第23話 歓迎会

 またしてもいい匂いに誘われて目が覚めると朝ごはんができていた。もうそのことに驚かなくなっていて、自然とソファに座った。

 杏はご飯を食べながら、連絡事項があったことを思い出す。

「そういえば、今日は飲み会なの。」

「飲み会?飲み会って…。」

 不満げな声を漏らすエルは、普通のことのように話す杏が信じられないと顔を曇らせた。

「会社に新しく入った男の子の歓迎会よ?別にいかがわしいコンパとかじゃないわよ。変な心配しないで。」

 新人の子が配属されて慣れてきた頃に歓迎会をやるのが常だった。それが今日なのだ。

「新しく入った男の子…。男の…男なんですか?」

「うん。その子の歓迎会。」

 やけに男という言葉に反応するエルに、もしかして、その子を運命の相手としてつかまえてこい。とか言うのかしら。と次の言葉を身構える。

「変な男につかまらないで下さいね。」

 はぁ。そっちか…。

「だからエルは何しにここに来ているのよ。」

「…杏さんの運命の人を見つけるためですけど?」

 やっぱりダメだこの子、話にならない。

「とにかくそういうわけだから、今日は遅くなるわ。ご飯食べてて…って言っても私が一緒じゃないと食べないのよね?お昼はどうするの?」

「えっと…今日も用事が…。」

「もう。じゃお昼も食べないってこと?仕方ないわね。じゃできるだけ早めに帰るから…。」

 エルは寂しそうに目をうるうるさせている。その目を見ると甘かしたくなってしまう杏はついつい手を伸ばした。手は柔らかい髪に触れる。

「いい子だから。ね?」

 エルはシュンとした顔をして「杏さん、もう行かなきゃ遅れちゃうよ。」とだけ言った。杏はエルが気になりつつも、仕事に向かった。


 残されたエルはボソッとつぶやく。

「お昼、本当は用事ないんだけどさ。そうやって言わないと杏さん帰ってきてくれなさそうなんだもん。」

 しょぼんとした顔で杏の出て行った玄関をみつめる。

「頭を撫でて誤魔化そうなんて…。どれだけ弟扱いなんだよ。」

 寂しそうにひざをかかえて、うずくまった。


 仕事に行くと今日は飲み会だからと、みんな張り切って仕事をしていた。仕事が終わらなければ飲み会に遅れてしまう。杏も仕事を進めてはいたが、やはりエルのことが気になっていた。


 歓迎会は会社の近くの居酒屋だった。奥の座敷には他の会社の人たちも何やら飲み会をしている。今はどこも飲み会シーズンのようだ。杏たちも座敷の一角に通された。

 杏は飲み会の雰囲気が苦手だった。いつもよりテンションが高い同僚たちの話に合わせるのは面倒だったからだ。

 始まると頃合いをみてエスケープするためにお手洗いに立つ。トイレでホッと息をついた。

 それでも長い時間トイレにいるわけにもいかず、飲み会の席に戻ろうと手を洗い、出したハンカチを鞄にしまった。

 鏡で身なりをチェックした後にトイレを出ると主役の新人くんがトイレの前にいた。誰かを待っているような、ここで時間をつぶしていたような感じだった。

「あら。主役がこんなところにいちゃダメじゃない。それとも飲み過ぎちゃった?」

 新人の子でも飲み会の雰囲気に馴染めない子もいるわよね。それでここに逃げてたのかな。それならそっとしておいてあげた方がいいかもしれない。そう思って「じゃ私は先に戻るわ。」と新人くんに背を向けた。

「あの。待ってください。」

 声をかけられて振り向くと新人くんは顔が真っ赤だ。

「ちょっと!大丈夫?やっぱり飲み過ぎたんじゃない?」

「いえ。そういうわけじゃ…。僕なんて先輩に釣り合わないのは分かってるんですが…。」

 真っ赤な顔でうつむく新人くんの肩に手を置こうとした時に後ろから声がした。

「おいおい。俺のに手ぇ出すなよ。」

 新人くんがビクッとなって縮こまる。振り向くと春人がいた。

 まだ始まって間もないはずなのに相当飲んだようだ。赤ら顔で目も心なしか座っている。こんなに酔った春人を見たのは久しぶりだった。

「そっか。ごめんね。春人の直属の後輩だったわね。別に私の部下にしようって考えて話しかけたんじゃないわよ。」

 杏の返答に、はーっとため息をつく。

「この際だから言っとくけど、俺は杏のこと…。」

「杏!」

 春人の話が遮られた呼び声にみんな一斉にそちらを見る。

 またあいつかよ…。弟だろ?

 春人はがっくりと肩を落とした。

「エ…っと、どうしたの?」

「杏。もう時間だよ。帰らなくちゃ。」

「時間って…。」

 エルはわざと杏の耳元でささやく。

「僕、飢え死にしちゃう。」

 ささやかれた耳を押さえて真っ赤な顔の杏をふわっと抱き寄せて、新人くんと春人を冷たくチラッと見る。そして「では失礼します。」とだけ言って背を向けた。

「春人。ごめん。抜けるから美優ちゃんにうまく言っといてってお願いして。」

 春人の方を向けないままの杏は声だけを残してお店を出て行ってしまった。

 新人くんと春人はお互いに顔を見合わせた。そして春人が新人くんの肩に腕を回した。

「よし!飲むぞ!」

「…はい!」

 なんでこうハズレ役ばっかなんだ…。春人は苦々しく腕の中の新人くんの頭をぐりぐりした。

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