第29話 デートは予行演習です
次の朝、目が覚めると、またエルが先に起きているようだった。
隣の部屋に行くとベーグルサンドとスープが置かれていた。
毎日のように用意される朝ご飯。そういえば料理できないとかなんとか言ってたのに…。やっぱりこれも猫をかぶっていただけだったんだな。と杏は思ったが、それを口にするとまたやり込められる気がして黙っておくことにした。
「ねぇ。杏さん。今日って日曜日ですよね?」
「それが何か?」
「デートしませんか?」
でぇと?どういうことだろうと頭をぐるぐるしていると
「いつか運命の人と行くための予行演習です。」
予行演習。その言葉にズキッとする。やっぱりエルは私の運命の人になるつもりはなかったのだ。
「ダメですか?」
目をうるうるさせて見つめてくるエルに別に減るもんじゃないしとデートに行くことにした。ただし予行演習だけど。
デートですから待ち合わせしましょうというエルが先に出て行った。
さてと。予行演習とはいえ、デートだ。予行演習と言ったことを後悔させてやる。
杏は超特急でおしゃれをし始めた。エルへの反撃と思いつつ、エルとデートできることに心はウキウキしていた。
待ち合わせはアパートの最寄りの駅だ。杏が行くとすでにエルは待っていた。
スーツ姿か杏の貸した部屋着姿しか見たことのなかったエルはデートらしい服を着ていた。黒い細身のパンツに白いTシャツ。薄手のジャケットを羽織った姿はどれも似合っていて道行く女の子が振り返るほどにかっこよかった。
エルってイケメンだったのよね。美優に「イケメンですね」と言われてもピンと来なかったが、こうして見てみると確かにかっこよかった。
「あ!杏さん!」
杏に気づくと無邪気に手を振った。その姿が子どもみたいで、かっこよかったのが台無しだった。でも、そんな姿が杏には愛おしかった。
エルの前に行くと杏を見て目をキラキラさせた。
「杏さん。とっても可愛くて、すごく似合ってます。」
ストレートな物言いはいつものことだったが、杏は頬をうっすらと赤く染めてうつむいた。
がらじゃないと思っても可愛くてつい買ってしまったワンピース。かわいい花柄でふわっとしたシルエットは自分のキャラじゃないのは分かっていた。それでもエルなら可愛いと言ってくれると思っていた。
そう思って着てきたのに実際に言われると、やっぱり少し恥ずかしい。首に巻いたストールで顔を隠す。
「寒いですか?」
心配そうにのぞきこむエルに、ううんと首を振ると「カーディガンも着てるから大丈夫」と笑顔で答えた。
「杏さん。こういう服あんまり着ないですよね。そうだ。最初はかわいい服を見に行きましょう!」
ほらとエルが手を差し出した。
意味が分からない杏は「お手ってこと?」と手を上に乗せた。
「もう杏さん!犬じゃないんだから。僕が杏さんをペットに出来るなら毎日散歩に連れてちゃいますよ。」
手の上に乗せた手を握ると、まるで恋人のように手をつなぐ。
いやいや。エルは知らないだろうけど、ずいぶんと長い間、あんたは私のペットのようなもんだったのよ。心の中で憎まれ口をたたいてドキドキを追い出そうとする。
「ほら。こういうのも本番の時のために練習しとかなきゃ。」
その言葉にドキドキが少し収まると、杏も割り切って楽しもうとつないだ手を放す。一瞬エルが「え?」とした顔を楽しそうに見て、エルの腕に自分の腕をからませた。
「ほら。恋人同士なら腕を組んだっていいんでしょ?」
杏さん…とぼやっとしているエルに「ほら行こう!」と引っ張った。
ショップの中では店員さん顔負けなくらいにエルが「可愛い」「似合ってる」の連発をして店員さんが苦笑いするほどだった。
その中でも何着か選ぶとショップを後にする。
「もう。エル。恥ずかしいから、あんまり外で可愛いとか言わないでよ。」
「どうしてですか?だって可愛いんだもん。」
忘れてた。そうだった。この子は変な子だったんだ。
「それに買ってもらっちゃって。大丈夫?お金ないんじゃなかったっけ?その服だって、どうせ先輩に借りたんでしょ?エルの服を買った方がいいんじゃない?」
杏の心配をよそにエルはニコニコしている。
「聞いてるの?」
フフッと笑ってエルは「だって可愛いんだもん。」と忠告はなんの意味もない発言をする。
杏は何着か買った中でエルが一番お気に入りだったワンピースに着替えていた。「さっきの着てきてたワンピースも可愛かったけど、これもすごく可愛くて似合ってます。」と嬉しそうな顔をする。
白いレース生地のワンピースはレースの透け感がかわいいけれど、そのかわいいところに杏が敬遠してしまいがちな服だった。
エルがいなきゃ絶対に買わない服だな。乗せられて着ちゃったけど大丈夫だったかなとかわいい服に落ち着かない気持ちだった。
可愛い。可愛いとニコニコしていたエルが急に真面目な顔をして口を開いた。
「杏さん。男の人が服をプレゼントするのって、その服を脱がせたいからって知ってますか?」
だからそのオオカミ発言やめてよ…。杏が返答に困っているとエルが続ける。
「本当のデートでは男の人に服を買ってもらっちゃダメですよ。」
ブブッと思わず噴き出した杏に「笑ってないで大事なことなんですから。」とエルはムキになっている。
はいはい。もうその「これは予行演習ですよ」っていう念押しやめてくれないかな。エルをじろりと見る。
「分かったから!もう分かってるから予行演習って言うの禁止ね。本当のデートではそんなこと言わないでしょ?本当のデートっぽくしなきゃ意味なんだから。」
はい…と小さく返事をしたエルをもう一度じろっと見て、本当に分かってるんだか。とため息をつく。
「だから今日はめいいっぱい楽しめばいいってこと。」
杏は笑いながらエルの手をひいて駆け出す。いきなり引っ張られたエルはつまずきそうになりながらも、杏の方を見る。楽しそうな杏の顔を見て、エルも笑顔になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます