第14話 かっこ悪い

「ねぇ。大丈夫だから降ろして。ねえってば。」

 美優たちと別れてからも抱きかかえたまま歩くエルは無言だった。

 アパートに着くと鍵を出さずにドアを開けてそのまま入る。

「え?ドアの鍵は?開けっ放し?」

 杏の質問にも答えずに、ドサっとソファに降ろした。無言のまま、がさごそと絆創膏を取り出すと杏と向かい合って座る。

「ほら。ここ。また靴ずれひどくなってる。」

 不機嫌そうに言うエルは「そうじゃん。ストッキング履いてる。脱がなきゃ絆創膏貼れないし。」とむくれた顔をした。

「本当に靴ずれのために来てくれたの?」

 エルの様子にクスクス笑う。靴ずれしてることなんてエルに言ったことはなかったけど、なんでもお見通しというわけか。

「…違うよ。ただ間に合わなくて、出遅れて、かっこ悪くて…出ていけなかっただけ。」

 余計にむくれた顔をすると今度は杏の手を取った。

「だいたいあいつなんだよ。杏さんのこと放ったらかしでさ。」

 手を取る必要ある?と思いつつ、動揺を悟られまいと平気な顔をする。

「何よそれ。春人のこと?あの人が助けてくれたのに。」

 杏はますます笑えて、余計にエルをむくれさせた。

「だって僕が助けたかったのに…。やっぱり春人っていう人はダメですよ。絶対にダメ。」

 ムキになるエルに杏は呆れる。

「何よ。僕が助けたかったって…それで不機嫌なの?靴ずれだって大丈夫なのに。」

「大丈夫じゃないよ。ねぇぎゅってしていいでしょ?」

 返事をする前に杏の体はエルに包まれた。 何度、抱きしめられても慣れない杏は自分の早まる心臓の鼓動に気づかないふりをする。

「今までそんなこと聞いたことないくせに。」

 かろうじてそういうとエルは情けない声を出した。

「だって…なんかかっこ悪かったのに、ぎゅってしていいのかなって。」

「何よそれ。」

 そんなこと気にするんだ…と少しおかしかった。

 かっこ悪いって言うけど、私にはあの時にエルの声がしてすごく嬉しかったんだけどなぁ。しかもヒーロー顔負けのお姫様抱っこで連れ去っちゃってさ。まぁそんなこと絶対に言わないんだけど。

「別に私には今、ぎゅってしてもらう理由なんて…。」

 今は別に泣いてもいないし、もう助けも求めていない。もう大丈夫なのに。そう思った杏にエルが思いもよらないことを言った。

「だってこんなに震えてる。」

 抱きしめていた腕を半分緩めると緩めた腕の方の手で杏の手を優しく握った。エルに指摘されてその手を見るとエルの手の中で小さくカタカタと震えていた。

「杏さんだって怖かったんでしょ?もっと甘えたっていいのに…。」

 何故だろう。さっき三人でいた時までは震えていなかったはず。エルが来るまでは…ううん。エルとこの部屋に入って抱きしめられるまでは。

「杏さんは…ほら、意地っ張りだから、強がっちゃうでしょ?だから自分でも本当に大丈夫って思っちゃうんだよ。でもきっと違うよ。心は震えてる。」

 震えた心が見えたのかと思えるほど、はっきりと言って、またぎゅっと抱きしめた。

 抱きしめたエルの顔も少し和らぐ。怒っていたのか言動が乱暴だったエルがいつものような丁寧で優しい声色に戻る。

「だから僕が甘えていいよって抱きしめてるんです。そしたら我慢してた震えが出たんですよ。我慢しなくていいのに。」

「何よそれ。」

 どうやって返事をしていいか分からない杏は憎まれ口をたたいた。本当は甘えていい人が側にいてくれる。そのことがこんなにも温かい気持ちになるなんて。そう思っていた。

 でもそれを口に出せばエルを喜ばせるだけ。そう思うと悔しくて、そのことを口に出すつもりはなかった。

「ただし甘えるのは僕にだけにしてくださいね。」

「なんでよ。誰かに甘えたら意外な一面が見れて好きになってもらえるかもしれないじゃない。」

 自分で言ってておかしかった。甘えられるわけないじゃない。エルが特別、変なのよ。

「だからダメなんです!変な男に惚れられたら困るでしょ?」

「ハハハッ。何よそれ。」

 身内の欲目みたいなのがエルはすご過ぎるのよ。あなたの杏さんはどれだけ可愛くてモテモテなの。やっぱり変な子だわ。

「なんで笑うんですか!杏さんは無自覚だから困るんです。」

 見当違いの心配をされて、くすぐったい気分だった。

「でも、どうして分かったの?私がピンチだって。天使だから?」

 茶化していう杏に珍しく嫌そうな顔をした。また丁寧に話せなくなるエルは、やっぱり何かに怒っているようだ。

「ううん。虫の知らせってやつ?嫌な予感がしたから。…だから急いで行ったのに。」

「だから鍵も開けっ放しで?」

「だって急いでたから!」

 それでも間に合わなかった…としょんぼりした声が聞こえた。そのあとに、ぶっきらぼうな声を出す。

「もういいから僕に甘えてよ。」

 ぶっきらぼうに言っても抱きしめた腕は優しく温かかった。何度、抱きしめられても慣れないが、それでも心地よさを覚えている体は正直だった。自然と体の力を緩め、体をエルに預ける。

「最初は私も美優ちゃん守ったのよ。かっこいいでしょ。」

 自慢げに言う杏に怒って、子どもをたしなめるような声で叱る。

「もう!そういうことはしなくていいの。」

「なんでよ。美優ちゃん女の子なんだから心配でしょ?」

 なんで私が叱られなきゃいけないのよ。泣く子も黙る杏さんよ。それによく頑張ったねって褒めて欲しいくらいなのに。ぷりぷりする杏よりも、ずっと怒った声でまた叱った。

「杏さんだって女の子でしょ!」

 まったく。分かってないんだからと言わんばかりだ。

「女の子って…あの絡んできた人に大女だからオネエなんじゃないかって言われたわ。」

 自虐的に報告すると、エルはますます怒った口調になった。

「そんなことを!」

「いいのよ。慣れてる。」

 そうそれには慣れてる。エルに抱きしめられるよりも、大女とか男女とか…オネエはさすがに初めてだけど。

「そんなこと慣れちゃっダメ!こんなに可愛いのに…。」

 可愛いはエルの挨拶みたいなものだから置いておいたとしても、自分が悪く言われたくらいで自分以上に怒ってくれるエルに気恥ずかしいような、嬉しいような気持ちになる。

「ほら泣いてもいいんですよ。」

「泣かないわよ。」

 そんなこと言われて泣けるものじゃないわよ。それに泣くほどのことじゃないわ。でも…。

「じゃもうちょっとぎゅってしてていいですか?」

 心を読まれたのかと、ドキッとして質問する。

「どうして?」

「…僕がそうしていたいから。」

 そう言われてしまうと断れなくて回した腕をほどけないでいる。断れない理由を探している自分の本当の気持ちにまた気づかないふりをした。

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