第6話 はじまり
旧校舎の廊下、角を曲がった来羅。
「あ!ゆうくんのにゃんこ!!」
一匹のロシアンブルーがゆっくりと音を立てず歩いていた。名前はニクス。オスだ。
「えーと、名前は…ニ、なんだっけ?」
あごに人差し指を当て、はてなと首を傾げる。
「ニーちゃん!!」
ニクスがびくっとして逃げようとした。構わず抱きかかえあごを乗せ、しゃがみこむ。
「ニーちゃんまた忘れちゃった。れーれーに
ニクスが苦しそうに一声鳴いた。糸が切れたように脱力した来羅の腕からぴょんとすり抜ける。そして二、三歩進んだところで来羅を振り返る。
「ごめんねニーちゃん」
どこか悲しげな来羅の笑顔。ニクスがなんだかゆっくりとした声で鳴く。廊下に響くその声はどこか励ましているかのようだった。
「ありがとニーちゃん。え!?」
ばっ!来羅が驚いて振り返る。
「あのヴェニエラさんですよね?」
「はい。あなたは?」
突然現れた相手は真っ黒な布で目隠しされていた。赤のベレー帽に目を引く真っ赤なマント。赤づくめ。しかし体型と声の調子は女性のそれで、どこか気まずそうだった。
「そのうち言いやすくなりエラーに、意味も合ってます。あなたの正しい名前はヴェニイラ。そう思い出したでしょう?あなたの主は新しい名前をあなたに与えました。紅 来羅、とてもいい名です。あなたもすっかり馴染み気に入っている。でもそれでもあなたは探していた。名というのは鎖です、そこから動けなくなる。本当にあなたの主はていねいにやってのけました。これくらい思い出しておいてもいいでしょう?」
とても丁寧にけれど少し早口に、来羅をまっすぐに見つめながら彼女は言う。来羅も彼女を見つめる。目隠しの向こうの目から離せないかのように、全く動かない。ヴェニイラその単語で目を見開いてからずっと。しばらくしてから彼女は一歩来羅に近づいた。
「あの、でもその、今日はこれをあなたに渡せと」
また先程の申し訳なさそうな口調で呟く。マントから出てきたブラウスの腕に握られていたのは封筒だった。来羅は急に夢から覚めたようにハッとする。彼女の封筒を見つめ受け取る。
「ちゃぶーとーじゃないんだね?」
「ええ、もちろん」
赤マントの彼女はまた言う。
「それを必ず、その桜 玲にお願いします」
「あ、あなたのお名前は?誰から届いたのか伝えないとダメ」
「あ」
ビクッと赤マントが揺れる。
「あの!その、ゆっ!ゆーゆーと言えと。その!本名はちゃんとあります!!」
目隠しのせいでほとんど隠れた肌を赤らめながらやっと呟いた。来羅がさっきとはうって変わって明るくなる。目が輝いた。
「じゃあ!ゆーちゃん!!!多分、戦うことになる人だと思うけど、またね!!」
握手を求める来羅に背を向け、うつむく。
「もう始まった、動き始めました。あなたの涙は見たくありませんでした。あのその、それではまた」
彼女はそのまま歩いて、角を曲がっていった。来羅は封筒を見て、それからニクスを探した。
「あれ、ニーちゃん?」
あきらめて会議室へ急いだ。
〇〇〇〇〇〇
曲がっていった彼女は目隠しでわからなかったが、目を閉じ廊下にしゃがんだ。これが合図とでもいうように一人の子供が角からひょこっと顔を出す。パタパタとこちらに向かってくる。てるてるぼうずのような真っ白なレインコートにフードも被り顔を隠している。首に巻いたリボン、長靴、ほんの少しだけ見える髪だけが黒く、あとは白づくめだった。紅白でなんだかめでたい。ちらっと覗く表情が楽しそうに笑っている。
「いいな、俺も会いたいな!相手ボスの身近なあのらいらちゃんにー!!!」
少し高めの声で男女の区別がつかない。しゃがんでいた彼女は立ち上がり、目を開けた。
「いいものばかりでもありませんよ」
「ゆーちゃんって呼ばれたこととか?」
「う」
楽しそうに笑う白い子どもを、恨めしそうに見つめる。と言っても口元とわなわなとふるわせる拳だけだが。
「君も君なんですよ!ゆーゆーって名乗れなんて!」
「だってあの子そういうネーミングセンスがあるみたいでさ、俺のお気に!!もっと気に入った!自分でつけちゃうなんてさ!!」
人懐っこい笑顔で白い子は言った。彼女は悲しそうにでも嬉しそうに見つめる。そして目隠しを外した。赤い赤い瞳だった。
「珍しいですね、君が人を気にいるなんて」
「うん!俺と同じで記憶がないし、よく笑うのもさ、なんだっけ、ジガヲタモトウ?だっけ?前言ってたよね」
頭を覆うフードを外しながら白い子が言う。自分のことを俺というのがひどく似合わない。可愛らしい女の子に見える笑顔だ。しかし見えていた黒髪は毛先だけで、てっぺんから真っ白だった。瞳は真っ黒で彼女の悲しげな瞳をきれいに映している。
「ええ、本当に二人ともよく似ていますね」
〇〇〇〇〇〇
チャイムからほどなくして車に乗り込む大勢。桜が散る中、車も散った花びらを巻き上げる。桜並木が風に揺れる。春の風。早い野球部のヤツらがグラウンドに走り出る。俺の教室からの景色。
「今日は打ち合わせあるんだったな」
呟いたかもしれない。立ち上がって鞄をつかむ。もう教室には誰もいない。もともと人数も少ないし。独り言が多い。玲にそう言われた。今も時たま呟きながら歩いているんだろう。この学校とも今年で最後になればいいんだが。ここには取り壊されていない旧校舎がある。といっても二年前までは使っていた。そんなに汚れてはいない。今も倉庫として使われているが普段、滅多なことがない限り生徒は入らない。だが私はそこに向かっている。まあ、そこに生徒会室の会議室があるからだが。それにしても何故わざわざ旧校舎を取り壊さず、会議室として設けたんだ?応接室にあんな仕掛けまで作って、防弾ガラスだろ、防音加工もしているというのに。
「またそーそー呟きながら歩いてたの?」
この声はろいなさん、というか。
「そーそーと呼ばんでください。それに何を堂々と歩いてるんですか?」
「えー、じゃ宗治くんとか、瀬川くんとか?ダサいよそんなのー」
多分何を言っても無駄だな。ん?ダサいって馬鹿にされたか俺?ろいなさんは手に持っていた紙を俺に渡し、早口で言った。
「じゃ!これ総会のポスターなんだけど、10枚コピーして、いつものところに貼ってね。まだ慣れてるひとがきてなくて、だから宗治にに頼んでこいって玲が、じゃね!!」
「え、あ、ちょっとま」
ゆっくりと歩くろいなさんに声をかけても、決して振り返ってくれなかった。ウソだろ。コピーしろって、印刷室は新校舎の端っこにあるんだぞ?ここからどれだけ距離あると思ってるんだ。それからポスター貼りしろと。まだ承諾してないんだが、まったく…まあいいか。ちょっと待て、最近こんなのばかりだな。あいつ、俺を遠回しに雑用係にしてないか?それならろいなさん、早速セーラー服着てるし。似合ってるけど。
〇〇〇〇〇〇
「で、これか紅」
旧校舎の会議室。来羅が先程の出来事を説明し、受け取った手紙を見せていた。そこには生徒会室の見張りとして残った真、パソコンにかじりついている裕太。あとはそーそーが印刷室に、それ以外の執行部員全員がいた。来羅が大きな声で肯定する。玲はみんなに見えるように封筒を開けた。中に入っていたのは白紙。何も書かれていない真っ白な紙。息を飲み恐る恐る見ていた薫が口を開く。
「なんでしょう?白紙ですね」
「ああ」
「何を伝えたいんだ?敵さんは。他に何も入ってないですよね?」
殊羽も頭をひねる。来羅はと首を傾げたまま、う~んという声をもらした。
「白じゃない?」
ろいなの呟き。
「え?」
「この手紙というか、線もついてない真っ白な白紙でしょ?それに封筒も白で字も何も書いていないし。だから白って意味かなって」
「それが渡された、ってことは白い何かが執行部に来るってことっすかね?」
ろいなの説明に殊羽が軽く返す。そうかもと飛鳥も呟き、最後に玲が仕切った。
「ほかに何も思いつかないわけだ。白いもの。それをあちらが伝えたいとして、今後白いものやこの手紙に関すると思ったことに注意を払うように」
白、短く来羅が呟いたがすぐに明るく手をあげる。
「それじゃー
「そうだな。一応新入生3人に説明すると、春期総会は全校生徒に我が校の紹介をする集会だ。新入生、在校生、先生方、委員会、部活動の紹介だな」
ろいなが付け加える。
「あら、先生の紹介はダンスパーティーよ。それと執行部が委員会の紹介をするの。照明や音楽なんかをあたしと裕太くんでないしょ部屋で操作してるわ。で来羅ちゃんが毎年司会進行で」
「はいは~い!!ことしもらいら!がんばります!」
ろいなの話の途中に、来羅が手を挙げて自己アピールをする。いつもの呆れた調子で玲が答える。
「わかっているよ紅。他の係も決めて今日は終わりにしよう」
係決めのほかに会場の説明、新入生には自分の席がわかりづらいということで、誘導係も設けられた。会場は第一講堂というこの学校で一番大きな建物だ。ドームのようになっており、真ん中がステージ、それをぐるりと囲むように生徒席(観客席)があり、その上にはステージを見下ろせるギャラリーがある。さらにこの学校は生徒たちより学校関係者が多く訪れ、学校行事の座席を占める。行事はパーティーのようになるようだ。説明や決め事をしているうちに当たりは薄暗くなっていた。
「今日はここまでにしよう」
最後にもう一度白いものへの注意を呼びかけお開きになる。玲、来羅、制服姿のろいなはいつものように生徒会室に戻っていった。
「ろいなさん。いったいいくつなんだろう」
殊羽がボソッと呟く。そんな殊羽に薫が苦笑いする。
「そういや、裕太先輩って、先輩?明らかに背丈が先輩じゃないんだけど」
「ああ、彼は飛び級で、僕らと同い年ですよ。今年三年生なので二年飛び級ですね」
「そうなんかーどうりで。小っちゃかったな」
「失礼ですよ?」
「あはは」
階段を下りていく。飛鳥も一緒なのだが口を挟まない。ふと殊羽が立ち止った。
「あっちゃー!教室に鞄忘れた」
殊羽は掃除終了後、鞄をとりに行く前に来羅に連れ去られ生徒会室に行ったのである。先行ってて、と言い残し駆け上がって二階の渡り廊下へと向かう殊羽。この旧校舎と新校舎は二階のみ渡り廊下でつながっている。残された二人はまた階段を下りはじめ薫が心配そうに呟く。
「行っちゃいましたね。ここ教室のカギ閉めるの早いから職員室と往復になるかも、亜月くん」
「そうね。職員室でバッタリ会うかもしれないわね。会議室のカギ返さなきゃいけないし」
「はは、そうですね。お二人は1-Cでしたよね?」
「杉琳君は何組?」
「Aです。僕入学式の日に説明受けたんですけど、教室の前に紅さんがいたんですよ。で、僕を指差して、いた!かおるん!!ってもうびっくりですよ」
「そう。彼女私のことは、あーちゃんって呼んでたわ。そんな呼び方初めて」
「ははは、僕もですよ」
そこで、あ、そうだと、何かを思いついたように急に鞄を探る薫。一旦踊り場で立ち止まる。取り出したのは小さくきれいな宝石箱。
「僕の家宝石店なんです。ていっても最近出たばかりの小さいところなんですが。ほんとうはさっきみんなに渡そうと思ってたんですが、忘れてました。はいこれ、ルビーです」
宝石箱から小さな袋に入った石を取り出し飛鳥に渡す。
「え、これ」
「はい、あげます。僕事務係のガードとしてこの執行部にいるので、戦いのお役にたてるかわからないんですが、せめてもの、です。魔除けになるそうです。わすれてたんですけどね」
自分の失敗に苦笑いの薫。
「ありがとう」
飛鳥は一瞬迷ったようだが、そう言ってほほ笑んだ。廊下を進んでいると、
「はあ、これで最後。もうこんな時間だ」
ポスター貼りをしている宗治がいた。薫が声をかける。
「瀬川先輩!会議終わりましたよ、ずっと貼ってたんですか?今度は僕も手伝います!」
「…か、薫!俺がいろいろ教えてやる」
「はい」
「なるほど」
なんとなく宗治の立場をわかってしまった飛鳥。
「2人とも気をつけて帰れよ」
笑顔で少し泣きそうな顔で手を振る宗治。強面の先輩にされると少し怖かった。ポスター貼るイメージないよね、なんて話を2人でしながら歩き、職員室に到着。
「すんません、鞄教室に忘れてて」
「あら、これでしょ?今度からは忘れずに持って会議するのよ?」
「はい。本当にすいませんでした、ありがとうございます!」
「さようなら亜月君」
「はいさよならーせんせー」
殊羽は嬉しそうだ。美人の小柄な担任の先生に届いていた鞄を上機嫌で受け取る。飛鳥も鍵を返して3人で正面玄関へと歩く。
「いやー危なかったー、先生に届いてなかったら往復するとこだったわ」
鼻歌交じりの殊羽も薫からルビーをもらった。三人は門をくぐり階段を下りる。三台の車が止まっていた。
「あれ、殊羽?」
「ああ、なんか学校で送り迎えするって言われちゃって」
「そう」
「二人ともまた明日―」
「はい!また明日です!」
「またあした」
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