がして、照明が消え大人たちがわらわら出てきた。みんな同じ服にマスクに帽子にゴーグルで全身真っ白。気持ち悪い。セカンドは隔離。多分記憶の消去をされているんだろう。一人が俺に尋ねる。



「どういうおつもりですか、闇月様」


「すいません。もし僕が本当のことを言ってしまった時のあなた方の反応を見ておきたくて」



 明らかに気分を害した何人かを制して、1人が言う。



「いかがでしたでしょうか?」


「大変素晴らしかったです。スピードも対応も、父上にそう報告しておきます」



 その一言にその場の大人達の息が一瞬止まるのがわかる。今は鏡を見たくない。俺の笑顔は気持ち悪いんだ。そう思った大人がこの場にどれだけいるだろう。多分全員だ。



「よろしくお伝えください。我々は作業に戻ります」


「ええ、本当にお疲れ様です。どうかお体を大事にしてください」



 俺は頭を下げる。その場にいた全員に止められる。なにかを口々に言っているがおやめくださいしか聞き取れなかった。俺は責任者にいつもと同じ封筒を渡す。



「父上からです。それでは、また」



 笑って言い残し、背を向けて立ち去る。



「かわいそうに」



 誰かが呟いた。扉が閉まる。



「かわいそうなのは俺じゃない」



 誰に言うでもなく呟いた。


 俺は施設をぶらぶら歩く。この辺りの廊下には実験ケースが左右に並んでいる。まだもう一つの仕事までには時間がある。その間考える。どうしたら助けられる?たとえ施設から出せたとしても、そのあといったいどこに行く?元いたところへ返すにしても、もうだいぶ彼らは変わってしまった。元いたところなんて存在しない子どもたちも星の数ほどいるのだ。もう、手遅れなのかな?



「えいっ!!」


「うわっ!」



 背中をドンっと押された。元の形がわからない誰かが入っている実験ケースにぶつかった。目玉と目が合って少し笑われた。



「何すんだよ!」



 振り返るといつもの笑顔があった。長い髪、大きな目に細い手足。表情以外すべてがセカンドと同じ。



「フィフス、痛いって!」


「はははっ、よわっちぃお兄ちゃんだね!」


「うるさいっ」


「えへへ」



 満足そうに笑って、俺の隣に来る。



「あそぼ!」


「おうおう、なにする?」


「かけっこ!はお兄ちゃん弱いからなー」


「む」


「今日はみんなをしょうかいするよ!」


「みんな?」


「そう」


「ともだち?」


「?ともだちって何?」


「あー、いっしょにあそぶみんなのこと」


「うーん、走れない子もしゃべれない子もいるけどみんなとあそぶよ」


「じゃ、ともだちだな」


「うん!」



 そしてフィフスと俺は遊ぶ。ホントにいろんな子がいる。紹介され、笑われ、泣かれ、怒られ、または拒否され、または何の反応もしてはくれなかった。フィフスはあるケースのところへ走って行った。縦のケースが多い中、横に寝かせられたケースでまるで棺桶みたいだった。



「シュウ!」



 シュウ?ナンバーで呼ばれるか、それすらつけられない子もいるのに。



「ほんとおまえはうるさいな、フィフス」



 眠そうにケースの中であくびをする男の子。フィフスと同じくらいの年だろうか。何の液体が入っているのか、どうして話せるのか、そんなことさっぱりわからない。ゴポゴポと泡が出る。



「昨日言ってたお兄ちゃんをしょうかいするよ!」


「ああ、セカンドの?てかもうそんなに早く走れるんだ」


「うん!白い人が」


「そう、よかった」


「お兄ちゃんほら」


「おう」



 俺は返事してその男の子に俺の顔を見せる。



「よろしくシュウ」


「よろしく、フィフスのお兄ちゃん」



 シュウが笑って言う。きっと自分の顔など見たことがないのだろう。俺は苦笑いをするしかなかった。俺と同じ顔のシュウという少年は、俺と全く違う顔で笑う。



「ほらお兄ちゃん、会えてよかったでしょ?もっと笑って?」


「ああ」



 フィフスはこの施設でなぜか自由にされている。お話し好きなフィフスからいろんなことを聞く。みんながどう思っているのかは知らないが、少なくとも俺は助けられている。



「お前はなんでシュウっていうんだ?」


「フィフスがそう呼ぶんだ」


「黒い人が呼んでたの!」


「黒い人?」


「そんなのいるのか?お兄ちゃん?」


「知らないよ」



 覚えておこう。黒い人か、多分親父かはたまた別の取引先か。スーツ姿はここじゃ目立つからな。シュウなんてどんな意味だろう。



「シュウ、またな」


「シュウ!またあした」


「おう」


「俺はセカンドのお兄ちゃんやってるけどフィフスもか」


「そうだぞーなんてね」


「そうだな。なあフィフス?」



 歩みを止めてフィフスを見る。



「なに?」


「赤い目の女の人って知らないか?」


「知らないよ?」


「そう」



 ここにいるのは子どもたちか白い大人たちだけ。あれはいったい誰だ?



「あ、そろそろだ」


「そうだな」



 ライトがちかちかと点滅する。フィフスの言う『夜』であり『眠る時間』だけどまあ『実験の時間』だ。



「また明日!」



 次に目を覚ます時がフィフスの言う『明日』そうか白い大人はフィフスにそう教育し、他の子どもたちにも教えるようにでもしてるのか?



「またあした」



 走り去る小さい体と長い髪が消えるまで立ち尽くす。


 そのあと10人くらいの子を撃ち殺した。さて、これで俺の用事は終わりだ。双子の姉妹と遊ぶこと。フィフスと遊ぶのは仕事じゃないけど。



「お疲れ様です」


「羽月様、本当にお疲れ様です」



 俺が顔を上げてくれと言っても決してあげてくれない女性の事務員。本当に大人って可哀想。変なルールだらけだ。ミストの中をくぐって外に出る。俺はここに来るのに歩いてくる。今日は走ったけど。林を抜ければ電車が走っているからそれに乗って自宅に帰る。

 つもりだったのに、



「ぼっちゃん!お迎えに参りました」



 まるでキーパーみたい。



「今日こそ爺の車に乗ってもらいます!」


「爺じゃないじゃん木下!通して!あ」



 かつがれた。前の爺の跡継ぎ、木下家は闇月家に代々仕えている。お兄さんくらいなのに爺。バカな伝統。



「木下!スピード出しすぎ」


「だってぼっちゃん、昨日はドアを開けて飛び出してしまわれましたから」



 ぬうドアが開かない。



「まあいいや今日は乗って帰ろうと思ってたから」


「本当に?」



 まあ嘘だけど。


 あの赤い目の女の人に会ってみたいような、怖いような。だからこれでよかった。今日はあの嫌な家に、まっすぐ帰ろう。



「羽月ぼっちゃん、飛鳥お嬢様はどうされていましたか?」


「元気って言えるのかな。木下はどこまで飛鳥のこと知ってるの?」


「ぼっちゃんよりも知らないですよ。私は実際に施設へは行かないので」


「ふーん?へー」


「う」



 言いづらそうにする木下。別に聞き出すつもりはない。この車の中の会話も録音してるんだろう親父のしそうなことだ。なら今日は久しぶりに乗ったし報告。



「セカンドは双子のフィフスがいるんだ。セカンドは飛鳥の本名」


「飛鳥お嬢様ですよ」


「ま、向こうの人はそう呼ぶ。セカンドはスロノ、フィフスはスピードって呼ばれてるの。なんでかわかる?」


「分かりません。双子がいるのは知っていましたが」


「足が速い。俺負けないと思ったんだけどね。負けた。元気いっぱいでちょっと疲れる」


「かけっこができるほど広いのですか?」


「うん。ろうかは幅も広いし長いし。ドームとか広場みたいになってるところもある。機械だらけでコードを踏まないでって作業員達に念を押されたところもある」


「へーそうなんですね。飛鳥お嬢様ともかけっこを?」


「うん、圧勝。それにあそこ狭いから」


「ああ、やっぱりぼっちゃんの方が詳しいですね」



 ほっとしている。木下はわかりやすい。親父に仕えて大変なのに俺まで相手にしてる。



「俺にとっては発見だったんだけど」



 そこで俺はシュウのことを言おうとした。


 その瞬間

 木々の合間に赤い彼女がちらっと見えた

 気がした



「林の中にもひとりいたんだ」



 キキキキーッ!!


 木下は車を急停止させた。シートベルトもしており特に無事だが木下は俺の名を何度も叫び飛び降りて、俺の身体をくまなく見てさわり確認する。



「申し訳ありませんぼっちゃん、どこかお怪我は!?」


「ない!ないから木下!ね、落ち着いて」


「本当に!?」


「ああ」



 はーっとため息をつき運転席へと戻る。



「ぼっちゃん。帰りますよ。今すぐ」


「木下?」


「そんな危ない道を一人で歩かせていた自分に腹が立ちます!」



 車はどんどん加速していく。俺はしまった、と思うのと同時にあの赤い目の彼女の無事を祈った。それしかできない。俺のせいで彼女は死ぬかもしれない俺のただの気まぐれの一言で。ただのガキの一言で。



「羽月ぼっちゃん」



 控えめに木下が声をかける。短い返事で返す。



「私の父が死んでから、お、俺の希望はぼっちゃんなんです。幼いころから父と一緒にぼっちゃんのことを見てきました。『闇月』という大き過ぎる家の中で頑張る懸命なお姿を、今までこうして。だからこれからも、俺はぼっちゃんが心配で」


「木下」


「っ申し訳ありません!ぼっちゃん、爺の気持ちもわかってください」


「大丈夫だよ心配しすぎ。俺はむしろ木下が心配だよ」


「申し訳ありま」


「大丈夫だから。俺は大丈夫」



 木下は今どんな顔をしているだろう

 俺の下手くそな笑顔を見て





 〇〇〇〇〇〇





 今日はちょっと怖い。いやいや、嘘をついた。かなり怖い。だって来羅がいる。もうすでに宗治か裕太が保護しているとばかり思っていたが、僕の家でいつものようにリボンの練習をしていたからだ。別に隣の宗治の家にいたっていいのに、ここにいる理由とは。僕が操っていないというのにここにいる理由とは。



「れーれー?」



 くるくるとリボンを回しながら聞く。這入って来た時から知っているくせに。相変わらず二つ結びの来羅の髪とリボンがまるで生きているみたいに、来羅の身体の一部みたいに動く。きれいだと思ったことももちろんあるが、今はとにかく気持ち悪くて怖い。



「おかえりーれーれー」


「ああ、ただいま来羅」


「くれない、じゃないの?」


「あ。いやなんとなく」



 ピタッと止まってにっこりと笑う。



「来羅って呼ばれる方がいいな、れーれー」



 ああ怖い。僕を見て言った彼女の声が、青い僕の空にいつものように響き渡る。


「ねえ、れーれー?らいらさ、思い出しちゃったよ」



 ぴたっと止まりその目が僕を見る。少し笑った。



「ねえ、ノーナンバー?私さ、思い出しちゃったよ」



 全部、と言いながら僕に向かってそのリボンを向ける。


 少し笑ったその顔を僕も思い出した

 ヴェニエラ、君のその笑顔を

 僕を巻きつけたリボンは

 キリキリと僕をしめていく

 でも殺す気じゃない

 どうして?

 ここにいる?



「また、忘れてもらう」


「うん。また思い出すから、またね」



 そうして目を閉じる彼女

 僕の数少ない能力を使う

 これも大して長い時間は使えない

 気づかれずに週一くらいで続けていく

 おかげさまで宗治は

 随分と腑抜けになってしまった

 あんなにギラギラした刃が

 こうも簡単に折れるものかと

 折れずとも鈍るものかと

 ああ、でもあいつも思い出しているのか

 僕のことを自分のことを


 目を開けた彼女はきょとんとしていた

 目を閉じる来羅、口だけが無音で動く



「のーなんばー?」



 いいや?紅、僕は玲だ。



「れーれー!」


「なあ、紅?」


「なあに?」


「僕が嫌いか?」


「ううん」


「好きか?」


「うーん、びみょー!!」


「なんでそういう」


「あ、あのね!そーそー髪切ったの」


「ああ」



 そうだ、僕が切った

 宗治は髪を切った方が似合う



「なあ紅、髪を切るか」



 同じ方法で髪を切る

 2つの生き物のような長い髪を撃ち落とす

 あっさりとその体から離れ動かなくなる

 来羅は特に抵抗もなく

 落ちた髪で遊んでいる



「うわー長い!なんでとったの?」


「そうだな、紅の代わりだよ」


「?またれーれーむずかしいことばっかり!らいらはらいらなのに、れーれーはらいらのことくれないって呼んで、でもらいらはくれないの代わりなの?」



 これは、やっぱり姉さんがいないと

 僕だけじゃ力不足なんだな

 思い出した直後だからか?



「来羅、って呼べばいいか?」


「うん!玲様!」


「混じってるなー」


「?」


「今日はもう寝ろ」


「はい、かしこまりました。れーれー」


「ほんとにごちゃまぜだな」


「そうかな?おやすみー!」



 笑顔で走り去る来羅

 短く切った髪が軽いことに驚いている

 今と昔とぐちゃぐちゃになっている

 体が持てばいいけど

 まあそれは大丈夫か

 あの実験を乗り越えてきているんだ

 僕なんかよりもはるかに

 長くて辛くて、何度も何度も



「らいら、僕は君が嫌いだよ」







 〇〇〇〇〇〇






「飛鳥お嬢様、おはようございます」



 私はこの闇月家に仕える爺、代々木下家が引き継ぎ伝統を守ってきた。まさかその伝統がこんな形で途切れることになるとは思わなかった。



「ああ、おはよう」


「支度ができております」


「ん」



 内戦によりお父様とお母様をなくされた今、彼女が最後の闇月。彼女も入学してすぐ執行部の裕太様からそのことを聞いた。内戦になっていたことを隠していた私を怒りもせず、本当なのかと尋ねに来た。何度謝っても爺らしいとそう言うだけだった。私は彼女に隠していることがまだまだある。彼女は正確には闇月じゃない。闇月の血を受け継いではいない。



「飛鳥様、今日は殊羽様はいらっしゃいますか?」


「本当に爺は気に入ったんだな、殊羽のこと」


「ええ、ぜひもう一度お食事をと」


「わかった。今日誘ってみるよ」



 そして殊羽。お嬢様は彼を見てどう思ったのだろうか。羽月ぼっちゃんを覚えておいでならば、決して気づかないはずがないというのに。もう今となっては思い出せないんだろう。飛鳥お嬢様と別れ屋敷へと戻る。この屋敷にいるメイドたちはお嬢様をよく知っているものばかり。今は一人欠けているが、いつもお嬢様が暮らしやすいよう屋敷を守る。私達はたった一人になってしまった闇月家の飛鳥お嬢様の家族だ。皆がそう思ってこの屋敷に住んでいる。



「ただいま戻りました」


「木下さんにお客様です」



 私に客なんて珍しい。



「こちら、時雨 葉さんだそうです」


「こんにちは木下さん」


「は、はじめまして、時雨さん。あなた方は席を外してくださいますか?」



「はい、お茶の用意をしてまいります」



「ありがとうございますお願いします」



 そう言って客間は二人きりになる。一目見て気づく。このひとは施設の出身者だ。あの最悪で最低で残酷な施設の、生き残り。



「私のことは知っていますか?」


「いいえ、ただ施設の出身者であるだろうということしか私程度の者にはわかりかねます」



 いったい何の目的でこの私を訪ねに来たのか。調べはいくらでもつくだろう。



「あなたは、」



 コンコン


「どうぞ」


「失礼します」


「いただきます」



 そう言ってお茶を飲む時雨と言う女性は外見は若い娘さん。



「いったい闇月に仕えるこの爺に何のご用件でしょうか?」



 大きな緑色の瞳。今までいろんなものをその目に焼き付けてきたんだろう。はっきりとした力強い視線が私に過去の記憶をよみがえらせる。


 羽月ぼっちゃんがいなくなったあの日。今まで見たことがないような鋭い瞳で、引き留める私を押し切って彼は行ってしまった。そして二度と俺の前に姿を見せなかった。



「あなたは、闇月 羽月が死んだと思っていますか」


「はい。ぼっちゃんは死にました」


「確かに闇月としては死にました」


「どういうこと、ですか?」


「彼は生きています。名前を変えてひっそりと」



 嘘だ。一番先に浮かんだ思いだった。そんなはずがない、彼は死にたいと言った。殊羽が代わりに生きるべきだと、そう私に言っていた。



「あなたに聞きたいことがいくつもあります。それは本当の話ですか」


「はい。実は私がこの話をあなたに伝えるメリットはほとんどありません。ドラゴンから、彼は今自分を龍と名乗っているのですが。彼からあなたの話を聞いて生きているのなら伝えたいと思ってきました。ただそれだけです」



 そこまで一気に話した時雨さんはコーヒーをまた飲む。



「話しに来てくださってありがとうございます」


「信じるのですか?」


「どちらかというと信じたいです。私に会いたいとは話していましたか」


「いいえ。会わせる顔がないと言っていました」


「ぼっちゃんらしいです」



 もしもぼっちゃんが生きているのなら、俺に合わせる顔などもちろんない。彼は酷い笑顔で俺に言ったんだ。死にたいと。いや、助けたいと。


 自分の妹ではない闇月飛鳥を

 自分の妹ではないフィフスを

 自分と同じ顔の亜月殊羽を

 助けたいと

 施設にいる大勢の子どもたちを

 始末してきたのに

 ほとんど表情も変えぬまま

 撃ち殺してきたのに

 それが仕事だから

 そんな家だから

 俺はこんな自分が嫌いだ

 見るに堪えない笑顔で

 彼は俺にそう言った



「それともう一つ、佐藤 優さんのことで」


「ああ、施設出身の。彼女からは話は聞いてます。しばらく仕事ができないと、たまに来てくれるくらいでも助かっていたんですが。彼女と知り合いなんですか?」


「はい。仲間です」


「そうなんですね。彼女は今?」


「少し出かけていて」


「心配なんですね、きっと大丈夫です。戻ってきたら連絡します」


「ありがとうございます。ドラゴンとは会わないんですか?」


「住所と連絡先を教えていただけますか?会いたいですが今すぐにとはいきません」



 そこで時雨さんはすぐにメモを渡してくれた。最初から準備していたらしい。



「最後にもう一つ。あなたはなぜ闇月ではない彼女の傍にいるのですか?」



 それはもちろん。



「羽月ぼっちゃんが必死で守ろうとしたから」


「なるほど」


「それと、血は繋がっていませんし、記憶も思い出も偽物で曖昧で、創られたものですが私達の家族だからです」



 時雨さんはすごく悲しそうな表情をした。きっと俺はうまく笑えていないんだろう。きっと彼女にも大切な誰かが、家族がいるんだろう。本当に当たり前の話だけれど。



「優さんも私の仲間であり、家族です。他の皆も、ドラゴンも」



 そんな彼女の表情に俺はほっとする。


 そうか


 ぼっちゃんはずっと一人でなく

 寂しい思いもせず

 闇月に縛られることなく

 自由に、自分の力で

 仲間を見つけ


 そうか

 家族ができて本当によかった

 俺が何より、自分の命より望んだこと

 それが叶っていた

 俺の知らないところでしっかりと

 ぼっちゃんは大人になって生きていた


 爺はそれで満足です



「そうでしたかぼっちゃん、何よりです」


「木下さん」


「どうか、ぼっちゃんをよろしくお願いいたします」


「あ、あたしじゃなく!」


「ははは、家族としてよろしくお願いします」


「分かりました」


「今日は本当にありがとうございました」


「時雨さん、待ってこれを」


「?」


「クッキーです。ぜひ、皆さんで召し上がってください」


「ありがとうございます」


「ではまた」


「また」



 爺こそぼっちゃんに合わせる顔がありません。飛鳥お嬢様は闇月の家族にはなじめず辛い思いをさせました。それも短い間ではありましたが、彼女の心に大きな傷を残しました。ぼっちゃん、爺にはぼっちゃんの代わりになることはできません。ただ家族でいようという心だけは持ち続けこうして今までお嬢様のおそばで仕えてきました。お嬢様は私を、私たちを家族として受け入れてくださいます。しかし飛鳥様の偽りの記憶には私よりぼっちゃんのことばかり。埋まらない彼女の心を埋めるのはあなた様しかおりません。



「ああ今は殊羽ぼっちゃんも、」



 彼は、あなたに似ています。旦那様が彼を創ったわけを、そうか羽月ぼっちゃんは、まだ、



「っ時雨さん!」


「え?木下さん!?どこに行くんですか!?走ってる」


「すごい怖い顔してましたね、木下さん」


「うん」

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