第24話 不機嫌

 エルに連れ出されて帰り道を歩く杏はお店を出ると珍しく腕の中から解放されていた。

 不機嫌そうに離されて、無言で先を歩いて行ってしまう。こんな行動はエルにしては珍しかった。

 杏は不機嫌なエルに疑問をぶつける。

「なんでここで飲んでるって分かったの?」

 よっぽど不機嫌なのか、沈黙があったあと面倒くさそうな声がした。

「天使ですから。」

 嘘だった。このお店に来る前に何軒もの歓迎会が開かれそうなお店をのぞいてきた。お店をのぞくたびに「歓迎会をやっているはずなんですけど。」と聞いて「うちじゃないですね。」と言われたのは五軒。「はい。こちらです。」と通された歓迎会が全く別の会社だったお店が八軒。十四軒目でやっとたどり着いたお店だった。

 そんなのかっこ悪くて言えない。

 エルは変わらず不機嫌そうに杏の先を歩いている。

「なんで機嫌が悪いのよ。」

「だってお腹空いてるから。」

「お腹空くと機嫌悪くなるタイプだっけ?」

 クスクス笑いながら、先を行くエルに駆け寄るとエルは余計に怒った顔をして杏を抱き上げた。いつもの大事そうにお姫様だっこで抱き上げるのではなくて、肩にかつぐように。

「早く家に帰って、お風呂に入れる。」

「ちょ、ちょっと待って。だからお風呂に一緒には…。」

 駆け寄った時にふわっと香った酒臭さにエルはイライラしていたのだ。さっきお店で抱き寄せた時も、抱き上げている今も嫌な臭いがしている。いつもの杏は甘い花のような香りがするのに。

「杏さんも飲んだんですか?」

 早く帰ってくるって言ったのに。

「飲んでないわよ。あんまりお酒得意じゃないし。それに帰ってからエルのご飯作らなきゃいけないでしょ?キャッ。どうしたの?」

 急に立ち止まって杏を降ろした。そのままぎゅっと抱きしめる。

「…どうしたの?」

「ううん。なんでもない。けどこうしたかっただけ。」

 ほんの少しだけでも自分のことを考えて、お酒を控えてくれていた。それだけでエルは嬉しかった。

 それでも鼻につく酒臭さはいただけない。飲み会で臭いが移ったのだろう。そのことは、やはりエルを嫌な気分にさせる。

「今日は一緒にお風呂に入りますからね。」

 そう告げると今度はお姫様だっこで歩き始めた。

 母猫が子猫を連れて行く感じかしら。私は自分で歩けるのに…。

 そう思いつつ落ちないようにしがみつくエルの胸の中が心地よかった。

 飲んでなくても周りの雰囲気で酔っちゃったのかな。そう自分に言い訳してエルにぎゅっとしがみついた。


 エルは慣れた手つきで杏を抱き上げたままで鍵を開ける。こんな細い体のどこにそんな力が…。そう思っているとソファでもベッドでもなく脱衣所に降ろされた。

「いや…。だから一緒には…。」

 そう言う杏を無視してエルは上着を脱ぎ始める。

「ちょ、ちょっと待ってってば。」

 止める杏を無視してワイシャツのボタンまで外し始めた。初めてパジャマを渡した時に見えてしまった時と同じきれいな鎖骨がのぞく。

「本当に!ねぇ!先に入るなら入っていいから私は無理!」

 エルを残して脱衣所から逃げ出した。

 脱衣所のすぐ前で、ペタッとしゃがみこんでいると脱衣所のドアが開く。

「逃がさない。」

 そんな声が聞こえて半裸のエルに後ろから抱きしめられた。

 きゃー!

 杏の声にならない叫びはもちろんエルには届かない。杏の服しか介してない素肌がいつにも増して近く感じる。

 抱きしめられるたびに感じる男らしい骨ばった体つき。細くてもしっかりと引き締まった筋肉があることを否応なしに感じた。

 嫌でも男を意識してしまう状況から早く逃れたい気持ちでいっぱいだった。

「エル…。本当に無理。他のことならなんでもいいからお風呂は勘弁して…。」

 するとパッと手が離された。

「いいこと聞いちゃったっ。」

 浮かれた声を出して一人お風呂へ入っていった。

 その場しのぎで、ものすごく余計なことを口走ったかも…。頭を抱え思わず床に突っ伏した。


 先にお風呂から出たエルは行儀よくパジャマを着ていた。そういえばパンツだけで部屋を歩いたりしないエルに少しは気を遣ってくれていたんだと気づく。

「杏さんも入ってきてください。でも長いと中で溺れてるかと心配になって助けにいくかもしれませんから。」

 にっこり笑ったエルに、この子ならやりそうだわ。と、ゆったりとお風呂に入らずに超特急で出ることになった。

 そんな杏に「ゆっくり浸かってこればいいのに…。」とクスクスと笑った。

「ほら杏さんこっちきて。」

 エルに呼ばれて気は進まないが、近くに行く。すると自分のあぐらの膝をポンポンとたたいた。

「ほら。座って。」

 いやいやいや…。無言で葛藤する杏に「他のことはなんでも。でしょ?」とニコニコする。

 仕方なくストンと膝には乗らずに離れて前に座る。そんなの無駄だって分かってるけど…。案の定、エルは手を伸ばして杏を軽々と膝に乗せた。

 こんなのおかしい…。そう思っても言えばどうせ「他なら何でも」と言ったと言われるだけだ。それか「今からでも一緒にお風呂に入りますか?」と言われてしまう。

 ぐっと黙って固まっていると、エルの手が頭に触れた。そして暖かい風とブオーッという音が頭に降ってきた。

「髪の毛、乾かしあっこしましょうね。」

 ドライヤーの音にかき消されてしまえばいいその提案は、ちゃんと杏に届くように耳元でささやかれた。もちろん杏は耳を押さえて赤面することになった。

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