第25話 無邪気な好き

 杏の髪が乾くとエルがニコッと顔をのぞきこむ。ドキドキを隠すように、できる限り距離をとることを試みても無駄な努力だった。

 でもエルを膝の上に乗せて乾かすなんて無理だし、どうするんだろう…。

 そう思っていると、ふわっと石鹸の香りに混じってエルの香りがしてドキッとする。くすぐったくて視線を落とすと膝の上にエルの顔があって、目が合った。

「え、えっと…。」

「膝枕のまま乾かしてください。」

 フフッと嬉しそうに微笑むと膝の上でゴロゴロして、それから杏の腰に手を回した。

 ちょ、ちょっと…いくらなんでもそれはないんじゃない?痩せてる方だけど、それでもやっぱりお腹とか気になっちゃうじゃない?

 杏は動揺し過ぎて口をパクパクさせるだけだ。

「髪、乾かしてくださいね。」

 杏の動揺を知ってか知らずか、無邪気な笑顔を向けて念押しする。

 とにかく早く終わらせてしまおう。そう決意してドライヤーを握った。

 柔らかくて癒される髪を堪能する余裕もなく、とにかく膝で甘える犬…と思い込んでどうにか乾かす。

 ほとんど乾かし終えそうになると、次を何か言われる前に杏は口を開いた。

「ご飯。作らなくちゃ。エルお腹ペコペコでしょ?」

 ご飯を作ればここから解放される。しかし淡い期待はもろくも崩れ去ることとなった。

「大丈夫です。杏さんと少しでも長い時間いられるように準備してあります。温めるだけです。カレーですけどいいですか?」

 膝枕から解放される作戦は失敗だった。とうとう晩ご飯まで作ってくれた。やっぱりこのまま「ヒモ」確定なのだろうかと苦笑する。

 でも…「ヒモ」だろうと「結婚詐欺」だろうと心になくても、もっと気を持たせるようなことを言うだろう。でもエルは懐いている以上の素振りは見せない。

 そう。付き合おうや結婚しようなんて言わない。そこの一線は越えてこない。そして 何かあれば運命の人を探すと言うのだ。そしてそのたびに仕事なんだと思い知らされた。

 別に「ヒモ」や「結婚詐欺」になって欲しいわけじゃないけど…。

「カレーのウコンは二日酔いに効くのよね?エルってさすがよね。まぁ私は飲んで来なかったけど。」

「そりゃそうですよ。杏さんのために色々と勉強…。あっ。」

 しまった…というのが顔全体に表れている。

 こんなことまで運命の人をみつけるサポートなのだろうか。膝枕も?

 どういう基準なのか分からないけれど、エルなりに全力でサポートしてくれているらしかった。

「じゃ食べましょう。」

 それにしても…それで忙しいのかもしれない。常識のなさをなんとか勉強して補おうとしているみたいなのだから、エルの別次元ぶりを考えると相当苦労しているだろう。

 それさえも私のためなのかな?どれだけ私のことを大事にしてくれているんだろう。

 さすがにご飯の準備をするために膝の上からどいたエルにホッとしてカレーとサラダをテーブルに出すのを手伝う。

 準備を終えてソファにニコニコして座ったエルは、そのままニコニコ顔でおねだりをした。

「ふぅふぅして、あ〜んって食べさせて下さいね。」

 どこまでやれば気が済むんだろう。仕方なく、ふぅふぅしてから口に運ぶ。

「フフッ。最初の頃に食べさせてもらった時みたいですね。あの時、嬉しかったなぁ。」

 杏も懐かしく感じて目を細めた。あの時からまだ一週間くらいしか経っていないのに、もうずっと昔からエルと一緒にいたような気さえしていた。

「あとは頭を撫でて一緒に寝てくださいね。」

 そんなこといつもしてることだけど、そう言って、もっとすごいことを頼まれてはたまらないと意見は言わないでおいた。

 寝る準備をして、ベッドにいくと既にエルが布団に入っていた。布団から目だけを出して杏を見る。

 本当にあの頃みたい。フッと笑うとベッドの側に座って手を伸ばした。変わらない柔らかな髪が手に触れた。

「やっぱり癒される髪ね。」

 ニコニコする杏とは対照的に不服そうなエルは撫でられてもあまり嬉しそうではなかった。

「杏さん。どうしてベッドに一緒に入ってくれないんですか?一緒に寝てくれるんですよね?」

 何を言い出すのかと思ったら…。

 少しむくれた声を出すエルに呆れる。

「でも一緒に入っちゃったら頭を撫でれないでしょ?」

「じゃ撫でるのはまた今度でいいです。一緒に寝ましょうよ〜。もう僕のまぶたは上と下でくっついちゃいそうです。」

 それはいいことだ。さっさとくっつけたらいいのに…。

 背中の方に入ると、ごそごそと動いて背中が密着するように近寄ってきた。ぴったりとくっつくと「えへへ。」と嬉しそうな声がした。

「これが一番、杏さんが近くに感じられて好きです。」

 無邪気な「好き」の言葉にドギマギする。そういえばここ何日かは「杏さん大好き」なんて言ってくれてないなぁ。そんなことを思いながら、背中から伝わる体温に心地よさを感じて夢の中へといざなわれていった。

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